第12話グレイ編 生き残ろう
「無理だよ……私の魔法はあいつには通じない……私じゃグレイラディには絶対に敵わないんだ……」
「なっ……!? そんなバカなことがあるか! フェテレーシア程の力があればアイツにだって!」
おかしい事を言うフェテレーシア。
敵わないなんて、そんなはずはない。
グレイラディの炎は強力だが、それでもホープがギリギリのところで拮抗できる程度のものだ。
ホープの出力を軽く超えていたバシアスの魔術とあれだけ撃ち合えていたフェテレーシアが対抗できないわけがない……!
「うぅん、力がどうとか、そう言う話じゃないの。どれほど出力を持ちだそうと、私の力はアイツの炎に上から塗りつぶされる。アイツは、その力を魔権って呼んでた……」
力を貸せない自分を恥じるように、目を伏せて少女は言う。
魔権。
そんなもの、ホープからも聞いたことは無い。
魔術なんてのは、言ってしまえばこの世を支配する理を塗り替える
その、一時だけの法則に、物質や現象を巻き込むことで自らの望む結果を作り出すのだ。
ホープが言うには、“異なる法則によって世界を使役する“、ということらしい。
しかし、逆に言ってしまえば魔術に出来る事は法則を弄ることだけだ。
組み上げた術式によって使役されるのはあくまでも“現実にあるもの”でしかない。
故に、魔術に魔術をぶつけて相殺することはあっても、魔術を自分の魔術で塗りつぶすなんてことは出来ない筈なのに――。
けれど、目の前で落ち込んでいる少女が嘘を言っているようには思えない。
それに、彼女に言われて思い出した。
バシアスに追いつかれ、どうにか応戦したあの時。
最後にフェテレーシアが放った風を、あの少女の小さな炎が払った様に見えたのではなかったか――。
「でも、ホープの魔術は通じているぞ?」
確かに押され気味ではあるが、それはあくまでも威力でやや劣っているからに過ぎない。
フェテレーシアが言うような、塗りつぶされているような感じとは違うと思う。
「うん、だから驚いてるの。もしかして、ホープも凄い魔権を持ってたのかな……」
「いや、それならバシアスの炎にも負ける筈がないんだけど……」
仮にフェテレーシアの話が本当だとして。
バシアスとフェテレーシアは魔術で撃ち合っていた以上、二人の魔権はほぼ同等ということになる。
だが、そのバシアスの炎に敗れていたホープの魔術が、グレイラディの魔術に拮抗できているとなると、道理が合わないのだ。
戦うホープとグレイラディを見る。
悔しいが、あの戦いの中で俺達に出来ることは無い。
俺には攻め手が足りず、フェテレーシアの魔術は封殺される。
ならば、せめてこの状況を打破できる方法を考えるしか――。
「えぇい! 人の館で容赦なく暴れまわる!」
「君は人に容赦がないじゃないか!」
容赦なく熱波をまき散らすグレイラディと、それをどうにか打ち払うホープ。
ホープはグレイラディの炎に対し、横から風を当てる事で攻撃の軌道を逸らしている。
一閃する暴風の刃が、炎の蛇の首を刎ねる。
その勢いのまま弾頭の刃は部屋の壁を抉り、断たれた炎は床に吸い込まれるように溶けていく。
次いで放たれたのは巨大な火球だった。
それを、防御はおろか回避すら許さぬわといったように叩きつける。
その炎に対して、一切の容赦のなく繰り出される
ぐしゃり、と卵が潰れるように炎は床へと叩き落され、勢いのまま落とされた風槌は容赦なく床を木っ端とまき散らす。
「……魔法での戦いはなかなか経験できぬからとつい興じてしまったが、これほど無残に部屋を壊されてはたまらんな」
不愉快気に、少女はそんなことを口にした。
どの口でそれを言うのか。
ホープを上回る出力で、滝のように炎の雨を降らせておきながら、グレイラディは顔を顰めている。
あれほどの破壊、あれほどの熱量を飽きるほど繰り出しておきながら、今更部屋が壊れるもくそもあるものか……!
