第8話グレイ編 捕らわれて

 

◇◇


 夢を見ている。

 懐かしい、一面の白い雪景色の夢を。


 その時、俺は十歳になったばかりだった。

 大人せいじんまで、あと半分じゅうねん

 そんな、いつも以上に特別な誕生日のプレゼントに、何でも言う事を聞いてあげると言ったホープは


「なら、ホープが仕事をしているところが見てみたい」


 という、子供らしくない俺の要望に応えてくれたのだ。

 いや、実際の所、憧れの存在のカッコいい所を見たいと思うのは、実に子供っぽい事だと思うのだけども。


「うーん、じゃぁ、ルイが夏休みに入ったら、一緒に行ってみる? ちょうど手ごろな依頼も来てるし、依頼主と掛け合ってみる」


 流石に当時の俺は義務教育を受ける身で、基礎学力の充実を怠るのは宜しくない。

 幸い夏休みは目前で、楽しみに待っていたその日はすぐにやってきた。


 ただ、仕事を見せてくれると言っても、10歳の子供を魔術師のフィールドワークに連れ回すようなことは、ホープはしなかった。

 敵性の魔術師と交戦になるとか、よくないモノに憑かれるとか、そんな危険に遭遇する可能性があるからと、俺が着いていくことだけは断固としてホープは否定したのだ。


 だから、俺が見たホープの魔術師としての仕事は、調査結果を書類に纏めるとか、持ち帰ったものを解析、実験するような細々としたもので。

 それでも、真剣な師匠の顔つきとか、普段見られないカッコいい父親代わりの姿を見られたことが嬉しかった。

 

そんな日々もあっという間に過ぎ去り、二学期目前でホープの仕事も終わりを迎えたある日――――。


「さて、仕事の締め括りにどこか遊びに行かない? 流石に一ヶ月以上もボクの仕事に着き合わせてルイも退屈していたろう? せっかくの夏休みだったんだ。楽しい思い出も作っておかないと」


 そんなことない。

 ついていきたいと言い出したのは俺の方だし。

 二か月間、憧れた男の仕事を間近で見る事が出来たのだ。

 退屈だった時間など一瞬だってなかったと言える。

 なかったけれど、遊びに連れて行ってくれる分には文句はない。

 

「うん、じゃぁボクのセンスで良ければ楽しみにしていて欲しい」


 翌日、ホープに連れて来られたのは雪山だった。

 銀嶺のスキー場、美しい白い世界に息を呑む。

 そんな驚きも隠さない俺に、ホープは


「どう? 夏に雪っていうのも、お洒落な物だろう?」


 なんて言って、悪戯っぽく笑うのだった。


「あぁ、正直、びっくりした。ホープ、結構ロマンチストなんだな」


 で、俺の素直な賛辞に尚の事機嫌をよくしたホープは、俺以上の子供っぽさと体力でまだ10歳の子供を連れ回した。




 ……空が鈍色になる。

 先ほどのまでの、どこか気分を高揚させる寒さは、既に焦燥を募らせる冷たさへと変貌している。

 人のいない灰と白の世界を、俺は一人で歩いていた。


「ぐすっ、ホープ……ホープぅ……!!」


 泣きながら、名前を呼ぶ。

 あの後、いろんな不運が重なって、俺達ははぐれたのだ。

 

 心を不安が支配する。

 太陽の光は、雲の向こうに幽閉されている。

 これで吹雪なんて降りだしていたら、もう絶望で発狂していただろう。


「う、うぅ……」


 周囲を見渡しても、代わり映えのしない雪景色ばかりが広がっている。

 山で迷った時には山頂を目指せ、なんて言うやつもいるが、それにしたって時と場合があると思う。

 少なくとも、子供の体力で雪山を上るなど出来ないし、そこから降るなど絶望的にも程がある。


「う、うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん――――!!」


 白い世界で一人泣きじゃくる。 

 どうしてこうなってしまったのか。

 これ以上雪が酷くなる前に戻らくてはと焦って、運任せに歩き回ったのがいけなかったのか。

 ともかく、こうなってしまった以上子供の手には負えない。

 

