第13話グレイ編 予想外の決着



◇◇Side グレイラディ


 ――その実、私は民のために生きているわけではないのだ。


 かつて、父が死んだ。

 人間の手にかかって殺されたのだという。


 そこから先は、不安が日々を埋め尽くした。

 それはそうだろう。

 私には肉親と呼べるものは父しかいなかった。

 その父を失って、頼れるものを失った子供が真っ先に抱く感情など知れている。


 次に感じたのも、やはり不安だった。

 どうも私には、高い魔権なる力が宿っているらしい。

 両親から受け継いだのか、あるいは天が私に授けたのか。

 領主は最も高き魔権を有する者が跡を継ぐ事になっているらしい。

 そんなもののせいで、私は望んでもいない領主という地位に就くことになった。


 まだ幼い身で、何を治めればいいというのか。

 幸い、私は配下に恵まれた。

 父の代から私に仕えてくれていた者達は、右も左も分からない私に様々なことを教えてくれたように思う。

 けれど、与えられたのは為政者としての知識だけだ。

 為政者としての視点、為政者としての決断力、為政者としての在り方。

 そうした、当時の私が本当に求めていたものを与えられる配下は一人だっていなかった。

 当然だ。

そんなもの、当事者にならなければ誰だって持ちえない。

 それは本来父から長い時間をかけて私に受け継がれるべきだったものだ。

 その大半が私に受け継がれないまま、私は領主になってしまった。


 私の判断が民を富ませ、私の判断が民を殺す。

 まだ年端もいかない少女が背負うには重すぎる責任と言える。

 失敗は誰にでもある。

 次頑張ればいい。

 配下の者は口々にそんなことを言う。

 は、そんなものが私に許される筈がないではないか――――。

 

 民を苦しめる領主に何の価値があろう。

 たとえ、そこに一切の悪意が無かったとしても。

 求められた機能を果たさない存在に意義は無い。

 

 それが自分を苛む重責だとしても、父の跡を継いだ私にとって、それくらいしか自らの地位を確立するものは無かったのだ。


 ――仮面を被ろうと思った。それは、立派であるほど良い


 思えば、口調を作り始めたのもこの頃だ。

 民が求めているのは小娘ではない。

 それが不安の正体であると自覚するのに、そう時間はかからなかった。

 高い魔権によって領地を守り、

 明日の安全と幸せを保証し、

 自らの利益に固執せず、民の利益に奉仕する。

 

 そこに、私という要素はむしろ邪魔でしかなかった。


 グレイラディとして振る舞う限り、常に未熟が付きまとう。

 故に、私は足りない性能を、模倣という形で補った。

 生前の父を思い出し、本で賢者の考えに触れ、歴史を遡り為政者の知恵を知る。


 必要なのは思考ではなく、真似事であり、想像であり、選択だった。

 

 昨日は父の真似をした。

 今日は賢者の真似をした。

 明日は為政者の真似をする。

 

グレイラディから零れ落ちる夢物語など、だれも必要としていない。

 ひたすら現実を見据え、その中で為政者が為すべきことを選んでいく。

 グレイラディという少女の顔を、善き領主としての仮面で塗りつぶす。

 そうして初めて、私という個体に価値が生まれるのだから。


 目の前の2人を殺そうとしたのも、その一環でしかない。

 復讐なんて考えていない。

 人間が憎くないかと問われれば、迷わず憎いと答えるだろう。

 けれど、そんな下らない私情を挟むことはあり得ない。

 

 2人を殺そうとしたのは、ただひたすらに民の為。

 いずれ敵になるかもしれない脅威をここで刈り取る事が民の安全に繋がる。

 であれば、この2人はここで、倒しておかねばならなかったのに。

 それが出来ない自分に、価値はないというのに――――。




「ク――――」


 破壊の暴風が迫る。

 走馬燈だろうか、時の流れがひどくゆっくりなものに感じる。

 死の旋風は閃光を打ち破ってなお食い足りぬとばかりに迫ってくる。


 これで、終わり。

 

