第9話グレイ編 交渉


「で、その私より強い領主サマが何の用かな? まさか、そんな自慢のために私1人だけここに寝かせていたわけでもないでしょう?」


 眼前の少女を睨んで、すげなく言い放つ。


「おや、理解が早いではないか。そうとも、勿論、そんなことを誇りに来たわけではない。今の話は、本題のための枕のような物でな。そら、話をしようにも一々反抗されるのも面倒だろう?」


 彼女の持つ、魔権と言う力。

 いや、グレイラディの言い方だと魔権は魔族が皆持つ力であるようだ。

 ただ、彼女のそれが私より遥かに高いと言うだけ。

 

 “――――魔権が高い者の魔法は、低い者の魔法を打ち消し、その力を己の力に上書きするのだと”


 その言葉が正しいなら、私の魔法は、グレイラディには通じない。

 彼女が炎を纏えば、私の風はことごとく打ち消されるのだろう。

 であれば、私にどんな抵抗も出来はしない。


 けれど、こんなことをされておいて、素直に話を聞けるほど私は大人じゃない……!


「む、つれない反応だな。そう睨むな。まるで、話を聞く前から拒絶されているようではないか」

「……そう見えるのは、心当たりがあるからじゃないの?」


 正直に言って、私が彼女に抱く印象は最悪だ。

 部下を使い、何も知らないルイとホープを襲わせた。

 そんな奴が持ち掛けてくる話がロクな物であるとは、到底思えない。


「ふん、やむを得んのだよ。業腹だが、我らとて命がかかれば手段など選べぬということだ」


 ……不愉快気に、少女は良く分からない事を言う。

 

「?」

「ふむ、やはり訳が分からぬという顔をしているな。では、神々との決別エヌマエリシュという言葉は聞いたことがあるか?」


 …………そんな言葉、聞いたことが無い。

 トレジャーハンターとして遺跡に籠ってる時間が長かったというのもある。

 でも、それにしたって彼女が言ってる言葉に聞き覚えなどない。


「ないようだな。だが、魔族狩りと言えば流石に通じよう。魔族を殺して回る連中の噂くらい、聞いたことがあるだろう?」

「まぁ、それならわかるけど……」


 唐突な話題に首をかしげる。

 いったいなぜ、こんな場面でそんな物騒な話題が挙がるのか分からない。


 確かに、私もそれくらいは聞いたことがある。

 魔族殺しと、それを行う連中の噂。

 5年ほど前から頻発するようになった、正体不明の集団の凶行。

 目的も規模も謎の組織ではあるが、やってることがやってることだけに、その存在はかなり知れ渡ってると聞く。

 けど、そんな奴らの話題が、今浮上するのだろう。


「そうか。流石にそこから話すのは面倒だと思っていたのじゃが、それならばよい。早い話、そ奴らの組織の名を神々との決別エヌマエリシュというのだそうだ」

「で、そのエヌなんとかがどうしたのよ。ルイ達を襲って、今私が縛られてることにどう繋がるって言うの?」


 彼女たちの命が掛かってるとか、無知な二人が死にかければならない事情とか、こうして私が寝かされている事とかと、その魔族狩りエヌマエリシュがどう関係するのか分からない。


「うむ。領主として我も民を守る義務があるのでな。奴らの情報が入って来るよう色々と手を打っているのじゃ。そのなかに、奴らは組織の拡大のために、人間への勧誘をかけているという話があってな」

「……要するに、二人に敵に回られるのが嫌だったってこと?」

「わざわざ敵の戦力強化の可能性を静観することもあるまい? 放置すれば奴らと接触し、こちらの敵になる可能性もある。バシアスが二人を見つけたのは偶然じゃったがな。芽は早いうちに摘むのが最も楽と言うだろう?」


 ……つまり、二人が殺されかけたのは神々との決別エヌマエリシュに取り込まれるのを嫌ったからなのか。


「けど、そんなの説明すれば……何も殺そうとすることないじゃない! 保護してあげれば、彼らだって敵対しなかった!」

「多くの魔族が人間を恨んでいるのにか? 魔族からの敵意を感じた奴らが寝返るとも限らん。何もしていないからと言って、今後何もしないとも限らぬのじゃ。敵対しないなんて保証はないのじゃよ。それに、奴らは人間で我らは魔族。異種族と同族、どちらを信じるかは考えるまでも無かろうよ」


