第11話

 HRが終わった後、俺はともえに今は使われていない総研部の部室だった部屋へ呼び出された。結局あいつは一時間目の授業に間に合ったみたいだし、俺だけ授業サボったみたいになって俺だけ怒られたんだよな。この世は八割の理不尽と二割の幸福で成り立っている。(名言)


 それにしても、


「久しぶり、だな。ここへ来るのも」


 ここは旧校舎なので人通りが全く無い。

 だから、不意に時が止まったように感じた。虚無感に襲われるとはこういうことを言うのだろうか。


「そうだね。少し静かだけど、昔に戻ったみたい」


 突然の声に驚き、後ろを振り返ると、巴が立っていた。


 ──いつのまに…?足音聞こえなかったんですけど。


「鍵、持ってきてくれたんだ」


「ああ、一応」


「ありがとね。色々」


 困ったように笑った巴は俺から鍵をひったくりカチャカチャし始めた。


「あれ…」


「開かねえのか?貸してみ」


 巴から鍵を受け取りカチャカチャやってみる。開かない。


「なあ、これって壊していいんだっけ?」


「ダメに決まってるでしょ。ちょ、正拳突きとかやめなよ」


 一発じゃドラマや映画みたいに吹っ飛ばない。木の扉だからヒビは入ったけど。


「でも壊す以外に方法なんてねえだろ」


「ちょっとシャー芯貸して。できればBのやつ」


「え、お、おう」


 丁度Bのシャー芯を昨日百均で買っていたので、三本渡す。だいたいなにをするのか分かったからだ。


「三本もいらないよ。私のピッキング術をなめないでもらえるかな」


「ピッキングて…」


 ツッコミかけてやめた。なんか聞いたらダメな気がした。


「え、なんで出来るか気になるの?」


 なにやらカチカチやりながら巴が振り向いた。

 さらりと心読むのやめてもらっていいですかね……。


「いやいいからいいですほんと気にならないから」


「私のお父さんがね、変わっててね。だからなの」


「いや、分かんねえよ」


「『玉垣の娘ならピッキングの一つや二つできた方がいいだろ』って言って教えてくれたんだ」


「へえ〜、ははは、意味分かんねえ。てか前から思ってたんだけど玉垣家ってほんとなにしてんの?」


「えー、秘密」


 他愛もない雑談はカチャリという音で止まった。


「さあ、開いたよ」


「すげえな…。シャー芯だぞシャー芯」


「なんででも出来るよ。細い棒なら」


 扉を開きながら巴は俺にウインクをした。こういうのが嫌味にならないのが美人さんというものだ。俺も入学を控えた春休み、高校デビューを目指してウインクの練習を毎日していた。妹に見られ、鼻で笑われてからはやめた。あの『ハッピースクールライフッ‼︎』って少女漫画許さねえからな。……やたら男がウインクしてたからそれが普通かと思っちゃったじゃん。


「ん、どうしたの?早く入って」


 ぼーっとしていたらしい。次々に思い出が蘇っていた。


「おう、なんか色々思い出すな」


「そうだね。あの頃が一番楽しかったなあ」


 巴は総研部の話題になると頰が緩む。困ったことに、俺もその気持ちが痛いほど分かる。思い出として語る分には、誰も不幸にならない。かけがえのない時間はかけがえがなかったからこそ価値がある。ただの過去形とはまるで意味が違う、それが思い出というやつだ。もちろん、悪い思い出も人によってはあるだろうが、俺はそれを黒歴史と呼び、思い出とは別物だと思っている。


「一応、終わらせとくね」


 わずかに、巴の頰が紅潮する。それは羞恥か、決意か、あるいはその両方か。何をするかは瞬時に分かった。慣れてはいないが、経験と呼べるものはある。今の巴の表情はあのときのあの娘の表情と酷似している。

 口を開きかけて、やめた。というか出来なかった。


 巴が、俺の胸に飛び込んできたからだ。


 そのまま強く抱きしめられる。抵抗はしない。ただ、締めつけられるのは体だけではなかった。


「初めて会ったときから、ずっとずっと好きでした。校外学習のとき、私が足をくじいたからおんぶして歩いてくれたこと。家に来たときに手作りのクッキーをあげたら世界一うまい!って言ってくれたこと。……全部、全部全部嬉しかったっ」


 そこで巴は言葉を切り、俺の顔を見上げた。

 泣いていた。

 巴は泣いていた。

 でも、口は笑っていた。それも次第にヒクヒクとなる。…そんな笑い顔、無理に作んなよ。

 伝う涙を拭こうともせず、俺の目をじっと見て、笑った。


「なんで、そんな前髪、長いの…?……目出してた方がかっこいいよ…」


 嗚咽しながら、巴は俺の前髪をあげた。それにより視界が開け、巴の潤んだ瞳も、艶やかな唇も、鮮明に見えた。


 胸が熱くなってきた。


 じんわりと、巴の熱が伝わってくる。


 それだけのせいじゃ、ないんだけど。


「さっきの続きね?……要するに、私と…つ、付き合って、ほしい…ってことです。分かってくれた、かな」


 ──分かっていた。


 いずれこの日が来ることも、それから逃げていたことも。


 俺には好意を受け取る義務があったのに、あったはずなのに、傷つけたくない、傷つきたくないと、自分に言い訳してきた。

 そのツケが今、回ってきたのだ。


 これが、優柔不断な…いや、違うな。臆病でどこまでも愚かな俺への罰だ。


 この心が鎖で締めつけられるような痛みは、どんな強い奴の拳よりも、よっぽど痛い。


「…俺はチキンだ。今でも逃げたいと思ってる。でも、逃げても逃げてもやっぱりダメだ。どっかで絶対限界がくる」


 きょとんと涙目で俺を見上げる巴の肩をしっかり掴む。ちっ、可愛いなチクショウ!これが告白っていう補助効果か!

 でも、だからこそ。


「巴の好意は嬉しいし、俺にはもったいなすぎる。でもごめん。俺は、俺は…巴の気持ちに応えられない」


「好きな人、いるの?」


「いや、そういうわけじゃない。俺に、そんな期待されても返せるものを何も持っていないってだけだ。第一、巴は今の俺じゃなくて『僕』に恋してるんだろ?じゃあ俺じゃダメだ。俺といても、巴は幸せになれない」


 少し突き放した言い方だったか?

 まあいい。これで終いだ。嫌われることには慣れてる。俺なんかを好きでいるよりも、もっと誠実な人を好いた方がきっと、


「そうじゃないっ‼︎そういうことじゃ、ないんだよ‼︎」


 ……っ⁉︎


「……ああ、ごめん。ついカッとなっちゃった。でも、今のは涼也君が悪いよ。…私たちのせいなのかもしれないけどね」


 どういう、意味だ?

 混乱している俺をよそに、巴は言葉を続ける。


「まあ、いいや。そう言われるってことは……分かってたんだから、さ。……………でも、直接言われると、やっぱり…きついね」


 溢れる涙は止まる気配がなく、床を濡らしていく。

 ついに巴は声をあげて泣きだした。


 俺には、何もできない。












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