第2話
桐町高校では、始業式と入学式を同時に行うという謎の伝統がある。
そのため、俺の自転車の後ろの荷台に乗っている
「お兄ちゃん、もっとゆっくり漕いでよ〜。お尻痛い」
涼華がいかにも眠そうな声で言うと、ちょうど信号に引っかかった。
「いいか、涼華。よく聞け。痛みの数だけ人は強くなれるんだよ。これは俺の信条だ」
俺たちと同様、信号に引っかかった同じ制服の女子高校生数人からの「なにこいつキモいんだけど(笑)」みたいな視線を受けながら、俺は涼華から目を逸らさなかった。
しばらく言葉に詰まっていた涼華は、信号が青になると同時に、深い深いため息をついた。
「それ春休み中に百万回くらい聞いた……。恥ずかしいからもう外で言わないでねそれ」
「そんな言ってねーし。それよかお前何組なんだ……?」
話を逸らしがてら、首だけ振り向いて聞くと、涼華は物憂げな視線であさっての方向を向いていた。
「お兄ちゃん、危ないから前向いて。あたしは二組だよ」
涼華はゆっくりと視線を俺に移し、ジト目で俺を
「………へぇ〜」
俺は気の無い返事を返す。
すると涼華は突然俺のブレザーの裾をちょいちょいとつまんだ。これが涼華が俺を呼ぶときの癖だ。
「ん?」
「お兄ちゃんさ、
背中におでこがコツンと当てられた感触がする。……なにが言いたいんだ?
「それなりに、な」
涼華はそう、とだけ言って背中からおでこを離した。
それっきり、学校までの間、俺たちは会話をしなかった。
☆ ☆ ☆ ☆
入学式兼始業式が始まるまであと十分。俺たちは体育館に等間隔に並べられた三人掛けのイスに座らされている。まだ二年生、三年生のクラス表が貼り出されていなかったので、一年生のときのクラスの出席番号順で、だ。
この時間、他の生徒達は友達などと春休み中の話や他愛もない雑談を繰り広げるが、俺には一緒に話すような彼女もいなければ、友達もいないので、一人頬杖をつき周りの雑談をぼーっと聞いていることしかできない。
「春休みなにしてたん⁉︎」
「彼女作ったんだ〜」
「すげ〜‼︎マジで⁉︎で、で、それいつの話なんだよ〜⁉︎」
いや、だから春休み中にだろ……と心の中でツッコミを入れていると、体育館が徐々にざわめき出した。一年生が来たようだ。
「あれ、二組の先頭の子ヤバ可愛くね?」
「ほんとだ。彼氏いんのかなぁ」
おいこら今の誰だ。「狙っちゃおっかな☆」とか言い出したらマジで日本海に沈めるからな。と、俺の心の声から分かる通り一年二組の先頭は涼華だ。
一年生達は、盛大な拍手に包まれ、皆一様に嬉しいのやら困っているのやらよく分からない表情を浮かべていた。
ただ一人を除いて。
涼華は、いつか俺に見せたあの仄暗い笑みを浮かべて、たった一点、体育館の舞台の上にある校旗を見つめていた。ああこいつ新入生代表のスピーチするんだっけか。緊張してんのかな。
俺たちの後ろでは一年生の保護者達が嬉しそうに自分の子供を見ている。うちの両親も今年は来ているらしい。なんで俺のときは来てくれなかったのに涼華のときはわざわざ有休とってまで来ちゃうの、ねえ。と内心愚痴っていると、校長の入学祝いのスピーチが始まった。うわ、また「人という字は……」とか話してる…。きっとあの人は三年B組だったんだろう。
☆ ☆ ☆ ☆
俺が体育館の窓から入ってくる春の暖かな日差しを受け、ウトウトしていると、校長の話が終わったのか、司会の「新入生、在校生、起立」というマイク越しの声が聞こえた。
俺は目をこすりながら起立し、舞台をぼんやりと眺める。そこには校長ではなくPTAの会長が立っていて、いそいそと手元のメモを胸ポケットにしまっているところだった。待て、俺「起立、礼、着席」を二回も無視して寝てたのか?やばい恥ずかしいと思ったが、俺のことを誰も見ていないことを思い出しホッと胸を撫で下ろした。いや、安心しちゃ駄目じゃん。
司会の号令で席に着くと、イスがバキッと鳴った。なんか折れたんじゃねーの?俺が心配になって右に目を移したとき、俺の右隣のかなりカービィな女子二人が俺の方をキッと睨んだ。俺の左隣は真ん中の通路なので今睨まれているのは確実に俺だ。……いや、今の俺だけのせいじゃないでしょ。ていうかほとんど君たちの体重が…と思っていたら俺に近い方の女子が口を開いた。
「今のあんたのせいよ。壊れてたりしたらあんたが先生に謝っといてよ」
プライドが許さないのか、あくまで自分達のせいじゃないと言い張るらしい。なんで周りに聞こえるように言うかなぁ……。別に周りにどう思われようがもう気にしないが
「悪い。俺から言っとくわ」
数の力には勝てないことを俺は一年生のときに嫌という程学んだ。いくら論破しようが、多数派の意見がこっちに傾かない限り正論など簡単に捻じ曲げられる。その為、誰かがどこかで妥協しないと波が立つ。だからここで俺が折れるのは正しい選択なんだと思う。きっと。
女子二人は満足そうに鼻を鳴らすして前へ向き直った。殴りてぇ。
内から湧き起こる黒い感情を抑え込んでいるとき、周りがどよめきだした。
後ろを振り返れば、そこに涼華がスタッと立ち上がっていた。
涼華は原稿用紙を数枚持ち、颯爽と真ん中の通路を歩く。
そのルックスと先程までとは打って変わった明るい表情で問答無用に人の視線を引きつける。こいつは将来女優になればいいんじゃないだろうか。写真集なんて出した日には日本の景気回復するくらい売れると思う。売り上げの三十パーセントくらいは俺が貢献することになるだろう。無理か無理だよね。
そんなどうでもいいことを考えていると、すぐ近くからふわっとフローラルの香りが漂った。通路からだ。
俺が横目で通路を見る。涼華は歩調を遅め、俺の真横に立ったとき早口で告げた。
「無理、しないでよ」
俺の返事を待たず、涼華は再び歩調を早めた。表情は
──なんで、そういうこと言うんだよ。
無理なんかしていない。ただ諦めているのだ。
俺が孤立している以上、俺が何言っても門前払いで終わるだけだ。
誰かに頼ったら頼ったで、あのときのように裏切られる。だから誰も頼らない。
独りで過ごしていく道しか俺には残されていないから。
だからその道で最大限無理をせず、無理するんだよ。
大半の人はそれを逃げだとか、卑怯だとか言って否定するのだろう。
だが俺は全肯定する。
そうするしかないから。
ぼーっと、涼華の完璧なスピーチを聞きながら、俺は自分への言い訳を、またひとつ重ねた。
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