・断章第八話「混珠世界の片隅で」

・断章第八話「混珠こんじゅ世界の片隅で」



 がらがらがらがら、と、目覚ましの音が鳴り響き、男は目を覚ました。


「うむ、うむ」


 満足げにうなずいて自室を出ると、寝ている妻子の頬を起こさない程度に撫でた。


 潮の流れと風の流れを受け、それが特定の状況になった時に作動する目覚まし。


 この季節、夜が開ける前の、ある一定のタイミングで豊漁の時が来る。その時期を示す、特別誂えのからくりだ。


 今日もよく動いてくれた。満足しながら男らしく輸入品の布と地元生産の棕櫚や椰子の繊維を用いた布を織り交ぜて使った手足を動かしやすい大きく開いた衣服を刺青を入れた体に纏い大雑把に身支度をすると、潮風薫る表に歩み出た。


 諸島海の港の家は、海を目の前に、船を一階部分に収納できる高床に建てられている。高潮に対抗する為に高く、水害時は切り離して家そのものや家の一部が船になるようにもなっている。それは彼らにとっては当たり前の日常だ。草原に暮らす民の天幕の前に馬がいて、森に暮らす民の枕元に弓や槍があり、農村に暮らす民の家の近くに家畜小屋があるようなもので。もっといってしまえば、靴のようなものだ。


 太陽をその中に秘めた暗い海。そこには、輝きと恵みが眠っている。


「野郎共、出漁だ。《今日食う魚と売る魚、女房子供の為に》!」

「応! 船長!」


 漕ぎ手を兼ねる仲間の漁師達に、号令を飛ばす。そしてそれは、船に加護を与える航神への祈りでもある。必要だから必要なだけ取るのだ、という、航神に自然の精霊を宥めて貰う為の節制の近い。この誓いを以て航神は海を抑え、彼らを難破させない。その誓いはまた、巡り巡って魚の枯渇を防ぎ、恒常的な漁の循環を助け彼らを飢えさせない。漁師達もまた、過去に欲をかいた島が辿った末路から自然とそれを知り、自らその道を選んでいた。


 ちなみに嵐の季節の前には《海に出れない間の蓄えの為に》という文言を付け加える事が、神と精霊から許されていた。


 そんな具合に、諸島海の民は海と神と共に生きていた。そんななかでも、仕掛け時計のような進歩もあれば、敬虔さと経験による自立の蓄積もあり、そんな民の為に神も動く融通があった。


「漁具と……他の道具も積みやした」「応」


 しかし、近年の異常な海賊の横行、そして各地での〈戦争〉による魔物の増大は、最早そんな祈りだけでは防げない。地元の自警団に近い旧来の海賊や、より正式に近い対処する事が各島の寄り合い政府の予算から定められている海軍が対処してはいるが、それにも限界はある。


「それじゃあいくぞ! 錨と帆を上げろ! 漕ぎ方始め!」


 しかしそれでも、男達は海へと出るのだ。古より続く混珠の命として。



 それから暫くの後、遥かに北西で。


「KWACK-A-GO-GOOOOOO!!」


 一番鳥が鳴いた地球とは幾らか違うが。辺境における農村の朝である。石と敷き木の柱を巡らせ漆喰で壁を塗った農家の家が目覚める。

「かーちゃんとーちゃん、おはよー! 卵とってくるね!」

「ああこら、小屋から逃げたりゃしないよ、身支度くらいちゃんとおし!」


 ざぱあ、ざぱあ、と、ポンプを押せば繋がった井戸から水が家の水場に汲み出される。親子は顔を洗うと羊毛で織った頑丈な服に着替え、子供はきゃあきゃあとさんざめくように家禽小屋へ向かう。


 竈に火が点る。藁を加工して即時着火性の燃料にする道具や断熱氷室といったからくりと法術と錬術が組み合わさった様々な品が農村にまで行き渡って数百年、竈のあり方そのものは変わらないが、暮らしは随分楽になった。


 保存壺から出された真禾オリティクムのパンと薫製ハムが切られ、漬けられたピクルスが取り出され、窓際の棚にしつらえられた貯水機能付雨樋から滴る水で育った菜が切られ、乳脂で炒められた薫製ハムと菜、焼かれた卵、ピクルスが木製の皿に盛られ、パンが添えられた。


