深層にある真相を目指して

 高位の魔物が相次いで発生した異変の手掛かりを求め、プラチナアカデミーの旧校舎に潜入中の僕達なのだが、地上二階のバルコニーにいたはずが、現在は地下三階の変な施設の中にいる。


「ああもう、なんなんだよ、こいつら。もう、ほんとに気持ち悪い!」


 僕が前蹴りで吹っ飛ばしたそいつは、ぷるぷる頭の真っ白なのっぺらぼうで、目や耳といった主要な感覚器官が全く備わっていなかった。代わりに、細長い手足からは鮮血のように真っ赤な筋肉が露出しており、胸部から腹部にかけて縦にぱっくり開いた口から、肋骨やら内臓やらが盛大に露出していた。これは僕達が斬り裂いたからなったんじゃない。


 そいつは、ついさっきまでそいつを揺り篭のように包んでいた巨大なガラス管の破片に背中から深々と突き刺さり、その場でじたばたともがいていた。端から見れば生き物かどうかも疑わしい存在なのだが、初めて僕達を見た途端にガラス管を突き破って襲い掛かってきたんから、まあ、肉食獣的なカテゴリの何かなのだろう。


 とりあえず、致命傷を負っているにも関わらず死んでいない辺り、そいつもまた魔物なのは確かだ。身動き取れずに蠢いている様は見ていて気分が悪いので、とりあえず僕はガラスを倒してそいつの頭部を床の上に投げ出すと、両足で踏みつぶしてやった。再生した頭をもう一回踏み砕くと、無色の宝珠に変わった。


 ちなみに、この部屋の至る所でボヤがあるのは、同じ部屋で兄弟が暴れ回っているからである。おかげさまで、まっさらな部屋の中に立ち並ぶ不気味な装置の数々から黒い煙が上がっている。同様の魔物の宝珠と体液が床に散らばってるせいで、まともな踏み場がない。


「ここじゃあの動死体ゾンビを見かけねえのが有り難いが、こいつらはこいつらで嫌な奴等だ」


 兄弟もまた乱暴に吐き捨て、魔方陣から光弾を乱射した。兄弟の目前にある白い怪物が蜂の巣にされて焼け焦げ、宝珠へと姿を変えた。


「『緋染めの風マッド・レッド・ウィンド』!」


 隣の部屋から、テトラの詠唱。鋭利な砂礫の混じった凶悪な暴風が、僕達と彼女達を隔てる壁を破壊した。真っ赤な旋風が僕達の方まで吹き込み、風が止むと同時に無色の宝珠が床にポトポトと落下する。


「なあ、テトラ。本当に、こいつら知らないんだよな⁉」


「もう、しつこいわよ黒十字クン。こんな魔物に関する研究なんて、プラチナアカデミーのどの研究記録にもないわ。嘘だと思うなら、帰ったときにアカデミーのデータベースを見せてあげるから」


 合流して早々、確認をする僕に、テトラはうんざりした表情で答えた。だって信じられないもん。こいつらのやっていることが、元から僕達の理解を超えているんだし。


 と、ここで嫌な足音がした。テトラに遅れて合流してきたサンケが合図する。


「準備しろ。奴が来るぞ」


 程なくして、今の状況を作った元凶が、僕達の前に姿を現した。


 ――屍山あさりスカベンジャーだ。


 ★★★


 あいつ、どうやってあんな封印を抜けたんだ⁉ ――そんなことを考えている余裕は、バルコニーでいきなり襲われた僕達にはあるわけなかった。応戦することしか頭になかった。


 振り回される大獲物をサンケの頑強な土の壁で防御し、瞬間移動した僕が蹴りをぶち込んで巨体の体勢を崩す。その隙をついて、土壁に隠れていた兄弟とテトラが魔方陣を展開した。兄弟は黄色い魔方陣。テトラは緑の上に赤を重ねた魔方陣。


「『破壊光線ハヴォック・レイ!』」


「『雷撃サンダーボルト』!」


 兄弟の放った光線は屍山あさりスカベンジャーの巨体を貫通し、赤く焼け爛れた大穴を作った。テトラの放った電撃は、その電熱で屍山あさりスカベンジャーの顔を一つ蒸発させ、全身の筋肉を制御不能に陥れた。巨体がぶるぶると震え、身動きが取れなくなっている。


 敵が動けないうちに、僕達はその場を後にする。実はこのバルコニー、壁沿いに長く続いているようで、先を進むと、中庭を囲う回廊のような長い通路に辿り着いた。柵はあるようだが、通路から落下したら最後、地面に叩きつけられるのは必至だ。


 で、ここで、テトラが提案。


「あの屍山あさりスカベンジャーをどうにかする方法、もうこの旧校舎の外に追い出して、再生の手段を絶ってやる以外にないわ。で、その案なんだけど、この通路、使えないかしら?」


