第4話グレイ編 お人よし2人

突然颯爽と現れた少女によって、俺たちは草原を脱出して森へと入り、ひっそりと建てられた小屋に担ぎ込まれていた


「さて、聞きたいことは沢山あるだろうけど、まずは腰を落ち着けてこれでも飲むと良いよ」



 目の前の少女は、軽い口調でそう言うと水の入った木の器を手渡してきた。

 それを、ホープと二人して顔を見合わせると、恐る恐る受け取る。

 この世界に来てまだ一時間と発っていないのに、命を失いかけたことで、思考がまるで纏まらない。


 けれど、そんな頭だからこそ、素直に少女の容姿に見惚れることができたのか。

 腰まで伸びた美しい緑色の長髪と、蒼の瞳。

 顔立ちも雰囲気も明るい系で、細く白い首を鳴らしながら「んくんく」と水を飲む姿は見た目以上の無邪気さを感じさせる。

 白を基調にした半袖の軽装もクリーム色の半ズボンも共に薄汚れているが、それらが彼女の用紙を損なう事は無く、むしろ元気な女の子と言う印象を強めている。


「おや、それよりも先に名乗った方が良いならそうしようか? 初めまして、お二人さん。私はフェテレーシアって言うの」


 そよ風のように挨拶を口にした。


「あ、あぁ。ボクはホフマン・レジテンドと申します。さっきは助けていただいて、本当にありがとうございます」

「ルイ・レジテンドだ。助けてくれてありがとう」

「いえいえ、どういたしまして」


 あいさつを返し、礼を述べるホープに倣う。

 少女は満足げにニヒヒ、と笑うと器の水を飲んで一息つく。

 なんというか、そんな特別でない仕草ですら絵になる。

 お嬢様が持つような気品とは別種の、ただいるだけで美しい自然な在り方というか――。


「おや? どうしたのかな? そんなにぼーっとして」


 フェテレーシアはきょとんとして俺を見ている。

 いや、見ていたのは俺か。

 そりゃ出会ったばかりの奴にじろじろと見られたら、気になりもするだろう。


「い、いや。なんでもない。すまないな」

「おや、浮いた話もロクに聞いたことが無かったから不安だったけど、可愛い女の子に見惚れるくらいにはルイも男の子ってことかな?」


 ニヤニヤと笑い出す師匠。

 ……普段からかわれている分この機に仕返しのつもりなのだろうか。


「やめろよホープ。フェテレーシアさんは恩人だぞ。そんなコト言って不愉快にさせたらどうすんだ」


 軽口を叩くホープをたしなめる。

 確かにとんでもなく可愛らしいと思うけど、という感想は口にしないが花だろう。

 助けてもらって直後に粉を掛けるような軟派な男だと思われたくもないし、その……ホープにからかわれるのは妙に背中が痒くなる……。


「そうだね。失礼しました」

「いやいや、気にしないでいいよ。さっき助けたのだって、弱い者いじめを見てられなかったからだからね」


 よ、弱い者いじめ……。

 二種類の魔術師かロクに使えない俺はともかく、ホープは一流の魔術師だ。

 そのホープが魔術戦で圧倒され、傍目からは弱い者いじめに見えるとは、どれほど戦力の差があったというのか。

 横を見ると、気のせいかホープも顔をヒクつかせている。

 彼とて魔術師としての実力と、それを作り上げた努力がある。

 こと魔術においての競い合いで敗北したどころか、戦いにすら見られていなかったなど、その心境や推して知るべしというところだろう。


「君たちがなんで争っていたかなんて知らないし、どっちが先に仕掛けたのかは分からないけど、あれはやりすぎ。仮にアイツが正しいとしても、暴力が発生するのなら話が別だよ。強ければ何でもしていいってワケじゃないでしょ?」


 そんな俺達の表情に気付いた様子も無く、フェテレーシアは続ける。

 至極真っ当な意見だ。

 力ある者が、「俺が正しいからお前殺すわ」なんてやってたら社会なんて成り立たない。


「でも、実際になんで襲われたのか分からないんですよね。ボク達は……その、遠い所からやってきて、あの人に会うのも初めてだったんです。だというのに、初対面で攻撃を仕掛けられて……」


 (おそらく)違う世界から来た、という事は伏せてホープが言う。


「うん、だろうねー。あいつバシアスでしょ? グレイラディの所の。人間嫌いのあいつの事だし、そんな事だろうと思った」


 訳知り顔のフェテレーシア。

 なんか、聞き慣れないワードが二つほどあったような――――。


「まぁこんなことを言っても分からないだろうし、説明していこうか。じゃぁ、まずは……ようこそ、魔界へ。人の世界から魔族と人の世界へやってきたお二人さん」


 そして少女は笑顔のまま、その事実を突きつけた。

 