「「「「《耕神よ、働きの実りに感謝を》」」」」


 いただきますの祈りと共に、食事を摂る。


 小さな寄木細工の寄木を弄る事で日捲りを行う小さなカレンダーと、その脇に挿入された小さな数本の硝子管、温度計と気圧計を見て、父はふむと頷いた。経験則的に、この気温とこの気圧ならば、窓の外から見える雲の流れからすればこの土地なら天気はこうなるだろうと考え。


「神殿学校に行く前に、家禽小屋の戸を開けておいてね。鳥は私が見ておくから」

「はーい」


 母の言いつけを聞く子供に、父は言い添える。


「神殿学校から帰ったら、水遊びをするならうちの用水川にしなさい。少し畑への水を多くせにゃならんから、午後にはわしがそこにいるからな。水遊びはよそでしちゃいかんぞ。まあ、今日は〈馬車の日〉だ。そっちにいきたいか?それならそれでいいが、お小遣いを忘れるんじゃないぞ。あと、水遊び以外なら、神官さんか村長さんにどこに行くか言う事。いいね?」

「うん、わかった!」


 午前中には草刈りを済ませねばならんなあ、と思いながら、農夫は菜を食んだ。



 数帝時の後、同じ村で。


 都市部の大きな石像の神殿の外見を模しているが小さく木造の小神殿から、神官に見送られてお昼の一番暑いときが終わる頃合いに神殿を出た子供達は、いい天気なので用水川に行くか、と思ったが、少し村広場によってからにするね、と神官に告げて友達数人と共にそこに向かった。


「BEMEE」「BEMEE」

「わあ」


 何しろ、〈馬車の日〉だ。黄金の精霊を信じる商人達が、牧神を信じる遊牧民の手を借りて、村々を移動してやってくる日である。ほぼ確実に芸趣の精霊に仕える様々な旅芸人も訪れて、農産物と様々な物品が交換される日。牧神の民が連れている羊達ももこもこと可愛く外装を展開するだけで売店に変形する行商馬車の周りをうろうろしている。可愛がってもいいがあんまりいじると遊牧民の飼い主に怒られたり、羊自身に頭突きを食らうので注意が必要だ。


 子供達は目をきらきらさせる。商人達の客引きを兼ねて、人形遣い、歌い手、吟遊詩人が、それぞれに芸を披露しはじめた。


 中には旅人もいる。個人旅行者には、こういった行商人に金を払って馬車に同乗する者はかなり多い。


「どっこいしょ」


 降り立ったのは、村人達と同じ様な服装をした、一人の老人だ。しかし、唯の老人ではない。


「おお、来なさったか」

「久しぶりじゃのう。三年前の寄り合い以来か」


 子供達は気にしなかったが、この村の村長自らが対等に迎えたのがその証拠だ。


 我々はこの老人を知っている。……いや、登場時間が短かった上に名前が明らかになるのは総集編の登場人物欄なので、覚えていないかもしれないのだが。登場人物紹介に出てくる面々は実は登場人物紹介に出てくるだけの理由はあるのだ、と、他のキャラクターについても伏線の存在をさりげなくかつあからさまに主張しつつ彼の名を改めて紹介しよう。


「それにしても、無事だったとは。色々と噂は聞いとるが、何やら妙な事に正反対の内容の噂が幾つも流れて来ておるんじゃ。お主の話を直に聞きたい」

「勿論じゃ。その為に来た。……わしらは救われたのじゃ。その恩義を返さねばならん。故に、真実を伝えねばならん。出来るだけ多くにの」


  彼はオンジャルム・カンセメンニ。かつて真竜シュムシュの勇者ルルヤ・マーナ・シュム・アマトとリアラ・ソアフ・シュム・パロンが、新天地玩想郷ネオファンタジーチートピアの『軍勢ミリタリー欲能チート』達から救った村の長だった。



「やれやれ、こうして見ていると、全くもっていつも通り、に、見えるんだが」


 翌日の昼下がり。先の農村から幾らか離れた、草原を横切るよく整備された道。隊商を率いる、都会昔と比べて少しゆったりさを切り詰めてシンプルにしてはいるが複雑で美しい模様を織り込んだ都会風の服装をした若者を少し過ぎたくらいの男は、行商馬車を遊牧民の集団と共に走らせながら昨日の行商を回想していた。商人としてはやや珍しい、狼種獣人の混血の証である毛の生えた耳をひくつかせながら。


