逆襲物語ネイキッド・ブレイド

博元 裕央

第一章

・第一話「理不尽を狩る者、黒き月より帰り来て(前編)」

・第一話「理不尽を狩る者、黒き月より帰り来てチートスレイヤー・バックフロムザブラックムーン(前編)」



 地獄があった。今夜は〈青の大三日月〉の日、満ち欠けと同時に大きさの脈動と青白、紅、黄金、白銀と変光を繰り返すこの混珠こんじゅの月が、三日月とはいえ最も大きく青い日の一つだというのに、そこに、ルトア王国の王城に青は無かった。城の戦闘や城壁がある程度は光を遮るとはいえ、その理由はそうではない。別のものが、城を内外から塗り潰していたのだ。それは。


 それは血の赤であり、炎の朱であり、屍の紅であった。燃える木柱の墨であり、燃える死体の黒であり、燻る煙のくろであった。


 それは、大災害のようであった。だが、この混珠こんじゅ界においても大災害それは悲劇だが、神の加護による災害そのものの低頻度化や、法術による神々との感応による予測や、災害発生時の為の法術や錬術れんじゅつ・白魔術・隠秘術の付与や使用等により、ここまでひどい事になる事などない。


 これは、〈戦争〉だ。混珠こんじゅにおいては、過去の歴史時代開闢期以降、魔神や魔王や極少数の外道が起こした数例が知られる程度の〈人災〉。騎士達によってルールに則って行われる〈合戦〉や、良民を苦しめる魔物や盗賊どもに対する〈討伐〉、冒険者と呼ばれる危険な事柄を請け負う者達が行う〈冒険〉とは根本から異なる、血みどろの、欲望と敵意と悪意と侮蔑とかが織りなす人造地獄。……近年になって異常に頻発しはじめたものだ。


「ハウラさん! ソティアさん! 礼拝堂の皆は《大退避》で脱出できましたっ!」


 その最中、この状況が自分たちの知る〈冒険〉と遥かに違う地獄であると知りながらも、必死に足掻く三人の冒険者が居た。それも、自分たちの命の為だけではなく、周りの、〈戦争〉に巻き込まれた人たちのために。今そう叫んだのは、革の長靴に短下衣ショートパンツ、色々な道具を納めたポケットとポーチが沢山付いた短い上着に、革の手甲という装束を纏う十代半ば過ぎ程の年齢の少女。夕日を思わせる赤味がかった金褐色の髪をゆるく三つ編みにした、繊細さと純朴さの入り混じった容姿は愛らしいが、今は戦場の有様に緊迫し、しかし、必死の様子であった。その手には紋を刻まれた小剣が握られていて、分かるものには隠秘術を少し会得している事が見て取れるが専業の術師とは見えず、兼業だろうか、隠密か野伏の類とも見えた。


「わかっ、たっ! どけぇ馬鹿どもっ! っ、ソティアッ!!」


 褐色の肌に混珠こんじゅ界でも希少な緑色の硬い葉のようにツンとした髪そして矮躯。唯の錬術れんじゅつ使いと違い鉱と錬の技を秩序だって運営し乱用を防ぐ事を貴ぶ地神タダイトス信仰種族たる山亜人ドワーフのより野生寄りの一支族、錬術れんじゅつを骨や革等の自然物の加工に特化した狩山亜人ワイルドドワーフの女ハウラ・キカームは、幼女じみた肢体を魔獣や亜獣の角骨皮で作った鎧兜で固め、大小の斧を両手に振りかざして突撃した。狩山亜人ドワーフは一際凶暴な獣種である亜獣のなかでも呪われた鉱物の影響で生まれたものや、その環境を好んで現れる魔獣、それを悪用せんとする魔族や悪党と戦う生粋の戦士。姿こそ目のぱっちりした可愛い幼女だが、凄まじい身体能力を持つ。


「《生業嘉し耕神 コムルスに悪野祓いを希う》、《耕神 コムルス魔に命ず怒りの拳! 》」


 名を呼ばれたソティア・パフィアヒュ、他二人よりやや年長の法衣を纏う淑やかで清楚な細身の女性が波打つ長い黒髪と法衣を翻し、ハウラが己の名を呼んだ言葉だけでぴたりと息を合わせ、信仰で神の力を借りる法術と、神の力で魔を制御する白魔術の呪文を放った。


 その結果は、彼女らが冒険者として優秀であることを存分に証明するものだった。礼拝堂の扉を破って殺到した兵の隊列をハウラの斧が前後左右に弾き飛ばし、それでも多勢の敵兵がハウラの死角から彼女を刺そうとするのを、一歩引いた位置から的確に術行使具の短杖で狙い定めたソティアの術、硬い岩交じりの荒野を耕す《開墾》の法術を応用として攻撃に用いる《粉砕》と己が受けた傷と相手が犯した罪と相手への怒りを衝撃に変換する《呪拳》が阻止した。


「ふうっ!」


 突入してきた傭兵達をたちまち瓦解させ追い散らかし、打ち砕いた敵兵の装備を蹴散らかして、油断なく斧を構え直し身構え息をつくハウラ。その鎧と斧には幾らかの返り血と少しの内側から滲む血がついていて、ここまで既に激戦を潜り抜けてきたことを示していた。


「ワタシたちも突破しないと。けどまずい、敵兵多いし普通じゃない、傭兵共に交じって、錬術れんじゅつ兵がかなりの数! ワタシたちなら倒せるけど、普通、こんなに一杯作れるはずないのに!」


 そうハウラが言ったのは、砕け散り床に倒れた、傭兵に交じっていた〈もの〉の残骸だ。ソレは人間ではなかった。顔は宝石を埋め込まれた額以外何もない無貌のっぺらぼうで、体も金属の棒で構成された骨格を革紐で作った筋肉らしきモノで繋いだとおぼしき、明らかに人の手に成る代物。


