・断章第一話「混珠飯食堂~孤独じゃないグルメ~」

・断章第一話「混珠こんじゅ飯食堂~孤独じゃないグルメ~」



「日誌、リアラ・ソアフ・シュム・パロン記、人歴2703年青月小拍月欠周半月日。今朝、食堂の厨房で長羊の枝肉を見つけた。割いた腹にはしっかりと下拵えがされていた。この店は僕達にかかっている。偶々で入った僕達に……」


 昔見たアメコミを年頃らしく何となく真似て、わざと低めしゃがれさせた声でそう呟きながら、リアラは食堂デヒノ亭の厨房で【宝珠】の記録機能を使い日記をつける。豚と違い丸羊に劣るとはいえ肥育の間羊毛を毎年産出する長羊は豚より普及した食材だが、地球、中でも日本からの転生者にとってはやはり丸ごとの枝肉はインパクトが強かった。書き初めの一節を記し、暫く首をかしげた後、主に何とはなしに、ほんの少し何かの霊感を感じて、口実をつけて書き加えた。


「何となく、万が一これから先、僕と同じような出自で真竜シュムシュ教徒になる者が出るか、あるいは僕と類似した種辻で混珠こんじゅに訪れた直後の善良な人間を保護する事になった時の為に、日記や、敬愛するソティアさんの研究成果、それを引き継いでの僕の研究等と並べて、当たり前の混珠こんじゅの常識についても記しておく事とする。今回は、混珠こんじゅの歴法について」


 以下が、その内容である。


 混珠こんじゅには公には四種類の歴史の記載方式が存在する。それとは別に建国歴や部族歴を持つ場所もあるが、大半はこれらの歴法によって記載がされる。魔神戦争による神々の実体喪失と〈人類国家〉の分裂を紀元とし人間同士の歴史を記載する人歴。今年で2703年。


 それ以前、精霊を真竜シュムシュが調伏し神々とした時からの歴法、神歴で数えれば〔余談ながらウルカディクでは人歴が知られておらず、ルルヤさんは神歴で歴史を数えていた〕今年は神歴4729年となる。


 それらと比べて最も使われていない歴法である、そもそも精霊が人族に降臨し、魔法が始まった〔当時は全て霊術と呼称されていたと言われていたが、霊能、霊技、霊力という呼称も存在し、また霊術を得て獣より有利を得るは卑怯と霊を拒んだ〈無霊の狩人〉に関する獣人達に伝わる伝承等も、ソティアさんのフィールドワークで発見されている。このように、一般的にこの歴法は魔法研究等において使われる学術用語としての面が強い〕時代から勘定するのを霊歴と言い、これによれば今年は霊歴7833年に当たる。


 そして最も古いのが、精霊達が降臨時に人々に教え、そして、人々の研究によりまず間違いなしとされる、この混珠こんじゅ界そのものが生まれてから何年かを表現する世歴がある。それによれば、今年は世歴193571年。


 これを長いと見るか短いと見るかは、転生者としては難しいところだ。地球46億年の歴史と比べれば、確かに非常に短い。だが、キリスト教における天地創造紀元とも呼ばれるビザンツ歴が七千数百年だった筈である事を考えると、それよりは大分長い。何しろこの混珠こんじゅは地球のように無機的な物理法則上の偶然で生まれた存在ではないのだから……むしろこれら歴史は、地球における人類の誕生・種族としての確立や都市文明の構築、古代文明の誕生、古代帝国の誕生と比して語られるほうが適切なように思われる。そして、一定の誤差あるいは遅れを含みながら、そういった地球の歴史と、ある程度類似しているように、どこか思わせる。それが偶然なのかあるいは何らかの意味があるのかは、定かではない。


 ともあれ、引き続き述べるならば、混珠こんじゅの年月表記については、一年360日の龍年〔神歴においては竜年と呼ばれていた。それ以前は統一した名称は存在しなかったという〕と一年370ないし371日の帝年〔370日と371日が交互に訪れる。神歴においては王年と呼ばれていた。それ以前は統一した名称は存在しなかったという〕が交互に発生。


 龍年は各九十日間の青月・赤月・黄月・白月という、実際の月の変化を反映した春夏秋冬を表す4色月に分けられ、1色月間に月は三回満ち欠けし、大・中・小と新月を経る度に大きさを変える。これは混珠こんじゅの月が衛星ではなく泡界内部を太陽の反対側に位置取りして周回し昼に太陽が放った光を引き寄せ蓄光して夜に発光する重力〔重力としても地球のそれとは大分あり方が違うが〕の吹き溜まりである為であり、その為、満月が二日連続して存在する、太陽暦と太陰暦で誤差が生じない等の特徴がある。この変化一回が30日で発生し、この日数単位を拍月と呼称。


 そして拍月の月が満ちていく過程を満周、欠けていく周期を欠周と言い、15日単位のこれをあわせて周と呼び、この周が日より上で最小の年月単位となる。混珠こんじゅには満月の時期が二日続く為、満周にも欠周にも満月が存在し、満月日と朔日は休日である。15日に2日という休日の比率は現代地球の一般的休日習慣より少ないと言えるが、その分現代地球の平均より宗教的理由等による休日となる祝祭日は多い。そして帝年においては、白月の終わりに10日から11日、黒月とよばれる月が光らない冬と春の境目の色月が発生する。月が光らない為拍月・周は発生せず、黒月何日と呼称される……


