・第九話「侵略の地球(前編)」

・第九話「侵略の地球(前編)」



(何だ、あの建物は。この光景は? アーチもドームも尖塔も飾り窓も彫刻も無し。煉瓦や石や木を一切使わず、鉄芯でも入れて補強したのか火山灰混凝土地球でいうローマンコンクリートと妙に沢山の硝子ばかりで造っているのもまた奇妙だが、いずれにせよあんなのっぺりした醜い建物は見た事が無い。それに地面も、石畳じゃなく、何だこれは……)


 蒼銀の髪を持つ少女、ルルヤ・マーナ・シュム・アマトは思わず内心で呟き。その疑問を、リアラが考え出した【真竜シュムシュの宝玉】の応用、それが齎す本来の効果の内の一つである過去の竜術使いが残した智恵を思考の内において閲覧可能な文書として保存する魔法的な記録保管庫、そこに意識において接続アクセスし思考内に展開される文書の白紙部分にそれぞれ言葉を記録し閲覧しあい閲覧し終わった記録を消していく事で傍受不能の無言会話を行う変則利用法、いわば【宝玉】文通チャットで、それをリアラに伝えた。


 故に周囲の人間が二人に注目する事は無い。しかし行先を表示する札を示す機構カラクリを搭載され頑丈かつ大型の箱状荷台を持つ馬車に酷く密集した状態で乗せられる不快感と窓から見える光景への嫌悪にルルヤの表情は険しく、だが傍らの赤金色の髪の少女、リアラ・ソアフ・シュム・パロンが車内の満員ぶりと灰色の殺風景に不快感を感じている自分よりも酷い、この光景への嫌悪と心的外傷が入り交じった、蒼褪め、反吐が出そうなのを堪えるような表情をしているのを見て、気遣いそして察した。


(大丈夫か? ……知ってるのだな、あれの事を。それも、良くないものだ、と)

(……はい。大丈夫です。あれは)


 心の傷に蒼褪めた顔で苦しげに、しかしそれを乗り越えんとする意思を表情に込めリアラは答えた。


(アレは地球の建物です。地球の学校と会社ビルに団地に工場、舗装道路。混珠こんじゅからすると変な形の馬車も、地球の電車を模したもの。……酷い、見る影もない)


 悲しみの瞳で、峻厳だが幸豊かな森深き山の集落だった場所の喪失を見ながら。


(カイシャリアⅦ。大王アレクサンダーになった心算か。アレキサンドリアじゃあるまいに)


 山を爆破し木々を伐採し混凝土コンクリート土瀝青アスファルトで塗り潰し不完全ながら模造された企業城下町。


 混珠こんじゅがその部分だけ食い千切られ地球に汚染された暗黒神話じみたおぞましい異界法則の侵食の名、正式名称を株式会社ワター商会とする組織の名を冠し誇示し、かつては何らかの欲能チートか魔法か何かにより転生者でありながらその意味を認識できなかったが他の転生者の存在を認識した事で魔法が解けたか竜術の護りを得た事で欲能チートが無効化されたのかその意味をはっきりと認識できるようになった、あたかも会社というその組織の名が世界を征服したかの如く誇る都市の名を、悲憤の表情で呪った。


 二人はこの地を解放すべく、今密やかに潜入を行いつつあったが、その姿はこれまでとは違っていた。潜入の為、この地で纏うべきと強いられている服装に身をやつしていたのだ。


(……それにしても、こんなネタで天丼するとは思わなかったけど……)(?)


 地球の漫才用語が分からず首をかしげるルルヤだが、説明する前にそれでもリアラは嘆息した。せめて軽口を胸の内で温める事で、抗う心の余裕を保つ為に。


(異世界来たのに女子としてセーラー服姿で登校する破目になるなんて、ビキニアーマーにも驚いたんだけど、又別の意味で……何というか……どうしてかなた)


 外の光景程にはルルヤに嫌悪されなかった、古風な意匠で灰色と黒を基調としたセーラー服という姿の自分に、なまじ見知った服故の居心地の悪い羞恥心を感じながら。尚、ルルヤも勿論その姿であり、周囲の男子は同系統色のブレザー姿であった。