 行商そのものはいつもどおりだ。諸島海の魚と塩、北方の樹液と獣、山脈の鉱物、誰かに足りないものを届け、誰かが作ったものを必要とする人に運ぶこの仕事を、彼は世界に必要な仕事だと好んでいる。昨日も、その仕事をした。だが。


「その、いつも通り、って感覚が、一番ヤバいのかもな」


 眉間に皺を寄せて、考え、そして呟く。


 先の村を訪れる前に、久しぶりに諸島海の漁師達とも直に取引をしたが、向こうでも極度に凶暴な海賊の発生とそれに対応するような魔物の活性化という話を聞いた。


 作法ルールを守っての〈合戦〉ではなく破壊と殺戮を制限せぬ〈戦争〉を行うナアロ王国の脅威や山賊・魔物の異常増加は聞いていたが、辺境の中でも最西端のナアロ王国とそれが起こした社会的影響とばかり思っていた。山賊や魔物の増大には用心し、ナアロ王国には一部の欲ボケた野心家どものように近寄ったりしなかったが。いつしかそれが仕方のない最近の風潮のように思う様になっていなかったか? 異常事態を異常事態と認識できなくなっていなかったか?


 あの爺さんの話を俺も聞いた。嘘をいっているようには思えなかった。取引する相手の嘘を見抜けないで商人は務まらない。


 だが。今は村を再興させ、なんとか一段落したから伝えるべき事を伝えるべく老骨に鞭打って旅をして回っているという村長の言葉は、嘘のようには思えなかったが耳を疑うものであった。


 悪の転生者。〈不在の月〉からの侵略者。見た事も無い異界の武器と、魔術にも勝る超常の力の使い手達。


 それを打ち倒す、真竜シュムシュの勇者。神歴時代から甦った存在。


 荒唐無稽であった。過去の英雄のうち何人かがそうであったという転生者による悪の軍団。神話の存在。そのどちらもが。だが。


(一体どうなっちまうってんだ?はあ、親父とお袋みたいに、行商中に思わぬ運命の出会いが、って事もまだ無い若い身空だってのに……)

「実際、色々の噂を聞いている。相互に矛盾する噂を。吟遊詩人、書学国、冒険者、遍歴騎士、旅人は旅先と道の知識に耳聡くないと生き残れない。商人、その懸念は正解だ。婆様が、表だっての戦乱はまだ限定的だけど、こんなに行き交う情報が混乱しているのは婆様の母様から聞いた70年前まで続いた三代目魔王の時代くらいだ、って言ってた」

「うわっと!?」


 などとぼんやり考えていた商人、唐突に声をかけられ、御者台から転げ落ちそうになって、慌てて体制を建て直した。気がつけば傍らに馬を平行して進める遊牧民の内の一人。自分の馬車の音や羊の足音で気づきそびれたか。


「私も聞いてた、その話。皆気にしている。……貴方はどう思う?」


 語りかけてきたのは、上半身はゆったりとしているが、下半身は乗馬用にぴっちりした革のズボンを履き、日除け用の非常に大きく広がった帽子を被った同行させてもらっている遊牧民の女性だ。商人より何歳か若く、物静かで、獣人ではないが羊のようにふわふわした灰白色の髪と大きな目をしている。自分の家畜の群れを持つ一人前の証である、犬や羊を誘導したり色々な作業に使うだけでなく、打撃武器にもスタッフスリングにもなる長い杖を持っていた。


 商人がその日運命的な何かに出会ったのかはともかくとして。


 混珠世界は独自の魔法文明を築いているし、魔法による通信も存在する。しかし、地球の文明と違い混珠の文明は比較的ゆったりと均質に進歩した。魔法通信はそれほど一般的ではない。その為、こうして情報の伝達がある程度遅いというわけだが、それでも、情報は、世界は動き始めていた。



 そして、その日の夕暮れ。隊商が進んだ道の先の街。


 隊商を受け入れたレストラン兼務の宿屋〈食う寝る丸っと〉亭は、混雑に著しくごった返していた。石とレンガにタイルで飾った、繁盛しているだけあって中々立派で大きな店だ。