「ま、魔界だって!?」

「あ、やっぱり知らなかった? まぁ世界を飛び越えたことくらいは気が付いていたのかもしれないけど、正確な事情は掴んでなかったみたいだね、予想通り。一目見てそうじゃないかなーとは思ってたんだけど」

「あっ……」


 驚きの余り、つい言葉を滑らせてしまった

 ホープがわざわざ伏せていた以上何かしらの意図があったのだろうに……。

 しかし、出てしまった言葉は今更引っ込められない。


「いいよいいよ。そっちにはそっちの考えがあったから隠してたんだろうし。でも、それで大事なことを説明できなかったら困るのは貴方たちだと思ったからさ。うん、この分なら全部話した方がいいかもね」

「す、すまない……できれば、よろしく頼む……」


 うぅ、たったこれまでのやり取りで随分と貸しを作ってしまうとは……。

 自分の未熟が情けない……。 

 これじゃぁホープを迂闊なんて言えないかもしれぬ。


「了解! 一言で言ってしまえば、貴方たちは魔界へと渡ってきた人間ってことになるね。魔界は人と魔族っていう種族が営む世界。あ、わかってるかもしれないけど、私も一応魔族だよ」


 人間とは違う、人型の生き物――――目の前の、美しい緑髪の少女は、自らを俺達とは違う生き物だという。

 とんでもない話だが、その言葉はストンと胸におちた。

 魔界という、元いた場所とは異なる世界があるのなら、そこに住む存在がいてもおかしくないし。

 何より、彼女があの男の攻撃を払う時に見せた風の魔術は、魔術師にんげんの出力を遥かに超えている。


 ただ、それはそれとして疑問はある。

 魔界に住む人間の存在。

 俺達は、神様の遺物と思しき石を用いてこの世界へとやってきた。

 魔界への穴を空ける道具を、それほど多くの人間が見つけて、起動し、魔界へと移ってきたというのだろうか……?


「魔界は魔族と人間が協力して発展させてきた世界。だけど、近頃……んー、大体5年前くらいからかな。魔界では人間が魔族を殺す事件が頻発してるんだ。そのせいで魔族と人間の関係が悪くなってるの。別に魔族だって、人間の全てが魔族に対して敵意を持ってるわけじゃないってわかってると思う。けど、やっぱり人間なんか信用できるかーっていう魔族達も多くてさ」


 辛そうな表情でフェテレーシアは言う。

 じゃぁ何か。

 それって、つまり。


「要するに、俺達が人間だから襲われたってことか? 放っておいたら、俺達が魔族を殺すかもしれないからって」

「……そういうことになるね。さっきの男、バシアスって言うんだけど、そいつも人間嫌いな魔族の1人だよ。」


 とんでもない返答だった。

 この世界では人間が魔族を殺して回っていて

 そのせいで魔族は人間を嫌っていて

 そのせいで魔族バシアスとかいうやつに、訳も分からないまま殺されかけたっていうのか……!


 感情としては分からなくはない。

 当然の憎しみの連鎖、ありがちな報復の帰結だ

 確かに、魔族の言い分ももっともだろう。

 油断したら殺しに来るかもしれない相手などに気を許せるはずがない。

 けれど、それに巻き込まれる側はたまったものではない……!


 何もしていないのに殺しにかかってくる魔族バシアス魔族バシアスなら、こんな状況を作り出した魔界に住む人間も人間だと思う。


「そりゃまた……ボクらにはどうしようもないね……というか、それ他の魔族にも、襲われるかもしれないってことじゃないの……?」


 冷や汗を垂らしながらホープが言う。

 確かに、その通りだ。

 自分達を殺して回る人間を恨み、排斥したいと考える魔族達にとって、俺達は招かれざる客である筈だ。

 今後この世界で活動するのに、それはあまりにも危険な気がする。


「……そう、だね。さっきも言ってたけど、バシアスの上にはグレイラディって言う領主がいるんだけど、彼女も自分の父を人間に殺された事で跡を継いだそうなんだ。だから、人間への好意には期待しない方が良いかも」


 バシアスって男は、そんな偉い奴の下についているという事か。

 領主様が人間に対して寛容ならばいいのだが、さっきのフェテレーシアの説明からして(あと、部下が部下だけに)まったく期待できない。

 自分の父を殺害した相手の仲間に好意的に接してくれるなど、流石に希望的すぎる

 

「だ、だけどさ。魔界には魔族だけじゃなくて人間だって住んでるんだろ!? まさかそのグレイラディとバシアスは、自分の領地の人間すら殺したって言うのか!?」

「いや、流石にそれはないみたいだよ。ちょっと厳しめに色々と調べたりはしたみたいだけど、流石に罪なき民、魔族を殺しまわる大罪を犯さないような民を殺す様な領主なら、流石にそれは為政者として失格だもの」


