希望

 セリヌンティウスは走る。砂を巻き上げ、風を切り、荒野の中を走る。休む暇はない。友、ガイウスの命はもはや風前の灯火。一分一秒でも早くガイウスの住む街に行かなければならぬのだ。

「お待ち下さい」

 不意に声をかけられ、セリヌンティウスは走る足を止めた。そして振り替えると、見知らぬ男がいた。足を怪我している。

「誰だ」

「名はカエサル。しがない商人でございます。お願いがあります」

「だめだ。今の私に時間はない。他を探せ」

「そう言われても、ここは何もない荒野。人など、滅多に通りませぬ。どうか話を聞いてください」

 セリヌンティウスはさらに声を大きくして言った。

「時間がない。だめだ」

 カエサルは地面に倒れこみ、泣きわめく。

「ひどい。ひどすぎる。私はこれほど困っているのに。話すら聞いてくれないとは」

 セリヌンティウスは頭を抱える。ここまでされると、さすがに哀れになってくる。セリヌンティウスはカエサルの話を聞くことにした。

「手短に話せ」

 カエサルは泣き止んだ。

「ありがとうございます。この貴重な薬を、西にある街に住む、私の兄に渡していただきたいのです」

 セリヌンティウスはその薬を受け取る。

「いいだろう。ちょうど私はその街に向かっていたところだ。その者の名前は」

「ガイウスでございます」

 セリヌンティウスは飛び上がった。

「ガイウスだと。今、ガイウスと言ったか」

「はい。言いましたが」

 セリヌンティウスは、胸の奥から何かがわき上がってくるのを感じた。なんと、ガイウスを助けられるかもしれないのだ。これは運命。神の導き。そうとしか考えられない。

 セリヌンティウスは目に涙を浮かべる。

「ありがとう。私はそのガイウスに会いに行く途中だったのだ。助けられずとも、最後に会いたいと思っていたのだが、これで助けることができる。さっきはすまなかった」

「そんな偶然があるとは。これも神の思し召し。ありがたい」

「そうと決まれば、ぐずぐずしてられない。さらばだ」

 セリヌンティウスはカエサルに見送られながら走り始めた。まっていろ、ガイウス。今助けてやる。セリヌンティウスは馬の如く力強く地面を蹴り、風よりも早く走る。ただひたすら走る。


 ガイウスの街まで残りわずかになった頃。セリヌンティウスは苦しんでいた。疲れや空腹などは屁でもない。しかし、渇きには勝てなかった。水筒か何か持ってくればよかったのだが、あまりにも出発が突然だったため、用意してなかった。セリヌンティウスは思わず地面に倒れる。それでも尚、太陽はセリヌンティウスを照らし続ける。

 倒れている場合ではない。立て、立たなければならない。セリヌンティウスは自分に訴えかける。しかし、足に力が入らない。ついさっきまで走れていたのが不思議な程の脱力感だった。

 セリヌンティウスは薄れていく意識の中で、怒った。しかし自分でも何に対して怒っているのか分からなかった。怒りに怒った後、それは悲しみに変わった。あともう少しなのに、たどり着けない。水さえあれば。たった数滴でいい。とても悔しく、辛かった。しかし涙は流れなかった。涙を流せるほどの水分が体に残っていないのだ。

 神よ。どうか助けてください。私の命は、大切な人の命を預かっているのです。ルクレティウス、ガイウス。誰も死んでほしくない。どうか、私を救ってください。お願いします。

 その時、祈りが通じたのか、奇跡がおきた。季節は初夏にも関わらず、太陽を厚い雲が覆い、雨が降ってきたのだ。セリヌンティウスは閉じていた目を開ける。雨だ。雨が降ってくれた。セリヌンティウスは口を大きく開け、降り注ぐ雨を飲む。まさに天の恵みだった。どんどん元気が沸いてくる。

 セリヌンティウスは立ち上がった。そして、空に向かって「ありがとう」と叫ぶと、残り少しの距離を走り始めた。

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