「いよいよ、今日だねえ……託したからね、頼むよ、皆」

「おう、やってやるぜ!」

「アタシも、下拵えなら幾らでも手伝えるし、力仕事なら任せておけ。リアラ?」

「あ、はいっ。準備、ありがとうございましたっ!」


 日記がひと段落した時、背後から声をかけられ振り返るリアラ。そこには、この食堂デヒノ亭の女将であるワーサ・デヒノさんと、料理人見習いの少年ティスタ・クット、そしてルルヤの姿。リアラは返事をして頷くと、【宝珠】の術式を切り替えながら、身支度を整え始めた。


 即ち、清潔に手を洗い、髪を頭巾で覆い……エプロンを着用したのだ。


 そう、これより始まるは、旅の合間に起きた出来事の物語本編を補足する世界設定豆知識を含む番外編。目新しく刺激的な〈新料理〉を名乗る地球の料理を食わせる料理店で、各地で強引な店舗チェーン拡大を行い地元の食堂を潰して回る新天地玩想郷チートピア第六十九位『美食グルメ欲能チート』との対決。



 即ち。混珠こんじゅ対地球の味勝負であった!



(〈人類国家〉時代の古法で、競合する料理店や宿屋同士の合法的決闘方法として法制化されてるとはいえ、まさか玩想郷チートピア相手にこんな事になるなんて……普通の味勝負に関わった事自体は、冒険者時代にもあるんだけどさ)


 ……『賭博バクト欲能チート』や『金貸ヤミキン欲能チート』の様に乗り込んで問答無用で始末するのは今回は無しであった。非合法かつ不道徳な犯罪者共と異なり、『美食グルメ』のやってる事は、確かにその『料理に様々な料理漫画的な誇張された特殊効果を付与する』欲能チートを使用して各地の料理店を潰し店を自分の物とし従業員を料理で洗脳けんしゅう支配し搾取ワンオペ解雇リストラして己の利益の為に路頭に迷う破産者を欲能チートという不正によって増やすという言わば小『経済キャピタル欲能チート』とでもいうべきもので、そして玩想郷チートピアに所属しているとはいえ、少なくともその過程において《黄金精霊契約こんじゅろうどうほう》違反を欲能チートによる洗脳により巧みに自発的と言い張り、また『経済キャピタル』と違い人を直接殺害するような真似をせずそれより悪事としては遥かに小規模、表立っては違法行為をしていない為、その様に直接的な手段をとれば面倒な事態を招く可能性がある。


((……本当に玩想郷チートピアなの? いや、その……マジで? えっと、これ、つまり、殴り込むのは拙い、の? うそ、やだ、ちょっと……思考が追い付かない……))


 思考どころか現代混珠こんじゅ語を操るのすら難渋する程、お陰で最初ルルヤは混乱した。そして正直、今も、この味勝負が終わった後どうするのか、決めきれずにいる。


((お前では相手にもならねば広告にもならん! 最もこんな時代だ、古いものはいずれ消え去る、どっちみち、何もできぬわ!))

((できらぁっ!))


 欲能チートを使い『料理勝負で敗北した相手に食わせれば敗北感で己に隷従するようになる』料理を相手に食わせて味勝負で勝利した相手の店を自分の支店にする、その為に他店舗との勝負を直々に行う『美食グルメ』が、この地の有名店であった食堂デヒノ亭を手の入れようとした事に、この一件は始まる。


 この街を訪れた『美食グルメ』であったが、仕掛ける前に無関係に発生した名料理人と名高いウビスガ・エクルガの偶発事故で死亡しており、何とか先代の味を再現しようと悪戦苦闘のティスタが店を切り盛りしようとしている最中だった。


 それを知った『美食グルメ』は、十分な敗北感を店の責任者に与えなければ屈服させる事が出来ぬではないかと思いながらも、その困惑する様子を見せつけてティスタ相手に口論を発生させ、多少の問題は欲能チートでどうにでもできる、いざとなれば屈服させた小僧を種に店主を脅せばいいと驕った『美食グルメ』は挑発の上で助っ人も可能等の挑発的効果を高める多少甘い条件で同意させ味勝負に応じさせてしまったのだ。その後に、リアラ達がこの街を訪れ。


 既に味勝負の契約は交わされていた事から、挑発に乗ってしまった事へのティスタ君の後悔やワーサさんの食堂の存続に関する対話等のすったもんだの末に、相手が味勝負に引きずり込む長髪の為に設えた助っ人OKの条件を使い、追加の料理人として介入する事になったのだった。……ビキニアーマーを隠してしまえば、まだ奴程度の下っ端に入っている情報ではこっちの正体を見破られる事が無かったのは幸いだった。ビキニアーマーという要素のインパクトが、他の情報を押し隠したのだ。踊り子への偽装と並ぶ、戦闘以外でビキニアーマーに助けられた結果であった。


((ゴメン。本当に、ごめん。……あいつが、古いものは皆無くなるって言った時、エクルガ先生の事、思っちゃって。……尊敬していた人も、凄いと思っていた技も、大事な思い出も、全部消えちゃうのか、って……〈戦争〉がどんどん起きるようなこんな時代に何小さい事怖がってるんだって言うかもしれないけど……それでも、凄く嫌だったんだ))

((望まれてる、かい。こんな時代だからこそ昔ながらの味が。ほっとするってかい。嬉しい事言ってくれるじゃない。それじゃ止める訳にもいかないねえ!))

