第7話グレイ編 VSバシアス
「バシアスよ、あの者達を捕らえよ」
「承知しました」
主の言葉に短く答えるその声に、一切の油断はない。
手に灯す火、纏う炎が膨れ上がる。
憎悪に燃える瞳が主の命を遂行せんと細められる。
ドン、という爆発音を置き去りにして、一瞬で視界から掻き消える。
15メートルの高さの跳躍の後放たれる、ロケット花火のような蹴りが飛んでくる。
それを、
「はあっ―――――――!!」
フェテレーシアが拳に載せて放った暴風が迎え撃つ。
真正面から放たれるカウンター気味の風の砲弾はバシアスを巻き込み、遥か後方へと押し戻す、否、吹きとばす。
台風を圧縮したような風力で襲撃を阻まれた男はしかし、容易く空中で体勢を立て直していた。
バシアスの手には炎。
それを推進力として利用する彼は、空中に留まりながら、こちらを射抜くように指さし、炎を弾丸のように放ってきた。
高みから放たれる紅蓮、俺達を標的に滑ってくる橙の流星をフェテレーシアの風の鞭が打ち払う。
「な――――――!?」
驚愕は俺とホープのものだ。
思わず息を呑む。
バシアスの炎は魔術師では拮抗しえない。
あれを打ち消そうと思うならば、我が身を顧みない魔術行使が必要になるはずだ。
だというのに、それを容易く払う少女の姿がそこにはある。
のたうつ蛇のような――いや、いっそ竜のように荒れ狂う風を使役して、痛みも何もないような自然さと勇ましさで、その少女は炎の暴力に立ち向かっていた。
「チッ――――――!」
舌打ちをして、バシアスが空中を翔る。
足を止めて正面からの撃ち合いは力の無駄だと察し、炎の猟犬が宙を駆け巡る。
繰り出される弾幕は、それこそあらゆる角度から放たれた。
上下左右から迫る炎の弾を、風の鞭はことごとく薙ぎ払っていく。
……侮っていた。
俺達を助け出した少女は、バシアスと相対してすら引けを取らない存在だったのだと、今更になってようやく思い知った。
けれど、それだけだ。
俺達を守るために足を止め続け、炎を阻み続けるだけに留まっている。
バシアスにとって、彼女は確かに堅牢な城壁に他ならない存在だろう。
けれど、それが攻めてこないのならば、バシアスに負けはない。
攻めと守りでは、後者の方が圧倒的に負担が大きい。
であれば、いずれ来る処理速度の低下を待って、最後の一撃を叩き込めばいいのだ。
だが、その時すら待たず、一撃は仕掛けられた。
「え――――――?」
瞬間、バシアスが視界から掻き消える。
今放った一際大きな火球を目くらましにしたのか、打ち払った時にはバシアスの姿は既に目の前にはなく。
その無防備な背後に向けて跳び蹴りを放とうとしている男を、見てしまった――――。
「!!? くっ――――!!」
彼女とてバシアスと撃ち合える実力を持つ存在だが、それでも視覚で認識していない一撃に対応出来るものじゃない。
けれど、彼女は危機察知すら凄まじいのか、寸前で迫る一撃に対応しようとし、――――それでも
炎を纏うハヤブサのようだ。
紅蓮の矢の如き蹴りがフェテレーシアの肝臓を打ち抜く瞬間。
「させるかぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
本当にギリギリで、
「ぐっ――――!?」
「きゃぁ――――!?」
炎を打ち消しながら、拳が足の軌道を逸らす。
少女ともどもふっ飛ばされ、ずざざと地を滑ったが、それでも致命傷だけは避けられた。
よかった……間に合った……!