「〈「お早う御座います、今日も頑張りましょう!」


「お早う御座います、ご安全に!」


 熱心励行を強いられた大声だが空虚な朝の挨拶が、排煙でくすんだ空に木霊する。


 監獄のような灰色の街に集められた生徒達が、今日も仮面のような人工的な笑顔で、〈労働の義務は人を立派にする〉と刻まれた門を潜り抜けていく。


 疲労の蓄積した心身を包むのは、単調な灰色と黒の制服。


 着ける意味が混珠こんじゅ人には良く分からないネクタイは乱さないように、それ以外の服装にはさせないように、見張り合いながらきびきびと歩くのがここでの嗜み。


 もちろん、始業時間より遥か前に来て自主的とされている準備等をしないといった、はしたない生徒など存在を許されていよう筈もない。


 私立カイシャリア第七学園。


 最近創立の此の学園は、元は債務者収監の為に作られたという、伝統無き労働学園である。


 ナアロ王国の影響とワター商会の財力による支援の下。かつての面影を最早残さぬ緑無きこの地区で、神を捨てる事を強いられ、他六つのカイシャリア建設の過程で培われたノウハウによる画一的自我再構成教育を受けさせられる支配の園。


 時代は移り変わり、玩想郷チートピアの支配が未だ全土に及んではいない今日でさえ、三年間通い続ければワター商会株式会社の社員が首輪足枷付きで出荷される、という仕組みがいずれ混珠こんじゅ全土を飲み込むべく確立されている恐るべき学園である。〉……というところかしら? 今日も」


 そんな学園の学園長室で窓から眼下の状況を見下ろし、そう嘯く桃色の髪の女。その場において、支配者達の会話が行われていた。支配者達。それは即ち学園長たる彼女、『惨劇グランギニョル欲能チート』と、カイシャドリアそのものを所有するワター商会の長ショーゼ・ワター、『経済キャピタル欲能チート』。十弄卿テンアドミニスターの内の二人までもが、ここに居た。


「ええ、そうでなければいけません。幻想ファンタジー気分の抜けない混珠ここの人間を、早く幻想から卒業させ、精神を一から研修し立派な社員にしなければ。その為に必要なのはまさにそれです」


 陰鬱な光景を歌い上げる『惨劇グランギニョル』の声を風流な和歌の様に讃え、『経済キャピタル』は笑む。混珠こんじゅ人に混珠こんじゅ人である事を忘れさせると平然と言いながら。地球に元ネタがある発言だった事は、知りもしないしどうでも良い。社交辞令。それは勿論『惨劇グランギニョル』も同じこと。PCパソコンや輪転機に同意や賛辞等求めはしないのと同じように。二人を結びつけているのは、あくまで相互の利益であった。


混珠こんじゅが私が齎す『惨劇グランギニョル』に従い、惨劇を愉悦し喫する、人が惨たらしく死ぬ様を供しそれを安全なところから富める者が楽しむ事が娯楽事業として成り立つ為の顧客を増やすには、もっともっとこの世界の良識を壊す必要がある。『色欲アスモデウス』以外にも手駒は幾つもあるけれど、この男が齎す荒廃を加速するのが、一番効率が良い)

「それで……いよいよ、というところかしら?」


 普段は精神論だけの無用な訓示を垂れたり既知情報を再確認する無駄な朝会を開く事等を楽しんで行なう『経済キャピタル』がわざわざ会いに来た理由を察し、『惨劇グランギニョル』は話題の進行を促した。


「ええ。そちらもその方面に付き合いが多いのでご存知と思いますが。から正式な報告書が。『金貸ヤミキン』の馬島君ウマジマくんと『賭博バクト』の青木アオギ君が殺されました」

「転生前の個人名を一々覚えていたの? 位階五十以下の雑魚風情を。流石は社長様。出来ることも貴方の完全下位互換どころか、貴方が〈欲能チートの一部の使用権を貸与〉すれば、同じことを出来る混珠こんじゅ人を幾らでも増やせるのに。まあ勿論聞いていますわ。大分派手に殺られたようね」

欲能チート等どうでもよいのです。社員人材は弊社の所有する大事な資産ですから。……というのに、ましてそれ以外の死に方をさせる等。弊社の資産を奪うとは許せません。只でさえ『軍勢ミリタリー』や『複製コピペ』等、良い取引相手を潰してくれているというのに。彼らは実に良く稼いでくれたというのに、その金を事もあろうにばら撒くなど。長虫バグ共め、早々にデバッグしなくては!」


 混珠こんじゅ的に言えば狂っている、地球的に言っても異常で犯罪的とされるの発言を、せいぜい取引で少々面倒が起こった程度の、ぷりぷりとした、という位の憤りぶりの口調で語る『経済キャピタル』が差し出す作成させた報告書を流し見る『惨劇グランギニョル』。


