第2話「ハツコイ」 ―水無月雪音編―

「…………」

今日の事が頭から離れず、俺はボーっとしていた。

日課のテレビゲームをしていても、手元にも画面にも集中出来ない状況だ。

「お兄ちゃ~ん、お風呂入って~」

下の階から、妹である遥の声が聞こえてくる。

だが俺には、そんな声すら聞こえてなかったようだ。

それを自覚出来たのは、遥がテレビの電源を消した所で我に返った。

「――お兄ちゃん、どうしたの?お風呂空いたけど……」

「あー、特になんでもないよ」

「大丈夫?具合でも悪いの?」

「大丈夫だよ。風呂、覗くなよ?」

「ぐっ……覗かないよっ!馬鹿兄っ!」

そう言って、遥はタオルをこちらへ投げてくる。

何を照れているんだか……兄妹だろうが。

ポタポタ、と水の滴る音が浴室で響く。

自分の溜息が響き渡ると共に、俺の脳裏に今日の事が浮かぶ。

自分の口に触れながら、先輩の顔が頭に浮かぶ。

「――先輩。なんであんな事を……」

俺と先輩は、あれが初対面のはずだ。

なのに何で、あんなに親しく出来るのだろうか。

あれがおそらく、人気の理由なのだろう。

誰とでも等しく接して、自分の綺麗さを鼻にかけない態度で接している。

男子にも女子にも、そして俺にも……。


「はぁ~~~~」

「長い溜息だなぁ、兄弟」

「彼方っち、何かあったの?」

「さぁ?」

机に突っ伏す俺の真横で、二人の会話が聞こえてくる。

「放っておいてくれ。ちょっと諸事情でやつれてるだけだから」

机に突っ伏したまま、俺は手だけで振って言った。

「そうは言ってもなぁ。お前、朝からそのテンションを見せられる俺たちの身にもなってくれ」

「そうね。気持ちいい朝練の後なのに、辛気臭いのよ。悩みがあるなら言ったら?」

二人はそう言うが、心配をしてくれているのだろう。

冷たい言い草に聞こえても、その声色には棘がなかった。

「いや、良いよ。顔洗ってくる」

「あまり無理すんなよ~」

「二階堂。アンタなんかしたの?」

「……何で俺の所為なんだよ?!」

教室から出て行く途中、そんなツッコミが聞こえてくる。

すまんな、二階堂。今は、テンションに着いて行けん。

顔を洗って、ハンカチで拭きながらトイレから出てくる。

「あ、奇遇だね!や、弁当くん♪」

隣から肩を叩かれて、振り向くと彼女の姿があった。

振り向けば、頬に彼女の指が刺さる。

「……何してるんですか」

「え?やらない、これ」

そう言いながら、視線を手元に落とす。

確かに小さい頃とか中学の時やったけども。

「ねぇ弁当くん、今日のお昼も屋上?」

「そうですけど……その弁当くんって俺のことですか?」

「うん。だって名前知らないもん。だから弁当くん」

それにしたって、弁当くんって。

お弁当を持ってきてる生徒全員に当てはまるじゃないか。

「――清水彼方、です」

「え?」

「だから名前です。清水彼方ですから、弁当くんはやめてください」

「うん。ありがとう、彼方くん♪」

……。

なんだこれ?