 錬術れんじゅつ兵。神や魔や精霊に依らず世界の形成過程を特異な才能で認識し歪める、かつて何度か悪用された故に、人格資質試験を経た上で哲学教育を受けねば学ぶ事すら許されないはずの錬術れんじゅつを悪用して作り出された、魂無き人造兵士。金属と宝石と鞣し革と動物の肉体組織でできたソレは、ただ制作者の命令を忠実に実行しようとする人形に過ぎないが、その特性上気軽に量産できる様な代物ではないのも事実だ。ハウラが指摘したのはまさにこの点であった。


「すいません、皆さん……! 私が、無茶を言わなければ、こんな事には………」

「巻き込まれた民助けるの当たり前。謝らない! 大体ここ来たのワタシのせい、悪いはワタシ!」


 悔やむソティアに励ますように言い切り、責任は自分にあると被るハウラ。そう、確かに、この場に彼女たち三人がいる理由は、ハウラの家庭の事情に関係があった。


((馬鹿な! ケリトナ・スピオコス連峰、ワタシ達の守護山! 鉱石は豊かでも、霊薬樹も癒角馬ユニコーンも鉱毒で穢せぬ宝、獣人も山亜人ドワーフ森亜人エルフも、誰も開発認めない!))

((間違い無い話なのです。ナアロ王国のワター商会が、国の協力と貸し付けた負債を武器に金づくで周辺国に意を飲ませ、御山の土地を王国に編入させ自社の土地といたと。聞けば最近は【竜の聖域】ウルカディク山にまで、秘宝があるやもと荒らしに踏み入ろうとする軍勢迄あるとか。恐ろしい事です。この世は一体どうなってしまったのか。まるで人間が魔王に率いられた時の魔族以下になり果ててしまったような事件が、こうも次々と……))

((ナアロ王国、あの〈戦争国家〉ですか!)


 違法な焼畑によって縄張りを失い、人里に降りてきた亜獣・毒羆どくまを、巧みな誘導で再度山奥に返す事で村を守る冒険を成し遂げた直後に交わされた会話。事件の原因としての人の行いの変化として語られた、自然奥深く守られていた筈の彼女の故郷ケリトナ・スピオコス連峰が、近年〈合戦〉の掟を破った〈戦争〉で勢力を伸ばす新興国家ナアロ王国の豪商の手で突如開拓され一大都市とされたという情報。驚愕したハウラの為、彼女の故郷に赴き真実を確かめる為、また到着迄の情報収集の為、ナアロ王国と敵対する近隣辺境諸国の連合を取りまとめんとしていた、〈戦争を起こす者に挑む英雄がいる〉というこのルトアの地を旅の経路に選んでいたのだ。


「《死にたくなかった者達たる魔よ、死にたくないものがここに居る。貴方の生前の慈しみを、どうか! 》っ、ハウラさんソティアさん、二人とも、そんなこと言わないで。二人は、良いことをしたんだ。僕なんてその手伝いをしたくらいで。それなのに、これがもう、精一杯で……」


 そんな二人を鎮めたのは、二人の傷と疲労を癒す為に、本来隠秘術・魔術・白魔術がやや得意分野としない癒しの術《魔慈》をそちらの方面への適正故かそれにもかかわらず強い回復力で振り絞るように行使した、三人の中で最も弱いリアラの嘆きだ。《大退避》は、事前に儀式で準備し繋いだ二か所を、一定人数を一瞬で移動させる退避護民の為の大規模法術。彼女程度の腕前では単独で行使する事は出来ず、またそもそも会得した術の分野が違う。故にリアラは、事前に準備された儀式を起動する、手伝いをしたのだが。《大退避》を手伝った事で既に彼女は相当消耗していて、《魔慈》の行使をするだけでぜえはあと息切れする程だった。


(手伝えただけ、僕に出来る事があった、って、この世界の術の理論に、感謝しなきゃいけないんだけど……けど、もともと気力体力が残っていても。《魔慈》の回復や《使魔つかいま》の探索や細工、あとは、まだ基礎しか知らない《改変カスタム》や《付与エンチャント》、幾つかの細々した小規模で日常的な術くらいしか……そんなに出来る事は多くなくて……悔しいな、悔しいよっ……)


 内心、血反吐を吐かんばかりに、己の無力をリアラは悔いる。いや、隠秘術の制限さえなければ、血反吐を吐いてでも術を使っていただろう。その制限がもどかしく悔しいが、その隠秘術だからこそ、民間人を脱出させる手伝いが出来たのだ。


 この世界における法術は、こういう言い回しで表現するとリアラは改めて己の出自を思い出すのだが、言わば神々による世界の物理法則を無視するアクセス特権だ。そしてそれと、神々が神々となる前に死んだ存在の怨念の集合体である魔が使う魔術、それを法術で制御する白魔術、白魔術で物体に封印した魔を道具として使役する〔故に限界を超えると魔が解き放たれる危険のため制限がある〕隠秘術、そして神にならなかった精霊の力を借りる精霊術は、根本的に同一の原理だ。だからこそこの世界では、神秘の技をその代表である《魔》術《法》術、ひっくるめて《魔法》と呼ぶ。故にそれぞれの権限を与える存在の対立を乗り越える事が出来れば同期する事が出来るから、リアラは《大退避》の手伝いが出来た。


 その隠秘術は、自分の会得している白魔術と基本は同じだからと、魔法装備を誂えてまでソティアさんが教えてくれたものなのに。生来、争い事が嫌いで、苦手だった。だからか、攻撃や戦闘に関する術に関する適正が極端に低かった。そんな自分じゃ、いくら教わって回復や探索の手助けができるようになったからって、彼女たちみたいな立派な冒険者に助けて拾い上げてもらったのに、助ける事も恩を返す事も出来ない、のだろうか。


「リアラ。あなたは本当に変わらないわね。初めて会ったあの時から」


 そんな少女の苦悩を遮るソティアの声は苦笑交じりの慈愛の表情だった。その言葉に、リアラの脳裏にその時のことが思い返される。



 輝いている筈なのに、酷く月が小さく弱弱しく感じられる闇の中。打たれ、引き毟られ、辱められ、切り裂かれて投じられた水面。流れる中、周囲がいつの間にか緑深い森の中となり、月が輝きを増したように見えた、水から助け上げられた瞬間。



((生きてる、良かった!!))((早く手当てをしないと!))