(どちらも正面から押し込んで問答無用の抹殺。それぞれ傘下に従えていた犯罪組織も後腐れを防ぐ為に容赦なく一夜で叩き潰している。それはそうね、違法な利息の借金を返させるのも、違法賭博の卓につかせて負けた金を取り立てるのも、煎じ詰めれば治安組織に取り締まられない状況と逆らったら酷い目に遭う暴力のバックボーンが絶対前提。犯罪組織を一晩で面子だの報復だのを考える気も失せるレベルで踏み潰せる相手に、そんなものは何の意味もない。まして『金を貸した相手を威圧し弱らせる』欲能チートも『賭博勝負に持ち込む事を強要し結果を認めさせる』欲能チートもはね除ける相手が問答無用で殺しに来たら、賭博の上手さなんて障子紙にもなりはしない。運転手が意識を失って突っ込んでくるトラックを交渉で止められないようなものね)


 その後溜め込まれていた金を強奪しその恐らく75%程度をそれまでその被害にあっていたであろう近隣住民に義賊めいてばら撒き再び姿を消した、という報告書を読み進め、最後に添付された現場のスケッチに、僅かに『惨劇グランギニョル』は眉を動かした。合計十六本の爪の痕で壁面に刻まれた、牙剥く竜の顔を抽象化した古代において真竜シュムシュを表した紋章、そして。


「〈悪を守る正義無し〉。混珠こんじゅ神話時代の古法。どうしようもない悪人に対し、そいつを殺しても何を奪っても罪には問わないとする刑罰。地球で言えば中世の神聖ローマ帝国における帝国平和喪失アハト刑に近い……もっと言ってしまえば、貴方の嫌うフィクションのヒーローが言う所の〈悪人に今日を生きる人権は無い! 〉ね」


 挑発してくれるわ、と、刻まれた文章について『経済キャピタル』に語り、『惨劇グランギニョル』はむしろ楽しげに笑った。


「残り25%の行方は、奴等の活動資金というところね」

「ええ。無論平行して調べさせましたとも。『軍勢ミリタリー』等から奪った分も合わせ、それなりの金額を所有し活動に投入しているようですね」

「此処へ潜入する為に。そうでしょう?」

「ええ。他にも色々と、協力者を得たり、真の協力者が何者かを隠す為の偽装依頼も含めあれこれとしているようですが、そちらは弊社と御社には関係の無い事、真偽を選りだす業務の優先順位は低い、今は置いておきましょう。長虫バグは此処に来ます。債務と貧困で狩り集めている生徒達に、金で偽装し紛れ込んだ事を確認しました」


 『情報ネット』の公式発表が信用ならぬ事は十弄卿テンアドミニスターであれば誰もが知る所、故に個別に『情報ネット』と取引をして正確と保証する情報を買い、それに加え『情報ネット』から買った情報の裏取りと『情報ネット』も知らぬかもしれぬ情報を得る為、独自の諜報手段を養う。そして、彼らの有するそれは、ルルヤとリアラにとって危険な程鋭かった。


「成る程、可愛い子達じゃない」


 嫣然と笑む『惨劇グランギニョル』、その手にする情報には、何たる事か。二人の潜入の察知だけではなく、髪色等の容姿に関する情報、師弟関係にして親密な仲である事、大凡の発揮済みの戦闘能力特性、人格、そしてリアラが転生者らしき事まで、既に暴かれているではないか。


「油断は禁物ですよ。私からすれば貴方は趣味的に過ぎる。貴方の〈怪物〉は有料な商売の道具ですが、その性根だけは下らないし理解できないし理解したくもないし穢らわしい。〈情を与え絆を与え、逃げられぬよう見逃せぬように、幾重にも縛りと重石を絡め、それでも可能性と希望に縋らざるを得ないようにし、引きずり回して殺す〉と、あなたが事前に提案した路線通りに確実に制してこそ、ナアロ王国とこの世界への、『交雑クロスオーバー』ではなく我々による支配が確立するのですから。そうすれば、『社員』にするのにコストのかかる愛社精神に適合できない今時の社会不適合若者の中から、好きなだけ食わせてあげます」

「無論、油断等。良き獲物で有れば有る程、私の『惨劇グランギニョル』は、私の罠は、私の攻めと責めは鋭さと毒を増すのだから」


 既に此処はルルヤとリアラにとって戦場ではなく罠。『惨劇グランギニョル』『経済キャピタル』は潜入し襲撃する相手ではなく誘い込んで殺す為に牙を研ぎ澄まし待ち受ける、奇襲をされる相手となっていたのだ。