自分の心臓が跳ね上がるのを感じる。

憧れの先輩に名前呼びされてしまった。

顔を逸らして、俺は気づかれないように小さく深呼吸をする。

「じゃあ彼方くん、また後でね」

「あ、はい!」

彼女が階段を上っていき、姿が見えなくなるまで直立不動になっていた。

「おいおいおい、見てたぜぇ兄弟。コノヤロー」

「に、二階堂、おまえ、いつから?!」

「あ~?『じゃあ彼方くん、また後でね♪』『あ、はい!』ってお前。なんだその甘酸っぱい恋人同士のようなやり取りはよぉ!」

肩をガシッと掴んできて、大きく身体を揺さぶられる。

……よ、酔うからやめてくれ。

「言っとくが、お前が思ってるような事は無いからな!」

「はぁ~?そんな事無いだろう。いつ、どこで、先輩と、会うんだ?え?」

言いながら迫ってきて、ちょっとウザいぞこいつ。

ここは一つ、こいつを静める裏技を使うとしよう。

「おい、二階堂。いや、兄弟」

俺も二階堂の肩を掴む。

「な、なんだ」

「お前が何を勘違いしてるのか知らんが、俺は今、重大な任務の途中なんだ」

「重大な、任務、だと?」

「あぁ。俺は今、俺のこの携帯に先輩の生写真を手に入れようという重大任務だ」

「な、なんだって!?お前それ、MYファンクラブにバレたら!」

――釣れた(ニヤリ)。

「あぁ、だが俺は引く訳にはいかない。お前にはこれから邪魔が入らないよう、ファンクラブを見張ってもらいたい」

「お前、本気なんだな」

「あぁ、本気だ」

「分かった。お前の覚悟、確かに受け止めた」

俺と二階堂は、力強く握手を交わした。

ふっ、単純な奴で助かったぞ、我が友よ。

二階堂の馬鹿……もとい、友人の目を盗んで屋上までやってきた。

遥の作った弁当を開けて、おかずを食べ始める。

外の空気は寒く、吹く風も冷たい風が肌を撫でる。

この時間帯に屋上に来るものなど、相当の物好きか馬鹿しかいないだろうな。

この考えなら、俺は馬鹿って認める事になってしまうな。

まぁ、認めるけど……。

「おまたせ、彼方くん♪」

「どうも、先に頂いてます」

「あぁ~、一緒に食べ始めたかったのにぃ、もう」

そう言いながら、彼女は隣に座り込む。

心なしか、彼女の表情が赤くなっているように見える。

風邪でも引いているのだろうか?

「先輩、これ使ってください」

俺は先輩に制服のブレザーを差し出す。

「え?」

「顔赤いんで。風邪引いたら大変ですから、使ってください」

「あ、ありがとう?」

彼女はそう言いながら、渡されたブレザーを羽織る。

首を傾げているが、違っただろうか?

あいつなら愚痴愚痴に何か言っていても、使ってくれるのだが……。

何を考えているか、良く分からないな。

「……先輩は、どうしてここに?」

「ん~、ここに来てるの迷惑だったかな……」

「そうじゃなくて。何で俺なんかと関わるんです?先輩なら、友達とか多そうですし、俺と食べなくても」

そうなのだ。

彼女はこの学校の人気者だ。

昼食を共にしたい人など、嫌っていう程たくさんいるだろう。

それを何で、俺なんかと一緒に食べるのだろうか。

「――友達は確かにいるよ。けど私は、そんな皆の人気に応える事なんて、出来るような人じゃないの」

「それは、どういう」

「皆が褒めてくれたりしてくれるのは凄く嬉しいし、告白とかされるのも嬉しいよ。でも私は、良く知らないんだ。本当の友達とか恋人とか、そういうのにはちょっと疎いの。線の引き方が分からないっていうのかな?そういうのがあるから、自分でも良く分かってない。私は――ずるいだけなんだよ」

彼女は自分の膝を抱えて、悲しげにそう呟いた。

俺にも似たような事はある。

誰とでも関わるって事はなくても、他人との距離の取り方なんて難しい。

踏み込み過ぎれば嫌われるし、踏み込み過ぎなくても失敗に繋がる。

とても難しい事だ。俺も経験はある。

「先輩」

「??」

立ち上がる俺を見て、彼女はそれにつられて顔を上げる。

俺は完全に彼女と向き直り、深呼吸して口を開いた。

「俺と練習しませんか?」

「え?」

「俺でも良ければ頼って下さい。友達っていうのが分からないなら、それが分かるまで練習しましょう。俺が実験台になります。どう、ですか?」

少し緊張しながら、そう彼女に告げる。

彼女はポカンとしている。やがて、少ししてから笑みを浮かべた。

「彼方くん、優しいね。私、君のそういう所好きだよ。ありがとう♪」

そう言って笑う彼女の笑顔は、吹いて風と共に彼女の髪がなびく。

優しい笑顔に釘付けになり、俺は彼女に惚れたのだった――。


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