本当に偶然、敵の姿を目の端に捕らえていなければ、仮にその発見が一瞬でも遅れていれば、なんて悪い想像を払いのける。
フェテレーシアを掠め、勢いのまま地を滑るバシアスは、四足獣のように這いつくばって勢いを殺している。
「……キサマ――――――」
表情は憤怒で歪んでいく。
必殺の一撃を、憎らしい人間の手によって阻まれた。
その事実に湧きだした怒りは、俺達を七度殺しても余りあろう。
「次は、外さん」
四つん這いのまま、再度狙いをつけるバシアス。
その疾走が始まるよりも先に、
「
進路を阻むように、棘の森が顕現した。
「――――――!!」
鮮血を求めて剣山が奔る。
バシアスに向かって、ハリネズミのように大地が逆立っていく。
当然、これを背後に跳んで躱すバシアスだが、
「
さらにこれを当然のごとく読んでいたホープによって、追撃を受けていた。
追ってくる、否、その棘は大地から射出され、千の
「チッ――――――――!!?」
広範囲を覆い尽くす
苛立ちの視線はホープを睨みつけ、
「!? ぐっ――――――――!?」
背後から飛来する岩槍を、すんでの所で躱す。
「いやぁ、あれを避けるかぁ。正射必中とはいかないね」
呆れたように笑うホープが、俺達を庇うように前に出る。
気楽なのは表情だけだ。
今の一撃こそ必殺を期したもの、ホープは既に、バシアスを殺すつもりで立っている。
「――――正直、舐めていたぞ。人間」
「だろうね。さっきはロクに抵抗出来てなかったから。けど、侮られるのは好きじゃなくてね。これで認識は改めてもらえたかな?」
「そうだな。虫という評価は変わらんが、脅威としては蜂程度には認めておいてやろう。刺す程度の能はあるようだしな」
両者の間に、緊張した空気が漂う。
方や不敵な笑みで、方や不愉快に顔を
と、ふとホープはこちらに背を向けたまま。
「さて、フェテレーシアさん。ここでボク達がアイツを倒せたなら、君にとって価値があると認めてもらえたりするのかな?」
至極真剣な声で、夢みたいなことを言っていた。
「何――――――?」
「ホープ……」
俺とバシアスの表情が変わる。
無茶を言う
「俺を、倒すと言ったのか――――」
炎が膨らむ。
予想もしないその言葉に感情に比例する様に猛々しく燃え盛る炎がバシアスの体から噴き出している。
「そりゃぁそうだろう。それとも、おべっかでも並べ立てれば見逃してくれるとでも言うのかい?」
「まさか、グレイラディ様が貴様らを捕らえろと言った以上、どんな手段を使っても拘束させてもらうさ」
「そういう事だよ。だったら、どの道ボク達に選択肢なんてないじゃないか」
どうせ捕まったらロクな未来が待ってないのは、俺にだってわかる。
……要するに、追いつかれた時点で俺達にはこいつらを倒さなければならなかったのだ。
たとえそれがどれほど桁違いな相手で、勝機などなかったとしても。
「……そうね。さっき分かったけど、私じゃアイツには勝てないみたいだし」
ため息交じりのフェテレーシアの言葉。
出力だけならば彼女の風の魔術はバシアスにだって匹敵――いや、それすら上回っていた。
だが、真正面からの火力勝負ならともかく、戦闘において彼女はバシアスには及ばない。
短いやり取りの中で、それはこの場にいる誰の目から見ても明白だった。
故に、その差を俺達が埋められれば、彼女にとって俺達は価値ある存在として映るだろう。
ならば、やる事は一つだ。
左肩を引いて、ホープの隣に並び立つ。
左手には
フェテレーシアは少しためらった後、覚悟を決めた様に――――。
「うん、君達の力を、私に見せて!」
その言葉が号令となった。
「承知した! ルイ、行くよ!」
ホープが右手を突き出す。
「させるか――――!」
「
バシアスによる炎の投擲を阻むように形成される水の球体。
詠唱と共に大きさを増す球体は、しかし圧倒的な火力によって徐々に蒸発し、貫通され始めている。
「ルイ!!」
「任せろ!!」
貫かれる水球を、強化によって持ち直す。
だが、それも文字通り焼け石に水だ。
目の前の紅蓮は、おそらく数秒後には、強化した水の盾ごと俺達を容易く蒸発させるだろう。
「ルイ! 右手を前に!!」
ホープの声に、破却を込めた右手を突き出す。
「
術者の叫びと共に、水の球が弾ける。
だが、当然のように炎は生きており、獲物を狙う蛇のように、盾の後ろにいた俺達に滑りよる……!