「『経済キャピタル』の力で殺す事で【真竜シュムシュ】の力を可能ならば私達の物にする。【真竜シュムシュ】の死体に欲能チートが通じるなら、そうすれば『交雑クロスオーバー』を追い落とす力が手に入る。より徹底的にナアロ王国と世界を貴方は会社の名の下に支配し、貴方の承認の元私は世界を虐げられる。それを忘れてはいないし、忠実に尽くすわ。版元がなければ物語は流布できないのだから。この世界に欲能チート持ちの転生者が私一人で真竜シュムシュが居なければ確実にこの世界を好き放題に貪れるし、程好く痛め付け続ける方が好きだからしないだろうけどその気になれば滅ぼす事も容易い。とはいえ現状は他の十弄卿テンアドミニスター達が居て、【真竜シュムシュ】を私が単独で殺せるかどうかも未確定。だから、貪る事に関しては嗜好の方向性は兎も角協力者として最適と選択した貴方の経済活動が必要とする範囲に妥協はするけど、貴方と協力して確実に罠を張り戦力を整え【真竜シュムシュ】を殺す事に油断は無いわ」

「頼みますよ。需要を造る為にも愛の鞭としても、私には貴方の『怪物』が必要です。必要だから貴方を雇用し投資する。必要だから貴方の策に協力する。必要だから【真竜シュムシュ】を手に入れる。必要だから『情報ネット』と取引し、『交雑クロスオーバー』等他の者にも渡り得る長虫バグ達の情報を、私の手元に買い占めたのだから」


 ナアロ王国に所属する身で『交雑クロスオーバー』エオレーツ・ナアロを越える事を視野に入れ、『真竜シュムシュ』の力を手に入れる事を目論み味方をも欺く『経済キャピタル』と『惨劇グランギニョル』。余りに貪欲だが、貪欲であるからこそ国家を食い破らんとする国際大企業の如く容赦なく罠を張り巡らす。


「ええ。〈武活動〉のタイミングは即調整。所属欲能チート所持者は個別に、捨て駒に、攻める駒に、守りの駒に、殺しの駒に、それぞれ相応しい情報を。生徒と社員にはそれらを哀れな英雄を消耗させる障害とする為の適切な負荷と必要な配役を。そして私の『機怪戎テラスメカニ』は、何時何時なりとて出撃可能。彼女達の背後に、彼女達の真上に、彼女達の周囲全てに」


 歌うように罠と兵力の配置を整えながら、笑みを深め、『惨劇グランギニョル』は一見すると〈何時何時なりとて〉という言葉を証明するように、実際には堪えきれぬ愉悦を満たす為に、その傍らに虚空から『機怪戎テラスメカニ』と呼ぶ怪物を召喚した。それは断じて混珠こんじゅの魔物ではなかった。それと比べれば、混珠こんじゅの魔物は複数の生物因子が融合したものも多頭多腕多脚のものも、まだ生物だった。


「『血滴子アダマス・ハルパー』、『血滴子アダマス・ハルパー』、首を。待ちきれないわ」


 それは生物的必然性が無いどころではない異形であった。機能的必然性すら無い、にも関わらずそれは実に滑らかに素早く動くのだ。物語の怪物としても美的でも面白くも無ければ威風堂々見事でもない。唯只管に嫌悪と恐怖を誘う、人間を歪め、肥大し、矮小にし、増殖させ、間引き、腫瘍化させ、癒着させ、欠落させ、過剰にし、生理的違和感と怖気を誘う奇形化の方向で昆虫や深海生物等と融合させた、地獄絵や悪魔絵を立体化したが如き狂気の生体機械。無数の指の足と長大な腸の胴、花弁のように舌の咲く根本に奇数個の瞳が複数あるむき出しの眼球を配した、意地汚く貪欲そうな巨大な口を持つ人の胴程にも太い大蛇のようでもあり百足のようでもある怪物が、報告書を読み策を配しながら昂った主が阿片煙管を注文する阿片窟の中毒者じみた口調で乞うのに答え、粘液音と共に大玉の瓜程もある宝玉を吐き出した。


「嗚呼、美少女が惨たらしく死ぬ程素晴らしい事は無いわ。それも絶望していれば尚芳しい、一瞬の暗転による驚愕と現実拒否の表情や、尊厳を砕かれる程の恐怖と諦めが混じっていれば尚良し、金髪で巨乳なら一番だけど、ふふ、蒼銀や赤金の髪も誤差範囲として偶には悪くないわ。それにとても良い体、とても綺羅綺羅した魂。嗚呼、嗚呼、この良い体がだらりと吊り下げられたりびくびくと痙攣したり、この綺羅綺羅した心が映る瞳が曇るのはどれ程素晴らしいでしょう! 嗚呼、嗚呼、早くこの子達の首が欲しい!」


