第6話グレイ編 炎の追跡者

 火柱が立ち上る。

 轟音が近づいてくる。

 まるでしらみ潰しのように、何かを探すように次々と吹き上がるそれはプロミネンスを思わせた。


「あ、れは――――」


 それは冗談のような光景だった。

 夜明け前の空を橙に照らす炎の塔が乱立する。

 巨大な焦げ跡を残しながら、大地から炎の槍が伸びたよう。


「――――――」


 窓の外を睨むフェテレーシア。

 その表情で、これが自然の現象ではない事を把握した。


「……これって、もしかして」

「うん。その通りだろうね」


 少女と顔を見合わせる。 

 脳裏に浮かぶのは、バシアス――――先ほど俺達を焼き払おうとした男だ。


「まさか、俺達を追ってきたのか?」


 初対面であるにもかかわらず、俺達が人間だという理由で殺しにかかってきたのだし、あり得ない話ではない。

 一度逃がしたからと言って、見逃してくれる保証などどこにもなかったのだ。


「そうかもしれないね……」


ホープの答えに、部屋全体が緊張する。

「かもしれない」と言ったが、その想像は十中八九当たっているだろう。

 強力な炎の魔術の使い手で、こんなことをする動機がある存在など、俺達にはバシアスという男以外に心当たりがない。


「とにかく、気付かれる前にここを離れるべきだと思う。奴はまだこちらを発見していない筈だ。でなければ、あんないぶりだす様な真似はしない」


 そう、気が付かれていない今ならば、容易に逃げる事が出来る筈だ。

 幸いなことに、環境は森――身を隠しながら逃げるには向いた地形だ。

 加えて、敵は巨大な炎を上げながら動いている

 進路と視界を確保するためなのだろうが、あれでは自分の居場所を教えているようなものだ。


 この森を隈なく探す必要のある敵に対し、こちらはその間に最速で奴らの活動圏から離脱してしまえばいい。

 それで、俺達の安全は一時的に確保できる筈だ。


「とりあえず、奴らが気付く前にここを離れようと思う。いいかな、フェテレーシアさん」

「えぇ、そうね。私もその方がいいと思う」


 ホープの問いに頷く少女。

 ここで戦う必要はない。

 例えフェテレーシアが敵の魔術と撃ちあえるほどの力を持っていたとしても、ここで戦う理由はない。

 たしかに、ここでヤツを倒すことが出来れば追っ手に怯える必要はなくなるだろう。

 だが、怪我――――最悪命を失うリスクを冒してまで選択するべきものでもないだろう。

 ここで撒くことにさえ成功してしまえば、奴は俺達を見失うのだから。

 恐らく、それで追跡は止まる。

 ……ないとは思うが、それでも追ってくるようであれば、その時初めて交戦という選択肢を検討すればいい。


「よかった。じゃぁ、急いでここを出よう。ルイ、行こうか」

「先導は私がするわ。急ぐんだし、地形を知ってる私がやった方がいいでしょ?」

「ありがとう。お願いします」


 手早くフェテレーシアが準備を済ませる。

 俺達はロクに荷物も無いので、彼女の用意が出来次第外に出た。

 あの火柱に追いつかれる前に……バシアスに見つかる前にここをすぐにでも離れなければならない。


 ふと扉の前に立ち尽くす。

 ただ、少し心残りもあった。

 彼女は俺達を助けてくれた命の恩人で、渋々ながらも俺達を保護し協力してくれた優しい人だ。

 だというのに、俺達を助けたために、こうして厄介ごとに巻き込まれている。


 けど、今はどうにもならない。

 俺に出来る事はせめて、逃げ延びた後で、誠心誠意彼女の役に立つことくらいしかない――――。


「さぁ、早くいくよ、ルイ」

「す、すまん。今行く!」


 ホープに呼ばれて、走り出す。

 俺達では太刀打ちできないてきから遠ざかるように、木々の間に分け入っていった。


◇◇


 フェテレーシア、俺、ホープの順で森を行く。

 太陽はまだ低く薄暗いが、明かりをつけて発見されるリスクを増やすわけにもいかないため、慎重に足元を確認して歩いていく。


 背後には相変わらず天高く伸びる炎の塔がある。

 距離はおよそ500メートル。

 バシアスを大回りして回避し、すれ違うように移動してきた。

 これなら、奴がおり返してくる前に森を抜けられるだろう。


「ふぅ……」


 それで少し気が抜けたのか、思わずため息をこぼしていた


「ちょっとルイ。まだアイツは近くにいるんだ。安心するには早いよ」

「そうだよ。完全にアイツを撒くまでは、安心してる暇なんてないんだから」


 それを見咎められ、二人から叱責をくらう。

 二人とも声は潜めているが、語勢は


「す、すまん。でも、そんなに――――」


 言わなくても、と言いかけて口をつぐむ。

 馬鹿か俺は。

 さっきの戦い、魔族が放つ力の大きさを見ておいて何を呑気なことを。

 バシアスってやつの魔術は桁違いだ。

 恐らくはホープすら軽く上回る魔術行使。

 俺の事象破却ディスマントル・エアならば炎壁は防げるが、それは俺が、その魔術に特化しているそれだけを磨き続けたからだ。

 反撃が出来ない以上、決して太刀打ちできるわけじゃない。

 