((……ごめん、なさい))


 助けなければと言いながら川の流れの中に飛び込んで自分を助け上げる二人にリアラが必死に呟いたのは、傷だらけの体を、纏わりつく布の残骸で隠そうとしながら、冷たい水の中に踏み込ませたことを、寒気が走るような傷だらけの体を見せてしまったことを詫びる言葉で。



 ……そんな少女を、二人は捨て置けなかった。かつても、今も。


「そんな事言うなはそっちも、リアラ。リアラが矢を食らった祭司さんの手伝いを出来なきゃ、ソティアいないと転移できなかった。それじゃダメだ、ワタシ一人じゃ支えられなかった、死んでた。それ駄目。まだ家族いる、したいことある。死ねない! 助かった!」


 それを思い出し励ます為に強く言葉を発し、窮地で尚笑顔を生み出すハウラ。


「ええ。大体、ここに至るまでに消耗した私の力じゃ、《大退避》の支援は出来なかった。貴方がいたから、助けられる人がいた。……下級貴族の庶子、継承権のない私に、生きて何ができるか、それを必死に求めてきた私が、それにどれだけ救われたか。私には生きて出来る事がある……なら、生きてそれをしたい。まだ、死にたくありません。生きて……帰りましょう!」


 お前のお蔭で助かったと告げ。平地の民と山の民の異なる理を超えて共にあり、誰かの為に生きる美しい在り方を当然として死に立ち向かう女達。リアラは二人が助かる事を、理由わけあって未だどの神にも帰依できずにいる身でもと、二人が信じる神と精霊に奇跡を祈り。彼女たちを守らねば、残る力の全てを使うなんてものじゃなく、身を盾にしてでも、命を捨ててでも守らねばと、リアラは眩さに涙を浮かべ誓った。……僕と比べて、あまりに尊すぎるのだからと。


(僕は今、二人が助かるなら、立ちはだかる奴は皆死ねばいいと。もし自分にその力があれば。皆殺してやると思っていた。敵は強制的に徴募された兵ではない、〈合戦〉ではなく〈戦争〉が行われるようになった悪しき時代に真っ先に適応した悪党ども、法術という奇跡が存在し、昔は食い詰めた者が盗賊となる事は領主の罪でありそれを更生させず殺める事は騎士であれ罪とされたほどのこの混珠こんじゅの治世で、それでも尚暴力で奪う事に魅入られた賊共と、その新しい亜種のような傭兵共だ。だから殺したって、どうという事なんてあるものかと。僕は)


 だけど。リアラは駆け出す二人の足元を見る。そこには砕け散った武器と、幾らかの血と、破壊された錬術れんじゅつ兵の残骸。……傭兵の死体はない。幾ら傭兵達が、死ぬまで戦わず、報酬を得て欲望を満たす為に生き延びる事を最優先するとはいえ。それでも、怪我をさせるだけで殺さずに追い散らかしてきた。いつもそうだった。魔物や亜獣相手でも、人間同士の荒事でも。ハウラは自然の理に詳しく、それを聞いてソティアは知恵を巡らし。状況を改善し、智慧を授け、時に魔法の力で魔物とすら対話し。


(あの人たちは、優しさで〈冒険〉を解決してきたのに! それを、一番近くで見てきて……僕もそうあろうとしてきたのに!)


 そして、今もそうしている。……混珠こんじゅの古い美徳を体現する人たちだ。今、〈戦争〉が〈合戦〉と〈冒険〉を駆逐して世界を覆い、悪しくこの世界を変えようとしているこの時に、死んじゃダメな人たちだ。行き場をなくした、理想に比べればあまりにも劣る僕なんかを拾ってくれたあの人たちに、この命を使って恩を返さなきゃ。


 だから、二人の為の盾になろうと、リアラは内心誓い、二人を追い走った。



 ………だが。その祈りと誓いは。最悪の形で蹂躙された。



「あ、ああああああああああああああああああああああっっっ!! !」


 断! と。祈りを断つような激突音。リアラは肩を投槍で射抜かれ、礼拝堂の壁に縫い付けられた。そこから脱出せんと飛び出した礼拝堂の壁に。その全身は、先ほどの誓いを体現した証として幾つもの傷跡が刻まれていたが、その必死の抵抗がこれで阻止された。


 そう、脱出は失敗した。傭兵を蹴散らかし、錬術れんじゅつ兵を蹴散らかして、礼拝堂を囲む城の廊下を駆け抜け、何とか外壁まで出て脱出する。その望みは絶たれた。恐るべき敵が現れ………彼女達を再び礼拝堂に押し戻したのだ。


「ぜは、げほっ、ソティア、生きてるな……ああ、くそっ、リアラぁっ!!」


 ソティアを庇って咄嗟に背中に傷を受け、吹っ飛ばされて二人諸共に礼拝堂の床に転がったハウラ。起き上がり、壁にピン止めにされたリアラを見て衝撃を受ける。


「が、ぐっ、ハウラさん、後ろっ! ぐっうううう!」


 だがリアラは、傷口から血を零しながらも、苦痛等無視するように、釘付けにされた状態から脱出し、戦おうともがき、警戒しろと叫んだ……無理をするな、そういう余裕が無いことが、ハウラには悔しくてならなかった。


「う、くそぉっ……何なんだ、アイツ、あの、力!」

「……私が知るあらゆる魔法にも、あんなものは、ありませんよ……!?」


 礼拝堂の入り口に向き直るハウラ。ソティアも立ち上がり、杖を構えたが、その表情には、混乱と恐怖の色が遂には滲みつつあった。


「はっ。てめぇらみたいなにゃあ、分かりゃしねえよ。大人しく俺様の引き立て役として死になぁ」


 そう言いながら現れたソイツが……彼女たちを敗走させた相手。なりは、冒険者とそう変わりはしない。赤茶けた髪をして、緑の装束の上から鋼の鎧を着けた、逞しい美丈夫といっていい顔をしているが、全身からどうしようもない程の、邪悪な浅ましさをにじませた人間の男。


 だが、見た目こそ人間だが、そいつは高位魔族以上の怪物だった。


(こっちの攻撃が当たらない、相手の攻撃が、かわせないっ……!)


