第3話「トモダチ」 ―水無月雪音編―
「おにいちゃ~ん、朝だよ~」
寝ている時に、上から覗き込むような気配がする。
「まだ寝てるよ。ったくお兄ちゃんってば……ほら、起きて」
身体が揺さぶられ、冷気が入ってくる場所を塞ぐように丸まる。
「…………あと三――」
「三分も待ってあげないよ」
「――三十年待ってくれ」
「あ?お兄ちゃん。アタシのご飯が食べられないって言うの?」
やがて何かの糸が切れた音がして、遥の声色が変わっていく。
俺も意識がはっきりしてきて、ゆっくりと遥の居る方へ寝返りを……。
「ふん!――早く起きろ馬鹿兄貴がぁぁぁ!!」
……打ちたかったけど、打てなかった。
プロレス技か何か分からないが、何やら固め技をしてくる遥。
「いてぇ、痛ぇって遥!それダメだから、曲がっちゃいけない方向だからっ!」
シャチホコのような格好になり、その上に遥が乗っている状態である。
「早く起きて来い、馬鹿兄貴」
バタン、と扉を閉めて、下の階へ怒った足音で降りていく。
制服に着替えて、準備が出来てリビングへ来ると……。
もう座っている妹の姿が、そこにはあった。
そして珍しく、母さんがいるし。
「あら、アンタ今起きたの?」
「たった今、愛しい妹から一本取られたばっかだよ。母さんは何してるのさ。仕事は?」
「これからまたすぐに出るわよ。ここんとこまた忙しいからねぇ」
「ごちそうさまっ!」
母さんと俺が話している間、遥がそそくさと部屋を出て行ってしまった。
「あんた、遥と喧嘩でもしたの?」
「いや、何もしてないんだけどな。単に朝起きなかったからかな」
「仲良くしなさいよ?それじゃ私も出るから」
「あぁ、行ってらっしゃい」
「また来月になっちゃうけど、おみやげ買って来るから」
「はいはい。早く行ってきなって」
玄関から来た寒気と一緒で、家の中が静かになった。
「時間まで何かするか」
朝の7時半。俺の家は、学校までそれほど遠くはないのだ。
だから急ぐ必要はないのだけど――。
「あいつが怒ってた理由は、これだよな」
流しに重ねられた食器を見て、俺はそう思った。
決して俺が担当をサボったっていう事ではなく、俺の家では一つの決まりを作っている。
その決まりは、俺と遥の二人で作ったルールだ。
「――今日の夜は、ちゃんと一緒に食うか」
俺は食器を洗いながら、一人でそう呟いたのだった。
◇
「(まったく、お兄ちゃんってばいつもいつも)」
朝のランニング中、そんな事を頭の中でぶつぶつ言いながら走る。
「遥っち~、おつかれ~」
「あ、月島先輩、お疲れ様です」
タオルで汗を拭きながら、月島先輩が話しかけてくる。
兄のクラスメイトにもかかわらず、愚痴や悩みを親身になって聞いてくれる。
面倒見のいい先輩である。あと優しい。
「遥っち、今日なんかあった?」
「え?いきなりですね。何も無いですよ?」
私は嘘を吐いた。けど先輩は、半ば強引に話を進めた。
「……ふ~ん。本当にぃ?また大好きな『お兄ちゃん』と喧嘩でもしたのかなぁ?」
「だだだ、大好きなって!アタシ、そんな事……」
「はは~ん、照れちゃって♪かわいいなぁ、遥っちは!」
うりうりと肘を突かれたり、抱き締められて頭を撫でられる。
「――でもね、遥っち。あいつは良い奴なのは、遥っちが良く知ってるよね?」
「……あ。……はい」
好き放題やってきた後で、そんな事をいつも言ってくるずるい人だ。
そんなの分かってる。
昨日なんて、夜遅くまで起きてたの知ってる。
でも何があっても、兄は、お兄ちゃんは真面目な人である事を私は知ってる。
「そういえば、遥っち。水無月先輩って知ってる?」
「水無月先輩?それは水無月雪音っていう三年生の」
「そうそう。その水無月先輩――これはちょっと噂なんだけどね?」
先輩は私に耳打ちしてくる。
気になったので聞いていると、私は自然と兄が夜更かしをしていた原因が判明したのであった。
「――あの、馬鹿兄貴ぃぃぃぃぃ!!」
◇
「……はっくゅしゅ!」
学校への行く途中、大きなくしゃみが出た。
風邪でも引いたのだろうかと思い、自分のおでこに手を当てる。
だが熱も普通で、特別熱いって訳でもなかった。
――気のせいか。
携帯を開きながら、ゆっくりと歩を進める。
トーク用のアプリで、最近友達リストに加わった人とやり取りをしているのだ。
「えっと、今日もお昼、屋上来ますか?っと」
『うん。今日もお弁当?』
「いや妹を怒らせちゃって、今日は購買です」
『そう。ならお昼一緒に買いに行こうよ』
まじか。水無月先輩とお昼に購買。なんという幸福な時間!
