第8話

 ──好きなわけ、ないじゃん。


 は紅潮した頰をさすりながら、こいつの部屋を出た。


 であっても私たちは兄妹だし、そういう関係になることはきっとない。ないったらない!

 ちなみにあいつは私たちが義兄妹だということを知らない。私も最近知ったばかりだ。

 両親から盗み聞きした話によると、私は捨て子だったらしい。

 家の近所にある教会の門の前で、ダンボールの中で泣いていた当時赤ちゃんだった私を神父さんが拾い、里親募集で今の両親が立候補したとのことだ。

 不思議なことに全くショックを受けなかった。

 何も、感じなかった。

 ああ、そうなんだな、という理解だけが広がり、そこに本当の親は?とかなんで捨てたんだろ?という疑問すら浮かばなかった。

 それくらい、私は自分自身に関心がないのだ。

 もちろん感謝はしているし、家族は大好きだ。

 生みの親より育ての親とはまさにこのことだなと思った。本当の親見たことないけど。

 あいつももちろん例外ではない。

 今のあいつも、過去のあいつも、間違いなく私のただ一人の兄なのだから。


 ──もし、目の前で両親と兄が溺れているとしたら。

 多分私は間違いなく自分を犠牲にしてどちらも助ける。


 私は私より家族のほうが大事だ。


 だから…。


「……あ、起こしに来たんだった」


 気絶させたまま放っておくと私の朝ごはんがないので仕方なくあいつの部屋へ戻る。

 今ではもう私があいつを起こすのが我が家のルールとなっていた。

 大きなため息ひとつ。

 扉を開ける。


「ほらほらお兄ちゃん‼︎そんなとこで寝てると風邪ひくよ!早く起きてっ!」


 時計は六時一○分を指していた。

 いつもより一時間ほど早い。


「………んにゃ……誰のせいだと思って……」


「あ、起きた〜。今日の朝ごはんなに〜?」


「アジの開き」


「さいってー‼︎」


 だから、家族だから、心を閉ざしてしまったこいつを、また引っ張りだしたい。

 せっかくこの底抜けに明るいを演じているのだ。少しでも、せめて私だけにでも心を開いてくれないだろうか。


 心の中での問いかけは、当然こいつには届かなかった。


 ☆  ☆  ☆  ☆


 涼華りょうかのリクエストを盛大に無視し、朝からアジの開きを五枚も焼いた俺は今とても急いでいる。

 朝食を終え、涼華が新しくできた友達と登校した後、俺は皿洗いを五分でこなし、自室に戻った。

 入学早々人気者とか都市伝説だと思っていたが、涼華という実例がある以上信じざるを得ない。なに、俺劣性形質なの?……話が逸れた。

 自室に戻った後、読みかけの本を開いてしまい、気付いたときにはもうかなりヤバイ時間だった。以上が今太もも釣りながらも自転車で全力疾走している理由である。

 ペダルもキィキィと悲鳴をあげている。おい!なに弱虫になってんだ!

 内心熱くなっていると、そこの角の右の方からパタパタと足音がする。


 俺は急ブレーキをかけた。


「遅刻遅刻ぅ〜‼︎」


 右の角から桐高きりこう桐町高校きりまちこうこうの略)の制服を着て、口にイチゴジャムをアホほど塗った食パンをくわえた少女が飛び出してきて、そのまま走り去っていく。

 っぶねぇ〜。今急ブレーキかけてなかったらラブコメ発生するとこだった。

 ラブコメの神様はそうやすやすと俺を解放してはくれないらしい。

 入学式の日でも似たような事態が十回ほどあった。


 出会いなんていつでもそこらに転がっている。


 それをプラスととるかマイナスととるかで心の持ちようが違うのだろう。

 俺はマイナスだ。

 数学的に考えるとマイナス×マイナスだとプラスになるんだろうが俺はもうそういうの超越したからマイナスにしかならない。むしろマイナスより下の単位があるレベル。いやないか。


 どうでもいい考えが脳内を駆け巡っているなか、殺気を感じた。

 生活指導の高見京子たかみきょうこ先生だ。


「新学期早々遅刻とは肝が据わってるな、新峰」


 鋭い声が俺の体を硬直させた。冷や汗が一気に溢れ出る。さっきのパンくわえてた子がセーフで俺がアウトって男女差別じゃないですか?ん?とか言ったらガチで殺されそうなので誤魔化すことにした。誤魔化すことに関しては周りより頭一つ抜けている自信がある。周りがいないんだけど……。


「あ、あれ俺の知り合いの年収二千万で大手企業のエリート社員じゃん」


「なななにっ⁉︎」


 高見先生が目を逸らした瞬間、俺は走り出した。

 決して振り返らない。

 出会いの少ない寂しい教師が視界に入ってしまうから。

 さっき言った俺の言葉……出会いがなんちゃらとか。あれ個人差あるから。


 ようやくのことで駐輪場についたときには高見先生が見えなかった。

 俺の勝ちだ。

 きっといつか殺される。


「おっかねぇな〜あの先生」


 久しぶりに出た独り言は暖かい春の空気に溶けていった。




「おい!逃げんなよ!お楽しみはこれからだろぉ?」




 いかにも悪役な声が第一校舎の裏から聞こえてくる。

 無視無視。こういうの首突っ込むとマジで面倒くさいから。そっから漫画みたいな展開始まったりしないから。

 よく自分をヒーローと勘違いした輩が不良に突っ込んでったりするのをたまに見るが、多数に無勢、大抵は返り討ちにされている。


 見て見ぬ振りをして校舎に入ろうとしたとき。




「やめてくださいっ!やんっ、離して!」




 あ──っ。駄目だなぁ俺は。

 被害者の声を聞く前に入ろうと思ってたんだけどなー。

 声の主は食パンをくわえた女の子だった。

 分かってたよ。なんとなく。

 だから無視しようとしてたのに。

 どうもラブコメの神様は性格悪いらしい。


 俺はカバンを投げ捨て、声のする方へ走った。









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