 そのプランの内容を僕達が理解したのと、追手の屍山あさりスカベンジャーの姿が見えたのは、ほぼ同時だった。


 思ったより早く来たな。あの麻痺状態から早く復帰できたのは、もしかしてあいつ、一旦こと切れたんじゃないか? しかも、外見の変化があまり見られない辺り、動死体ゾンビを得られずに再生したようだ。事実ならなんともラッキーなんだが、屍山あさりスカベンジャーは何度もあそこで死んでくれるようなお人好しではない。どちらにせよ、テトラのプランを行わなければ、今の僕達には命はない。


 僕達は互いに無言で頷き、作戦を開始した。


 通路の入り口に到着した屍山あさりスカベンジャーはさぞ首を傾げたことだろう。四人いたはずの獲物がいつの間にか消え、目の前にいるのは金髪の青年ただ一人しかいないことを。


 金髪の青年――兄弟は、挑発がてら光弾を一発放つ。当然ながら、被弾者は激昂し、自慢の二つの大得物を振り回して追い掛ける。けれども、奴は知らない。通路の下、一階の壁付近にて、浮遊魔方陣やら壁から競り上がった土板やらを使って、僕とテトラとサンケが隠れていたことに。


 ――とにかく、私達で協力して、あのデカブツを通路から落とすの。帰還者レヴァナントがいるのは屋内だけで、中庭にはいなかったはず。上手くいけば、奴を再生させずにまた致命傷を負わせられるわ。


 以上が、テトラの大まかなプラン。その最初のフェイズが、これから始まる。 


 兄弟の挑発に乗って、通路を邁進する屍山あさりスカベンジャー。だが次の瞬間、そいつの足元で異変が起こった。


「『構造変化トランストラクチャー』」


 兄弟が立っている場所を除いて、通路が斜めに傾いたのだ。元凶は、通路に魔方陣を描いたサンケ。通路を構築する石材をいじくって、無理矢理構造を変えたのだ。


 突然、足元が斜面になったおかげで、屍山あさりスカベンジャーの巨体が大いにバランスを崩す。それを見逃さなかったのが、瞬間移動の魔方陣から飛び出した僕だ。


「『魔法士の跳び後ろ回し蹴り《メイガス・ローリングソバット》』」


 身を捻る遠心力、脚に巻いた魔方陣、そして、加速強化、筋力強化などの円形魔方陣を超えて強化された必殺の蹴りの威力は、左腕を斜面にしがみつく屍山あさりスカベンジャーを通路から引っぺがすには十分だ。肉が引き千切られる嫌な音を響かせて、屍の巨体が通路から落下する。


 最後にとどめを刺すのが、兄弟。


 通路から飛び降り、光剣ライトセイバーを生成する。空中で切っ先を真下に向け、眼下の屍山あさりスカベンジャーへと狙いを定めた。


「『天光の裁剣サンライズ・パニッシャー』!」


 兄弟が閃光へと姿を変え、急降下。空中で屍山あさりスカベンジャーの巨体に剣を突き刺し、その勢いのまま地面に衝突する。


 轟音の凄まじさに、旧校舎全体が揺れた。光魔法のエネルギーが落下地点を中心に同心円状に広がる。瞬間移動でサンケの所に合流した僕だったが、そのエネルギーの余波は僕達の所にまで伝わってきて、危うく落ちそうになった。いや。一番落ちそうだったのは、小柄なテトラの方だったけど。


「すごい、これが金十字クンの力なのね」


 ……なんか、そんなこと呟いているし。


 屍山あさりスカベンジャーが落下したのは、旧校舎の中庭だった。周囲を見渡すと、旧校舎の壁やうっすらと見える。僕達が兄弟の所へ合流すると、兄弟もまた屍山あさりスカベンジャーの巨体から飛び降りた所だった。


 屍山あさりスカベンジャーの巨体には焼け焦げた大穴が穿たれ、ピクリとも動かない。近くに動死体ゾンビがいるかも知れないって? それは問題ない。なぜなら、僕達が奴とやりあっていた間、地上の敵はテトラが魔法で弱らせていたからだ。で、最後の兄弟の一撃が決め手となった。周囲に転がっている光沢のある球体が、その証拠だ。