「(【宝玉】記録展開、【ソティアさんの研究記録・17-食文化】、【入手物・39】、【冒険記録-ポンヤ家晩餐会事件】【冒険記録-魔族料理屋鬼恩オニオン亭事件】【記憶-2093/1/1/1/15】」)よし、やろう!」


 その様々な記憶を一瞬回想し、そして【宝珠】に記録した料理に関する様々なデータを片っ端から脳裏に引き出しながら、リアラは……昨日で終わった相手の欲能チートに対する無効化策以外の、本来の意味での料理の仕込みに入った。



 混珠こんじゅ料理は主に諸部族領で食される北方料理、連合帝国と中小諸国やナアロ王国周辺で食される中部料理、鉱易砂海で食される砂海料理、諸島海で食される諸島料理、そして種族料理の五種に分類される。とはいえ種族料理は森亜人エルフ山亜人ドワーフ、魔族等様々な亜人種の民族食文化の総称で、厳密に五種という訳ではない。


 それぞれの特性としては、北方料理は狩闘・採探系の文化による自然産物を茹でる・焼く・薫製・発酵・生食等を基本とするシンプルな料理で、動物食から必要栄養素を取得しきる為の狩闘民文化である血や内蔵を使った料理や獣肉発酵食品等が特徴で、一際癖が強い。しかし一見すると原始的に見えるが食肉加工における知恵は高度であり、帰省中や病原菌を避けて生食する技術やそれに近い栄養素を維持できるぎりぎりの加工で済ます技術、少ない燃料と水分で効率的に茹でる技法、包んで焼く、包んだ上で埋めて焼く、毛を取り去った皮をつけたまま焼く等の肉汁を逃がさぬ様々な焼き方等、決して原始的なのではなく進化洗練の方向性が異なるのだと言える。


 その、方向性が違うだけなのだと言う事を恐らく玩想郷チートピアの人間の大半は理解できまい、とリアラは思う。混珠こんじゅと地球が、あたかも哲学と金塊の如く本来全く比較不能の別存在である事を、哲学書の値段が幾ら、金塊の値段がその何倍、という風に頓珍漢な計算で前後上下をつけようとする、金と順番に支配された馬鹿共には。


 諸島料理は必然シーフードが中心となるが、諸島で算出する様々な果実や香辛料を用いる事で、驚くほど変化に富む。それにより北方料理の獣肉発酵食品と対を成す魚介系発酵調味料の癖を消し、旨味だけを引き出すのだ。また、取れたての魚介が豊富なため生食文化も発達しており、魚介の鮮度の維持と生食可能な鮮度の見分け、香辛料を用いた消毒、寄生虫や有毒部位の除去など北方料理の獣肉加工と同様の技術発展を遂げているのも特徴だ。


 砂海料理は中小諸国・諸島海との交易を食材調達の基本としているが、それに加え砂羊の乳製品や肉、鳥蛇ハウロズの卵やオアシスだけに生息する他にない植物や淡水生物、そして過酷な環境を生き延びる為の、砂海に住まう食獣覇王樹サヴェッジサボテンや潜砂鰐や巨大蠍やミルメコレオ 〔獅子の頭と蟻の体を持ち肉食草食の性質が入り交じり絵さを食えずに死ぬという地球の可哀想な伝承のそれと異なり、六本足の獅子が自分と同サイズの蟻地獄の外骨格と大顎を得たような姿で砂と磁気と蜃気楼を操る獰猛な魔獣〕等強力な亜獣や魔獣の類いを狩猟し食材として加える事で独自の食文化を持つに至った。香辛料の辛味と果実の甘味でバランスを取る諸島料理と異なり辛味を余りつけずに香草で芳しく仕上げるのが特徴で、鉱山や貿易で財を成した富貴な者は遠方から様々な食材を取り寄せ豪華な宴席を広く民に振る舞う事を好む。また有り余る日光を用いた乾物や算出するが年を利用した塩蔵品等も知られている。


 種族料理については種々様々だが、代表的なものの特徴を述べるならば、例えば山亜人ドワーフの料理は金黍、銀芋、銅芋とよばれる高山環境に適応した穀物と根菜を主食や酒の原料とし火椒と呼ばれる辛味調味料を用いる事が多い。森亜人エルフの食文化は森の生態系と共存しつつ生存の為に茸の発生の為の環境を整えたり可食植物ができるだけ多く繁茂するよう面倒を見る等する完全な採探文化で、受粉を行った後花弁だけ採取した可食花のサラダや干し茸のスープ、様々な果実種実や山菜等、色々な形に加工可能な蔦植物の豆とその加工品を食べるが、特に大事な主食は団栗や椎、栃の実等の類いを製粉して作る粥や焼き菓子である。〔これを転生後初期に初めて知ったリアラは「じょ、縄文クッキー……いや○ンバスって言うべきなのかもしれないんだけどこれはどうみてもどっちかっていうと縄文クッキー……実在していたんだ……え、エルフ縄文人説……!?」等と混乱して口走り、ハウラとソティアを困惑させた。〕