けど、さっきのホープの声のおかげで、やるべきことは分かっている。
術式を込めた右手で火の蛇の頭を掴み、握りしめるように崩壊させた。
ホープの水の盾で、多少なりとも威力が落ちていたのか、初めて炎の壁に晒された時ほどの負担はない。
「ふん、二人がかりでそのサマのくせに、俺を倒すなどよくも吼える――――!!」
再び放たれる炎の蛇。
だが、今度はその数は三匹に増えていた。
……まずい。
あれは防げない。
バシアス自身の速度に比べれば、あの蛇は大分遅い。
けど、それでも人間の足に比べれば十分に速い以上簡単に追いつかれる。
俺に処理できるのは二匹までだ。
左右の手に破却を走らせてあの蛇を掴んだとしても、残る一匹に喰われるだろう。
それに、俺が逃げるわけにもいかない。
俺が逃げたら、後ろのホープとフェテレーシアに蛇が直撃する……それだけは……!
「やぁっ!!」
と、瞬間風が巻き起こった。
風の壁に阻まれる3匹の蛇の群れ。
炎を蹴散らす暴風は、さながら竜の咆哮めいている。
「フェテレーシア!?」
「力を見せてとは言ったけど、引っ込んでいられる局面でもないしね! 安心して! 私が勝手に出しゃばっただけだし、アイツ倒せたら契約続行ってことにしてあげる!」
力強く笑いながら、少女は風を放ち続ける。
…………心強い。
まったく、我が協力者はサービス良すぎである……!
「いやぁありがたい。それじゃぁ、ボクも期待に応えなくちゃね」
ホープが地面に両手を叩きつける。
目の前の四足獣、炎の猟犬に相対する様に。
「
魔術を使う自分に働きかける、自己暗示の言葉を吐き出した。
魔術を使う際、魔術師は詠唱を行う。
と言っても、詠唱などなくても魔術は発動する。
これは魔術を使う自らを補佐するものだ。
式を構築する自分。
魔力の
これより行う業を口にすることで、その工程をなぞる為のマニュアルにする者もいる。
そうした、魔術師によって様々な意味を持つ詠唱によって、
放たれた炎を前にして、それを睨みつけながら、ホープは簡素な発音を紡いでいく。
「
瞬間、5つの塔が現れた。
大地から土の柱が空に吸い上げられるように伸び、
瞬間、機関銃みたいな勢いで、土塊の雨が降り注いだ……!
「――――――――!?」
炎という実体のない力を、重量を持った力が蹂躙していく。
ボーリング玉ほどの泥の球が高速で射出される。
それらはバシアスの炎を切り裂きながら、着弾した大地をバカァと抉っていく。
如何に高火力なバシアスの炎であっても、速度を伴った湿った泥を一瞬で焼却するのは困難らしい。
「くっ――――――!?」
俺達に向かっていた火が翻る。
バシアスは手元で炎を束ね上げる。
展開される炎の球体は、盾となって、連続で繰り出される土塊を防ぎきった。
「む、炎であれを防ぐのか。流石の火力だなぁ。まったく、とことん呆れかえる。けど――――
続く詠唱は冷ややかに。
彼の体を駆ける魔力の流れが二つに割れるのを感じる。
一つは5つの土の塔に流れ続け、もう一つはこれより編み上がるもう一つの魔術に――――。
「
バシアスとグレイラディの頭上に、氷の島が形成される。
「な――――――!?」
「ボクもやられっぱなしは嫌いでさ。意趣返しってやつだよ。火の盾を弱めれば、大地の矢倉が君を射抜く。けど、そっちにかまけていては、氷塊の下敷きだ。好きな方を選ぶと良い。敵対した以上容赦はしないけど、それくらいは選ばせてあげるよ」
王手だ。
火の球体によって土の弾丸を防ぐために、彼は足を止めざるを得ず。
一瞬でも盾を弱めれば体を抉られる彼に、あの巨大な氷の島を避ける術はない。
「落ちろ、
「ぐ、おぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ――――――!!」
咆哮するバシアス。
けれど、その絶叫ごと、彼らは氷の鉄槌に消し去られた。
「ふぅ――――――」
決着はついた。
ホープはため息を吐きながら、すくりと立ち上がる。
その表情は疲労と魔術行使による苦痛の色がにじんでいるものの、それ以上に安堵しているのがわかった。
「どうかな? ボクもなかなかやるもんだろう?」
……なかなかどころじゃない。
正直なところ、圧巻だった。