「これでまた、ダウンはもらったぜ」


 満足そうに兄弟が言う。


「ああ。周囲には、あいつの回復要員がいないしね」


「しかし、宝珠になる気配が全くない。奴には、どれほどの魔力が込められているというのだ?」


 横たわる屍山あさりスカベンジャーを凝視しながら、サンケが眉間に皺を寄せてつぶやく。


「全くだよ。とりあえず、あいつの復活に備えよう。今までと同じように、次のラウンドも僕達が頂く。その繰り返しで良いんだから」


 というわけで、相手の起き上がるのを待つ僕達。


 ――が、それに最初に気付いたのは、テトラだった。


「やばっ!」


 彼女の言葉の意味はすぐに理解した。なぜなら、僕達の足元に亀裂が走っていたから。


 ここは屋内の床ではない。中庭の地面の上である。だから、足元に亀裂が走っているのを見た時、地割れか何か――ちょっと土の地盤にひびが入った程度なんかなと思っていた。だが、その考えはすぐに違うと思い知ることになる。


「みんな逃げて! 落下するわ!!」


 テトラの叫びが僕達の耳に入ったときには、時すでに遅し。屍山あさりスカベンジャーを中心に広がった瞬く間に亀裂は大きな口を開け、撤退しようとしていた僕達をあっさりと飲み込んでいった。


 落下の最中に僕が見たのは、突然の日の光を浴びて黒っぽく光るタイルっぽい床と、乾いた血で汚れたベッドっぽい何かだった。


 僕達はこの手の修羅場は依頼で何度も経験しているため、対処するのは困難ではない。魔法士としての力を用いれば、落下する瓦礫を飛び移りながら安全な場所に着地するとか造作もないからね。それは、兄弟も同じ。


 しかし、僕達のいた場所のすぐ真下に、ただっぴろい地下室があったとは驚きだった。広さは、僕と兄弟が昨夜泊まらされたパラディン礼拝堂の倍以上もある。何か球技の試合が出来るほどだ。もっとも、ここでやるには、所々のひび割れたタイルとか真っ赤なシミのついた壁やベッドがあることに何の問題があるんだ? っていう酔狂な精神も必要そうだけど。


 ボゴッと近くで音がした。サンケが、瓦礫の山から姿を現した。近くにテトラもいる。どうやら、落下の時にサンケがテトラを庇って身を守っていたらしい。おかげで二人とも無事のようだ。


「流石はクロスファミリー、貴様らの心配は無用のようだな」


「ああ、君達こそ、こういうのはわりと経験してなさそうだから不安だった」


 僕がそんなことを言ってやると、テトラが「言ってくれるじゃない」と苦笑い。


 で、今、目の前には大きな山のようなものがある。元から何かが広間の中央に積み上がっていたみたいなのだが、それが問題だった。瓦礫の山だと思いたいじゃん? でも、瓦礫からは、頭がおかしくなるような臭いなんてしないよな?


「なんてこった。これ、死体の山じゃないか!」


「しかも、妙に動いてやがる。兄弟、これ、動死体ゾンビが積み上がってるやつだ!」


 兄弟の指摘に僕は驚いた。成る程、確かにそうだ。こっちを見て腕をバタバタさせてる何かが、無数の死体に混じって何体かいる。なんでこんなもんが? と疑問を抱きたい所なんだけど、実はもっと恐れなければならない事実がある。そのど真ん中に屍山あさりスカベンジャーが落っこちたっぽいことだ。


「なあ、黒十字、確認だが、あの屍山あさりスカベンジャーは、まだ再生の途中だったよな」


 僕は首肯した。いや、分からなくはないよ、サンケ。こんなん一周回って逆に冷静になるよ。動死体ゾンビを取り込んで傷を癒すどころか、更に強大化する能力を持ってんのが屍山あさりスカベンジャーなんだぞ。そいつが今、動死体ゾンビの山の中にいる。これが何を意味するか分かるか?


「最悪……。こんなの全部取り込んだら、元の木阿弥なんてレベルじゃない。どんな怪物になるか想像すら出来ないわ」


「上等だ。こっちは何度再生されたって構わねえ。こいつが俺達に狩られる回数が増えるだけなんだからな」


 流石は兄弟。引き気味のテトラとは対照的に、闘争心を更に刺激されてる。


 巨体が死体の山に埋まったかと思いきや、山そのものが唸り声を上げた。屍山あさりスカベンジャーの冷たい舌で全身を舐められたような声なら、この短時間で何度も聞いた。けど、今度のはスケールが違う。耳を塞ぎたくなるほどの大声じゃないけど、聞いてるだけで精神が容赦なく削られる。


「とにかく、こんなのに暴れられたらどうすることも出来ないわ。ここは、相手が動き始める前に、また障壁を作って動きを封じてやりましょ」


 テトラの透き通った声は、亡者達による喧騒の濁流の中でもはっきりと僕達の耳の中まで届いた。彼女の提案に乗ったサンケの行動は早く、亡者の山の周囲から彼による土壁がゆっくりと競り上がってきた。


 ふと、過去に依頼された魔物討伐の記憶が、僕の脳裏をよぎった。


 あの日、僕達は、『精霊エレメンタル』という魔物の討伐依頼を受けていた。炎や水などの自然物に負の魔力が集まって生まれた魔物で、屍山あさりスカベンジャーと同じように、依代の自然物を吸収して魔力を回復する能力を持つ。奴との相違点と言えば、実体を持たない……くらいしか僕には思いつかないのだが、そいつらを一網打尽にするために、僕達は――。あれ? これ使えるんじゃない?