 ソティアは先ほどまでの恐るべき戦闘の経緯を必死に反芻し、打開策を探ろうとする。ソティアの術も、ハウラの斧も……そいつに目掛けて放たれ、振りかざされて……そいつに接近する毎に急激に減速してしまった。まるで、かわされることを自ら求めるみたいに。ソティアにもハウラにも、そんな気は微塵も無いのに。そして、相手の攻撃は、逆にこちらの回避や防御の動きを鈍くする。避けようとした身が止まる。まるで命中する事が確定しているかの様に。


(あれは……少なくともあの男の力で。使いこなしている。自分にそういう力があると理解して、他の力と併用している)


 そう分析する事は出来るが、それ以上理解できない。まるでダイスの目で動く遊戯の駒に、賽に仕込まれたイカサマ細工が理解できないように。その理解不能の力以外にも、男は通常の冒険者と同じように種々の装備による戦闘と術を使いこなしている。だがその武装や術の行使は異常なものだ。片手に投槍片手に大剣という、筋力に長けた亜人か魔族等でもないと取り回しがしにくくて虚仮脅しにしかならない重武装。隠秘術の使い方も滅茶苦茶だ。武器に宿らせて威力と相手に与える苦痛を強化する《武牙》、命中すれば凄まじい苦痛と共に相手の身を食む《餓顎》。どれも相手に命中させる努力を一切せず相手に与える苦痛と傷を増やす為だけの選択。しかし、それを当ててくる。絶対に当てられる自信があるからこその選択だ。


(だけど、まだ、私達は殺されていない。……投槍の一撃を受けるまでに、リアラが何度もかばってくれたお蔭。リアラが攻撃事態を阻止しようと脇からタックルをしかけた時には完全にかわされたけど、そのあと。あいつは何度も必中の力で確実に必殺の一撃を叩きこむ気でいたけど、その都度、リアラが庇った。庇ったリアラに対して、アイツは必中の矛先を急に変えて急所に攻撃を必中させられなかった、それは)

「んん~、何か考えてる面だなあ~♪」


 嘲笑う虐め戯れ歌めいた口調で、男がソティアの思考を遮った。


「必死の打開策でどーにかなる力の差だと思ったかぁ? 必死の打開策が実るまで待つと思ったかぁ? んなわけねーだろ。リアルを知りな、雌共。現実はな、勝つ奴が勝つんだよ」


 ……ひどく頭の悪い下品な嘲弄と勝ち誇りと嗜虐の合間に、一瞬、男はわけのわからないこと言った。〈リアル〉? それは交易共通語の単語ではないし、知る限りどの王国や部族の言語でもない。ただ、それを聞いて、リアラがひどくぎょっとした表情を浮かべた。……それを見聞きし、かすかにソティアは理解した。過去に感じていた幾つかの違和感の正体を。そして。


「かも、ね。少なくとも、無理だ」

「っ、ハウラさんっ!?」


 もう手はないという敵の言葉を、覚悟を固め肯定したハウラの声に、リアラが悲鳴を上げた。


「……、もう少し、時が足りません」

「ソティアさんっ!? 嫌だ、そんなの、無理です、僕には!? 僕を置いて、逃げて! 僕がっ、足止めをっ……!!」


 肩の骨が砕けていくのも構わず、槍を傷から抜くのではなく槍の石突までを肩の傷に貫通させる形で強引に自由になろうとしながら、リアラはソティアの言葉にも泣き叫んだ。つまり彼女達はこう言っているのだ。ソティアの教育を受けたリアラなら、ソティアには時間が足りなくて出来なかったこの窮地を脱する方法を考えつけるかもしれないと。勿論そんな可能性が極小で、あり得ないかもしれないと覚悟の上で……時間を稼ぐ、最後まで抗うと。そんなの無理ですというリアラの言葉に、それは、リアラが自分達に逃げてほしいから言っていることだと。


「げははっ、……させねえよぉ!!」


 最後の交流の時間を、男は容赦なく断った。それを、絆を踏みにじる事を、たまらなく楽しいと感じている、涎の垂れそうな笑みで、投槍を投げた片手に再度《餓顎》の隠秘術を展開し、大剣を振りかざして突貫した。楽しい遊びだというように。


「うおおおっ!! !」


 両腕を広げて、それに真っ向からハウラは激突しに行った。その小さな背中を、城壁のようにリアラの前に示しながら。両手の斧を投擲する!