これはもう、狩ゲーで重要素材を手に入れた時より嬉しいぞ。
「じゃあそうしましょう!ぜひそうしましょう」
『何だか元気になったみたいだね!――「ね、彼方くん♪」』
ほら。もう嬉しすぎて、トークの部分と同じ文章で先輩の声が聞こえる。
「ねぇってば、彼方くんってば!」
「へ?」
「おはよう、彼方くん」
振り返ったらそこに奴はいた!のテンションが、通用する場面。
俺は惜しくも、そのテンションに至れなかった。
「お、おおおお、おはようございます、水無月先輩!」
「ぷっ、何でそんな緊張してるの?ふふふ」
恥ずかしすぎる。友達になって嬉しいとか言えないし、これは誤魔化せない状況だ。
でも、こんな風にも笑ってくれるんだな。
「先輩、笑いすぎです。俺、先に行きますよ?」
「あ、待ってよ。酷いなぁもう」
◇
部活が終わって、教室でくつろいでる時に窓の外から珍しい光景が映る。
「おはよーっす、よう、月島」
「おはよう、二階堂。ねぇ、あれって彼方っちだよね?」
窓の外に指を差し、クラスメイトである二階堂にも促す。
二階堂は窓に張り付いて、吟味している。
「月島隊長」
「なんだね、二階堂隊員」
「あれは我々の隊員である清水隊員ですよね」
「私はそう見えるが見間違いと?」
「射殺命令を」
「許可する」
「
すると二階堂は、鞄の中から銃を取り出し始める。
なんかエアガン出てきたぁ!流石にこの馬鹿でも、人に向けて撃つわけ……。
「目標まで300m。よし、俺でも行ける。月島隊長――」
なんか滅茶苦茶やる気満々だ!しかも校門まで300m以上あるよ。
「な、なによ」
「――死にたくなければ、俺の後ろに立つな」
タバコを吸う仕草とエアガンを縦に持って言ってきた。
なんだろう、無性に殴りたくなるのは何故だろうか。
『はい、ストップだ。馬鹿組の内の二人』
「あ、みぃーちゃん、何するのさ」
エアガンを取り上げる瑞鳥先生に、二階堂はワガママ顔で文句を言った。
中学からの付き合いだけど、よくこうも馬鹿のままでいられるものだ。
そのエアガンは、瑞鳥先生に没収されるのであった。
◇
「おい、あいつどうしたんだ?」
昼休みの時間に入り、俺は朝から沈んでる二階堂の姿を見て言った。
「何でウチに聞くのさ。まぁ理由はくだらないから、別に放っておいても問題はないっしょ」
「ふ~ん……あ」
俺は何かを思いついたように閃いた。
「なぁ月島、お前今から付き合え。二階堂、お前もだ。何かあったのなら、テンション上げさせてやるよ」
「なんだよぉ、兄弟。今俺は超絶テンション低いんだぜぇ?プロ野球ゲームの絶不調の紫色の奴状態だぜ?」
そんなマニアックな例えなんかされても、分かる奴にしか分からねぇよ。
仕方ないと思い、俺は思いついた事を二階堂に耳打ちした。すると――。
「おっしゃ~!!テンション上がってきたぁ、ひゃほぉぉぉぉ!!!」
「アンタ、あいつに何したのよ」
「お前も移動準備しろよ、な♪」
「あ、うん」
何やら顔を逸らされたけど、着いてくるっぽいから俺も移動準備を始める。
そして数分後……それは現実となった。
「それじゃ皆さん、いただきます」
「「「いただきま~す」」」
屋上でブルーシートを広げ、俺と二階堂と月島、そして水無月先輩で食べる事にした。
「水無月先輩、俺は今、猛烈に感動しています。くっ……涙で買った弁当が見えましぇん!」
大げさに泣きながら、テンション上がりっぱなしの二階堂。
「このおかずと交換しませんか?」
「うん。じゃあこっちのおかずと交換で」
月島は流石女子同士。もう打ち解けているから安心だ。
俺も購買で買ったパンを口に運ぶ。
「あれ?今日は遥っちのお弁当じゃないんだね」
「ぐっ……痛い所を突いてくるなよ月島。俺にも色々あんの」
「どうせ喧嘩でもしたんでしょ?後で謝りにでも行きなさいよね」
ご飯を口に運びながら、月島がそんな事を言ってくる。
言われなくても、ちゃんと分かっている。
「月島さん、清水くんが妹さんと喧嘩した事知ってたの?」
あれ?今先輩、俺の名前を苗字で呼んだ?
「はい。部活の後輩なんで、かなり愚痴を聞いてますよ。主に彼方っちのだけど」
「家族なんだから喧嘩もあるさ。大丈夫だよ。お前の心配してる事には、絶対ならないから」
「それは知ってるよ。彼方っち、妹思いだもんね♪」
「そんな事ねぇよ」
「…………ふふ」
そうして俺たちは、歓談しながら昼食を終えた。
そのまま二人も連絡交換をして、俺たちは今度遊ぶ約束をするのだった。
◇
『皆で遊びに行きましょう。絶対楽しいですよ!』
『楽しみですね!』
『おやすみなさい』
その最後のトークを見て、私はベッドに寝転がる。
枕を抱いて、携帯の友達リストを開く。
今日だけで、二人増えた。それはとても嬉しい事だ。
嬉しい事のはずなのに、私は何か胸を奥でチクリと刺さる。
友達になって、確かに私は変わったかもしれない。
教室でも少し浮かなくなったし、友好関係の築き方も慣れてきた。
これも全て、清水彼方という彼のおかげだ。
嬉しい。そう、そのはずなのだ。
なのに何で、私は考えてしまうのだろう。
何回も、何回も、同じ事を考えてしまう。
――私は彼とどうなりたいのか、と。
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