「待ってくれ、テトラ。もしかしたら、これは逆にチャンスかもしれない。僕に案があるんだ」


「なんですって?」


 首をかしげるテトラだけど、ここは実戦経験が豊富な僕達に任せてほしい。


 協力のため僕が説明すると、ギルドクラブ組は快諾してくれた。兄弟も「流石は兄弟」と感心してくれた。いや、実は兄弟もあの時現場にいたはずなんだが、これを突っ込むのはいけない。


 亡者達の唸り声がボリュームを増している。山が揺れているように見えるのは、中にいる屍山あさりスカベンジャーが再生活動しているからだろう。腐臭漂う肉の山も、あいつにとっては心地よい揺り篭らしい。なら、この亡者達の呻き声は、奴にとっちゃ子守歌ってわけだ。けど、死体に囲まれて再び産声を上げる巨大な赤ん坊の登場とか、こっちは御免なんだよ。


 僕、兄弟、テトラの三人が死体の山に手を翳し、各々の魔法を使う。サンケは万が一のためにショベルを手にして横に待機だ。


「ねえ、テトラ、まだ? こっちは、押さえつけるので手一杯なんだ」


「急かさないでよ、黒十字クン。金十字クンの力を『末端』の隅々にまで仕込むのは、流石の私でも時間がかかるわ」


 やがて、死体の山を内側からかきわけて、中から主が姿を現す。想定以上の魔物を取り込んだからか、前見た時よりも姿はより異形となっていた。頭は髪の長い大男のように見えたけど、実際は無数の顔で一つの大きな顔が構成されている。自慢の大得物を失った代わりに、二つの巨大な手は指一本だけで僕の胴回りに匹敵するほど太い。てか、今気づいたんだけど、奴の頭に生えているのは髪の毛じゃない。かつての奴の左腕を想起させる、無数の細長い腕だ。あれが恐女《ゴルゴン》の髪の毛みたいに動いているんだ。


 最初に遭った時とはすっかり容貌の変わってしまった屍山あさりスカベンジャーだが、奴の行動様式だけは決して変わらない。一つの巨大な相貌が僕達を視線の中に捉え、一つを構成する無数の顔が僕達をそれぞれ見る。そして、片手を大きく広げ、眼前の僕達を羽虫のように押し潰さんと振り下――


 ――ろそうとして、大爆発した。


 何が起きたかというと、屍山あさりスカベンジャーの身体の穴という穴から――いや、死体の山を構築していた全てから眩いエネルギーの光が溢れ出し、そのまま内側から爆ぜたのだ。その威力は凄まじく、サンケが土の簡易シェルターで包み込んでくれなければ、僕達もまたこの部屋と同じ運命を辿っていただろう。爆風によって天井も床も壁も全てが木っ端微塵に破壊され、存在そのものが無くなっていたのかもしれなかった。


 何をしたのか。簡単に言えば、食い物の中に凶器を仕込んだのだ。


 精霊エレメンタルの簡単な倒し方として、彼等が構成物(例えば、火の精霊エレメンタルなら焚火、枝葉の精霊エレメンタルなら落ち葉や木の葉)を取り込んでいる真っ最中に、精霊エレメンタルにとって相性の悪い属性(火の精霊エレメンタルなら水、枝葉の精霊エレメンタルなら火)が付与された術式をこっそりと構成物の中に仕込み、彼等が取り込み作業を終えた瞬間にそれを発動させる。ってのがある。そうすると、彼等は内側から苦手な魔法をもろに食らい、かなり容易に宝珠に還る。僕達は、それと全く同じことを屍山あさりスカベンジャーにやったのだ。


 屍山あさりスカベンジャーの弱点は不明だったので、仕込む魔法は、純粋な破壊力ならP.E.N.C.I.L最強クラスである兄弟の光魔法を選んだ。しかし、兄弟には自分の魔力を何かに仕込むなんて芸当は出来ない。だから、代わりに僕が兄弟の魔力を自分の魔方陣の中に封じ込めて、動死体ゾンビの中に仕込む。