 否。それは大玉の瓜程、と例えるものではなかった。それは首だ。この怪物に食い千切られた生首が、その体内で宝石状の物質にコーティングされ保存されていたものだ。恍惚のままに『惨劇グランギニョル』が語るとおり、かつてこの〈血滴子アダマス・ハルパー〉と呼ばれる怪物と戦い殺められたのであろう金色の髪をした美少女の首だ。生前の首から下や性格は『惨劇グランギニョル』の語りを信じるならばそれをコレクションとして留め置くに足る程『惨劇グランギニョル』の好みだったのだろう。


 リアラとルルヤの生首をそのコレクションに加えるのを待ちきれぬと、その間の無聊を慰める為にと宝石生首に頬擦りし、口付けし舐め、そして弄びながら、女神を思わせる美貌が崩壊かおげいするほどの、卑猥で貪欲で残虐で嗜虐的で卑しく狂い引き攣った顔で笑った。


「ウェー、ヒッヒッヒ!! !」



 学園長室で悪の笑いが木霊する、その時その下をまさにルルヤとリアラは、偽満員電車馬車に乗って通りすぎていた。もうじき、〈転校生〉とこの学校では称する債務や武力で狩り集められた生徒達に対する、〈入学式〉と故障される説明会の会場に馬車は横付けされる。


「っ!! !」


 その最中、窓の外の光景を見てリアラは声にならない呻きを漏らし、口を押さえ固く瞑った目から涙の粒を溢して俯いた。悲憤に叫びそうになるのを押さえながら。


〈自殺者=敗北者、無能、弱者、不良品、廃棄物、仕損品、将来においても会社と社会に何の役にも立たなかっただろう塵屑、今の内に破損しておいて将来組織の脆弱性にならずに済んで幸いだった存在、虐められ他者のストレスを解消する以外何らの社会・会社・学校への貢献をできなかった滓、せめて自殺するまで他社のストレスの捌け口になれて幸せでしたと遺言書に書かなかった反逆者〉


〈自殺者の負っていた負債並びに社員再教育に費やした資金は、かかる不良品を発見し廃棄する労働を行い成果をあげた虐め実行者全員の5%の負債を肩代わりさせ上乗せした上で、自殺者の近親者ないし友人に上乗せされ、それがカイシャリア社員・学生でなかった場合、速やかに転入・転職手続きが実行されます〉


 それは、そんな、見るだけで悪意と害意で窒息しそうな胸糞悪い文章の書かれた木札を、乱暴に釘で体の肉に打ち付けられた獣人の少女と山亜人ドワーフの男の自殺死体であった。首を吊った少女はぶら下げられたまま、喉を突いた男は血に濡れたまま、欠片程の尊厳も無く、唯見せしめにする為だけに《保存》の魔法をかけられ晒されていた。


 俯き、余りの惨い扱いへの哀れさに震えるリアラの体を、ルルヤが抱きしめた。柔らかで豊かな胸にその頭を押し付けるようにして。しかして、ルルヤは俯かず、視線を逸らさなかった。その表情は、故にリアラには分からなかったが。


 竜の唸りをリアラは聞いた。悪為す者に裁きを下す、真竜シュムシュの嚇怒の声を聴いた。



((私が当学園の長、エイダキシア・サカキルオンです。此から皆様に、商会都市カイシャリアⅦ市長にしてワター商会株式会社社長、ショーゼ・ワター氏から簡潔にこれからの生活についてお教え致します。異論反論質問は認めません))


((ショーゼ・ワターです。入学おめでとう、生徒の皆さん! 貴方達は学生となり、そして卒業して社員となる。これほど素晴らしい人生は無いと、教育を通じて皆様にお知らせいたしましょう。貴方達が必ずそう考えるようになるようにして差し上げます。その上でその方針についてお伝えいたします。弊社はナアロ王国に属し、取得したこの都市も契約上ナアロの領土として法的にも同国の法が敷かれますが、ナアロ王国と弊社の契約により、それに加え弊社独自の社内規約と弊社が運営する当学園の学則が適用されます。そして、社内規約並びに学則には基本方針があります。貴方達は社会に利益をもたらす存在にならなければなりません。貴方達がここに招かれた時から抱えている負債すなわち今日まで生きていく為に使った資金、此処で貴方方が会社・社会に利益を齎せる存在になる為に施す教育に懸かる資金というそれに加えられる負債、それ以上に利益を齎せなければ、存在している価値が無いからです))