「――――いや、おかしい……」
そうして、事ここに至って、ようやくこの戦いにおける違和感に気が付いた。
確かにこの部屋は見るも無残に荒らされ、元の豪奢さは見る影もない。
けれど、それにしたって破壊の痕が少なすぎるのだ。
目の前で繰り広げられている戦いは、それこそ爆撃にも等しい。
そんな威力を持ち出した戦闘に晒されておきながら、倒壊はおろか床が抜けてすらいないというのは一体どういうことなのか……。
グレイラディが腕を一閃し、炎の刃が飛ぶ。
これまでの苛烈な攻撃に対し、あまりにも
炎の刃はそのまま疾駆し、壁に着弾した瞬間。
水が土に染みるように、“吸い込まれるように消えていく”。
「――――――」
見た。
異常な現象を見た。
それが何を意味しているのかも、この戦いにおいて何の役に立つのかも分からないが、違和感に答えを出す物を見てしまった。
グレイラディの攻撃はホープ以上の威力を持っていながら、壁や床には傷1つつけることなく消滅している……!
炎を吸った壁には焦げすら残っておらず、橙の文様が基盤のように浮き出ており、血管のように脈打っている。
つまり、あれはそういう事なのか。
地下で、それによく似たものを見た。
ホープの魔術によって容易く傷つけられたものは、グレイラディの炎すら吸い尽くしている。
そして、何よりもおかしいと思っていたもの。
その性質が似すぎていたからか、同じものを違う呼び方で呼んでいたのだと思っていたが、それが別のものだったとしたら――?
「いい加減終わらせるとするか。さて、これで仕舞じゃ!」
グレイラディが決着を宣言する。
繰り出すは先ほど以上に巨大な火球。
真正面からの防御は出来ない。
最早バシアスの炎にすら迫ろうという威力を、ホープが受けて防ぐことが出来るはずがない。
故に、ホープは力を込めた足に強化を上乗せする。
一息に地を蹴り、飛びかかるグレイラディから逃れようとして
「くくく、終わりといったろうに」
火球が消える。
その存在が嘘であったかのようにその巨大な力が掻き消えた後、
「がっ―――――は――――!?」
ホープが爆風に巻き込まれていた。
「―――――――!?」
ずだん、とホープが地に落ちる。
巨大な火球はホープの回避を誘うためのフェイクで、回避を見てからその進路の先に爆発を起こしたらしい。
ホープもどうにか直前で後ろに跳んで直撃を避けたようだが、体を撃った衝撃と熱は相当のダメージになったはずだ。
「ふはは、これで本当に詰みじゃな。部屋を荒らされたのは業腹だが、楽しかったのは事実である」
激痛にホープが呻いている。
あれは、まずい。
至近距離でグレイラディの“魔法”を喰らってもまだ意識はあるようだが、それでも炎によるダメージと落下の衝撃でしばらくは動けまい。
「だが、生かしてはおかぬ。力で勝る我を相手にここまで持った貴様は有能だ。それは、敵に回った時の脅威と同義である」
ホープに近づいていくグレイラディ。
考えをまとめている時間はない。
信じろ、その直感は当たっている。
証拠も理論も検証も何もかも足りていないが、そんなものが無くたって、今動かなければホープが殺される……!!
「フェテレーシア!! 頼む、魔法を! お前の力を貸してくれ!!」
「話聞いてなかったの!? 私じゃ、アイツには――――」
「大丈夫だ! 策はある! だから、今は俺を信じてくれ!!」
根拠のない考えなど策とは呼べない。
けれど、そんなつまらない事、今更気にしてなんていられるか……!