 けれども、僕だけの技術では暴れ牛のように強大な兄弟の魔力を、文字通り山ほどある動死体ゾンビ達の中に素早く仕込むのは困難だ。そこで、魔法の才女であるテトラの出番となる。僕は兄弟の魔力を押さえつけるのに集中させてもらい、僕の魔方陣を動死体ゾンビ達一体一体に仕込む丁寧な作業をテトラに任せた。『賢者』の血を引く彼女の技術をもってすれば、動死体ゾンビの身体を構築している魔力そのものの中に、僕達の特性術式を混ぜ込むなんていう器用な芸当も不可能じゃないのだ。


 あとは、何も知らない屍山あさりスカベンジャー動死体ゾンビを吸収し、頃合いを見て魔方陣に封入した兄弟の光魔法を放出させれば――現在に至るわけだ。


 サンケが生成してくれた土のシェルターは、外部からの衝撃を十分に防げるほど頑丈なだけでなく、内部の僕達に最悪の意味で伝達しないほどの柔軟性にも富んでいた。おかげで僕達は無傷で済んだが、口の中が土の味でいっぱいになるのが残念だ。おまけに衣服も土で汚れてしまっている。


「で、ここはどこだ?」


 先にシェルターから脱出していた兄弟が辺りを見回している。案の定、自慢の金髪が土まみれだ。一方、遅れてシェルターから立ち上がった僕の目にとまったのは、とある表札だ。


「壁に、『B3F』って書いてある。どうやらここは、地下の三階みたいだ」


「マジか。俺達は、フロアをひとつ飛ばすほど派手に落下しちまったのか」


「でも、ここが何階なのかは、今はどうでもいい情報なのかも」


 なんで僕がそんなことを言ったのかというと、今いる場所がこれまた奇異な空間だったからだ。


 まっさらな壁と床は近代的な雰囲気を醸し出していて、古ぼけた洋館を彷彿とさせる地上の構造とは隔世の感すらあった。ここに落下したことを示す頭上の大穴が無ければ、僕達は別の建物の中に瞬間移動してしまったのだと真面目に勘違いするところだった。


 部屋はあまり広くないようだが、机やら資料やらが雑然と散らばっており、誰かが何らかの雑務をしていた跡が見られた。


 よくよく考えれば、変な部屋だ。プラチナアカデミー旧校舎ってのは、悪の魔法士を封じるために作られた施設だ。地上の書斎もそうだったが、なんだか場違いな設備が至る所にある。書斎もこの部屋も、封印する場所であることをカモフラージュするためにあったのだろうか。


 ただ、ぶっちゃけそんなもんはどうでも良かった。もっと僕達の注目を集めたものが、別にあったからだ。


「この人、誰なんだろう。有名な人なのかな?」


 壁にでかでかと貼られていた女性の写真を見て、僕は思わず呟いてしまった。

 

 ゆったりとしたローブを身に纏い、安楽椅子にゆったりと腰かけている――という優雅なポーズとは対照的に、とにかく顔の作りが強烈だった。艶のある長い黒髪を全て後ろに流しており、分厚い化粧で誇張された爛々たる眼は、ともすれば眼窩から零れ落ちんばかりに半ば飛び出ている。尖った鼻は猛禽類の嘴を思わせるほど大きく鋭く、一方で頬は病的なまでに肉がごっそりと削げ落ちていた。おかげで、僕には鷲の頭部から人間の下顎の部分だけが生えてきたようにも見えてしまった。


 そんなインパクト溢れる顔の女性だが、当然ながら兄弟も知らないようだ。が、ギルドクラブ組は違った。というか、実はこのフロアに落下してからというもの、二人はその絵を凝視したままピクリとも動いていない。テトラに至っては、自慢の銀髪に土がびっしりだというのに、全く気付いていないという有様である。


 僕が指摘すると、彼女はやっと我に返って、銀の四つ尾にかかっていた土を振り落とした。その銀髪、さぞ手入れするのも大変だろうに。気付いてやれなかった同行者が、なんか隣で申し訳なさそうにしてるし。


「ねえ、二人はこの人、知ってるの?」


「知ってるも何も、むしろ忘れ去ってやりたいくらい忌まわしい人物だわ。名前は、ゲルトルーデ。この施設に封印されていた、悪の魔法士の一人よ」


 僕は改めて、その絵を見た。


「この人が、悪の魔法士……。随分と浮世離れした見た目をしてるなあ。って思ってたけど、悪の魔法士ってのは、皆こんな奇抜な顔してるのかな」


 何気ない呟きに、テトラから返ってきたのは「さあね」の一言のみ。一方、兄弟は厳しい表情で絵画を凝視している。


「つーか、封印されてる分際で部屋ん中で絵、貼ってんのかよ。随分と自己顕示欲の高え女みてえだな。俺の大嫌いなタイプだ」


「いや、そこ突っ込むところか? まあでも、牢獄に自画像が置いてあるってのは変だよなあ」


「その指摘はごもっともよ、金十字クン。牢獄でこんなふざけたことしてる辺り、反省するどころか、懲らしめられてるって自覚すらないんじゃないかしら。でも、本当の問題はそこじゃないの。バルコニーでしてた話の続きなんだけど、実は、このゲルトルーデが――」