ホープが攻撃に転じてからの展開はあまりにも一方的だ。
多少無理をしてでも水の盾で炎を受け止めたのは、大地を濡らす水が必要だったから。
攻撃を相殺するために炸裂させた水は、実のところ大地を湿らせることが目的で、弾丸となった泥は水分によって高温から守られ、同時に炎を抉る重量を手に入れた。
それを高速で射出されれば、バシアスとて防戦に回らざるを得なかったのだ。
そこに、とどめの氷塊落し。
超質量による圧殺、シンプルであるが、だからこそ生半可な抵抗を踏みつぶす鉄槌である。
一瞬たりとも盾を弱められないバシアスにとって、そっちに
制圧射撃からの防御不可攻撃。
いや、一瞬でこんな戦闘構想を編み上げるのもそうだが、あの規模の魔術を
術式制御の難易度も、膨大な魔力を体に通す激痛も、今の俺には想像すらできないだろう。
「え、えぇ。正直驚いた。貴方、こんなに強かったのね」
ぽかんと口を空けていたフェテレーシアは、問いかけに意識を取り戻す。
「うん。これだけ強ければ問題ない。むしろ文句無しかな。是非とも協力者として、いい関係を築きましょう」
「よかった。追っ手も倒したし、そっちの方も心配なくなったし。これで一件落着だ。それじゃぁ、このまま森を抜けるとしよ――――――」
そこまでホープが言いかけた時、ふと、シュウという音がした。
高い、蒸気のような音。
氷塊の方から聞こえてくる音はどんどんと大きくなり、氷を貫く紅い帯が、空へと向かって伸びていく――――。
「――――――」
「――――――まさ、か」
口の中が乾く。
冷や汗が流れる。
あり得ない。
脱出不可能、抵抗すら出来ない状況だったはずだ。
だというのに、あれほどの魔術をくらっておきながら、なんで
「人間の力など、たいしたことは無いと思っていたが」
あの二人は無傷で氷塊の上に立っているのか。
「案外、やる個もいるものなのだな」
「
再度充填される、泥の弾丸を吐き出す砲台。
計5つの塔が一瞬で組みあがる。
けれど、それらが再び制圧を始めるよりも、バシアスの炎が奔る方が速かった。
光線の如き輝きで撃ちだされた紅色が、ホープの砲門の二基を瞬時に溶解する。
「獲った!!」
その声は敵の側面から。
ホープの魔術に二人の注意が向いている隙に、フェテレーシアは駆けていたのだ。
炎を放ったばかりのバシアスに、ロクな防御を組み上げる余裕はない。
フェテレーシアが風を放つ。
敵をズタズタに引き裂く暴風は――――――。
「踊れ、
グレイラディの言葉と共に発生した小さい炎によって、跡形も無く霧散した。
「え――――!?」
「惜しかったの。我の炎は貧弱でな。バシアスを正面から打ち抜く貴様の風、本来であれば防げる道理はない」
得意げに、横目で己が敵を見るグレイラディと、驚愕の表情を浮かべるフェテレーシア。
「だが、我の魔権は特別ゆえな。貴様の魔法、その風が我の肌を撫でる事すらないと知るがいい」
瞬間、熱が走る。
展開されたのは、炎の海だった。
周囲一帯を焼き払うとはいかずとも、地表を覆う一面の炎の地獄が、一瞬でこの場に顕現する。
「ではな、しばし眠るがいい。ゆけ、バシアス」
「はっ――――――」
再動する火の猟犬。
「きゃっ――――――!?」
「フェテレーシア!!」
足に炎を纏併せ、その推進力を以て加速した蹴りは、とっさの防御ごとフェテレーシアを吹き飛ばし、背中から地面に叩きつけられた少女は、そのまま動かなくなった。
「くっ――――――」
とっさにホープが無事な三基の砲塔を解き放つ。
繰り出される泥の弾丸は先ほどの比ではない勢いで射出され、敵を打ち抜かんとし
「ぐっ!?」
既に
「お前で、最後だ」
こちらに向き直るバシアスから、死刑宣告が言い渡される。
緊張で足が震え、汗は熱とは関係なく、恐怖によってとめどなく流れ出す。
制御を失い、砲台が崩れていくのも目に入らない。
ただ、二人の無事だけは確認したかった。
俺をここまで育ててくれた師匠と、魔界に来てから俺達を助けてくれた少女が、目の前で死んだなんて信じたくない。
だが、それも叶わない。
バシアスの姿がブレ、首筋に強い衝撃を感じた直後、俺の視界は暗く暗く失われていった。
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