 よかった、流石にそこまでは人でなし、もとい見境無しではないみたいだ。

 領主とは民の幸せを守る者。

 そんな存在が「自分達に不都合な存在だから」と自らの無辜の民を手に掛けるようでは民が不安がるだろう。

 ……まぁ、バシアスはそれをやりかけたわけではあるが。

 あの時間に草原を行く人間などさぞ怪しく映ったのだろうが、だからといって問答無用で殺しにかかってくるのは流石に勘弁してほしい。


「なるほど。事情は大体飲み込めました。色々と疑問は残っていますが、それは今重要なことではありませんし、聞くべきことでもありません。ただ、最後に一つ、お聞きしたい」


 これまであまり話題に参加していなかったホープが、突然切り出す

 その表情は、ただひたすらに真剣だった。


「なぜ、貴方はボク達を助けてくれたのですか?」


 ――――空気が止まる。


 二名おれたちは、訳が分からずに。 

 そして一名ホープだけは、この問いの中に、これ以上ない緊張を抱いていた。


「そ、それはどういう意味かな?」

「言葉の通りです。フェテレーシアさん。ボクは貴方がボク達を助けてくれた動機を……理由を知りたい。貴女の言う事が正しければ、貴女たち魔族にとって、人間は脅威に映るはずです。どうやるのかは分からないが、魔界に住む人間は魔族を殺すようですからね。だというのに、貴女は当然のようにボク達を助けた。……正直、ボクにはその理由がわからない」

「ん、んー……そんなこと言われても……さっきも言わなかったかな? 私はバシアスの一方的な攻撃が気に喰わなかったから助けたって」


 困ったように答えるフェテレーシアと、それに対して疑惑の目のホープ。

 それは命を助けてくれた相手に向ける温かい態度では決してない。

 ただ、その理由ぎねんも分からないわけではない。

 ついさっき、人間だというだけで魔族に殺されかけた。

 だというのに、そんな魔族が自分達を助ける理由があるのだろうか――――あろうことか、領主の部下を敵に回してまで。

 

「でも、それでは貴女の行いと対価が釣り合わない! 人間嫌いの権力者に敵対し、脅威となりうる人間を助けて、その見返りに、ボク達は何も返せない! 渡せるような貴重な物は持ち合わせてないし、働きで返せと言われても、ボクには何より優先すべきものがある」


 高い代償を払って救ったもの。

 その借りを返せる確かな保証を、俺達は持っていない。

 

 ホープはこの世界を、神の世界だと思ってやってきた。

 俺はホープを助けるためについてきた。

 金目のものは持っていない。

 かといって、何かしら彼女に協力できる余裕はない。

 バシアスやフェテレーシアの魔術は凄まじかった。

 ならば、他の魔族も同じことが出来ると考えるべきだ。

 ただでさえ最優先ですべきことがあるというのに、他の魔族に襲われる危険を冒すなど間違っても行ってはならない。


 驚いたように、目を見開くフェテレーシア。

 だが、次の瞬間彼女は心底おかしそうに


「ぷ、あはははは。割とゆるふわしてるように見えて、案外頭堅いんだね、貴方」


 そんなことを言って笑いだした。


「だからー、気にしなくていいんだって。私はたった一時助けただけ。確かに貴方たちを助けるために、色々と面倒を背負い込んだかもしれない。けど、そんなこと言われるまで気が付かなかったくらいには、私も考えなしだったんだから」


 ……そういうことか。

 なるほど、生きているうちに、まさか二度もこんな人に助けられるなんて。


「で、でも……!」

「そこまでにしとこう、ホープ。せっかく助けてくれた相手が気にしなくていいって言ってるんだ。あまり疑うのも失礼ってもんだろう」

「でもさ……!」

「大体、助ける理由だって? それを、アンタが言えた事か」


 ハッとするホープ。

 ほら、そう言う事だ。

 俺は、そんな、よく分からない理由で他人を助けるお人よしを1人知っている。

 今にも死にそうなくらいに疲れ切って、親も家も無くしてしまった1人のガキを、苦労を背負うと知りながら、気まぐれに引き取った一人の男を知っている。

 助ける力と、助けたいという意志があるから、だなんて馬鹿げた理由でとっさに動ける男を知っているのだ。

 なら、2人目がいたところで、今更驚くまい。


「ホープ。アンタだって、見返りを求めずに俺を助けてくれただろ? じゃぁ、今回もきっとそういう事だったんだよ。誰かを助けるために動ける人がいて、俺達はそれに救われた。幸運だったんだって、素直に喜ぼうぜ」


助ける理由が無いから、見殺しにされるより。

例え何も求められなかったとしても、助けられた事への恩返しが出来る方が素晴らしいに決まっている。


「……そうだね。そうすることにしよう。そして、フェテレーシアさん。助けてもらったのに疑ってしまって、申し訳ないことをしました」

「ううん。気にしなくてもいいからね」


にこやかに答えるフェテレーシアに、ぎこちない笑顔を返しながら、ようやくホープは緊張の糸を解いたのだった

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