 この暴風を喰らって生きていられる方が嘘だ。

 これが、私の不義への報いだというのだろうか。

 だとすれば、それはそれで仕方がない。

 父が死んだあの日から、私にあったのは、領主とはかくあるべしという役割に支配された己のみだった。

 そんな中で、どんな感情を育めば良かったのか――――。


 かくして、私の命はここで尽きる。

 恐らくは一秒後に来るであろう死。

 それを受け入れるように目を閉じて、

 がし、と。

 逞しい腕で、突然抱き上げられた。


「ひゃ――――!?」


 体に感じる浮遊感。

 次いで、爆音と衝撃が走り、空中で支えが揺らぐのを感じる。

 けれど、私を抱き上げた何者かは決して私を放すことは無く、

 全てが収まった後、私を下ろしながら。


「――――グレイラディ様……ご無事でしょうか?」

「え――――?」


 目を開ける。

 そこには、多くの裂傷を体に刻みながら、それでも雄々しく立つバシアスの姿があった。



◇◇Side ルイ


 バシアスは満身創痍だった。

 竜巻が直撃する寸前、彼はグレイラディを抱き上げてどうにか脱出していた。

 けれど、完全に躱しきる事は出来なかったようで、暴風の余波を背中に受けている。


 衣服も肌もズタズタに切り裂かれ、肉が抉られた場所からは血が流れている。

 体は揺らぎ、どうにか踏ん張る脚も震えていて幽霊みたいに頼りない。

 それでも、その瞳に宿る輝きは些かも衰えず。

 男は決して倒れることはなかった。

 まるで、主の前で敗北することは絶対に出来ぬと言うように。


「ガフッ――――!!」


 せき込むバシアスの口端から、細く赤い雫が流れていく。

 吐血し、それを無理やり飲み込んだのか。

 それ以上の血は流れ出すことなく、男の唇を赤く染め上げるのみに留まっている。

 

 あの男はもう戦えない。

 なんとなくそう感じていた。

 

 今のバシアスは穴の開いた風船だ。

 見る見るうちに空気いのちが流れ出している。

 手当をしなければじきに取り返しがつかなくなるとあの男は分かっているのか。

 見ているこっちが痛くなる。

 そんな風に、少女の前に立ちふさがって、指一本触れさせんとばかりにこちらを睨むその眼で、自分の命は見えてないってのか――――。


「止めぬかバカ者! バシアス。よもや貴様その体で、まだ戦うというのではあるまいな!」


 グレイラディが叫ぶ。

 その少女は、これまでの余裕に満ちたものではなく、見た目よりずいぶんと幼い子供のように見えた。


「いえ、自分の体の事は自分が1番分かっています。私はもう戦えない。残念です。貴女を守らなければならないのに、今の私では奴らを止められない」


 そんな少女に、不出来に歪んだ笑みで応えるバシアス。

 きっと今も激痛に犯されているのだろう。

 その、今にも崩れそうな体が沈む。

 倒れたのではない。

 バシアスはそっと座り込み、頭を地面に擦りつけるように。


「だから、頼む。俺はどうなってもいい。代わりに、グレイラディ様だけは、無事に逃がしてやってほしい」


 それは、無様な土下座のように見えた。


「え――――!?」

「勝手な言い分だという事は分かっている。だが、その憤りは俺にぶつけてくれていい。煮るなり焼くなり好きにしてくれ。その代わり、グレイラディ様だけは傷つけないで欲しい」


 その声に、その場しのぎの必死さはない。

 あるのは、ただひたすら真摯に頼み込む純粋さだった。

 そして、同時に覚悟がある。

 壊される事も。

 殺される事も。

 死すら生易しい苦痛を味あわされる事すら覚悟したその声は。

 ただ、主の無事だけを求めていた。


「……見逃すと思うの? 君達はボクらが脅威になるかもしれないからという理由で殺そうとした。それなのに、いざ立場が逆転したら、ボク達の脅威になるかもしれない君の主を見逃せって言うのかい?」

