第10話グレイ編 脱走


◇◇Side ルイ


 俺の目覚めを見つめながら、ホープは穏やかな笑みを浮かべていた。


「……随分呑気だな、ホープ。状況分かってるのか?」

「勿論。先に目覚めた分、しっかり現状は整理しているとも。ボク達は大見栄張ったうえでボロ負けして、気絶させられて……目が覚めたらこんな場所に捕らわれてたってところだね……」

「……いや、見栄を切ったのはホープだけだけどな」

「そ、そういえばそうだった……くぅ……なんか、思い返すたびに情け無くなってくるなぁ……」


 徐々に声がトーンダウンしてくる師匠。

 終いには、落ち込んで地面に「の」の字なんて書き始めている。


「あぁ、待て待て落ち込むな! 今のは俺が悪かった! 悪かったけど、今はそんなことしてる場合じゃないだろ? それよりも、早くここから逃げ出す方法を考えようぜ!」


 あたふたしながら、落ち込む師匠に語り掛ける。

 いや、確かに今の返しはいささか意地が悪かったし、そもそもホープに対してはナチュラルに悪戯な物言いになる自覚はあるが、考えてみればここで落ち込んでる時間は一時たりともないのだ。


 魔族は人間を嫌っているという。

 そんな魔族が俺達を捕らえているのだ。

 この後、どんな酷い目に遭わされるか分かったモノじゃない。

 

 それに、ここにはフェテレーシアの姿がない。

 こことは別の場所に入れられているのか、あるいは一人だけ逃げ延びたのか。

 もし前者であれば、人間おれたちくみした彼女の身が危ないし、後者であれば、今後俺達が魔族とのコミュニケーションを図る事が困難になる。

 ただ、どちらであれ彼女は恩人だ。

 そんな人の安全は確認しておきたいし、できれば無事でいて欲しい。


「ん? 脱出する方法? それなら、もう――――」


 焦る俺の言葉に、ホープが顔を上げて立ち上がる。

 で、何を思ったか。

 檻の外枠と、石壁のつなぎ目を撫でなると。


Fake偽装 off解除


 その石がボロボロと崩れ去り、支えを無くした檻は、牢獄の内側に倒れ込んでくる。

 それをパシ、と握りながら。


「正々堂々と、正面から出て行こうじゃないか」


 これ以上ない――――群衆の前で最高の手品を披露したマジシャンのようなドヤ顔でホープは微笑んでいた。


「……ここ、牢屋だよな?」

「見た目的にも機能的にも、大分古典的だけどね」

「それが、こんな簡単に抜け出せていいのか……?」

「抜け出せるものなら抜け出していいんじゃない? 調べてみたけど、魔術的な脱走対策は為されてないようだしね」


 よっと、と音が鳴らないよう注意しながら、檻を石畳の上に置くホープ。

 …………あの、本当にこれっぽっちで大丈夫なのでしょうか?

 監獄と言うのは、外にいられては困る存在を内側に閉じ込めておくためにあるものだ。

 だというのに、これほどあっさり抜け出せることが、正直怪しすぎて仕方がない。


「大体、この監獄ちょっとおかしいんだよ。石壁全体に魔術が使用されている形跡があるのに、それらは霊器で覆われていない。こんなんじゃ、普通は魔術としての効果を発揮しない筈なんだ。世界による修正力によって、魔術がすぐに霧散しちゃうからね」


 ホープが顔をしかめながら、そんな異常な事を言った。

 

 魔術とは、言ってしまえば“自分が作った法則を世界に映しだす”技術の事だ。

 魔術によって発生する水の球とか、土の砲台なんてのは、つまるところそういう現象が起こるよう、物理法則を歪めて出来た結果に過ぎない。


 けれど、そうやすやすと世界に満ちる法則を上書きすることはできない。

 通常の物理法則ではない、局地的な異常法則。

 そうした異分子が世界に存在するというのは秩序の乱れに他ならない。

 世界はそうした、魔術によって乱れた法則を“元の物理法則で上書き”し直すことによって、本来の秩序を取り戻すのだ。


 バケツの中の水を掻きまわして渦を作る様子を想像すれば分かりやすいだろう。

 バケツの中のような狭い空間では渦はある程度持続するが、広い水場――――例えば海で、同じ力で渦を作ろうとしても、それが出来ない様に。

 世界と言う広大な空間に晒された異常な法則まじゅつは、事象を形成できないまま掻き消えてしまう。


 故に、渦を作るためにはバケツ……つまり、世界からその異常を切り離す器が必要になる。

 それが、霊器。

 魔力の流れを導く路にして、魔術という異常ほうそくを守る外殻である。


「だから、本来この石壁も魔術として成立しない筈なんだよ」

「ん? 本来ってことは、今この壁は魔術として成立してるのか?」

「うん。変化は凄く微弱だから、どんな魔術なのかは分からないけどね。霊器なしに世界からの修正を跳ね除けるなんて……まったく、どうやったらこんなトンデモナイ事が出来るんだろう」