((ええ、無いのです。神の下の平等による人権の保証? そんなものあるわけないじゃないですか〔呪文の詠唱と共に発生する爆裂音、発動した攻撃魔法が、エイダキシアとショーゼの眼前で見えない何かに阻止される〕。神がもたらす魔法より、強いものが此処にあるのですから。無力な神等存在しないも同じ。故、改めて伝えます。学園に、会社に、社会に神はいませんし、故に人権もありません。この学園では価値と利益をもたらす労働の為に必要な実学のみを伝えます。詩、歌、物語、芸術、歴史、信仰、遊戯、趣味、文化に関するあらゆる行為は禁止されます。貴方達はそれを楽しむ側の人間ではないと我々が定義します))


((先程私達に攻撃魔法を撃った人。中々度胸がありますね。その度胸は心ごと教育によって抹消しますが、今体罰は加えません。理由は二つ。一つは、罰を与える程害を為す程の力が無い、自分がその程度の存在でしかない事を認識してほしいから。二つは、まだ貴方の値打ちの査定がすんでいないから、その前に傷つけるわけには行かないという事です))


((そうです。貴方達が存在を許されているのは、貴方達に仕事を行う生産力としての値打ちがあるから。故、傷つける事でより従順になり仕事に身を捧げるようになって値打ちが上がるのであれば傷つけますし、傷つける事で障害を得る等して仕事を行う力が低下し値打ちが下がるのであれば傷つけませんし、生かしておく事で利より害が多く、生産するより多く消費する存在であれば廃棄処分として殺します))


((評価を行い人材として運用する為に生徒同士値打ちを示しあい競いあってもらいますが、そこにおいても我々の評価基準はかくの如し、です。先程通学中にその例をご覧になったでしょう? 能力の高い者、組織に全てを捧げる熱心さを持つ者、円滑に組織を回すに足る相互理解力の高い者、所属組織の為ならその外の他者を踏みにじる事に何の良心の痛みも覚えない者等の優れた者同士が暴力的に潰しあうのは不利益であり為許容できません。ですが、能力の劣る者、組織に全てを捧げず他の事に心を残す者、周りの仲間に合わせられない孤立者・変わり者・個性的な者、下らない良心で組織の方針に従属できない者、所属組織の文化以外の文化に関心を示す者、劣る者、弱い者、優しい者、趣味人、反抗的な者、そういう存在を虐め殺す事は推奨される行為です。それは適正な行為、間引き、雑草摘み、害虫退治、校正、淘汰です。虐められて死ぬような弱者は不要な人間です。死者に価値はありません。むしろ校内社会に適応し他者を蹴落とし生き残る虐めっ子こそ社会に必要な人間であり守られねばならないのです! それが社会人生活なのです!))


((……以上が本校、本都市、そして拡大を続ける弊社が敷く規則の理念です。詳細については、各自担任教師、並びに実地において体得していただきます。ご静聴有難うございました))


((ワター社長、どうもありがとうございました。さて、最後に私、学園長から追加させていただきます。本学校においては、実学の他に存在価値を示す手段として、〈武活動〉と呼ばれるものがあります。これは近年増殖しつつある新種の魔物を、その発見の報告を受け学園所属の冒険者として討伐する活動です。参加希望者には、カイシャリアで開発された新型の強力な魔法装備が貸与され、素人でも一流冒険者に勝利する事が可能な力を得られます。新種魔物退治の各種装備や新種魔物除けの魔法道具はワター商会の重要な商品であり、その開発に寄与する本活動は、成果を挙げれば極めて高度の報酬と評価を得る事ができ、十分な成果を挙げれば早期卒業・希望によるカイシャリアからの退職が可能となります。各種資料は視聴覚室に、ご応募は担任・職員室から、何時でも受付しております。それでは、これにて以上です。各教室への転入手続きに入ります。ご静聴有難うございました))



 ……そんな最低最悪の説明会の後、ルルヤとリアラは〈転校生〉として、クラスへの編入と紹介の為教室の教卓横に立たされていた。


(門の銘は〈この門を潜る者一切の希望を捨てよ〉が正確なような気がするな。最も、欺瞞に満ちているどころか、欺瞞を真実として扱う事を強制するこの感じじゃ、そうもいかないか。あの文句は〈労働は人間を自由にするアウシュビッツ強制収容所〉に似てて笑えない)


 混珠こんじゅにも学園はあるが、ここは教卓から黒板から生徒の椅子と机から、混珠こんじゅで手に入る材質の範囲で偏執的なまでに再現された、ありふれた地球の学校の教室。……嫌な記憶を嫌が応にも思い出させる眼前の光景に慣れるまでのあいだ、皮肉を噛み締めてリアラは堪えた。