 そして、中部料理であるが、これは各地の食文化の特徴を少しづつ取り混ぜつつ、中部の肥沃な土地の農畜産物を主に用いるものである。同じ中部料理といっても海岸であれば海産物の消費が増え、内陸では農畜産物が増える傾向があるが、内陸においても淡水魚の河川湖沼からの漁獲や養魚池による養殖等あり、様々な乳製品、畑で野菜と共に生産される香草、そして歴史ある連合帝国や古い歴史を持つ各地の王城や協会で醸される酒や発酵調味料。主食となるのは真禾オリティクムと呼ばれる穀物であり、煮炊きして粥や飯のごとくするか、惹いて粉としてパンあるいは麺として用いられる汎用性のある穀物である。〔ちなみに北部においては土栗と呼ばれる地球で言うピーナッツと栗を合成して大きくしたような芋めいた植物、諸島海では黍椰子と呼ばれる植物から取るデンプンを様々に加工したものが主に主食とされる。食料自給率の低い砂海では真禾オリティクムを中部から輸入している。〕


 真禾オリティクムの味についてリアラは、飯や粥のように粒で食べれば玄米の如し、パンとして食べれば黒パンやライ麦パンの如し、麺として食べれば蕎麦の如しと感想を抱いている。地域によってどの形で食べられるかは様々だが、大凡環境により水資源の豊富な順に麺、飯粥、パンとなっているようだった。調理に必要な水の量による変化だ。


 今日この日の味勝負においては、この中部料理がリアラ達の主な献立となる。食堂の元々のメニューがそうであった為だ。そして先代料理人の残した帳面、ティスタ少年が難儀していた走り書きめいたそれを、幸いにしてリアラが各地から集めた知識と、ティスタ少年が師から授けられていた修行や、その言葉の記憶が合わさることで解き明かすことができた為だった。


(これがなければ、勝負にならなかったかも)


 何しろ、ルルヤは至極単純な料理しか出来ない。随分昔に下界から断絶していたウルカディクの隠れ里は、文化的に停滞していたらしかった。【真竜シュムシュの咆哮】によりあらゆる寄生虫を追い払う事で安全に生食できるようにする肉の調理法など、魔法を使った料理の中でも最もバイオレンスな部類等独自の食文化もあったが、味勝負の場ではちょっと使えそうになかった〔それを聞いた時、魔物を寄生させた『洗脳エンスレイヴ欲能チート』にルルヤがああいう対処【咆哮】寄生魔蟲逆流殺をした発想の元ネタが分かったリアラだった〕。普段と違い、彼女は頼りにならないのだ……それを悟り羞恥の表情を浮かべたりあうあうとパニクるルルヤの姿は、実に珍しく滅多に見れぬものであり、普段とは又違う儚げ恥じらいや子供っぽいSDめいた可愛らしさにリアラは参ったが、それはそれこれはこれで、洒落にならないプレッシャーがかかり、【血潮】の効果を常に得ていても尚、一時は胃痛を感じるほどであったが、逆に言えば、普通の混珠こんじゅの巷は、地道に進歩と進化を続けていた訳だ。残されたレシピには、まさにそれがあった。


(お陰で。今日も又一人じゃない)


 亡き料理人と彼が縁深く結んでくれた少年と女将に、そして、普段のように絶対の力にならずとも、それでも手伝ってくれるルルヤに、リアラは内心感謝した。


 そして何より、その、些細な改良を重ね続けた洗練されたレシピは、リアラに、些か大仰な表現かもしれないが、大義を与えてくれた。


 混珠こんじゅは生きて呼吸し進み続ける世界であり、都合のいい舞台やゲームや夢のように扱う者に穢されたり、自分達を先進文明と傲る文化的植民地主義者の好きにさせてよいものではないのだという、これまでもそう思い戦い続けてきた事への一層の確信。


 それは、『経済キャピタル』等が象徴する悪しき側面等ではない本来こんな使われ方で無ければ誇るべき祖国の文化に、勝てるのか、いや勝つという気概を与えてくれた。


「さあ、やるぞ!」


 リアラはきっと目を見開いて、眼前の会場を見つめ、そして勝負が始まった。



「さあ、いらっしゃい、いらっしゃい!」


 じゅうわああああああっ……!


 熱された鉄板の上に、零れ落ちた液体が沸騰し焦げを作る音と、沸き、焦げる事によって放たれる複雑で香ばしい香りが辺りに立ち込め、その脇、別の料理を煮込んだ大鍋から放たれる複合的な香辛料の香りが、異性のいい掛け声と共に客を誘う。


「おお、いい音……!」

「旨そうな香りだな。このスパイスの混ぜ方は初めて嗅ぐ匂いだ……」

(……流石に、手強い!)