 顔をしかめてホープが言う。

 ……正直、俺はまだ未熟だから、ホープほど事の重大さは分からない。

 けれど、確かにこれはどうにも納得がいかない。

 

 この牢獄は、俺達を閉じ込めるためにわざわざ作ったわけでもあるまい。

 初めからあった牢獄に俺達を放り込んだだけだ。

 つまり、本来はここは魔族を閉じ込めるために存在する石牢ということになる。

 だが、あんなにもあっさり脱出できるような牢で、魔族――――たとえば、バシアスやフェテレーシアを閉じ込められるとは思えない。


「っと、色々と興味深いけれど、今は他にやることがある。ここを抜け出して、フェテレーシアさんを助け出す!」

「っ……! そうだな、急がないと……!」


 走り出すホープに従い、石牢を後にする。

 だが。

 魔族を捕らえる暗い檻。

 霊器なしの魔術を纏う石の牢。

 そして、それを簡単に突破できてしまった事実。

 一刻も早くと走りながら、それでもこの違和感を拭う事は出来なかった。



◇◇



「よし、大丈夫だ」


 階段を昇ると、赤い廊下に出た。

 大理石のような、輝かんばかりに白く磨かれた廊下には、一面赤い絨毯が敷かれている。

 壁はこれまた白く、所々金の縁取りをされている。

 豪奢ではあるが、いやらしさではなく気品を感じる眩しさだった。


Call音を wind我が下に


 ホープの魔術によって、一階の空気が動く。

 廊下を巡る微弱な風。

 それはホープへと集まり、同階の音を彼へと伝えている。


「……ここにはフェテレーシアさんはいないみたいだね。さぁ、急ごう」


 再び捜索を開始する。

 牢獄にフェテレーシアは居なかった。

 捕らわれた囚人の中には緑髪の女の子の姿はなく、そんな少女を知っている奴もいなかった。


 足を急がせる。

 これまでの階にフェテレーシアがいなかった以上、彼女は脱出したか、あるいはもっと上に捕らわれているかだろう。

 どちらにせよ、事は急いで終わらせてしまうべきだ。

 敵地に長く留まるのは危険なのだし、早く彼女の存在を確認し、こんなところは急いで出ていかなければ。


 ……そう、急がなければ。

 バシアスに脱走を気付かれたら今度こそ無事では済まない。

 何の間違いか、今回は捕らわれるだけで済んだが、今度は殺されてもおかしくないのだ。


 ……魔族。

 人間を憎む者。

 人間以上の魔術を扱う者。

 フェテレーシアもバシアスも、ホープの魔術行使を遥かに上回っていた。

 魔術を使う際に走る痛みも見せることなく、あんな爆弾みたいな威力の魔術を次々に放っていた。

 あんなものに見つかって、三度目も命を拾えるとは思えない――――。


「なぁ、ホープ……魔族って何なんだろうな」


 風の索敵によって、器用に警備を掻い潜る師匠の背中に、ふとそんなことを問いかける。


「ん? どうしたんだい、ルイ?」


 肩越しにホープがこっちを見やる。

 

「あいつらの力について考えてたんだ……あんな凄まじい力を使う魔族って、何者なんだろうって」

「……さぁね。ボクもこの世界に来てから混乱しっぱなしなんだ。そんなこと、分からないさ」

「勝てると思うか?」

「さぁ。運が良ければ勝てるかもしれない」


 特に気にした様子もなく、彼はそんなことを言う。

 一度目は訳が分からないまま襲われて、ボロ負けした。

 二度目はフェテレーシアと言う助力を得てなお負けた。

 不安が最悪の結果をよぎらせる。

 脱走しているところを見つかって、今度こそ俺達が焼き殺されるかもしれないと身を震わせる。


「なぁ、ホープ。いざって時は……本当に無理だって思った時は、俺を見捨てて逃げてくれるか?」


 そうして、思わず心にもない願いを口にした。

 

 ……別に、俺だって見捨てられたい訳じゃない。

 命は大切な物だってわかってるし、これからもホープと笑い合って生きていきたい。

 いつか立派な魔術師として、彼の隣で助けられた恩を返したいと、ずっと夢見て生きてきたんだ。

 