「……そうだ。都合のいい話だという事は分かっているとも。だが、俺にはこうして頼む事しかできない」


 冷たい響きを含んだホープの声に、バシアスが答える。

 ……本当に、随分と勝手だと思う。

 彼の言葉は懇願であって謝罪ではない。


 俺達は別に、グレイラディ達を殺したい訳じゃない。

 けれど、このままじゃ互いに歩み寄る事なんてできはしない。

 彼らが自らの非を認め、攻撃をしないと保証できない以上、俺達は彼らを見逃す訳にはいかなくなるからだ。

 ……それに正直なところ、こっちばかり散々な目に遭わされて「ごめん」の一言もないのでは、釈然としない。


「じゃぁ、まず謝るのが先なんじゃないかな」


 ぶすっと、フェテレーシアが俺の意見を代弁するように言う。

 いや、きっと二人も同じ気持ちだったんだろう。

 ホープはともかく、フェテレーシアにしたって、自ら介入したこととはいえ、散々な目に遭わされたのだ。

 許すも許さないも、まずは相手に自分の非を認めてもらわなければ始まらない。

 だが、


「それは出来ない。人間によって大切な物が多く奪われた。失った者達、失われた者達の事を思えば、俺はそんなコト、絶対にしたくない」


 なんて、バシアスは妙にズレた答えを返してきた。


「――――はい?」

「ねぇ、ちょっと聞くけどさ。君、まさかボク達の事を人間代表か何かかと勘違いしてない?」


 予想もしていなかった答えに混乱している俺に代わり、ホープが恐る恐る尋ねる。


「? どういうことだ?」

「君がボク達に謝る事が、人間全体への謝罪になるって、勘違いしているんじゃないかってことだよ。別に、ボク達は魔族が人間を嫌ってる事をどうこう言うつもりはないんだ」


ホープの言葉に、今度はバシアスがぽかんとした表情を浮かべる番になった。

 

 そう、別に嫌いなら嫌いで仕方がない。

 心境としては複雑ではあるが、人間たちはそれだけの事を魔族達にやってきたのだろう。

 結果としてこの世界の人間が嫌われるのは自業自得と言える。


 けれど、そんなもの俺達は知った事ではないのだ。

 魔界に来て、この世界の事情も知らないままに理不尽な襲撃を受け、その後も何度も叩かう羽目になった。

 関係ない事で恨まれて、勝手に襲われて、謝罪も無しではやってられない。


「ただ、関係ないボク達を巻き込んでさんざ迷惑を掛けられたことに関しては謝ってほしい」

「だ、だがそれにだって事情が――――」

「……神々との決別エヌマエリシュ、でしょ」


 フェテレーシアが、なにやら珍しい言葉を口にする。

 エヌマエリシュ。

 確かそれは、古代メソポタミアで誕生した、創世の神話の名ではなかったか……?


「……なぜ貴様がその名を……?」

「貴方の領主さんに直接聞いたのよ。神々との決別エヌマエリシュっていう魔族狩りを行う集団がいて、その存在があまりにも謎に包まれているから、人間に対しては過剰な対応を取らざるを得なかったって」

「いや、それにしたって過激すぎるんじゃ……」


 まったくだ、とホープの言葉に頷く。

 過激な対応って言ったって、殺しにかかってくるのは流石にバイオレンスに過ぎるだろう……!