 フェテレーシアがいるのは心強いが、それでも無理に交戦すべきではないだろう。

 さっき俺達を無事に助け出した彼女ではあるが、それを無傷で成し遂げたのは不意打ちであったからだ。

 まともに敵対して無事でいられる保証はない。

 それを思えば、二人の言葉ももっともだ。

 安堵など、逃げ延びてからやればいい。

 とにかく今は、一秒でも早くこの森を抜けるべきなのだ。


「いや、すまん。急ごう」

「ルイ、もしかして疲れたのかい? そういえばボクが夜中起こしちゃったんだっけ。けど、今は我慢してほしい」

「いや、違う。単に気が抜けただけだよ」


 そう、気が抜けただけだ。

 初めて死にかけて、その元凶が追ってくる緊張が、勘違いの安心で解けただけの事。

 

「だから、気にしなくても大丈夫だから」

「わかったよ。とにかく、このまま奴とは反対に進もう。森を抜けたら、そこから一気に距離を放す。その後で、フェテレーシアさんに最寄りの街まで案内してもらおう」

「わかった。エフレアは幸い反対方向だし、流石にアイツも追ってこないでしょ」


 打ち合わせをしながら、歩を進める。

 既に背後の火の塔との距離は大きく開いていたが、それでも気付いた様子はない。

 ……それにしても、あんなに自分の存在を示しながら追跡するのはどうかと思う。

 侮るわけではないが、あれを大真面目にやっているのなら随分と間の抜けた話だと思う。

 一流の追跡者なら、接近すら感じさせないというか、気が付いた時には手遅れになっているものというか、そういうイメージがあるというか……。


 そんなことを考えながら歩いていると、やがて開けた場所に出た。

 パチパチと火が燃える音がする。

 恐らくバシアスが焼き払ったのだろう。

 凸凹とした地面も、ボロボロになって倒壊した木々も所どころ赤熱し、生い茂っていたと思われる草も葉もその一切が焦げて地に落ちている。


 大きな円形の焼け野原の中を進む。

 空は既に白み始めている。

 じきに太陽が昇るだろう。

 まだ夜の闇が残っているうちに、少しでも奴から離れたい。

 もうすぐ森も抜けられるそうだし、このまま歩き続け―――――。


「……それにしても、これは……凄まじいね……」


 ホープが絶句する。


「…………なにが?」

「奴の魔術行使だよ。普通、これだけの魔術を使ったら、体を駆け巡る魔力に体が耐えられない。にもかかわらず、これだけの力を何度も使ってのけるなんてさ」


 言葉の途中で、もう一度塔が巻き上がる。


「はは……マゾなのかな。全く、絶対に戦いたくないよ、あんな怪物」


 ホープが乾いた笑いを零す。

 

「ボクも魔術師としてある程度の心得はあるつもりだけど、それでもこの規模の魔術なんてね……ボクなら数回使えばパンクするんじゃないかな」


 何がある程度の心得、か。

 ホープの魔術師としての能力は一流だ。

 かつて見た彼の魔術は、今思い出してもそう断言するに相応しいものだった。

 星を撃つようなあの奇跡、命を引き潰す理不尽を覆す力を一流と呼ばずして、他にどのような言葉を贈ればいいと言うのだろう。

 

 けど、そのホープですら、バシアスとは戦いたくないと言った。

 一流の魔術師でも数発でパンクする程の魔術行使を連発するなど、相手に出来る気がしない。


「よし、じゃぁ行こうか。もうすぐ森も抜けられる」


 だからこそ、戦わなくていいこの機会を逃すわけにはいかない。

 遥か後方で唸りを上げる炎の柱を振り切り、逃げ延びれば――――。


「ん?」

「おや?」

「あら?」


 三様の声。

 焦げた円の外周、かろうじて炎の被害を免れた緑の木々の間に、酷く場違いな者が見えた。

 白い朝日を弾く、肩まで伸びた美しい銀髪。

 猫を思わせる黄金の瞳。

 赤を基調に、金の縁取りがされた美しいマントを纏う痩身。

 それは、幼くも妖艶な微笑みを浮かべる少女の姿だった。


「―――――――フフ」


 にや、と口端を吊り上げる少女は、そのままトントンと軽やかな足取りで、森の奥へと消えていった。


「?」

「何だったんだ……?」


 ホープと顔を見合わせる。

 夜道でたまたま猫が走り去るのを見かけたような、そんな弛緩した空気が漂う。


「今のは――――――」


 ただ、その中でフェテレーシアだけが不思議そうにその偶然に驚愕していた。


「!? 何だ!?」


 ゴウ、という、風を押しのける音がする。

 突然、少女が消えた先から火柱が上がったのだ。

 そして、その炎に呼応するように、遥か後方から、火の玉が飛び出した……!