 率先して客を呼ばわる、和食板前風装束だがそれに縛られぬ『美食グルメ』の献立。誘われる客達。その懐かしい香りに、リアラの表情は緊迫の度合いを強めた。


混珠こんじゅの素材でここまで地球の料理を再現してみせるなんて。それに、お好み焼き、カレーライス、豚骨ラーメンというチョイス。店の価格帯というのもあるけど、あえて寿司とか高級感を狙わず……真禾オリティクムの固めの食感とパラっとした感じ故に寿司は無理と考えたんだろうけど……外国人観光客に良く受けるグローバルなメニューから選んで、カレーの匂いとお好み焼きの音と匂いで客を集めにかかってる。ハーブやスパイスを細やかに利かせた薫り高い料理を好む混珠こんじゅ人の一般的嗜好を理解し引き寄せてがつんと旨味でぶん殴る戦略! あちこちで店を乗っ取ってきただけある。凄く、味勝負慣れしている!)


 あくまで庶民的な食堂における、そのメニューでその後の営業の収支をつけられる範囲を見切りながらの過酷な味勝負。無論それこそ地球には山ほどもっと高級で凝った調理法を施した料理があるが、混珠こんじゅ料理においてもそれはまた同じ。高くて旨いでも安くてそこそこでもなく、適正価格で美味しくなければ生き残れないのだ!


(ふはははは! 何百種ものハーブ・スパイスと発酵調味料を調べあげ、再現は完璧! 住民の好みもリサーチ済み! 匂いと音の衝撃で思わず口にすれば、ふっ、味でも十分勝てるが、『欲能チート』の力を以てすればそれだけで忽ち魅了……何っ!?)


 食べ比べができるよう少量づつ盛られた料理。自分の所の客がそれぞれ食べ終わった瞬間、緊迫の表情を浮かべるのは今度は『美食グルメ』のほうだった。


(馬鹿な、欲能チートが作動していない!? これは一体……)

「どうぞ、めしあがれ!」


 常の勝負であれば、一口食べさせた時点でもう腹一杯になるまで己の料理に夢中になる筈の客が、きちんと向こうの料理も食べに行っている……


「あっ!?」「?」

「い、いえ、何でもございません、失礼致しました……(まさか、あの女共!?)」


 一瞬漏れた声。怪訝な表情を浮かべる客に、客商売なので物腰丁寧に謝りながら、『美食グルメ』は冷や汗脂汗が流れる感覚を覚えた。


(ま、まさか……〈長虫バグ〉か!? 馬鹿な、私のような場末の小悪党に!?)


 自分達新天地玩想郷チートピア欲能チート所持転生者を狩る恐るべき美少女の姿をした竜。だが、これまで奴等は殺戮に呼応して出現していた筈……その『美食グルメ』の疑念は事実だった。リアラとルルヤは、味勝負までの間に、カイシャリアⅦでは不発だった複数の護符を仕込んでの大規模竜術結界の形勢を済ませていた。それにより『美食グルメ』の欲能チートの効果は阻まれたのだ。


(わ、私は殺していない、今の所直接殺してはいないぞ!? 路頭に迷わせた人間は何人もいるが……そいつらの生死は知らんがっ……)


 いざという時の為の手段を入れた内ポケットに手をやるが、自分から仕掛ける心算は毛頭なかった。むしろ、このまま味勝負で勝ってそれで相手が引き下がってくれればそれに越したことはないと……


「なん、だと……!?」


 身の危険のほうに意識が行き、目をそらしていた味勝負事態に、改めて視線を向け。『美食グルメ』は、更に驚愕する事になった。


 塩、甘味、酢、油、発酵調味料、出汁、酒、ハーブ、スパイス。甘味は砂糖、果汁、蜜、飴、煮果。酢は穀物酢、果実酢、酸味果汁。油は種実油、果実油、乳脂、乳油、獣脂、鳥油。発酵調味料は穀醤、茸醤、魚醤、肉醤。出汁は魚粗出汁各種、海藻出汁各種、茸出汁各種、獣骨・獣粗出汁各種、菜片出汁各種。酒は、穀酒発泡非発泡二種、地球でいうワインやシードルや椰子酒を含む果実酒各種、蜜酒、乳酒、樹液酒、そしてそれらの蒸留酒。ハーブとスパイスの種類は数えきれない程。


 地球の伝統料理においては、調味において香辛料に重きをおく文化、出汁や発酵調味料に重きを置く文化、油脂に重きを置く文化があるが。


 混珠こんじゅにはその全てがあった。そして中部料理は、そのすべてを少しづつ取り込むものであった。無論それは少しづつであり全てではなく、そしてこの町におけるこの二店の味勝負において、そのすべてが上限無く用いられるという事でもない。店のメニューにも価格帯というものがある。だが、それが意味する事がある。


 そう、これは各地の伝統料理の情報が共有され、各地の食材が物流で共有された、地球の現代料理と同等の条件を有している事を示す。


 地球にあり混珠こんじゅにない食材もある。だが混珠こんじゅにあり地球にない食材もある。即ちこの時点で地球料理と混珠こんじゅ料理が混珠こんじゅ欲能チートを排して味勝負を行うにあたっては全ての前提条件を満たして使用可能な混珠こんじゅ料理に言わば地の利があるという事。


 そして。地球の歴史は混珠こんじゅの歴史より遥かに長い。地球人類の歴史その物も、混珠こんじゅのそれより長い。だが、神々の庇護無き地球の文明は常に分断され幾度も断絶し崩壊し再構築され近年漸く激しい科学技術の発展により一つになったが、混珠こんじゅの文明は神歴と人歴の間の混乱を神々がその身を以て人を守り、幾度かの魔王の出現を勇者達が鎮めた混珠こんじゅの世界は魔法によって常に一つであり、断絶は最小限度であった。故に、二千数十年の地球の年号と二千数百年の混珠こんじゅの年号の示す、蓄積の深みの差があり。