(ワタシは口ではうまく言えない。だから体で言う。ソティアもリアラも、守りたい仲間だ。リアラの過去むかしを知らなくても、リアラが皆の事をいつもとても強く大事に思ってくれた事、凄く好いてくれている事、愛して助けようと必死な事、知ってる)


 これまでの冒険を共に過ごした日々。リアラは、いつも優しく、一生懸命で、ソティアとハウラを、そしてこの世界をとても愛している様子であった。ソティアやハウラを助けられたとき、事件を解決し人々に平和を齎せた時、いつもすごく喜んでいた。二人と出会う前の過去を語る事だけは拒んだが……良い奴だとハウラは思った。死なせちゃダメな奴だと。


「《生業嘉し耕神 コムルスに荒野祓いを希う》、《耕神 コムルス魔に命ず、沸かせ怒りの酸》!」


 ソティアは《粉砕》法術の原型である《開墾》を、相手の足元に対して唱え、足場を崩す。そこに、白魔術でもひときわ凶悪な、酸の沼を呼ぶ呪文で、相手の足場を徹底的に攻める。


(言う暇はないけれど、どうか察してほしい。一瞬の推測で、間違いかもしれないけれど。もし、。貴方は貴方で、私達の大切な仲間。変わらない)


 呪文を繰りながら、ソティアは最後に一瞬、リアラに向けて微笑んだ。その思いよ伝われと。ある日、川を流され溺れている事を助けたこの少女はいつも控えめで繊細であったが、独特の覚えの良さと、発想力を持っていた。俯瞰的な把握力と先読みと閃きと応用力、今はまだ未熟だが何れ大きく開花すると信じるに足る、きせきを持たぬからこそしんぴに焦がれ蝶になる芋虫のような、魔法と善への強い憧れ。


((力を得て思い上がり失敗する。そんなありきたりの慢心はしたくないんです))


 そう語った様な、一種独特の客観的な視野。そして、強く心を震わせ、共感し、人と対話する豊かな心を持っていた。いつも未熟を恥じていたが、彼女の発想や説得が状況を解決したことが幾度もあった。その様は、混珠こんじゅの古い伝承のある存在を思い起こさせた。あるいはそれは事実でありリアラ自身がそれを伏せているのかもしれなかったが、リアラがそれを秘密にしたいのなら尋ねないが、人と少し違ったそれであったとしても、何も悩む事なんてないのに。大事な友達であることに変わりはないのに、と。……あるいは、今この混珠こんじゅを覆う戦乱が、リアラが秘密にする正体と関連しているかもしれなくても、この思いに代わりはないのだということに、どうか後でリアラが思い出してくれるよう、と。


「はっ、蛮人がよぉ! 、っ、てめ!?」


 己の力を誇り突撃した男は、女達の足掻きに突撃を阻まれる格好となった。投擲の斧は直接狙われれば軽々かわしただろうが、突き立ったのはその足元。攻撃ではなく障害物になった斧に突っかかった瞬間、足元が崩れ、沸くのは酸の沼! これも、その場に展開するもので直接男を狙ってのものではない! 直接的な攻撃でない事にもあの力は作動するのか。それに二人は賭けた。覚悟はしたが、諦めたわけではない!


「ゆっくり、漬かれっ!!」


 そこに突っ込む、斧を投擲して両手を自由にしたハウラ! 掴みかかる! 小柄ながら大の男や獣を遥かに勝る腕力で、相手を酸の沼から逃さない為に! 果たして、掴む行為自体が攻撃に相当するか分からない。だが、攻撃に相当するものであっても一拍は相手の間を取れる、その分相手の足を酸で焼ける……それでこいつが動けなくなれば、答えが分からなくても逃げ出せるかもしれない。そうならなくても一つでも多く例を示す事は、こいつの力の理を暴く糧になる。事実、動揺故か体勢の安定を優先してか、《餓顎》の展開を相手は消した、無駄ではない!


「《毒穀》《刈鎌》《焼畑》、《呪詛》《怒気》!!」


 ソティアも、ありったけの法術と白魔術を、次から次へと放った。毒、炎、どんな属性の攻撃でも? 避ける余地の範囲を薙ぎ払う攻撃でも? 必死にその力の限界を衝こうとする!



 ……リアラは、肩の傷口をごつごつした投槍の柄が通り抜けていく苦痛を感じていなかった。そんなもの、この地獄の悲しみに比べれば、何てことなかった。大好きな、友人たち、仲間たち。その命が、守りたいと願った命が。見続ける目が、思う頭脳が、泣き叫ぶ喉が焼け焦げそうだ。祈ったのに、誓ったのに、祈りを託され、僅かでもこの自分が生き延びるために戦うと誓われたのに。だから、思考は高速回転し続けるが……


 ……高速回転する思考の横で、思い出が過ぎり続ける。川から助け出した混乱している自分を手当てしてくれる二人の必死さ。故郷を思わせる山を感慨深く見上げるハウラの横顔。ランプの横に勉学を教えてくれるソティアの手。仕事を上手くこなせるようになった僕への笑顔。とある事件でよそ者のハウラに嫌疑がかかった時に弁護をしおえた僕に驚くハウラの目。守ってくれた小さいのに逞しい手。実家からの手紙に寂しく目を伏せるソティア。一緒に頑張って返事を書いて、分かって貰えた時の手を取り合った喜び。それらが、全身を動かす苦痛、思考を巡らす熱、そして……


「当てれば効くかとでも、思ったかよぉっ!! !」


 目の前で繰り広げられる惨劇の傍ら、心を引き裂きながら過ぎ去ってゆく。


「酸ンン!? 絶対ぇ耐えるっ、負けっかよ! 魔法攻撃ぃ!? 絶対耐えるっ、負けっかよぉぉっ!」


 理不尽で、我儘で、貪欲で、稚拙な欲望。その欲望を、男は成就させる。負けない、勝つ、それだけで、あらゆるダメージを堪える。ダメージとの対決に勝利する。


「俺より力が強いだぁ!? 知るかぁ! 勝つのは俺だぁ!!」

「う、くあああっ!」


 ハウラの掴みを……組打ちで魔獣の火狒々を倒した事もあるその指を、へし折って振りほどく。まるで、全知全能を僭称するこの世界には存在しない唯一神のように。まるで、ご都合主義の主人公か、勇気をもって不可能を可能とする英雄の俗悪な量産品の顕現のように。


