第3話Prologue3/3 (理不尽な急襲)

 最初に感じたのは息苦しさだった。

 呼吸の度にゼラチンを吸い込んでいるよう。

 上手く空気を取り込めない。

 乗り物酔いに近い不快感に吐き気を催す。


「ルイ、口元と鼻に霊器を作るんだ」


 ホープが言う。

 霊器とは、魔力の流れを操作する形のない器だ。

 魔力は世界に拡散する性質を持ち、一か所に留まることはない。

 土に染み込む水のように、瞬く間に減っていく。

 魔力を世界から汲み取り、術式に叩き込むまでにも多くの魔力は散ってしまう。

 結果として、魔力を体に通す痛みに対し、割の合わない小さな現象しか起こせない。

 ゆえに、その拡散を防ぎ、注いだ魔力いたみに見合うパーツを必要とした。

 それこそが霊器――魔力の流出を防ぐための外殻である。


 師匠の言葉に従い、即座に霊器を口と鼻に展開する。

 空気と共に侵入する濃密な魔力を、不可視の器が遮断する。


「やはりね。今のは魔力に酔ったんだろう。この世界の大気中に濃密な魔力が満ちている。大量の魔力を吸収してしまう事で、気分の変調を起こしたってところかな。きっと、体内に長時間魔力が残るって感覚に慣れないと今みたいに魔力酔いを起こすんだと思う」


 確かに、元いた世界ちきゅうにも魔力は存在する。

 けれど、魔力を行使するならばともかく、呼吸による吸引程度であれば、人体を害することは無い。

 二酸化炭素のような物で、一応有害な物質ではあるものの、濃度は低いんで悪影響はない。 

 けれど、濃度が高くなると生死にかかわる、みたいなものだろう。

 霊器のおかげで魔力の吸引が無くなったためか、不快感はじきに薄れていった。


「悪い。サンキュな。おかげで助かった」


 さすがは師匠ホープだ。

 普段の素行が危なっかしいのから忘れがちだが、魔術とか魔力に関する知識はかなりのもの。

 世界が変わろうと、環境の看破と適応をやってのけるあたり、いつもは見せないだけで実はすごい魔術師なのだと改めて認しき……。


「うぷ、おえぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」


 蒼い顔から、映像的規制がかけられそうな液体が漏れる。

 ……おそらく、今説明した事情を看破した時には、彼にとって手遅れだったのだろう。

 で、せめて俺だけでもと思い、霊器うんぬんと教えてくれたのだ。


 取り敢えず、背中を摩りながらホープが落ち着くのを待つ。

 5分ほどうずくまっていたが、ようやく体調が戻ったのか、ホープが立ち上がると、周囲を見渡した。


「さて……ここはどこなんだろうね」


 すっかり気分は良くなったのだろう。

 先ほどまでの弱々しさは消えている。


「さぁ、神様の世界なんじゃないか? 何も考えずに飛び込んできたんで、その確証はないけどさ」

 

 考えてみれば、随分と無謀なことをした気がする。

 大気に満ちる魔力の濃度からして、ここは地球であると言う方が疑わしい。

 ただ、だからと言ってここが神様の住まう場所であると判断できる材料はなかった筈だ。


「うぐ……確かに考えなしだったことは反論できないけど……」


 バツが悪そうにホープは俯く。


「でも、でもさ! こんなすごい濃度の魔力がある場所っていうのも凄いと思わない? まるで、ボク達のものとは異なる世界に来たみたいだ」


 異なる世界とはまた夢のある話だが、実際ないとも言い切れない。

 着くなり気分が悪くなってしまうほどの魔力が満ちているのだ。

 少なくとも、何かしらこの草原はいびつなのだということくらいは理解できる。


「とにかく、周辺地理を確認しよう。近くに村とかがあるといいんだけど……」

「そうだな。せめて食い物くらいは確保しないと」


 やはり、何の準備も無く行動したのか賢くなかったという話。

 俺自身、焦っていたとはいえ何も持たずホープについてきてしまったのだからそこに関して何も言えないが、現状は実はすごく不味いのではないだろうか。

 視界には一面の夜の草原。

 近くには森が見えるが、街や村など人が住んでそうな様子は確認できない。

 人の往来が無いのは時間帯によるものかもしれないが、日が昇ったところで誰かが通りかかるか保証はない。


「ホープ、どうする?」

「んー……どうしたものかなぁ……おや? あれは?」


 何か気になる物を見つけたらしいホープの方に振り返り、その視線の先を追う。

 そこには、一人の人影があった。

 夜の闇でシルエットしか確認できないが、そいつは足を止めてこちらを見ている様に見える。


「ルイ、僕達は運がいい! どうやら、この辺りにも人はいるみたいだ! あの人に色々と話を聞いてみようじゃないか!」

「あ、おい! ちょっと! そうやって軽率に動いて痛い目に遭った事もう忘れたのかよ!」


突然人影に向かって走り出そうとする師匠を慌てて呼び止める。


「大丈夫だって! 事情を話せば、街がどこにあるかとか教えてもらえるかもしれない! とにかく、ボク達には情報が必要だ! 大体、何もしないわけにもいかないんだし、とにかく何かしら行動を起こすべきじゃないかい?」