 加えて何より。


「姉ちゃんのくれたヒント、助かったぜ! そら、エクルカ先生の最後の新作と、オイラの最初の作品だいっ、食ってくれよな!」

「僕より僕の先生、ソティア・パフィアフュさんに感謝してくれると嬉しいです! そしてティスタ君、君と君の師匠、ウビスガ・エクルガ先生に僕から感謝を!」

「ううん、肉汁が溢れ滴る!」

「うわっ、こんなにふわっふわだ……臭みも無い、いい匂いと、香ばしさと、旨味が、この値段でこんなに洗練されてる……ホントにこの値段でいいのかい!?」

「これ、何!? 食べたことないよ!?」


 新しい料理は敵だけの物ではない。先にも言った通り、混珠こんじゅの料理もまた成長を続けており、元より旨かったものが、目新しく更に旨くなったなら。目新しさという相手の武器を封じたなら、勝負は互角以上! デヒノ亭の料理にも客が沸き返る!


 古来からの名物である香辛料と香料と発酵調味料のタレに漬けた肉の串焼きを改良した物がまず一皿。本当に旨いタレは肉の癖を消すのではなく肉の癖を活かすのだとより繊細に改め、安い細切れ肉を使って家庭では作られるそれを太い串と大振りに切った肉で行いその後に各自に取り分ける風に変える事でよりジューシーさを保ち、更に火で炙る時の串の位置取りと角度、串に刺す順番を工夫し串の下に金皿を置く事で、上に刺さった肉から滴る油や肉汁が下に刺さった野菜や皿に置かれたパンに染み込み、副菜主食も美味として更に栄養バランスも改善するウビスガ氏の名案。


 そこにソティアさんの安い香草をより良く活用する食文化に関する研究成果が加わり、そしてまた精肉中に発生した端切れ肉を次の一皿に用いることで、大振り肉を使うことによる価格の上昇は最小限。その端切れ肉を叩き良く練り他にも様々な材料を挽き込んだ挽肉生地は、肉団子にして煮込みに入れて良く種を抜いた野菜に詰めてオーブンで焼いて良くパン生地で包んで焼いても良く、一つの生地から高い応用を生む。これら団子、詰め物包み焼きもまた個展ではあるが、挽肉生地に混ぜる素材の吟味、また更に中部名産のチーズや卵を合わせたり、ソースを工夫したり、パンを焼くのではなく真禾オリティクム以外も使ったりと粉を工夫した上で蒸してより一層ふわふわにしたり、何れも一手間改良が加えられ、当世風に何ともハッとする程新しく美しいのだ。


 そして更に加わるのは、香草と共に蒸した後皮目を焼かれた鰻鯰鯉うなまごいだ。幼魚時に取水口からや泥や濡れ草の上を這う等して入り込んで養魚池を荒らして肥大化する上に、泥臭く加熱すると皮が固い上に皮から身が離れないと敬遠されたこのでっぷりとして黒く艶々した魚に、ソティアとウビスガという二人の才人が、別々に調理法を研究していた。ソティアの知識とウビスガのメモがリアラとティスタの手で結び付き、それはここに完成した。内蔵を取る時に傷つけぬよう背開きにして腹の膜ごと外し、内臓を取った後の腹腔と皮を塩と酢で洗い真水で流した後でこのように調理すれば、パリッとなった皮ごと食べられるタンパク質と脂の美味な白身魚となる。


((この事実は、きっと沢山の人を助けられる))

((そうすれば……リアラ姉ちゃんのソティアさんも、エクルカ先生も……きっと、幸せだろうな))


 捨て値で売られたり廃棄されようとしていたのを濡らした布でくるめば平気で暫く生きるしぶとさを活かしてかき集めた鰻鯰鯉は、材料代の節約にも大きく貢献してくれたが、これがきちんと取り扱われるようになれば養魚者の為にもなるし、支社の名誉にも、元祖の店としてのデヒノ亭の為にもなるだろう。その未来の為にも負けるわけにはいかない!


「これがリアラの故郷の食べ物か……成る程、美味しい。けど……」


 料理手伝いの合間どさくさで自分達側の料理だけじゃなく相手の料理にも手を出したルルヤが、唇についたお好み焼きソースを舐めとりながら、真剣な表情で呟く。


「むううっ……! (畜生、これまでは欲能チートを使い、またナアロ王国の戦乱で困窮したところに食材を持ち込み優位を得ていたが……この世界の料理が元々旨い事くらい、俺とて知っている! しかし、こいつは、特に旨い。負けるつもりはない。負ける筈がっ……、だがっ……!!)」


 こちらも相手料理の味を見た『美食グルメ』も又、真剣な表情で眉間に皺を寄せる。料理を次々と作り振る舞いながら、しかし鍔迫り合いで追い詰められつつある表情でだ。


「しまった! ソースがぁっ!?」


 その原因がついに破裂する。即ち、食材の在庫切れ。チェーン店本店で作らせている、本来は安定供給可能な筈の独自ブランド食材が、交易上の混乱において開店セール+味勝負分として本来持ち込むはずの量が届かず、本来予定の三分の二程しか持ち込めていなかったのだ。欲能チートで即座に勝負をつければ問題なしと流通万全の地球育ちゆえつい軽視したリスクが、欲能チートを打ち消されたことで顕在したのだ。それは、これまでにリアラとルルヤの戦いが生んだ妨害であると同時に、山賊や海賊が跳梁跋扈するようにした玩想郷チートピアの自業自得であった。


「今です!」「さあどうぞ、さあどうぞっ!!」


 そしてその隙を見逃すはずもなく、リアラ達は攻勢を強め……!