「っ、ああぁっ!」

「わりぃ、なあんて思わねえな。ロリは好みじゃねえんだ。犯す価値もねえ、とっとと死ねや」


 それでも砕けた拳の手甲に埋め込まれた獣の爪牙で抗おうとした少女を。最悪の言葉で、気に入らない春画を消費するように男は大剣を振り下ろした。


「っ、っ……(だ、だめ……いかせちゃ、ダメ……なの、に……)」


 兜を割られ、純真な可愛らしい顔を血に染めて、最後まで食い下がろうと震える手を伸ばしながら、ハウラは崩れ落ち落命した。


「それと、てめえもだ」


 ハウラが倒れてはソティアは身を守れぬ。大剣が、彼女の胸を串刺しにした。


「貧乳にも興味はねえんだよ。はー、ほんと、使えねえなあ、てめえら」

「が、ふっ……! (それ、でも、あなた、なんかに……!)」


 それでも、そんな最低の言葉も、自分の死も、聞く耳持たぬ、というように、ソティアは大剣を掴んだ。屈さない、と示すために。抗い、時間を稼ぐために。そして。


「させっかよ」

「(っ、りあ、ら……)」


 大剣に込められた隠秘術の刻印を術で破却し、封じられた魔を暴発させようとしていると。それを見抜く程度の狡猾さは有していた男は、容赦なく大剣を揮った。……ソティアはさらに心臓と肺を深く切り刻まれ、壁に叩きつけられ絶命した。ぐしゃり、と、果実が潰されるような血の音がした。


 ……リアラは、槍を引き抜き、床に倒れ。起き上がろうとしているところだった。



「あっ、あ、ぐ、ぐっ、ううううううう、うううううううううう………っっっ!」


 呻くような、嘔吐するような泣き声だった。涙も、際限なくこぼれた。だが、涙で視界を失うわけにはいかなかった。こんな僕なのに、生きろと言われたから。リアラは立ち上がろうと片膝立ちになった。眼前に立ちはだかる………


「バカな奴らだ。高々異世界人の分際で、高々幻想ファンタジーの分際で。現実リアルの人間様に、この俺様に、『必勝クリティカル欲能チート』に勝てるわきゃ、ねえだろうが。俺たち新天地玩想郷ネオファンタジーチートピアの中でも、俺の力は、はっ、あのくそったれの十弄卿テンアドミニスターにだって負けやしない。クリティカルって名付けたのはあいつらだがよ、このルトア王国を取ったら、俺も十弄卿テンアドミニスター入りってもんだぜ」


 『必勝クリティカル欲能チート』、新天地玩想郷ネオファンタジーチートピアを名乗る男に、立ち向かい抗う為に。そして。


「お、お前。お前は……お前、も……」


 先ほど聞いた、断片的な言葉。そこからの類推。リアラは、それを口にした。


「……転生者、なの、か」


 そしてそいつも、その口調から確信したように言った。


「何だ。てめえもかよ」


 転生者。ソティアが薄々察していたリアラが語らなかった過去であり、あるいはこの戦乱の原因なのではと考えていたとおり『必勝クリティカル欲能チート』の正体であったそれは、この混珠こんじゅ界において極稀に生まれる存在だ。


 混珠こんじゅ界以外の世界の記憶をもって生まれてくる者。赤子として生まれる事もあれば、ある程度成長した肉体をもって突然この世に出現する者もあれば、元の世界の姿をもって現れる者、人族以外の種族に人族の知性と異世界の記憶をもって生まれる事もあるという。


 一説によれば、一定の周期で運行し陽光や潮の満ち引きでそれぞれ地上に影響を与える太陽や月と違い、不定期に天に浮かび目に見える影響を及ぼさず、満ち欠けと脈動と変色をするこの世界の月と違い脈動と変色をせず、青き水と大気と白き雲を帯び、近年は満ち欠けした触夜の面が斑に発光するという怪奇な特性を発し始めた〈不在の月〉に由来するのではないかと言われた存在。異なる視点と異なる思考とこの世界にはない知識を有し、それをもって歴史上に何度か影響を齎したかもしれないと言われる存在。


 だが、これまでのそれらは、この地に受け入れられ、この地を壊さない範囲で影響を与え、この地に包まれて生きる事が出来た存在だと語り継がれている。それをリアラも知っていて、だからこそ、己の知識をある程度は生かしながらも、同時にある程度は慎んできていた。元より転生前に天才や技術者であったわけでもなく大した事は出来まいが、世に混乱を齎すような知恵の使い方や、現実の地球で起きた悲劇を再現するような知識を悪用すまいとし、穏やかに生きてきていた。しかし。


「何で、転生者がそんな力を……こんな、酷い事を」

「……はあ?」


 眼前のもう一人の転生者は、何言ってんだてめえ、というような、目元を引きつらせた欲望塗れの邪悪な嘲笑を浮かべた。そんな表情に、リアラは見覚えがあった。


(同じ目だ。あいつらと。強いものが弱いものを、踏みにじって、虐めて、殺して、消費して。当然だと。それの何が悪い事なんだ、って思ってる、あいつらと……!)


 自分を。今のこの体リアラ・ソアフ・パロンに生まれ変わる前の、地球の、日本の、痩せっぽちの男子中学生、神永かみなが 正透まさとだった自分を、殴り、犯し、喉笛を掻っ切り、川に流した奴らと。そう、僕は転生者だ。自分でもこんなありがちな物語みたいな事がと驚き、川から助け上げられた時まだ事情が呑み込めずリアラさんとソティアさんに男の裸を見せてしまったと慌て恥じた後でも、転生なんて主役じみた事を経験する様な柄じゃないと思った。内気な癖に時代遅れに真面目で集団から浮いた、華奢で弱い奴だと小突かれ、女みたいだと笑われた顔を俯いて前髪で隠し、それでも結局逃げられず虐められるどころか同性に性的虐待までされて殺された、弱い弱い子供。それが過去の僕で。事実英雄じゃなく転生後も普通の冒険者として世界の片隅で穏やかに生きてきた。


「法律に従うのは従わにゃ罰食らうからで、何で罰せられるかってえと法律を実行する国って奴の力の方が強ええからだ。で、俺達新天地玩想郷ネオファンタジーチートピア欲能チートに恵まれた転生者様は国より強い。だったら法律なんて従う必要ねえだろ! 好き放題だ、奪って殺して犯して、正にこの世の主人公よ! 欲能行使者チーター、サイッコー! 今日日、異世界転生チートにあらずんば人にあらずだぜ!」