 そう言うと、ホープは再び人影に向き直っていった。

 思わずため息を吐きながらその後を追う。

 まぁ、確かに行動を慎んだところで何かを得られるわけじゃない。

 むしろ、この世界の事を何一つ知らないわけだし、積極的に動いて情報を得るべきだろう。

 幸いなことに相手も人の姿をしているのだから、流石に酷い事はしないだろう。

 

 ホープは「すいませーん」なんて笑顔で手を振りながら、初対面の人影に近づいていく。

 コミュニケーションは第一印象から。

 人懐っこいホープの態度なら、向こうも敵意は抱かないだろう。

 ほら、相手は身構えて何やらこっちに手なんか向けてたりするし……。


 瞬間、大地が揺れた。

 俺達と人影の間に、赤く巨大な炎壁が現れる。

 空高く伸びる炎は太陽のフレアを連想させ、吹き付ける熱風が容赦なく肌を焼いていく。


「なっ――――――――!?」


 ワケがわからない。

 迫る炎は攻撃か――――少なくとも、直撃すればただでは済まない。

 ホープの手を掴んで横に跳び、すんでのところで壁を躱しきる。


「あ、アンタいきなり何をするんだ!?」

「そうです! ボク達はちょっとお話を伺いたかっただけで、貴方に害を加える気などないのですよ!?」


 人影に呼びかける。

 世界が違うために言葉が通じていないのか、なんて考えすらうかばない。

 だが、


「黙れ、人間。生憎だが、お前らに害意は無くとも俺達が貴様らを嫌う理由はあるもんでね」


 ホープに応えた声は敵意で満ちている。

 つまり、現実はなお悪い事に、影は言葉が通じた上で俺達を拒絶していた。


「貴様らがあの光の環から出て来たのを見ていた。主の領地の民ならばともかく、素上の知れぬ人間を放置できんからな」


 再び繰り出される炎の波。

 恐らく魔術師では再現不可能な規模の超高出力。

 波は波高を上げて壁と化し、俺達を焼き払いにかかる。


「な、何故です! ボク達は何もしていない! ただ尋ねたいことがあっただけです!」

「何もしていなくとも、何もしない保証はないだろう? まぁ、こちらにも語り合う気はない。何もしていないというのなら、何もしていないうちに死ぬがいい。我が主の的にならぬうちにな」


 声色こそ落ち着いているものの、その奥に込められた憎悪はたやすく読み取れた。

 煮えたぎる怒りを表すかのような炎壁が、こちらを焼き尽くさんと迫りくる。


「くっ――――! ホープ――――!?」


 ワケが分からないまま、師匠の名を呼ぶ。

 魔術師として一流である彼ならばこの状況を打破できると思って。

 こんな規模しゅつりょくの魔術があるのか。

 あいつは一体何なのか。

 どうしてこんなに敵意を抱かれているのか。

 どうやったらこの危機から助かることが出来るのか。

 あらゆる疑問、あらゆる危機を、この男ならば氷塊出来ると思って。


「――――――――――」


 ホープは、呆然としている。

 目の前で起こっていることが信じられない。

 人間を憎む目の前の存在の正体が分からない。

 この世界に来たばかりだというのに、これまでの常識が容易く砕かれたというように。

 疑問を解くには情報が足りず、

 危機を脱するには力が足りない。


「ホープッ!!」

「――――ッ! Gather集い and Pierce射貫け


 呼びかけに正気を取り戻したホープが、魔術を放つ。

 高速で凝集し放たれる水の弾は、しかし炎の壁の前に蒸発した。


 死ぬ。

 そう確信する。 

 躱すにはあまりに広く、打ち消すにはあまりに苛烈。

 故に、不可避。

 城壁に押しつぶされるように、炎はあっけなく俺達を巻き込むだろう。


「――――――――――」


 それは、許せない。

 長年神様に会う事を夢見てきたホープの悲願。

 それを叶えるために――まだまだ恩返しなんてロクに出来ていないのに、(俺だけならまだしも)二人してこんなにもあっさり死んでしまう事が、嫌だった。

 だから、真っ白な頭で飛び出した。

 考えている余裕はない。

 焦げ付くような熱風に目を焼かれながら、それでも右手を前に突き出し、最速で術式を編み上げる。


事象ディスマントル破却エアァァァァァァァァァァァァ!!!!!」


 衝突する右手と炎。

 本来ならば一瞬で消し飛ぶはずの俺の右手は、炎をほどき、虚無へと還していく。


「グ―――――ぅぅぅぅぅぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」


 けれど、押し寄せる炎に破却キャンセルする処理速度が間に合わない。

 身を削る熱波が肌をく。

 処理が遅れた分、自分ルイという外殻が傷ついていく。

 術式を続行する分、魔術師ルイとしての中身が軋んでいく。

 内と外の両方から襲う痛みに打ちのめされながらも、千々に砕けそうな意識を手放すことはしない。

 俺の後ろには、全てを懸けて恩を返すべき男がいる。


「あぐっ……あぅぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああ!!!!!」


 だったら、倒れるわけにはいかない。

 こんな奴に――――話も聞かず殺しにかかって来るような奴に、殺されてなんかやるものか――――!! 