「ぐうう……」

「やったーっ!」「やったよお前さん!」「よっしゃーっ!」


 そして結果は、デヒノ亭の勝利であった。審査に参加した町の人全員の投票による結果。『美食グルメ』側もかなりの得票を集め、中々の勝負だった……さすがに、味勝負で洗脳された既存店舗の店主がチェーン店の奴隷になる等という現象、カラクリを知らなければ店舗同士のいさかいの結果は概略だけ見れば奴隷化については分からないため小さなニュースでしかなく、町民は知るよしもない。故に住人は比較的気楽かつ直感的に、何となくこっちが好みかもというレベルで投票したものもいる。だが、それにしても、洗脳抜きで後半のソース切れによる一部料理の供給中断という失速込みでももある程度票をとれたという事は、『美食グルメ』の腕前と現代地球料理文化の力を示すものではあったが、その上で、現代混珠こんじゅ料理はそれを打ち破ったのだ。


 味勝負は、これにて終わった。


 だが……


 ある意味、短いが、真の戦いは此処からだった。



「わ、私を、どうするつもりだ」


 祭りのようにごった返す会場からこっそり逃げようとした『美食グルメ』に、リアラとルルヤは路地裏で追いすがった。ぎくりとした表情で、身を竦めた『美食グルメ』は訴える。


「わ、私は殺してない! 味勝負は合法行為だ! 乗っ取った店でも、た、多少こき使いはしたが、殺してはおらんぞ!? なのに私を殺すのではあるまいな!?」


 怯える『美食グルメ』。……それに対し、リアラとルルヤは。


 ……リアラは、そっとルルヤの顔を見た。ルルヤは、戦場並みに深刻な顔をしていたが、そこからは苦悩が伝わってきた。


 それは二人にとって正に難題であった。玩想郷チートピアを滅ぼすと誓った。外道な傭兵や犯罪組織等、玩想郷チートピアに与し人を殺める者であれば、混珠こんじゅ人とて容赦はしない。戦い打倒しすることもあれば、捕縛し司直に委ねることもあろう。そこは状況次第だ。逆に無理矢理支配され操られている者ならば助けよう。だがこいつのような、混珠こんじゅの法に照らして死に値する程の罪をギリギリ犯してはいないがさりとて明確に能動的に人を不幸にしている者〔しかもたちが悪いことに欲能チートによる洗脳は魔法的に犯罪を立証できないのだ! 〕、保身のために玩想郷チートピアに加わり生きるために組織の尖兵となった者、あるいは組織の人間に知らず知らずに好意的な関係を持っている者……


 各地の被害に一刻も早く駆けつける為、常に全力疾走する様に戦い続けてきたが故に、これまでそういった相手が現れた場合、どう対処するか決める暇も無かった。それが、遂に、二人に突きつけられたのだ。……よりによって味勝負が原因で!


(どう、します。ルルヤさん)


 こうして路地裏に追いつめたのも、『美食グルメ』が逃げようとしたから咄嗟に追いかけた結果。味勝負に必死だったため事前に打ち合わせをする暇も無く、今改めて【宝珠】文通によって『美食グルメ』を見据えたまま通話するリアラとルルヤ。


(………………)


 リアラの言葉に、ルルヤは沈黙を保った。リアラは、ルルヤの横顔を見た。その表情には、痛ましい混乱があった。


(ルルヤ、さん?)


 それに、リアラはひどくぎくりとした。その感情を【宝玉】文通にリアラは書き込まなかった。これほどまで、という思いと、混乱しているルルヤに当惑を気取られてそれでルルヤがショックを受けることを懸念して、表情を沈黙に対する只の心配に保とうとした。そしてルルヤも、次に思った感情を【宝玉】に書き込めなかった。


(私は。……こんな男まで、殺したい、のか?)


 ルルヤは、己の中に確かにこの男に、この程度の力しか持たぬ命乞いする小物にまでも憎悪と殺意がある事を認めて、狼狽し、己を恐れたのだ。今こうしてこの局面に立つまで、殆ど殺すことを当然と考えていた己を。……だが実際、乗っ取った店において少ない人員をこき使えば不要と判断され、解雇された者は苦渋を舐めただろうし、それは悪であり見過ごせぬ行為だし、家財を奪われ困窮死した者もいたかもしれぬ。後者が事実であれば道義的に殺すに値する、と同意する者も居るやもしれぬ。だが、〈しれぬ〉で、見せしめに死体を曝し、『惨劇グランギニョル欲能チート』と組んで不要と判断した人間を殺戮して民を恐怖で支配していた『経済キャピタル』程、絶対確実に殺すべきか、という事に、殆ど抵抗無く己の心が殺すべきと判断した事が……復讐心が己を殆ど即座に駆り立てた事がショックだった。