 げらげら笑いながら、自分が最低の屑であることをそいつは自慢した。己こそ勝者であり正しいのだと。それは力を得て驕り堕落し、欲望に対する倫理の箍が外れた愚かしい人間の醜さの具現。愚者ならば必然陥り、同じ力持てば数多の同類が生じるだろう、人類の暗黒面だった。


「てめえ、そんなべそかいても何も出来てねえことからすると、チートの使えねえ、古くせえ雑魚転生者か。はっ。どおりで『情報ネット』の奴も気づかねえ筈だぜ。ひひひ、運が悪かったな、おめえ。ここにゃ、『読策イカサマ』と一緒に、新天地玩想郷おれたちに従わねえ、欲能チートを消す欲能チート持ちの英雄様を殺しに来たのさ。ああ、そいつが助けに来ることなんざ期待すんなよ? もう殺したからなあ。はっ、チートが消せてもなあ、『読策イカサマ』がそいつ以外の軍略読んで国ごと潰して、単純な物量でブッ殺しちまや常人と変わんねえやな。槍衾で滅多刺しになったソイツの前で、そいつに惚れて集まった女どもを性的にめった刺しにしてやる気持ちよさったらなかったぜ」


 べらべらと得意げに武勇伝はんざいじまんを巻き散らかす屑を前に……リアラは静かにキレていた。生前のトラウマに、今、新しい傷を上乗せされて、そして、それを行ったのが、このどうしようもないクソ野郎だという事実に。心が憎悪と憤怒に塗りつぶされ……キレすぎて逆に氷のように冴えた。思考が高速で回転し、組み合う。上手くいく保証なんてない。唯の希望的観測の範囲でしかない、そう自嘲しながらも、仮定を組み合わせ、細い細い朽ちかけの吊り橋のような過程を作り……まずは痛みでもがいたように見せかけて、ほんの少し位置を調整するところから。


「この戦の一番手柄は『読策イカサマ』だろーが、あいつは俺より弱いからな。国の半分は俺が貰う。全部貰えねえのはムカつくと思ってたが……ま、てめえの見た目は、悪くねえ。俺専用の女を一匹拾ったってことで、そのむかつきは勘弁してやるか」


 ぎとりと欲望の脂に塗れた視線で、男はリアラの肢体を撫でまわした。野伏めいた冒険向けの短衣に包まれているが……転生直後には転生前に痩せっぽちだった自分への自己否定の結果がこれなんだろうかとリアラ自身を困らせた、細いが細すぎない腰、むっちりと張りと柔らかさのバランスが絶妙の、男好みの豊かなバストとヒップと太腿を。


「ざけんな、クズチンピラ」

「……あん?」


 だがその表情は、そんな甘い菓子めいた肉体を裏切り牙を剥く。リアラは夕焼け色の赤みがかった髪とはまた違う純粋な金色の目を、あらん限り険しくして睨んだ。


「クズチンピラっつったんだよ、低脳。本当に尊い主人公を知らねえ、碌な物語はなし読んでない教養の無さ駄々漏れで主人公騙りやがって。べしゃりでチンケな前世が透けてんだよ手前。降って沸いた力で脳沸かしても、チンピラである事自体は変わってねえぞ。大体僕ぁ生前は男だぞ。それでもんのか? 構わなくてもそれ自体は別にいいが、ウブなネンネじゃねえんだ。ヤる気なら少しでも隙見せてみろ、その欲望直結の腐れタマ握り潰してやる」


 リアラは思考を回す。口調と態度から性格を類推。此方の望む行動を取らせる挑発を選ぶ。こいつにも分かり易い口調で。かつ、今考えている逆転の為の策からすると、殴られ犯されるんじゃなく、斬り殺されるよう仕向けなければならない。


 ……生前実際、なよなよぶりに相応しい扱いをしてやるとか屑どもにほざかれて、男なのに男に犯された経験がある身としてこの挑発で性的興味が無くなるか少々自信がないが、こちらの生前を相手が知らない事を利用した行為への嫌悪を煽る下品な挑発と、こんなことを利用するのは罪悪感があるが、既に散々杯盤狼藉を別所でやらかしたという発言から推測される欲望の残量とハウラさんとソティアさんに向けた言葉から判断できる相手の性的嗜好からくる合わせ技一本を狙うしかない。


 さっき動いたことで、後ろに剣身と柄を引いての突きより、振りかぶっての斬りのほうがやりやすい位置関係にはした。壁の関係上、どっちに振るかも分かる。そしてこの手合いは、呪文を使うんじゃなく、怒りは自分の腕力で発散しないと気が済まないことが多いし、目一杯力を込めたことを誇示して振りかぶる事を好む筈……!


「……言うじゃねえかよ、クソ変態が」

(好きでTSしたおんなにてんせいした訳じゃない。虐めの結末で嬲り殺されて、川に捨てられたと思ったらこの姿でこの世界こんじゅの川に浮かんでいただけだ。性同一性障害と同じ様に生得の状態だってのに、それを変態とか、この野郎)


 一瞬リアラは転生前を思い出す。地球の少年だった最後の時。夜の川辺。暴力と凌辱の光景を目撃し通報し僕を助けようとした同級生の少女を捕らえようとする僕を嬲っていた奴等を止めようと、彼女を助けようとして、叩きのめされて。彼女が殴り倒され捕まって。それでも助けようと暴れて、喉首掻っ切られて川に捨てられて。その時迄はまだ生きて意識があったが……最後に見えたのは。聞こえたのは。嗚呼。助けたかったのに。僕の浅薄な人生経験の中で、生身で接した中で数少ない優しく勇敢で立派な人だったのに……僕の人生は、無駄に終わった。