「朝礼を終える前に、伝達事項がある。新しい〈転校生〉だ。自己紹介しなさい」


 のっぺりとした板のような口調で話す、個性の薄い教師。混珠こんじゅで学院学園の教師や村の聖堂教室を主催する神官や子供らを相手にする語り部といえば知識を伝え子供の人生に貢献する意欲のある人間だが、まるでやる気がなく、回るだけの風車や水車ですら風や水の調子でもっと変化に富んでいるように感じられるその無個性、要するに人間を教育するのではなく判子を押すか帳面に書き付けるように単純作業として教育という業務をしているのだと言うような様子に、ルルヤは違和感を覚え、そして眼前の光景に、それよりもさらに強い……


(違和感? 気持ち悪さ? 嫌悪感? 息苦しさ? ……何だ、この、感覚は……?)


 眼前に並べられた机に座らせられている生徒達。年齢こそ狩り集められただけあってルルヤは詳しく知らないが地球と違いややばらつきがあるが……その表情に滲むそれぞれが持つもっとも強い感情は僅か三つだけなのが実に異常だとルルヤは薄気味悪く思った。


 一つは、恐怖に駆り立てられた競争心。即ち、成績において他者に勝り続けなければ酷い目に遭うのだと脅しつけられたという感情。


 二つは、諦観に満ちた悲嘆。即ち、否定され尽くした心の成れの果て。潰れて死んだ感情。


 そして三つ目は、貪欲で修羅道に堕ちた嗜虐。即ち、蹴落とし、侮辱し、踏みにじり、狩りたて、追い詰めることを楽しみ、また楽しみにしなければ己がされる側に回るのだと理解しながら、それが当然でそして自分は決してその側に回る事はないと思い込んだ鈍摩した感情。


 その他の普通の感情は、辛うじて絶え果てた訳ではないがその三つの下に押し潰されたようになってしか存在しない。それはルルヤからすれば明らかな異形であった。


「キーカ。唯のキーカよ、名字なんて無いわ。この学校に来た理由は下手打ったからだけど、あんたら皆もそんなもんでしょ。好きなもんとか嫌いなもんとか、そんな余裕は無かったから知らない。自己紹介、終わりよ」


 『金貸ヤミキン』『賭博バクト』から資金を奪い借金棒引きと偽装工作をして得た偽名を偽経歴に沿って名乗るルルヤ。蓮っ葉を装う演技は不完全で雑な共通語が逆に効を奏しある程度様になっている。


「わ、ワタシはララ・ララリラです。この学校に来た理由は家庭の都合で、キーカさんとは一応家の近くにいた人なんで顔見知りです。よろしくお願いします」


 同じく偽名を偽装経歴に沿ってリアラも名乗った。こちらはややおどおどした風を装って。演技は、内心苦笑し、自嘲しながらだが、それなりに上手く出来ていたが。

……だが、この潜入が上手く行く事は無い。ここは既に罠の巣。そしてそれに加えて、トラブルがすぐさま行く手に待ち構えていた。


「っ!!?」ガタン! 「っ、あ……!」


リアラが偽りの自己紹介を終えた直後、大きな物音がした。曇った瞳でぼんやりと視線を前に置いているだけだった一人の女生徒が、瞬きの瞬間驚愕の表情で思わず椅子と机を鳴らして身を乗り出し、リアラの顔を穴が開きそうな程凝視したのだ。その瞬間、リアラも、窒息しそうな程、心臓が痛む程驚愕した。彼女の姿に。


「静かに」「……ハ、ハイ」


 そして、教師の淡々とした一言に、しおれたように従った彼女の有り様に打ちのめされた。混珠こんじゅでも希少な緑の髪、褐色の肌。姉より高い狩山亜人ワイルドドワーフとしてはかなりのっぽな背丈のせいでややひょろりとした印象を受けるが、かつては今の枯れかけた鉢植えのような印象ではなく、実直な姉と違いむしろ勝気で強気な子だった。愛する冒険者団仲間パーティメンバー、死せるハウラ・キカームの妹、ミシーヤ。彼女の故郷だ、彼女の家族と同胞を救う為に来たと言ってもいい。だから出会う可能性は高かったのだが……


(ごめんなさい……ごめんなさい……!)