 なんとも重要そうなテトラの話は、ゲルトルーデの絵画が飾られた壁をぶち破って現れた乱入者によって、またもや中断させられてしまった。そいつの正体は、鼻から脳を揺さぶるような雰囲気を全身に纏っていたおかげですぐに分かった。


「ああもう、こういう時に何で来るのかしら!」


「ったく、壁突き破って現れるのは、こいつのお家芸かよ」


「……というか、随分とスリムアップしちゃったね」


 そんな皮肉が、思わず僕の口から出ちゃったよ。だってそいつ、最初に遭った時は寸胴な巨漢だったのに、今となっては全身の肉が落ちてガリガリになってしまってんだもん。


 例えるなら、翼と嘴を失い、代わりに長い腕を得たハゲタカ人間だろうか。骨ばった腕は立っているだけで膝に達するほど長く、棘のように長い爪が生えている。胴部にあった無数の顔も今では一つだけで、顔の中央に空洞のような口がぽっかりと開いていた。


 あの大爆発で再生の機会どころか自分の肉体の殆ども失ってしまった屍山あさりスカベンジャーの成れの果てが、僕達の目の前にいた。


 僕達を見るや、屍山あさりスカベンジャーは寒気がするほど甲高い雄叫びを上げて、強烈な引っ掻き攻撃をかましてきた。ウエイトをごっそりと失っただけあって、その動きは早かった。障壁の展開など間に合わず、反射神経を頼りに跳んで回避するしかなかった。


 たった一度の引っ掻きで、部屋にあったテーブルは大破し、背景の壁には爪痕が深々と穿たれていた。大得物こそ失ったが、奴にはまだ、僕達を殺傷するには十分な力が残っているらしい。


「撤退するわよ。とりあえず、広い場所で迎え撃ちましょ!」


 テトラの提案に賛成し、僕達は唯一ある部屋の出入り口から廊下に出た。


 真っ白な長い通路が続いていた。もはやここが本当に旧校舎の地下なのかは、もうどうでも良かった。廊下の奥を見ると、妙に広そうな空間が見えた。僕達はそこへ向かって走った。


 振り向くと、屍山あさりスカベンジャーは追いかけては来なかった。いや、違った。奴は隣で走っていた。部屋の壁を壁とも思わずに何度も突き破り、目の前の雑多な障害物を振り払いながら、僕達に並走していたのだ。


 廊下に対してガラス張りになっている部屋の前を走ったとき、その内部が僕の視界に飛び込んできた。テーブルの配置や瓶の並んだ棚を見て、僕は理科の実験室が脳裏にイメージされたのだが、詳しく眺めてる余裕は無かった。ガラスを突き破って、屍山あさりスカベンジャーの凶悪な爪が襲い掛かってきたからだ。


 咄嗟の瞬間移動により、硬い壁材を容易く抉る爪の一撃は宙を掻いた。僕が移動したのは屍山あさりスカベンジャーの背後。右足に魔力を込め、そいつの脚元に渾身の回し蹴りを叩き込んだ。タイミングはバッチリで、バランスを崩した巨体が室内でふわりと浮いた。その哀れな顔面目掛け、飛び散るガラス片を腕で防いでいた兄弟が狙いを定める。


「『破壊光線ハヴォック・レイ』」


 兄弟の放った光線は、見事に屍山あさりスカベンジャーの小さな頭部に直撃した。再び瞬間移動で兄弟の隣に避難していた僕が見たのは、魔物の頭部を貫通して壁に穿たれた灼熱の真っ赤な穴と、頭部を焼失して横たわる屍の巨人の姿だった。


「ナイス。これでまたダウンだ」


 互いにパンと手を合わせる僕達。ただでさえ宝珠になりにくいタフな敵なんだから、こういうチャンスは逃したらいけない。


 ちなみにギルドクラブ組はというと、とっさにサンケが生成した土壁の陰に隠れていた。頑丈な土壁に、わずかに爪で抉られた跡と、無数のガラス片が刺さっていた。


「……あれ? もしかして、もう二人でやっちゃったの?」


「そうだよ。君達がそこで何もしていないうちにね。てか、何してるの?」


「防御に決まっているだろう、黒十字。頑丈な貴様らと違って、俺達のテトラはか弱い。こんなガラス片で、顔に傷でも付いたら重大なことだ」


「なんだそりゃ、意味わかんねえ。ギルド長のくせに、テトラはこの程度の傷にビビってんのか? それでも魔物ハンターかよ」


「金十字クン、あんた、顔はとってもカッコいいのに、そういう考えしてるのが本当に残念よね」


「ごめんね! 兄弟は、そういうの興味ないから」


 そんな僕達のアホみたいなやり取りは、薬瓶の落ちる音で中断された。屍山あさりスカベンジャーが、再生する途中で落としてしまったようだ。屍山あさりスカベンジャーは僕達を見ると、まだ腕が十分に生え切っていないにも関わらず、こちらに向かって飛び掛かってきた。その動きは、飢えた野犬が飛び掛かってきたのと大して変わらなかった。