 どさ、と膝をつく。

 涙を凍える風が氷へと変えていく。

 無様にびゃんびゃんと泣きながら、来るはずもない父を待ち続ける。


 けれど、そこに運命のとどめが訪れた。

 ずず、という地響き。

 山の中腹から崩れ落ちてくる雪の塊。

 その雪崩に、「あぁ、自分はここで死ぬのだな」と悟りすらした。


 最早これは助からない。

 子供に――否、人間に雪崩に立ち向かえるはずがない。

 夢見がちな子供と言えど、これほどの現実を目にすれば、人間いざとなったら容易く死ぬのだと理解位は出来ようもの。

 だから、目を閉じながら、せめて死にたくないと願って、ホープが探しているという神様をちょっとだけ恨んだ。


――――瞬間、炸裂する光と音が肌を打つ。


 訪れたあまりの衝撃に、一瞬意識が落ちかける。

 そうして、見た


「ようやく見つけた。大丈夫だったかい、ルイ」


 雪崩を正面からねじ伏せる魔力行使の代償に、あちこちの血管が破けている。

 いつもの白衣がべにに染まっている。

 額からだらだらと流れる血に顔を濡らしながら、守り切った命に安堵する様に、その男は微笑みながら――――。


「ホー、プ……」

「まったく、こんなところで一人はぐれちゃ駄目じゃないか。まったく、普段はしっかりしてるのに、よりによってこんな時に。でも、無事でよかった」


 本当に、安心したように男は言う。


 これで、助けられたのは二度目だ。

 恐怖から救われたあの朝と、命を救われた今。

 千々に破れかけた心も、轢殺されかけた体も、彼によって救われた。

 その恩は、きっと一生かけても返しきれない。


 だから、あの白い空に誓ったのだ。

 俺の全てを救った男に、せめて俺の全てを以て報いようと――――。


◇◇


「…………ぅ」


 息苦しさに耐えかねて、体を起こす。

 どうやら自分は眠っていたらしい。

 初夏の朝は早いというのに、まだまだ薄暗い。

 今日は随分と早起きをしてしまったようだ。


「あ――――ぅ――――」


 妙に暑い。

 朝からこんなに暑いのならば、きっと日中は気温も40℃に迫るのではなかろうか。

 ぼやけた頭でそんなことを考えながら、電気のスイッチを探す。

 視界には、橙色の文様が、時々脈動する様に輝いている――そんな不思議なものが掘られた石の壁。


「え――――――――!?」


 そんなもの、ルイ・レジテンドの日常にはない。

 驚きで、寝ぼけていた頭が目覚める。

 ここは俺の部屋じゃない。

 いつの間にか、見た事も無い石畳の空間に寝かされていた。


 部屋の中を見渡す。

 中には、今まで横になっていたベッドと、和式便所みたいに地面に空いた穴。

 そして、入り口と思わしき場所には、硬質なくろがねの檻が、俺を外界から隔離していた。


「――――あ」


 それで、現状を思い出した。

 魔界という世界に来た事、そこでいきなりバシアスという男に襲われた事。

 フェテレーシアと言う女の子に助けられて、この世界の事情について知った事。

 で、その後追ってきたバシアスとその主に負けて気絶した事――――。


「捕まったのか……俺達……」


 バシアスの主、グレイラディは俺達を捕らえろと命じていた。

 ならば、今の俺達はどこかに幽閉されているのだろう。


「う…………」


 まだ後頭部に残る痛みと、強烈な吐き気に気持ち悪くなる。

 慌てて口と鼻に霊器を纏う。

 気絶している間に霊器は解けていたのか。

 だとすれば、寝ている間に魔力を吸い込んでしまったのだろう。 

 それならばこの気持ち悪さも納得だ。


「お、ようやくお目覚めかい? おはよう、ルイ」


 と、近くで声がした。


「ホープ!? 無事だったのか!?」


 聞き馴染んだ声に突き動かされるように、鉄格子に掴みかかる。

 石と金属がすれて、ガチャンという音がする。

 牢獄の闇を、ぼんやりとオレンジの光が照らしている。

 そんな目の前の檻の中、


「いやぁ、ボク達閉じ込められちゃったみたいだね。いやぁ困ったなぁ」


 いつもの呑気そうな顔で、ホープが笑っていた。


◇◇side フェテレーシア


 目を覚ます。

 今まで慣れない体制で寝かされていたため、体が鈍く痛む。

 その中でも一際後頭部が痛いのは、気を失うために頭を打ったからだろう。

 