 

「――――――ほう、生き延びたか」


 酷く苦しい時間が終わる。

 草原を犯す熱が薄れ、。腹に穴をあけた炎の壁が通り過ぎていく。

 どうやら、俺とホープがやり過ごすだけの隙間分は壁を食い破れたらしい。


「―――――ガッ―――フ……」


 そして、その代償げきつうがやってくる。

 右手を突き出したまま、口の端から血を零す

 7年の練習で、強化と崩壊の魔術は修めたつもりでいた。

 けれど、あまりにもとっさの事で何も考えず、加減無しフルスロットルで解き放った。

 無茶な魔術行使と、濃密な魔力によって削られた体内は、焼け付いてしまったと思えるくらいの痛みに犯されている。


「だが、それも無駄だったな。一発でそれほどの消耗なら、もう一発か二発で限界を迎えよう」


 一時生き残れたことなど、何の救いにもなりはしない。

 眼前の“敵”は既に、再びこちらに手をかざしている。

 ここで貴様らが死ぬのは決定事項だと告げるように、こちらを見据える冷ややかな視線を感じる。


 敵の手に炎が灯る。

 橙の火に照らされて、草原の闇に敵の姿が現れる。

 銀の髪に金色の瞳。

 真面目そうな顔つきに、猟犬のようだな、なんて思ってしまった。


「ではそろそろ死ぬがいい」


宣告と共に放たれる炎の波。

まだ事象破却は使えるが、意味がない。

何度防いだところで、奴は当然のように炎を出し続けるだけだろう。  

こちらの方が消耗は大きいのは明白だ 

力尽きるのはこちらが先になる。

あとは、無抵抗になった俺達を焼き払って仕舞いになるだけの話でしかない。


であれば、打開策はこちらから打って出るほかない。

 奴を倒し、文字通り火の粉を払うのだ。

しかし、それも不可能。

業火の壁は先ほどよりも激しく厚い。

あれを突破するのは至難だ。

俺はともかく、ホープの魔術でだって無理だろう。


「(だが、どうする……!?こんな状況で……こんな奴らを相手に……)」

「すまない、ルイ! キツイかもしれないが、もう一発だけ耐えてくれ!」

「!? 何をする気だ!? 何か、助かる方法でもあるのか!?」

「あぁ! ルイが炎を止めてる間に、とびきりの肉体強化をする。防ぎ切ったところで君を担いであの森まで駆け抜ける!」


 背後の森を指さすホープ。

 そこまで聞いて、事象破却ディスマントル・エアを右手に込めて叩きつけた。

 受け止めた炎は先ほどよりも重く熱い。

 全身に余すことなくやすりを掛けられた気分だ。

 それでも、どうにかこの右手で第二の炎壁を耐えきった。


「GO!!」


 瞬間、ホープが俺を抱えて走り出す。

 足に刻まれた人体強化。

大地を蹴る細足は、100メートルを6秒台で駆け抜ける。

見る見るうちに遠ざかる敵との距離。

だが、敵はそれを意にも介さない様子で、


「ふん、逃げる姿すら無様だな。もうよい、消えろ」


右手を一閃し、その手の先を赤い軌道が奔る。

 まるで鞭だ。 

草原を丸坊主にしながら、炎の鞭は空気を巻き込み巨大化して俺達に迫る。

 既に150メートル開いた敵との距離。

にもかかわらず、炎は一瞬にして俺達に追いついた。


躱せない。

今度こそ、どうにもならない。

事象破却もホープの足も間に合わない。

炎にまかれて死ぬ。

赤い剣の如く迫る炎はたやすく追いつき、俺達の命を奪うだろう。


「いや、流石にこんな弱い者いじめは見てられないかなぁ」


そんな中、鈴のような声が聞こえた直後、迫る炎は、爆裂によって打ち消されていた。。

いや、正確には暴風の炸裂。

空気を巻き込んで出来上がった炎の津波のような鞭を吹きとばす強風。

それにより出来上がる真空の世界。


「逃げるよ、キミ達。舌を噛むから口は開かないよーに!」


 その瞬間、砂塵に浮かび上がったシルエットによって、ホープともども小脇に担ぎ上げられる。

  俺達を抱えたその影は、すさまじい勢いで地を蹴り、吹き寄せる風を踏みつけ、直後に起こったバックドラフトすら味方につけて、300メートルの距離を一息に飛び越えた。

 あまりにも鮮烈、あまりにも軽快、かつ豪快。

 突然表れた疾風みたいなシルエットは、緑の長髪をなびかせて、すごいスピードで森へと駆けていった。

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