 ただでさえ再生が早いうえに、その途中でこうも俊敏に動かれては――やっぱり、廊下という狭い空間の中で戦うには無理がある。僕達の考えは一緒だった。


 やがて辿り着いた部屋は、僕達が落下した場所よりもずっと広い。だが、入ってすぐに分かった。この部屋は尋常ではない。


 壁や床は廊下と同じ白で、体育館のように広い空間をパーテーションのようなもので区切っている構造になっていた。それだけなら、なんてことはないんだが、部屋に置かれていた別のものが問題だった。初め、僕は透明な円柱の類が並んでいるのだと思ったんだけど、中に巨大な何かが入っていた。それらを見て、僕は血の気が引くような感覚を覚えたよ。だって、魔物みたいな生き物が入っていたんだから。


 冒頭で紹介した、あいつだよ。あの白くてプルプルした気持ち悪い化け物だ!


 絶句していた僕の代わりに、兄弟が吠えるように言った。


「おいテトラ! こん中に入ってる気持ち悪いのはなんだ⁉ これも、てめえらの研究で作った何かか⁉」


「いや、知らないわ! 私も初めて見る」


「知らない⁉ テトラが知らないなんてことがあるのか⁉」


「なにそれ。私が何でも知ってると思ったら大間違いよ! あんただって、知らない魔物だっているでしょ!? それと同じよ!」


 走ってて喋るのも大変だろうに、僕はテトラから物凄い剣幕で怒鳴られた。にわかに信じがたいが、この不気味な装置も怪物も彼女には専門外らしい。


「ケンカしてる場合じゃねえぞ。奴が、追い付いてきた」


 しんがりのサンケが警告するので振り向くと、再生が完了して十分に四肢を伸ばした屍山あさりスカベンジャーが、すぐそこにまで迫っていた。


 ちょっと待ってくれ。そいつの後ろからバチバチという音が聞こえてくるんだが……。どうやらここまで来る途中で、装置の幾つかを壊してしまったらしい。重要そうな配線やチューブが切断され、青白い火花があちこちから飛び散っている。


「クロスファミリー。最初の一手は、またあなた達でやって。私、疲労回復に魔力をちょっと割きたいから。もう走り続けてて、詠唱に支障をきたすくらい呼吸がまずいの」


「なんだって? ……仕方ない。その代わり、思いっきり強い二手を頼むよ。行くよ、兄弟」


 ま、元々あんまり動かないタイプの魔法士に、室内を走りまわさせる僕達のやり方を進めること自体が間違いか。テトラが近くのパーテーションの陰に隠れ、サンケが彼女を守備する位置に立つのを確認すると、僕は屍山あさりスカベンジャーに再び向き直る。


 鈍重な要素をごっそり廃したおかげで、動きは速い。以前は兄弟に腕をバッサリと斬られていたのに、今回は身を曲げたり後退したりする知恵も身に着けたのか、機敏な回避まで披露してくる。その上、爪の攻撃は金属の装置すらあっさり壊すほど鋭利だから恐ろしい。


 と、ここで僕は気が付いた。屍山あさりスカベンジャーの腕に、装置のコードが絡まっていることを。それが原因で、例の恐ろしいサンプルが入った円柱のガラス管の一つが、引っ張られて傾いていることを。


「サンケ! 足っ! 足を止めるんだ!!」


 僕が叫ぶと、サンケが魔方陣を巻き付けたショベルを床に突き付けた。屍山あさりスカベンジャーの足元に土の山がモコっと現れ、鳥のような細い足を包み込む。突然、足首を固定されたような感覚になったのか、屍山あさりスカベンジャーの巨体が大きくバランスを崩した。


 そのタイミングを僕達は逃さない。僕が瞬間移動で向かった先は、例の傾いたガラス管。そいつをドロップキックしてやると、ぐらりと傾いて屍山あさりスカベンジャーに直撃した。