「席は用意してあります。窓際後ろ二席、ララさんが後ろ、キーカさんが前です」


 覚悟はしていた。だがそれでも、リアラの胸はハウラを守れなかった罪悪感に貫かれ押し潰された。そしてそれは当然お互い顔見知りのミシーヤにはリアラの偽装がバレたという事でもあるが、ミシーヤがそれを大っぴらに言い出さない今は、それよりは罪悪感の重みのほうがきつかった。思わず目をぎゅっと瞑り、ミシーヤから顔を背け指示に従い席に向かい。


「うわぁっ!?」どだん!


 そして転倒した。目を瞑っていたからではない。今は無力な一般人を装っているとはいえ、ハウラとルルヤに仕込まれた体捌きと【真竜シュムシュの角鬣】があれば目を積むってこの短距離を歩く程度でそんな事は起こりえない。横から足が突き出され、リアラの足を払ったのだ。典型的な虐め。だが、それだけが原因であろうか。否。先にも言った通り、今のリアラには【角鬣】がある。事前に足がつき出されていたのであれば目を瞑っていても察知して避ける事が出来た。


「痛ぅ……」「通行料さ、お嬢ちゃん」


派手に転倒したリアラが呻く。足をつきだした男が嘲笑う。直後。


ズダン! CRAAAAAAAAAAAASCH!!


「ぐっ……!?」「あんたにも通行料だぜ、野良猫ちゃんよ」


 轟音と共に、ルルヤが天井に叩きつけられ、そして床に落下した。リアラに足払いをかけられた事に怒ったルルヤが、つき出されっぱなしの男の足を思いきり踏みつけにいったのだが、その足を逆に蹴り上げられ、足一本の力だけで吹っ飛ばされたのだ。リアラが避けきれなかったのも、この凄まじい脚力による速度故!


「っ!? 、キーカさん……!」

「、大丈夫。何心配してんのよ。……やるじゃない」

「あれで死なねえ野良猫ちゃんもな」


 近所に居た、という設定の偽装カバーをしているリアラが心配しすぎそうになるのを退け、ルルヤは足を突き出した男を睨み、その視線に傲慢な笑みを男は返した。荒々しい自然や生物、神々からの加護等の理由で、混珠こんじゅ人は平均的に地球人より素の身体能力や生命力・耐久力にある程度勝る傾向があるとはいえ、実際普通の混珠こんじゅ人ならこんなことをされたら打ち所が悪ければ大怪我や死もありうる。そして今、ルルヤは潜入中怪しまれない為、欲能チートの干渉だけは避けうる効果は維持しながらも【鱗棘】や【膂力】等の身体強化系竜術の効果を最低限度に落としていた。故に魔法を伴わぬ単純な打撃でも、その肌を血が伝い、セーラー服の一部が赤く滲んだ。リアラが転倒して痛がったのもその為だ。


 その結果がこの手傷だが、相手が動かしたのは殆ど膝から下だけ。本気で蹴れば、生身の人間等粉微塵に吹き飛ぶであろう。恐らく単純な身体能力の強化度合いであれば、『功夫カンフー欲能チート』に勝るのではなかろうか。


 そう。欲能行使者チーターだ。演技でリアラの心配にそっけなく応じたルルヤと睨みあうこの男。見ればあからさま、その席の前に更に大きな背丈の獣人の男子がいたせいでよく見えなかった事をリアラは悔やむ。6フィートに余る筋骨粒々の長身、金髪碧眼のくどいが整った自信満々傲岸不遜の目鼻立ち、割れた顎、太いもみあげ、そして、いかつい粋がったリーゼントヘア。この髪型は混珠こんじゅには存在しないのだから。


(HAHAHA……『恋愛ハーレム欲能チート』みてえな女誑しピンプや『不死イモータル欲能チート』の役立たず、『課金ガチャ欲能チート』や『仮想MMO欲能チート』のギーグ共とこの俺様は違うぜ。たっぷり甚振ってやる。手前等混珠こんじゅ人は銃乱射事件を起こすファッキンナード程度の損害も俺様達に与えられずに屈するのさ。ああそうさ、もう銃乱射事件生前の死因なんざ怖くねえ。その上そうすりゃ俺様の力は更に増大するってもんだ。『社会的に立場が下だと思い知らせた相手の力をすべて合計した分の力を持てる』この俺様の能力、『序列ジョック欲能チート』がな!)


 トラバサミの一つが、ガチャリと牙を剥いて二人の足を噛んだ。罠自身の増上慢や無知、罠一つ一つの生存等関係無く、罠の噛み傷から流れる血が、齎す苦痛が、引き摺る鎖が、二人の力を削げば良い。そう『経済キャピタル』と『惨劇グランギニョル』が考えて配置した、果てしない消耗の連鎖が起動し始める。

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