地獄の門
地獄の門が開いている。
深夜2時。昼間はパンダの出生に湧く上野は、夜の海の底に沈んでひっそりとしている。
国立西洋美術館の前の道は誰も歩いていない。いつもならジョギングをしている人、徘徊している老人、はしゃぎまわる藝大生などがいるが、今日に限って誰もいない。
仕事帰りはいつもこの時間になる。何をしているわけでもない。ただ会社に残って仕事なのか労働なのかわからないものをこなし、日を跨ぐとなんとなく家に向かって歩き始める。どこが家なのかもわからない。そもそも、俺に家などあるのだろうか。そんなことを考えながら国立西洋美術館の前を通り過ぎようとすると、ふと地獄の門に振り返ってしまう。
今日もいつものように振り返ったところ、地獄の門が開いていることに気がついた。
全開になっているわけではない。右側の門が少しだけ向こう側に開いて、隙間からわずかに白い光が漏れている。
周囲の目を気にしながら柵をよじ登り、地獄の門へと近づく。
上野の街が発する微かな灯りによって地獄の門はじんわりと照らされる。グロテスクなまでの凹凸に、うっすらと陰翳が浮かぶ。悲嘆にもがき、苦しみに呻く裸体を、上で頬杖をついた男が見降ろす。漆黒の門は、夜の闇には溶け込まずに、際立ったかたちで現前していた。
向こう側から差してくる光は一体何を意味しているのだろう。
地獄とはどのような世界なのか。門に現れている裸体のように、喘ぎ、苦しむための世界なのか。なぜそんな世界が存在するのか。なぜ、わざわざ苦しみを味わうための世界を誰かが用意しなければならないのだろうか。
だが、俺は気がつく。
俺が目の前にしているのは「出口」なのではないか。
一般的には地獄の門を通った「あちら側」が地獄であり、こちら側は「入口」として認識されている。この門をくぐると、苦しみに満ちた世界が広がってる、人々はそう考える。
それは逆なんじゃないか?
「あちら側」が地獄ではなく、「こちら側」が地獄なのではないか。
そう考えれば、俺の今の生活も理解できる。
なんのために働いているのかもわからない。誰のために働いているのかもわからない。ただ、カレンダーの日にちをひとつずつ塗りつぶすためだけに会社に行き、家に行き、ふらふらと街の中を漂いながら存在を削っていく。どこにも定着することなく、誰の心にも留まることなく、流動体としてしか生きることができない。
人が生きることに意味なんてないのかもしれないが、人間は意味を求める生き物だ。そもそもない意味を求め続けるなんて、切ないにもほどがある。
だから、ここは地獄なんだ。
絶対に叶わない願いを願い続けるための世界。
それが地獄。
手に持っていた重い荷物を地面に捨てる。今となっては、何が入っているのかさえ思い出せない。
これは出口なんだ。ここをくぐれば、すべてが終わる。
一歩踏み出せば、楽になるんだ。
そう思いながら、地獄の門に向けて、右足を一歩踏み出した。
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