 それは、そうかもしれないけど……。

 でも、だからって、何も悪い事なんてしてなかった2人を問答無用で殺そうとするのは、どう考えたって間違えてる。


「と、別に人間を襲った理由を弁明したい訳じゃないのじゃ。本題は交渉じゃからな」

「交渉……?」

「そうじゃ。単刀直入に言おう。貴様、我の下に付かぬか?」


 ……意味が分からない。

 言葉の意味ではなく、なぜそんなことを私に言ってきたのか。


「む? なぜ訳が分からぬという顔をしておるのだ? 至極当然だろう? 我も同族を頼り、戦力を確保したいという事の何がおかしいのだ?」


 そういうことか。

 つまり、


神々との決別エヌマエリシュへの対抗策として、私を迎えたいってことなのかな?」

「そういう事じゃ。貴様の風の魔法、バシアスの炎すら正面から打ち破るその力は我々にとっても魅力的じゃからな」


 機嫌がいいのか、高い声で少女は言う。

 その声は、私に対する親愛に満ちていた。


「今のところ、エフレアに奴らによる被害はそう出ているわけではない。精々、我が父上を失った5年前の件くらいであろうな。だが、それもいつまでも続くとは限らん。半年前にはグエルが落とされたばかりだ。エフレアの近場でも被害が出始めた以上、一層の警戒を以て備えておくのが道理だろう?」


 グエルとは、エフレアの北東――街を二つほど挟んだ先にある農業都市だ。

 大規模な都市であったが、そのグエルは魔族狩りによって多くの魔族の命が奪われ、機能が麻痺したらしく、復興もなかなか進んでいないという。


「でも、貴女はその魔権があるじゃない。それで相手を鎮圧できるんじゃないの?」

「生憎、グエルの一件に関して資料を読んだが、神々との決別エヌマエリシュの連中に魔権が通じた様子はなかったらしいのじゃ。領主の監獄は魔法を一切通さず、故に脱走不可能と言う話を聞いたことが無いか? あれも岩壁に領主の高い魔権を通して作ってあるからなのだが、その監獄も容易く脱走されたそうなのじゃ」


 猫のような目を細めて、少女は言う。

 魔権が通じない……私の風すら打ち消す力さえ、奴らには通じないのだと。


「というか、そうでなくとも我の体は一つきりじゃ。それで街一つ守れと言う方が物理的に無理じゃろう? 魔権も通じない以上、優秀な配下は我としてもぜひ欲しいのじゃ」


 グレイラディの話で、神々との決別エヌマエリシュの脅威は良く分かった。

 彼女の力だけでは街を守り切れると断言できない事。

 そのために、私の力が加われば多くの魔族を救える事。

 正直、神々との決別エヌマエリシュがやってることは、私としても許せない事だと思う。

 けど、だからと言ってこの少女を信用する理由にはならない。


「我が人間に過剰な対応をするのは、ひとえに我が民を守るためだ。民の幸福な明日を支え、安全を保障するのが領主の務め。故に魔族狩りへの対策を怠る事は出来ない。あの2人を捕らえたのもそのためだ」


 穏やかに、自分に語り掛けるグレイラディ。

 けど、どんな理由があろうとも、事情を知ろうともせず襲い掛かる彼女たちのやり方は絶対に間違ってる。

 そして、やり方が間違っているってことは、きっとその根底が歪んでいるからではないのか――――。


「どうだか……! 貴女、人間に親を殺されたんだよね? 魔族狩り対策っていうのも、本当に民を守る為なのか怪しいわ。本当は、私怨を晴らすために私の力を使いたいし、ルイとホープを殺したかったんじゃないの……?」


 領主にしてはまだ若い少女に、そんな疑惑を突きつける。

 彼女には人間を恨む動機がある――――父が死んだ。

 彼女には人間を攻撃する大義名分がある――――魔族の民を守るため。

 そんな彼女が、本当に民を守る為だけに戦うと、どうして信じる事が出来るだろう。

 その反撃が敵を倒した後、罪なき人々に降り注がないと、どうして言い切る事が出来るだろう。


もしその予想が当たっていたとしたら、その先に待つのは行き過ぎた惨劇だ。

 彼女の怒りが仮に神々との決別エヌマエリシュを倒したとしよう。

その後で、彼女の怒りは、次に何を対象にするのだろう――――――。


「民を守るため? そう言いながら、訳も分からないままの人を殺すのが貴女のやり方なの? それとも、そんなことを言ってれば殺しても許されると思ってるの? だとしたら――――」


 そうして、そこまで言って、少女の瞳の金色に、鋭い光が宿るのを見た。


「舐めるなよ、小娘」


 膨れ上がる怒りに気圧される。

 続きの言葉が紡げない。

 魔法の行使もしていない少女に、うねる炎を幻視した。


「我とて為政者の矜持は持ち合わせている。人間が憎い? 憎いとも。それを否定はしないさ。我が父の仇だ。憎くないわけがなかろうが。じゃが、我とて民の生活を守る責を負う者。何を優先すべきか、何を失ってはならないかは分かっている。勘違いするなよ? 手段を選ばない自覚はあるが、それでも復讐を優先する道理も、私怨を滾らせる無駄も、我には不要なものと理解せよ」