 けれど、憎しみの連鎖とか、復讐とか、そういう悪意に満ちたモノのせいで人間につらく当たっていたわけじゃない事は分かった。

 なるほど、彼らにも人間を警戒しなければならない理由があったのだ。


「けど、そう言う事情があったのか。うん」


 なるほどなるほど、とホープは髭の無い顎をさすっている。

 そうして少しした後、よし、と手を打って


「自由な降伏は呑めない。けど、自由ある協力なら、是非とも申し出たいと思う。君たちが人間に対して過激な対応をしなくて済むように。そして、その神々との決別とやらの被害を防げるように、ボクも協力させてもらおうじゃないか」


 なんて、とんでもない事を口にしだした。


「な、ななな……!? 何を考えてるんだよホープ!」

「そうだよ! ついさっきまで私達を殺そうとしてた相手なんだよ! なんであっさり協力なんて申し出てるのよ!」


 フェテレーシアと二人して全力で問い質す。

 けれど、ホープは特に気にした様子もない。


「ん? そりゃあ利害が一致するからだけど? 魔界における安全を確保したいボク達と、魔族を人間の手から守りたいグレイラディ。だったら、彼女達に保護してもらう代わりに、神々との決別の被害を食い止めばいいんだよ」


 ……まぁ、言われてみれば納得できない事も無い。

 要は、家を借りる代わりに働くということだ。


「だが、貴様たちは人間ではないか。隙を見て同じ人間の側に着くではないか?」


 疑惑の目を向けながら、グレイラディが話に入って来る。

 彼女は領主なのだし、それこそ口約束の無意味さを理解しているのだろう。

 裏切られた時、責任を取らなくてはならないのは彼女なのだから。


「そこは信頼してもらうしかないかな。何だったら見張りをつけてくれたってかまわない」

「わ、割とキツいけどな……」


 それくらいで安全が手に入るのなら我慢して受け入れるべきなのか……?


「まぁ、その辺りをどうするかはともかくとして、これは協力し合う事で解決できる問題だ。ボク達にだってやりたい事や、やるべき事はある。だから、自由を奪われるっていうのは困る。けれど、ちゃんと自由を保障してくれるのなら君達に協力するのは別に問題ないんだよ」

「要するに、配下ではなく協力者として遇すればよい、ということか?」

「その通り!」

「なるほどのぅ。では、具体的にどんな協力が出来るというのじゃ?」

「これでも魔術師としてはそれなりの腕利きとして通ってるんだ。魔術に関する知識は深いと自負しているよ。だから、相手がとってきそうな戦術とか、効果的な対策について助言できると思う。魔術戦にもある程度心得はあるから、場合によってはボクが戦いに出てもいい。それ以上は今のところ保証しかねるけど、そこら辺はまぁ、先に手を出した罰か何かだと思ってあきらめて欲しい」


 顎を親指と人差し指で挟みながら考え込むグレイラディ。

 

「それに、これは相互理解のためにも必要なことだと思う。君たちは人間だから信用できないって言ったけど、ボク達にはボク達の事情がる。だからさ、人間だからと毛嫌いすることなく、個人としてボク達に向き合ってほしい。フェテレーシアがそうしてくれたようにさ。そうすれば、きっと不理解からくる争いなんてしなくて済むだろう?」

「そう、じゃな……」


 ホープの言葉を飲み込むように、グレイラディは少しの間目を閉じて。


「……よかろう。貴様たちの協力、受けさせてもらう」


 余裕たっぷりの笑顔に戻り、ホープが差し伸べていた手を取った。


「グレイラディ様!? よろしいのですか!?」

「はいはい、今更グチグチ言わない!! グレイラディがOK出したんだから、アンタも部下としてちゃんと従いなさいよね。というか、私達まだ謝ってもらってないんだけど――――!!」


 バシアスの襟首をつかんで前後に揺さぶるフェテレーシア。

 それを見て、ホープとグレイラディがつられて笑いだす。

 ……ほんと、ついさっきまで殺し合っていた間柄とは思えない。

 奇妙な協力者たちの笑い声が、崩れた天井から、高らかに響いていく。

 そんじゃぁ俺も、あの口をふさがれて蒼くなっている分からず屋が、いずれ一言謝る日でも夢見ながら高笑いの環に加わるとしよう

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