「はーい!注文の品こちら!はい、ご注文どうぞー!」


 がちゃがちゃと穀酒の器を音立てて運び、威勢よくウェイトレスは叫んだ。ゆったりした混珠では普通の服の上に、素材等で汚れにくくしたエプロンを着けるついでに布で絞るべきところを絞って動きやすくした装束を翻す。忙しく働いているが髪を覆う布やエプロンは清潔で、酒や料理を運ぶ仕草は大雑把に見えるがソース一滴酒一滴お盆や床に溢す事もない。瞳の色も髪の色も茶色で肌は褐色というには薄いが白というには濃い色、だから煌めくようなという風ではないが、愛嬌のある笑顔が魅力的な娘だった。


(最近は大変なお客さんが多いけど……)


 ウェイトレスはそう思う。侵略戦争が増やした山賊傭兵の横行が治安を悪化させ、必然、旅のリスクとコストを上げる。それでも、国ごとの言葉が方言レベル程度の違いくらいしかない様に人の行き来が盛んな事が混珠の特徴である以上、被害者も増えるし、コストを払ってでも移動する必要がある人が多い為、旅人は減るというよりは疲れるのだ。疲れた客を癒すのは大変であり、まして、どこかで旅人相手に追い剥ぎをしたような傭兵山賊の類いまで、横柄で暴力的な客として訪れる事も多いのだから、そういう客は更に大変だ。


「手伝いますっ」

「ありがとっ。(幸い、人手も増えたしね、何とかなるなる!)」


 新入りのウェイトレスが来てくれた。最近雇われた二人組で、借金からは何とか逃れたがマイナスがゼロになっただけなので、と言う事で熱心に働いてくれている。


「うぃー、これが呑まずにいられるかー!」

「きゃ、お客さん落ち着いて!」

「ちょっとララに何してんのよ!」「キーカさんも落ち着いてー!」


 色の薄い金髪て三つ編みを丸めたおっとりした子と、灰色の挑発で気の強そうな女の子……というか実際気が強い、へべれけになって三つ編みを丸めた子が運んでるジョッキを引ったくって飲んだ酔客を蹴り倒した……ララとキーカのコンビは、良く働いてくれていた。まあハイキックはやりすぎだが、ありゃ客も悪い。


「……!?」

「あ、いらっしゃいませー?ど、どうなさいました?」

「ああ、いや、他人の空似というのは、実際いるんだな、と。細かい所は違うが、全体としては、随分知人に似ている人がいると思ってな。それも、二人もだ。流石に少し驚いた」


 と、新しく入ってきた客に応対する。何やら驚いた様子で立ち止まっていたが、そう言って軽く頭を下げる等、悪い客では無さそうだ。


「(わあ、かっこいい人……)騎士様ですか?」

「ああ」


 外套を羽織ってはいたが、帯剣、それも随分な大剣を帯びていたので念の為確認する。武装に関する免許を示す家紋を刻んだ鎧の一部を証明書が割りに見せてくれた。褐色の肌に銀髪の、女性の騎士だ。長身で、凛々しい顔で。


「(あ、まさか)……もしかして、魔竜ラハルム退治の……?」


 職業柄、酒場で吟遊詩人が語る様々な物語に詳しい。故に思い当たり、言いかけるウェイトレスに対して、魔竜ラハルム退治の女騎士フェリアーラ・スィテス・タムシュロスは、微笑んで静かに押し止めた。


「少し、任務で来ていて。市井の情報について調べている」


 だから秘密にしてくれまいか、と。


「は、はいっ」


 こくこくとウェイトレスは頷いて。


「さあて、それでは一つ。吟じさせて頂きたく思います」


 そこで、吟遊詩人が壇上に上がり、語りだした。旅の身と思しき連合帝国風の煌びやかな出で立ちだ。連合帝国は連合帝国筆頭宮廷詩人を定める等文化が豊かだ。流石に筆頭宮廷詩人その人ではないが、客も必然期待が高まる。吟遊詩人の語りは様々だ。神話、伝説、歴史、冒険者、英雄、王、神々。聞くに値する物語となるのならば何でも。現代最新の話題も、その中には含まれる。


 それ故に吟遊詩人は、様々な教養や教訓の教え手であると同時に、情報の伝え手であるとして讃えられて来た。そして吟遊詩人達もまた、讃えられるに相応しい存在として、《芸趣の精霊ケレマムウ》に誓って物語と情報に誠実であろうとしてきた。自らが語る事が、事実か物語か事実を基にした物語かを、常に厳密に分けてきた。