「フェテレーシア!!」
「えぇい!! もうどうにでもなれ――――!!」
やけくそ気味に叫ぶフェテレーシアによって風が編まれる。
竜の咆哮の如き轟音を上げる空気の渦は、刃となり鈍器となってグレイラディに殺到する。
「は、無駄だと心得たのではなかったか? 小娘!!」
炎の蛇群が列をなす。
ホープとの戦闘の高揚か、これまでのものよりも太く熱く、揺らめく姿は竜尾の如く。
それが一斉に、竜巻に向かって突っ込んでくる。
フェテレーシアの言葉が正しければ、風は解けるように打ち破られるだろう。
魔権。
それはフェテレーシアの魔法すら問答無用で塗りつぶすのだという。
烈風を
その理不尽を飛び越えるために、少女の
「が――――ッ!?」
そうして、道理が無理をねじ伏せる。
暴風はグレイラディを引き裂き、壁に傷を刻みながら、少女を壁へと叩きつけた。
「な――っ……貴様、我の魔法を貫くなど……なぜ、我の魔権が……!?」
傷だらけで床に倒れ伏しながら、それでも少女は痛みではなく驚愕で顔を歪めていた。
彼女にとって、それは完全な不意打ちだったのだろう。
絶対に負けるはずがないと思っていた己の魔法。
魔権なんて言う力に守られて、フェテレーシアの風すらねじ伏せると思っていた少女には、回避するどころか身構える事すら頭に浮かばなかったに違いない。
「嘘……本当に、通じた――――?」
驚愕は、フェテレーシアにとっても同じだったらしい。
魔権によって己の魔法は何一つ通じることが無いと痛感していた少女には、目の前の結果があり得ない事のように思えている。
「……きっかけは、呼び方だった」
不思議そうな顔をしているフェテレーシアを置いて、ホープの元へと歩いていく。
恐らく死にはしないだろうが、手当は早いに越したことは無い。
「俺達が魔術と呼ぶ力、魔族が魔法と呼ぶ力。それらは同じ物だと思っていた。単に、同じものを違う名前で呼んでいるだけだと」
元いた世界にだって、同じ物でも呼び名が違うものは多い。
まして世界が違うのだ。
呼び名が違った所で不思議ではない。
「けど、魔術にはないものが魔法には多かった。出力は魔術とはケタ外れだったり、魔権なんていう理不尽な力だったりな」
魔術を扱う代償は、体を蝕む痛みによって払わされる。
だが、凄まじい威力の魔法を放つ魔族に、痛痒なんて微塵も感じられなかった。
それに、魔権というルールはホープから聞いたこともないし、魔法を発動する理屈からしても、そんなものがあるとは考えにくい。
「魔権なんてものが魔術にあるのなら、バシアスの炎に対抗できないホープが、お前の魔法と撃ち合えるわけないだろう? バシアスに負けるってことは、要するに魔権がバシアスと同等か、それより低いってことになる。けど、だとしたらホープがお前の魔法に対抗できる訳がないんだ」
フェテレーシアは、自分の力が塗りつぶされると言っていた。
そんな絶対性があれば、ホープだってバシアスに負けることなどなかった筈である。
「極めつけは、お前の炎が壁に吸収されるのを見た事だよ、グレイラディ。ホープの魔術では傷ついていた床や壁が、お前の炎では傷1つつかなかった。この部屋を走る文様みたいなもの、実は見覚えがあってさ」
「……地下牢か……」
グレイラディが弱々しくこちらを睨む。
そうだ。
あの地下牢で、瓜二つのものを見た。
魔族を捕らえておくための檻、俺達の逃走を阻むことが出来なかった石の牢。
あの表面に刻まれていた模様に、この部屋の血管は本当によく似ていた。
「あれも、魔権によるものなんだろ? 魔法で壁や床を壊せない様に、魔権の力で守っていたんだ」
グレイラディの魔権は、フェテレーシアの風すらねじ伏せる。
そんな問答無用の力に閉じ込められて、抗える魔族など存在しないのだろう。
けれど、それで俺達の脱走は防げなかった。
ならばそれにも理由があるはずだ。
魔術にあって魔法にないもの。
あの牢で、“本来あるべきであったもの”が無かったのをホープは口にしていた筈だ。
霊器。
魔力の流れを導く路にして、外界の法則から魔術という
“――霊器なしに世界からの修正を跳ね除けるなんて……まったく、どうやったらこんなトンデモナイ事が出来るんだろう”
なんてことは無い。
仕組みは分からないが、魔族が振るう魔法と言うのが、そういうシステムで動くものだったに過ぎないのだ。