 瞳には、復讐の昏いそれではなく、他者を導く覚悟の火が灯っている

 その顔を見て、思い知った。

 彼女は確かに理不尽にルイとホープを襲ったかもしれない。

 けれど、その根底にはただ一点の歪みも無く、民の安全だけを考えていたのだと。


「――――――心を乱したな。すまない。逸れた話で驚かせた。我も領主はかくあれと励んできたつもりだが、まだ未熟か……」


 だが、怒ったと思った少女は、直後に私に謝っていた。


「え――――?」


 なぜこの少女は私に謝っているのか。

 彼女の内心にあるものが私にはわからないけれど、それでも彼女の誇りを不用意な言葉で傷つけてしまった事くらいは分かる。

 謝罪をされる謂れはない。

 だというのに、なぜ――――?


「許せ。だが、我には貴様が言うような、憎しみに身をゆだねるような暇などないのだ。我がエフレアの民を守るために、脅威となりうる要素を可能な限り除いていく。我にあるのは、それだけじゃ……」


 先ほどまでの自分に言い聞かせるように、ぽつりと少女は言う。

 それを見て、自分がどれほど迂闊なことを言ったのかを思い知った。


 でも、それでも謝る事はしない。

 彼女の決意が、民を守るという高潔なものであろうと、ルイとホープを理不尽に傷つけた事は決して正しいなんて認められなかったから。


「……それでも、二人は悪くない――――。」


 だから、それだけを口にした。

 少女との間に、気まずい沈黙が流れる。


「…………」

「…………」


 少女の口が、もごもごし始めた。

 どうやら、何かを言いたい様子。

 あぁ、そう言えば交渉の途中だったっけ。

 ……まぁ、私もちょっと沈黙がキツかった所だし、話を切り出す位はしてあげよう。

 それに、私には確かめなくちゃいけない事もある。


「……1つ、聞かせて」

「何をだ?」

「ルイと、ホープは? どうなったの?」

「あぁ、貴様の仲間か。二人なら地下牢に入れてある。もうとっくに目覚めた頃だろうよ」


 あぁ、よかった。

 2人は捕まりこそしたけど、一応無事らしい。

 助けてあげるなんて言っておいて、半日すら守れなかったとなれば、流石に心が痛すぎる。


「二人はどうなるの?」

「まだ決めてはおらぬが、少なくとも片方は殺す。エフレアにも人間は住んでおるからな。そ奴らのアリバイはとれておるが、かといって今後神々との決別エヌマエリシュに協力戦とも限らん。故に、一人を見せしめとして利用させてもらう。それで、逆らう気力を削げるだろう。もう一方は、現状保留だな」

「そんな……! あんまりじゃない!」

「だが、貴様の返答次第では、それも変えてやらん事も無い」

「へ……?」


 意外なことに、向こうの方から譲歩してきたことに、つい驚いてしまう。


「言ったであろう? 我らにとって、貴様の力は魅力的なのだと。故に、貴様が我らの仲間になると言うならば、我は二人の自由を代償に、彼らの命は保証してやろう」

「自由を代償に?」

「そうじゃ。人間が敵の手に渡るのは、こちらにとって歓迎できない。よって、2人の身柄は我らが管理するという事じゃ」


 随分と酷い内容だとは思う。

 思うけど、確実にどっちかが死ぬという現状よりは、よほど良いように思えてしまう。

 それに、私自身魔族が訳も分からないまま殺されるという事に、思うものがないわけじゃない。

 彼女の方法を否定するというのなら、私自身何か対案を考えるべきではないか……あぁでも……。


「さて、そろそろ現実的な落としどころに近づいて来たのではないか? 勿論立場は優遇するとも。あの戦いで、貴様の力はそれほど優れていると理解したからな。貴様が味方になれば、我は優秀な協力者を得る事が出来、貴様は優れた雇い主を得る事が出来る。そして貴様の仲間も、一応命は助かるという訳だ。まさに三者三得、誰も損しない良い条件だとは思わないか?」

「……」

「……戯れじゃ。流石に分かっておるから、そのような目で見るでない」


 あぁ、よかった。

 本気で言ってるとしたら、色々とマズかったとおもう。


「――――――――!」


 瞬間、少女の表情が変わる。

 緩んだ表情から、一瞬で余裕と真剣さを含んだ表情を作り上げる。


「では、しばし考えておけ。まだ話の途中ではあるが、“噂をすればという人間の言葉は、意外と馬鹿に出来ないようだな!”」

「――――え?」


 自分の口から間抜けた声が出た瞬間、ドタドタと足音が聞こえてくる。

 そうして


「フェテレーシア!! 無事か!?」


 捕らわれたはずの二人、ルイとホープが扉を蹴飛ばして現れた。

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