 情報を私的な欲望でねじ曲げた事で《芸趣の精霊ケレマムウ》の祟りを受け、舌の自由を奪われた吟遊詩人の話は、重大な教訓となっている。


 故に、三人は耳を疑った。


「辺境を荒らし回る恐るべき金と銀の女魔竜ラハルム二匹、神話の真竜シュムシュを騙る〈逆鱗の鎧ビキニアーマー〉を踊り子服に隠した怪しの旅芸人の恐るべき物語を!あるいは、貴方もどこかで気付かず見たかも知れない、死体の山を作った後何食わぬ顔で踊る彼女達を!」


 それは、明らかにリアラとルルヤの事を、捏造し謗る物語であった。吟遊詩人が語れない筈の嘘であった。


 それは、連合帝国筆頭宮廷詩人の表の顔を持つ新天地玩想郷ネオファンタジーチトピア第十位、十弄卿テンアドミニスターたる『情報ネット欲能チート』の謀略の一端であった。


 しかし同時にこれが此処に集うビキニアーマーの女勇者達の縁者、即ち屠竜者ドラゴンスレイヤーフェリアーラ・スィテス・タムシュロス、そしてカイシャリア7潜入の際リアラとルルヤが名義を借りた事で縁を持った二人の少女、ララ・ララリラとキーカの関係を作る事になる。


 一人は強き騎士、しかし二人は普通の少女。一見して、力を増す繋がりとは見えないかもしれないが、如何なる結果になるかは……いつの日か、別の話にて語られるいずれふくせんとしてきのうする事になるだろう。



 その晩宿で起こった騒ぎは何れ語られるとして、時は混珠全土において平等に流れ、夜は更ける。騒ぎが収まった後、宿の客達も眠りについた。しかし、町の外、山の奥では。


 ひょうふっと、夜闇の空気を鋭利な先端がよぎった。投じられた即席の投げ矢が、夜行性の小動物を射貫いたのだ。


 夜闇の中獲物を見失わず、得物の狙いを誤らず仕留めるのは、五感と身体能力に長けた狩闘の民の狩人だ。


 べり、と皮を剥ぎ、躊躇なく食す。生食して問題のない動物であると、狩人の知識は語っていた。


 宿屋でこの晩起こった喧騒を、この狩人は知らぬ。だが、ある意味ではその騒動に、彼もまた縁ある存在だった。


 夜の闇の向こうから、獣臭い臭いと、唸り声が近づいてくる。血の臭いに誘われたのだ。狩人は、逃げぬ。


「OOOOOONNNN!」


 今藪を突っ切り姿を現したその相手が、近年増大し続けている魔獣であろうとも。


「良し」


 むしろ、男はにぃと笑った。暗中、立ち上がる。筋骨隆々の体を起こす。筋肉を大きく晒す半裸の、虎羆の如き逞しい男だ。……リアラとルルヤはその男を知っているが、その男の戦う姿は今はまだ知らぬ、彼が戦う心を失っていた時に出会ったが故に。そして今、彼は戦う心を取り戻していた。


「今宵も鍛練が出来るか。来い!俺は、真竜に少しでも近づかねばならんのだ!」


 時代遅れを抗う、蛮人戦士ガルン・バワド・ドラン。今、彼は戦士としての魂を取り戻し、真竜を追う旅をしていた。この戦いの蓄積もまた、いつの日か別の話にて語られるいずれふくせんとしてきのうする事になるだろう。そう。真竜の勇者達と、彼は再び出会い、そしてその時、さまざまな困難はあれど、共闘する事になるだろう。



 そして同じ頃、一人の老人が手紙を読んでいた。魔法灯とランプの明かりの下で。下級貴族風の夜着を纏うその老人は、涙を拭ってその手紙を何度も読み返していた。


 彼の娘、継承から身を引き野に出て在野の冒険学者として活躍していたソティア・パフィアフュの死についての手紙を。それにより彼はある行動を決意する事になるのだが、それもまたいつの日か別の話にて語られるいずれふくせんとしてきのうする事になるだろう。どう語られるかは、今はまだ分からないが。



 かくの如く日は巡り、混珠の様々な片隅で。人々は生き、因果は巡り動いていく。

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