そして、あの石の牢にホープの魔術が通じたという事は。
すなわち、霊器で保護してしまえば、フェテレーシアの
「が――――フ――――!」
グレイラディが血を吐く。
あの風を無防備に喰らったのだ。
これまでどんな炎すらも吸収してきた壁が、ズタズタに引き裂かれている。
それほどの惨状を見て、彼女のダメージが相当に大きいものであることは読み取れる。
「……るな……ざ……るな……ふ……けるなふざけるなふざけるなァ――!!」
ギン、と瞳に灯る金色の炎。
満身創痍の体のどこにそんな気力が残っているのか、少女は不屈と立ち上がる。
「倒れるのは貴様らであらねばならぬ――、傷つくのは貴様らでなければならぬ――、死ぬのは貴様らでなければならぬ――、でなければ、でなければ――我が民が不安に捕らわれる! 魔界を踏み荒らし、魔族を殺して回る人間ども! 貴様らの脅威が、我が民の笑顔を歪ませるなど断じて許さぬ!!」
「その通りです。グレイラディ様」
扉の方から、嫌な声が聞こえる。
そこに、ホープが戦えないこのタイミングで、来てはならない援軍がいた。
「バシ、アス――――」
「貴様、部屋で待機していろと言ったではないか……我が命には従順じゃったと把握していたが?」
「は。私は明日の警護の確認に来たまでです。主の命に背いたつもりはございません」
「くは、そう言う事にしておこう。ではバシアスよ。見ての通り賊である」
力無く笑うグレイラディの声に、銀の猟犬が俺達を睨みつける。
その瞳は殺意に満ちており、
――我が主を傷つけた罪を償うがいい、と告げていた。
「そうさな。バシアスよ、“我に従え”」
「承知しました。私の力、存分にお使いください」
グレイラディの手に炎が灯る。
キンという高い音。
恐らくは初手にはなった閃光だろう。
けれど、それは以前のものとは比べ物にならない輝きを放っている。
「なんだよ……! 魔権って、あんなことも出来るのか――!」
あれは防げない。
バシアスの炎の力が、グレイラディの魔権を伴って放たれようとしている。
おそらくは主の力のサポートもあるのだろう。
以前のバシアスよりも遥かに強い力が、その解放を今か今かと待っている。
フェテレーシアの風を以てしても、あの光は超えられない。
風を覆う霊器を形成したとしても、あの火力に押し切られるほかない。
あの炎を解き終わる前に、体が熱に耐えられなくなるか、あるいは魔力が体内を駆け巡る激痛でショック死する方が先か――。
どちらにせよ、俺達二人での敗北は必要であり、
「えっと、霊器で包んであげればいいんだっけ?」
背後から、希望の男の声がする。
俺達の肩を借りるように、俺達と肩を組むように、ホープは俺達の肩を抱き寄せて
「三人で、生き残ろう。こんなところで、死んでたまるか――」
地獄の炎を前に、無責任な笑顔を浮かべていた。
「死ね――」
炎は告げる。
最早、利用するという気すらない。
ここにいるのは自分達を打倒しうる脅威であり、故に一切の手心など加えるつもりはないと。
「生きるぞ――」
風は謳う。
自分達の夢はこんなところで立ち止まれない。
理不尽な力に屈し自由を失う理由も、訳知らぬ事情に巻き込まれ死ぬ必要もないと、その暴力に抗わんと吼え猛る。
そうして、それらは同時に放たれた。
だが、熱線は風を押しのけ、食いつくしていく。
わかっていたことだ。
ホープに霊器という殻を貰った所で、フェテレーシアの魔法では、あの二人分の力には敵わない。
「ぐ――うぅ、うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
フェテレーシアが絶叫する。
自らでは抗えぬ、絶対的な暴力を前に、それでも最後までと、力の限りを尽くしている。
だから、それを助けるのが俺の仕事だ。
こんなところで死ねない。
こんなところで終われない。
こんなところで、師匠の夢も、少女の健闘も、けっして潰させてなるものか――。
「
願いは高らかに。
強化の力を受け入れて、今再びフェテレーシアの魔法は蘇る。
否、これまで以上に強い竜巻となり、対立する閃光を押し返し。
「くっ――――!!」
バシアスが、主を抱えて飛びのく。
直後、屋敷の壁を砕きながら、竜が天へと昇るように、空高く巻き上がった。
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