そして、それに対してリアラもまた、苦い自己嫌悪を覚えた。玩想郷チートピアはしばしば、仲間同士で追い落としあうという。故に直接手を下さずとも、こちらと接敵し見過ごされたとなれば、それを口実に寝返ったと濡れ衣で殺され財産を奪われる可能性は十分にある。どの道手を汚すまでも無いのではないか。そう打算した己の醜悪さに。


(……リアラ)


 ルルヤはリアラを見た。自分と同じく苦渋するリアラを。それが、ルルヤの心を動かした。ルルヤは、己に強いた。


(……考えろ、私。誓った筈だ、憎悪と復讐心の奔馬を乗りこなして見せると)


 嘗て自分はリアラに語った。正義は遠いが、正義について考え続け、目指し続けろと。ソレこそが、辛うじて正義に近くある道だ、と。そして、正義であろうとし続けよう、と。その言葉を、リアラを裏切るわけにはいかない、と。だから。


「……ならば、貴様」

「……リアラさん」


 だから、話しかけようとした。問いかけようとした。問い続け、答えに近づくために。問う内容は考えていた。命乞いをするというのであれば、如何に悔い改める、と。罪を犯して悔い改める者等罪を犯さぬ者に比べれば大したものではなく後者こそ賞賛されるべきと賢者は言うが、悔い改めれば許されるのでなければ誰も悔い改めず悪事を続けるが故に。もしお前が解雇した者の中に困窮の結果死んだものが居たらお前が殺したに近いがどうする、有無は知らぬがならばこれから調べよう、その上でそれが判明した時どうする、と。そう、問おうとした。……そんなルルヤの己が暴走する憎悪を克己せんと足掻く横顔に、リアラは安堵し、その問答を支援しようとし。


「アッアッアッアッ!?」「!?」


 それが一瞬の隙を生んだ。その瞬間、『美食グルメ』は胸ポケットから《保存》の魔法が施された金属製の小瓶を取りだし、蓋を捩り開け一気飲みしていた。溢れる臭いから、中身が様々な薬膳的素材を煮込んだスープである事が感じられた。


「ガブガブ、嫌だ、ゲホッ、やめろ、ゴク、やめ……アアーッ!!」


 だが噎せ返りながら拒絶を叫ぶその様子は、『美食グルメ』の意思ではなくまるで見えない手で強引に操られているようで。事実リアラの【眼光】は見た。その首筋に噛みつき、煌めく小さな文字を毒液の様に牙で『美食グルメ』に注ぎ込む透明な蛇の如き欲能チートを!



(情報を加工すれば良い醜聞になりえますね、ここでの戦闘は。そして、うまく使えれば良い弱点になりえますね、この殺意と憎悪は。何やら頑張ろうとしていたようですが、今ここで完全に乗り越えたり妥協して頂いては困ります)


 同時。遥か後方、都の劇場。詩を吟じ終え喝采を受けながら内心『情報ネット欲能チート』はそう考えた。……玩想郷チートピアに過小に申告し、その程度ではあるまいと疑われていた欲能チートを行使し、事実表向きに語った内容より遥かに強力なその力で、正確にルルヤとリアラを見据え、そして『美食グルメ』を洗脳し操りながら。


(この醜聞を、その心理的弱点を利用して、何れ貴方達を破滅させるのはこの私、この『情報マスコミ欲能チート』の報道の力ネガティヴキャンペーンです。今はこいつを殺してもらいますよ! 精神的成長などさせるものか!)


 『情報ネット』ではなく『情報マスコミ』。欲能チートの強さだけでなくその名すら偽る狡猾な悪鬼は、邪悪な笑みを胸中浮かべる。このおぞましい敵との戦いは、此処に始まった。



 そして、スープを摂取した『美食グルメ』が変身する。それ自体は『美食グルメ』自身の欲能チートの効果、『食事への漫画的効果の付与』、その戦闘的応用である超人化。板前服が内側から弾け飛び、筋肉が肥大化しまるで城を鎧として着込んだかのような外骨格が形成され眼球が発光、口腔から魔力の破壊的な光線ブレスを放つ!


「UUUUUUMAAAAAIIIIIZOOOOOOOOOO!!!」


「これは……っ!? ルルヤさん、防戦を! けど、どうします!」

「っ、私は……!」


 リアラは蛇に動揺を示しながらも、考える事を止めまいとしたルルヤの助けになればと、問うように剣を抜き。ルルヤもまた、未だ結論の出ていない複雑な思いをそれでもまだ噛み締めながら、襲い掛かってくる『美食グルメ』だったものに対し剣を抜いた。



 戦いは、その後すぐ終わった。その内容結果については、今はまだ別の物語だがそれもまたリアラとルルヤの物語、何時の日か、別の話にて語られるいずれふくせんとしてきのうする事になるだろう。



しかし、いずれにせよ。


「本当、有難うねえ。これ、少ないかもしれないけどお礼。それと、いつでもうちに来たらただで食べていいよっ。それくらいしかできなくてすまないけど……」

「リアラ姉ちゃん。姉ちゃんと一緒に料理したこと……絶対忘れねえ!」


 それでも感謝が、二人の心に温もりを与える。


 戦いは続く。旅は続く。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る