 けれど、それでも。

 二人とも殺されてしまうくらいなら、せめて俺が犠牲になって、彼が生き残るための時間を稼がなければならない。


「――――何をいまさら。当然だろう。ボクは、神様に会わなくちゃならないんだから」


 そして師匠は、俺の願いを、背を向ける事で受け入れた。


 ――――そう、それが俺とホープの本当の距離感だ。

 父親であり師匠であった男は、自らの夢に全てを賭けており、

 俺はその夢を支える事で、どうにか己を保っているだけ。


 師匠の言葉とその距離に安堵と寂しさを感じながら、それでもすぐに顔を引き締めて、先を走る背中に追いすがる。


 ――――その後ろ姿に、赤く染まった白衣がダブって見えた。



◇◇



「……いた! あそこだ!」


 そうして3階への階段を昇ったところで、ホープがついに目標の存在を察知した。

 彼の視線の先には、一際大きな赤の扉がある。


「何か話しているようだ。フェテレーシアさんと……あの子供の声がする」


 あの子供と聞いて、浮かぶ顔は一つしかない。

 グレイラディ。

 バシアスの主にして、俺達の捕獲を命じた銀髪の少女。

 なんでそんな奴がフェテレーシアと一緒にいるのか……。

 悪い予感がよぎる。

 まさか、魔族でありながら俺達に味方したことで、辛い拷問に遭ってるのでは――――!?


「はは、悪い冗談だな。彼女、少なくともボク達のうちどちらかを殺すつもりらしい。人間への見せしめなんだってさ。もう片方の扱いは保留。ってことは、解放してもらえるなんてのも考えられないだろうね」


 ホープは頬をひくひくとさせている。

 ……これで、やる事は決まった。

 グレイラディがフェテレーシアと一緒にいる以上、交戦は避けられない。

 話し合いでも解決しない。

 相手には俺達を穏便に扱う選択肢はない様だ。

 ならば、あの部屋からフェテレーシアを救い出し、即座に逃げだすのみ。

 

 見た目は俺より若そうではあるが、彼女はあのバシアスの主だという。

 そんな奴が振るう魔術なんて想像もできないけど、いざって時は一人立ち向かってでも、ホープたちが逃げる時間は稼いで見せる。

 幸い、ホープは迷いなく逃げ出してくれると言ってくれた。

 ならば、一番大切な物だけは、きっと無事に助かってくれるだろう。


「行くよ――――」


 ホープの声に合わせて、廊下を走り抜けていく。

 扉を空ける時間さえもどかしい。

 辿りつくなり、扉を蹴破り、中へと飛び込む。


 そこには、両手に炎を構えて、余裕の表情を浮かべて待ち構えていたグレイラディと。

 後ろ手に縄で縛られ、転がされている緑髪の少女の姿がある。


「フェテレーシア!! 無事か!?」


 重なる自分とホープの声。

 それが、開戦の合図となった。


◇◇Side バシアス


 捕らえられていたネズミが動き出した。

 今朝捕縛した二人組は、どうやら既に脱出を始めたらしい。


 静かな夜に走り回る足音。

 それが二つともなれば、事態がどういうことになっているのかは自然と予想がつく。

 

 こんなの、すぐにでも捕らえられる。

 グレイラディ様さえ一言命じてくれさえすれば、この忌々しい人間を無力化できる。


「―――――――」


 その考えを、拳を握りしめて焼き殺す。

 出来ない。

 俺の力が足りないという訳ではない。

 他ならぬ主が、フェテレーシアと言う女と交渉するため、俺に自室待機を命じたからだ。


 主は最低限の警備だけを命じ、他の者は自室で待機しているよう伝えた。

 警備個所からして、主はあの二人の男を自室に誘い込んでいるのだろう。


 グレイラディ様には高い魔権がある。

 俺では及びもしない、魔権を持つあの方が、こと魔法戦で敗北する理由はない。

 そうして侵入してきた人間を返り討ちにすることで、交渉を有利に進める算段なのだろう。


 そう、主は魔法戦で負けることは無い。

 父君から受け継いだ貴い魔権によって、彼女の身は守られている。

 領主クラスでも頭一つ抜けた魔法の優先権によって、あらゆる魔法が彼女の前にひれ伏すのだ。


 ……だというのに、なんで、こんなにも言いようのない不安が胸の内に渦巻いているのだろう。


 窓から空を見やる。

 すっかり陽が落ちて、昏くなった夜の空。

 そこには、双子のように寄り添って輝く2星と、その近くに不吉に輝く赤い星が見えた。


「――――――」


 思わず立ち上がり、主の部屋へと足を向ける。

 これはただ、明日の仕事の確認をしに行くだけだ。

 命令違反ではない。

 そんな、自分でも笑ってしまうような言い訳こざいくを用意しながら、急かされるように赤い廊下を駆けだした。

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