 細身の男から豊かな体の女になったてんせいしたのは自己否定の影響か、女性がされるような嬲られ方をした魂の傷故か、最後の蹂躙で抵抗に怒った奴等が僕の男性機能を破壊しようと振るった暴力の呪いか、何れにせよこんな無駄死にで無様で無価値な僕をハウラさんとソティアさんは助けてくれた。転生者かもとあるいは思っていたかもしれないが、身元も定かならぬ僕を教え導き、二人に恩返しがしたいと、その為に共に冒険者になりたいという願いを支え叶えてくれたのに。


(今度は無駄にしたくなかったのに。僕はまた、守れなかった)

「萎えたぜ。言わずに機会を狙ってりゃ、無駄と知るまで生きれたろうによ!」


 こめかみに血管を浮かせ。リアラの狙い通りと知らず男は大剣を大きく振りかぶ


「うああああああああああっ!!」


 その瞬間リアラはそれまで其処の負傷も重いかのように引きずっていた足を大きく踏み込んで『必勝クリティカル』に襲い掛かった。これがうまくいくかは、ここまで見た……ハウラとソティアが見せてくれた……こいつの能力の働きと、こいつが名乗った自分の力の名前を合わせてした分析が、当たってるかどうかによるし、これで殺せるかもわからない、けど。


 ダンと地面を蹴る音と同時に響いたのは……激しい転倒音と、刃が硬い肉と骨に食い込む、ガッ、というか、グチッ、というか……そんな音。そして。


「げがあっ!!?」


 男の、『必勝クリティカル欲能チート』の叫びだった。自身もがらがらと装備を石畳の床に鳴らして倒れ込みながら、リアラはそれを聞き、横倒しになった視界の中で転倒する『必勝クリティカル欲能チート』を見た。


(当た、ったっ!)


 掌に残る衝撃の感触にも、手ごたえを感じた。……男の振りかぶりを、『全力で手助けした』時の手ごたえが。そして柄に手を添え落下位置を調整した大剣に激突が発生した衝撃の感触が。


 攻撃を必中させ、相手の攻撃を必ず回避し、負傷を無効化する『必勝クリティカル』。それはつまり『他者との競い合う状況において絶対に勝つ』能力、なのではないか。攻撃命中時に「負けっかよ」と呪文のように叫び続けていたのは、つまりダメージに対して耐えるという状況に、『必勝クリティカル』したのだ。恐らく大剣を軽々と揮うのも、重さに耐えて振り回すという状況に『必勝クリティカル』しているのだ。


 ……ならばその行為を#本来の意味__よけいなてだすけ__#で助長させる行為に対しては、その力は意味を為さないのではないか? 穴だらけの推測だがリアラは此処までの状況からそう分析し、そしてそれを行った。相手が攻撃の為に大剣を大きく振りかぶった状況で、相手の腕と肘と柄頭に全力で掬い上げる様に掌底を叩き付け押し上げ更に大きく振りかぶらせたのだ……その大剣が、己が振るった剣の勢いという自分自身に対し『必勝クリティカル』出来ずに後頭部に激突し、更に仰向けに倒れる時にそれが相手の体重を乗せて更に食い込み命中部位を断ち割るように!


(傷つける事が嫌でも傷つけられるなって。ハウラさんが教えてくれた護身術……)


 出来た理由は失った友情の日々。賭けでしかなかったが、リアラはそれに勝った。


(これで、決まってくれ……立つな……!)


 だが。


「がぁぁあっ……く、そがかぁっ……!!」


 ……一度の勝ちでは、殺しきれなかった。『必勝クリティカル』は、ぼたぼたと零れる血と脳漿を掌で抑え、そこに《魔慈》をかけて、辛うじて傷を塞いで立ち上がった。欲能チートだけじゃなく魔法が無ければ死んでいただろうし、リアラと違って治癒にお世辞にも向いていない故か、辛うじて傷を塞げたという程度で、後で仲間から本格的な治療を受けなければどうなるかわからないが……少なくともこの戦闘の間はまだ生きている。それだけで、先ほどの奇襲に賭けるしかなかったリアラにとっては絶望的状況だ。


「ぶっ殺す! ぶっ殺してやるぅっ! てめええ、こすっからい事しやがったなあっ! よくわかんねえが……とにかくもう、そんな手ぇ食わねえぞっ!!」

「く、ぅっ……! 知るか! また出し抜いてやる! 殺されて、やるもんかっ!」


 激昂し、わめき散らし大剣を構え、《餓顎》の術を片手に準備する『必勝クリティカル』。魔力で編まれた悍ましく自然界にはありえぬ異形奇形じみた食いついた相手を最大限苦しむ歪んだ牙を有した口が掌の上に浮遊して具現する。射出されれば必中、肌から臓腑へ食い進む暴食だ。


 絶望的状況。リアラは呻き震え、だが諦めず叫んだ。何とか、次の手を考えねば。


(だって。ハウラさんが、ソティアさんがっ……)


 託したのだから。託されたのだから、生きねば……何としてでも。あのクソ野郎に屈する訳にはいかない。それ以外であるならば、どうしてでも、どんな理由でも、どんな経緯ででも、どんな出来事が原因ででも、生き延びなきゃ。勝たなきゃ。生きたいからではなく、こんな奴に殺されるわけに、こんな奴をのさばらせるわけにはいかない、こんな奴に、ハウラさんの、ソティアさんの願いを踏みにじらせたくない。僕自身の実力でなくてもかまわない。自分で倒したい、それはもちろんそうで、それしかないだろうけれど。……無様でも格好悪くても、どんなご都合主義だと言われても構わない。何か、機会でも、偶然でも、奇跡でもいい、何か。


 ……だって、こんな救いのない話は、まるで地球みたいじゃないか……!


 考えて、考えて、考える合間。涙を堪える代わりに、そんな思いが零れた時。



 そのとき。



 おそろしい、くろいりゅうがまいおりた。

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