 覚醒直後の弛緩、寝ぼけた感覚はない。

 そんな不具合ものは、長年の生活の中でとうに取り外してある。


 私はトレジャーハンターだ。

 危機を察知して即座に起床し、十全の性能を発揮しなければならない状況などいくらでも経験している。

 故に起きたばかりのこの状態でも脳の機能に些かの劣化も無く。


「ふむ、案外寝起きは良いのだな。少女の寝起きはもう少し微睡まどろんでいる方が可愛げがあるものだぞ」


 私はどうすることも出来ないと、その言葉で瞬時に、どうしようもなく理解した。


「グレイ、ラディ……!」


 突然響いた少女の声に、顔を向ける。

 そこに、こんな状況を作り出した元凶がいた。


 一瞬で体が戦闘用に切り替わる。

 私自身強さに興味はないが、それでも戦闘能力にはそれなりの自信がある。

 たしかにバシアスには敗北したが、それでも、自分より年下の少女に負ける道理はない。

 魔法かぜを解き放つ。

 小型の竜巻を少女に向けて待機させる。


 ……別に傷つける訳じゃない。

 向こうが私を縛ってることの方がおかしいのだから、ちょっと怖い目を見てもらって、拘束を解いてもらうだけ。


「……私を、解放しなさい」


 脅すように低い声で言う。

 言葉か対応次第ではこの風が貴女を打ち抜くと言わんばかりに、小竜巻が回転数を上げていく。


「ふふ、愛いものよな。可愛らしい見た目に反して、雄々しい力よ。しかし――――」


 少女はこちらに指を向けると、小さな炎を発生させる。

 ……何をするつもりか、まさかその程度の炎で私の風が防げるとでも――――


「我の前では、すべて無駄なのだがな」


 瞬間、待機させていた竜巻が、弾かれるように掻き消えた。


「え――――ちょっと――――!?」

「ふふふ、これまた愛い反応じゃのう。これならますます欲しくなるというものよ」


 少女の言葉も耳に届かず、ひたすら次弾を用意する。

 しかし、今度は空間自体が固定されたかのように、風を操る事さえできなくなっていた。


「な、なんで……どうして……!」

「おや、魔権の違いを思い知るのは初めてか? まぁ、善良な民ならば大概がそうなのだろうが……我と貴様の魔権には遥かな開きがある。貴様の魔法で我が傷つくことなどあり得ぬよ」

「魔、権――――?」


 聞き慣れない言葉に困惑する。

 私の魔法は、そんじょそこらの相手には負けない自信がある。 

 威力だけならばバシアスの炎だって押し勝てるのだ。

 だというのに、あんな小さい炎に私の風が撃ち負けるのは、その魔権とやらが関係しているからなのか――――!


「そうとも。自然を使役する魔法と言う力、我ら魔族が当然のごとく持つ力。しかしその力にも才能はある。貴様のように強い風を放つ者に、微細な力の扱いに長ける者もいる。魔権と言うのもその才能の一つよ。早い話が、その魔法を使う優先権だと思えばよい」


 ……何を言っているのか。

 魔法を使う優先権なんて、そんな意味の分からない事を。


「おや、よく分からぬか? では考えてみるがいい。ここに二人の魔族がおる。両者がまったく同じ位置に、同時に魔法を使った時、果たしてどうなるのか」


 右手にはろうそくが燃えるほどの小さな火を、左手には巨大な竜を象った業火を宿しながら、グレイラディはこちらに微笑みかける。


「普通ならばより強い力を振るえる者の力が現れるじゃろう。しかし、それも例外があってな。より優れた魔権を持つ物は、その力の多寡たかを無視し、己の力を顕すのだという。魔権が高い者の魔法は、低い者の魔法を打ち消し、その力を己の力に上書きするのだと」


 言いながら、右手と左手を束ねるグレイラディ。

 そうして開いた左手の中には、小さな方の火が残っている。


「なぜこうなるのかは我も知らぬが、魔法とはそういう者らしくてな。故に、魔権が高い者は相応の地位につく使命を帯びるのだと。まぁ、原理を知る気は我にもない。ここで肝要なのは、貴様の魔法は、我の魔法には通じないという事のみだ」


 ギラリとひかる猫のような目は、嗜虐の色に染まっている。

 ……そういうことか。

 私がバシアス達との戦いで最後にはなった風があっけなくかき消されたのは、そういう力によるものなのだと、今更になって理解した。


 決しておごっていたわけではない。

 決して油断していたわけでもない。

 バシアスは強敵だった。

 手を抜いて勝てる相手ではなかったし、だから全力で迎え撃った。

 ホープの攻撃を凌いだ二人だったが、それでもあと一手で勝てるところまで追いつめたのだ。

 その、一撃を阻んだ力が、これだというのか――――。


 ルイとホープの顔が浮かぶ。

 この世界に来たばかりで、私以外敵だらけの二人。

 自分勝手な正義感で助け出したにも拘らず、二人は私に感謝してくれた。

 独りでなんでもやってきた私にはその言葉が少しだけ嬉しくて、だからちょっとキツイかなーと思いつつも、二人をもう少し助けてあげると、言ったのに……!


 そんな約束ことばに、二人は本当に嬉しそうにしていたのだ。

 だというのに、その約束すら守れないで、私は何をやっているのだろうと、本当に悔しくて涙が出そうだった。

 でも、だからこそ、この少女に涙なんて見せたくない。


「で、その私より強い領主サマが何の用かな? まさか、そんな自慢のために私一人だけここに寝かせてたわけでもないでしょう?」


 キッとグレイラディの顔を睨みつける。

 二人を守れなかったのは私の失態だけど、ならばせめてこの少女の望み通りにはならないと、強く心に誓い、


「―――――――――」


 その後に彼女の口から聞かされた話に、私は驚愕した。

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