「!? 急いで、二人とも!! 今すぐ全力で走って!! 早く!!」


 理解が追いつかない俺達に、切迫したフェテレーシアが叫ぶ。


「え?」

「もう! はやく!!」


 困惑するまま腰に手を回され、小脇に抱えられる。

 そのまま、フェテレーシアは弾かれるように地を蹴ると、一瞬で疾走を開始した。

 足場の悪さをものともせず駆け抜ける少女は、空気を押しのけながら木々の間を抜けていく。

 だが、


「は、速い! なんだあれは!」


 ホープの声に、抱えられながら後ろを見る。

 迫ってくるものは、さながら流星だった。

 あるいは、天翔る竜だろうか。

 赤い帯をその軌道に刻みながら、一直線に向けて飛行してくる生き物がある。


 否、それは人の姿をしたモノだった。

 背後に回した手からジェットのように噴射し、その推進力で見る見るうちに距離を詰めてくる……!


「シッ――――!!」


 そして、それはまるで野球のピッチャーのようなモーションで、その手に灯る炎をこちらにむけてブン投げた。

 空を滑る炎の魔球は4つに分かれ、俺達の目の前に着弾し、その余波で周囲の木々を焼き払う――――。


「くっ――――!?」


 逃げ道をふさがれて急停止するフェテレーシア。眼前には燃え盛る炎。

 そしてその先に、俺達を追い越し、行き先に立ちふさがるように嫡子した追跡者がいた。

 短く切り揃えられた銀の髪と、猟犬を連想させる、鋭く俺達を睨む双眸ひとみ

 灰の地に青の縁取りで彩られたローブはクールな彼の顔立ちと雰囲気と相まって冷酷なイメージを強めている。


「ようやく、見つけた―――――」


 怒りに燃えた冷たい声で男は言う。

 朝焼けを汚す黒煙が立ち上り、炎が周囲から酸素を奪っていく。

 男は、炎に包まれてなお背筋を凍てつかせる殺気を発しながら――――。


「今度こそ逃がさない。魔族を殺す人間も、人間に与する魔族も、危険分子としてここで死ね」


 右の手に、恒星の如き輝きを灯す。

 目を灼くほどの煌めきは、放たれてしまえば俺達を消し飛ばす凶つ星まがつぼしとなろう。


「まてまて、落ち着かぬかバシアス。人間であるからと言ってむやみに殺していい理由に等なるまい。貴様がそのように殺気だてば、我がエフレアの民も安心できぬだろうさ。我の配下として、節度ある行動を心得よ」


 りん、と鈴のような高い声。

 声のした方向からは、さっき森の奥に消えた少女が優雅に歩いてくるところだった。


「余裕ある態度も為政者の義務じゃ。上に立つ者の動揺は下々に及び、民の心を乱そう。人間であるからとそう見境なく盛っては、我も安心して貴様を使えぬではないか。その者どもが無辜の者であれば、罪なき民をも殺す為政者と我の印象も悪くなろう?」

「――――もうしわけありません、グレイラディ様」


 ――――あれが、グレイラディ。

 バシアスみたいな奴の主だって聞いていたんで冷酷非道な豪傑を想像していたが、まさかあんな少女だとは――――。

 見た目中学生ほどの少女はバシアスの背後に立つと、


「よい。頭に血が昇りやすいが、それでも我の言葉にはしっかり耳を傾けるのが貴様の美徳よ。それに、配下を上手くぎょすのも主人の腕の見せどころ故な。過程に気の逸りが見えるが、それでも結果的に命を守る貴様を咎めはせんよ。さて――――」


 自らの部下バシアスをなだめるように微笑んでそう言うと、今度はこちらに向き直った。


「いや、バシアスを撒くためにこちらに来ると予想していたが、わざわざ姿を現してやったというのに、まさか放置とはな。流石に読めなんだ。なんじゃ? 我の誘いは不服であったか?」


 幼い見た目に似つかわしくない古めかしい言葉遣いで、少女はからからと笑う。

 この場で1人、優雅な態度を崩さない銀の少女は


「さて、では狩りを始めるとしよう。バシアスよ、あの者達を捕らえよ――――」


 無慈悲に軽やかに、短く自らの猟犬にそう命じた

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