 倒れる衝撃でガラスが割れ、中に入っていた培養液が周囲にぶちまけられた。兄弟は、あらかじめ別の機械の上に避難していたようなので大丈夫。一方のギルドクラブ組もまた、サンケが足元を一枚岩で盛り上げていたのか、液体を浴びるのを免れていた。「濡れたらどうするのよ!」というテトラからの苦情が聞こえてくるが、まあ、生物を包み込んでいた液体なんだから、人体にも無害でしょ。


「『破壊光線ハヴォック・レイ!』」


「『雷撃サンダーボルト』!」


 テトラと兄弟の二人による強烈な二手が、程なくして屍山あさりスカベンジャーに直撃した。兄弟の光線は細い胴体を貫き、熱線で真っ二つにしてしまった。テトラの雷撃は、培養液を伝って瞬く間に広がり、魔物の巨体を蹂躙した。


 ぱんっ! という音がした。テトラの電熱が原因で、割れて解放された例の怪物が、内側から破裂したようだ。赤黒いペースト状の何かが白い床一面に広がり、僕達の視界はよりグロテスクな様相を呈した。おかげで、真っ二つになって感電死したであろう屍山あさりスカベンジャーがどこにいるのか分からなくなってしまった。体色と体液が被っていたからね。


 が、もっと酷いことが起きたのは、その後だった。思い当たる原因は沢山あるのだが、何かが引き金になったのは確かだろう――他のガラス管の中に入っていた魔物達が、もぞもぞと動き始めたのだ。やがてそいつらは、あたかも孵化する雛のように、次から次へとガラス管を突き破って外から出てきて……。


 プルプルしたのっぺらぼうの頭に、鮮血のように赤く長い手足。そして、胸から腹にかけてパックリ開かれた大穴、そこから覗く牙のような肋骨。


「こいつら、実は生きてたのね」


「相手が魔物で、しかもやる気だってんなら、俺達がしなきゃなんねえのは一つだ。ぶっ潰すまでだ」


 相も変わらず闘志満々な兄弟なんだけど、ここで僕は例の血だまりから嫌な気配を感じ取っていた。


「やばい。気をつけろ! また屍山あさりスカベンジャーが起きるぞ!」


 僕が警告する間もなく、屍山あさりスカベンジャーが血溜まりの中心部から起き上がった。兄弟によって真っ二つにされていたはずの胴体は隙間なく接合されており、全員が奴の復活に気付いた時には床に足を付けて立ち上がっていた。


「このフロアに落下してから、奴の再生のスパンが早くなっている。これが、奴が風前の灯であることを意味していると良いんだがな」


「そうだね、サンケ。僕もそう思う」


 まあ、魔物の再生スパンなんて個体によって全然違うから、いくら変化した所で「次こそ致命傷を与えれば宝珠になるな」なんてタイミングは分からないんだよね。


「ここは、一旦、私達とクロスファミリーで二手に分かれてみたらどうかしら。散会して屍山あさりスカベンジャーから撤退しながら、襲い掛かる魔物を倒していくの。どう?」


 テトラの提案に、僕は屍山あさりスカベンジャーの攻撃を回避しながら答えた。


「わっと! ……え? まあこんな状況じゃ、どのみち四人でまとまってるのなんて無理でしょ。乗るよその作戦。その代わり、無事でいてくれよ。ライバルとはいえ、いなくなるのは困るんだ」


「優しいこと言うじゃない黒十字クン。それはあなた達もよ。じゃあ、散るわ!」


 テトラの合図を皮切りに僕達は移動する。僕達クロスファミリーは、まず兄弟の光線で道を切り開く。道を塞ごうとした奴は、先導の僕が蹴っ飛ばす。醜悪な巨体が吹っ飛び、後続の味方をなぎ倒し、後方にあるパーテーションを破損させた。


 で、動き回っているうちに分かった不都合な事実なんだけど、実は例のガラス管が立ち並ぶ空間は、この大部屋だけじゃなかった。隣接する別の部屋の中にも、同じようなものがずらりと並んでいたんだわ。


 ――というわけで、現在に至る。謎の魔物をあらかた潰して合流した僕達の前に、屍山あさりスカベンジャーが迫ってくる。


「いい加減、飽きてきたぜ。そろそろ宝珠になってもらわねえとな」


 てなわけで、真っ先に奴の前に立ちたがる僕達なわけだが、そんな僕達を遮って更に前に出たのが、サンケだった。


「下がれ。一つくらいは、俺にも一本取らせろ」


 ああ、そういうこと。そう言えば、無かったね。サンケが直接手を下したの。


「察して、クロスファミリー。あの大部屋に入る前に、あなた達が私達を守ってくれたでしょ? その借りを返したいのよ」


 そんなテトラに「てめえまで何言ってんだ?」と眉を潜める兄弟だったが、僕が応じたため、やむなく従ってくれた。いや、アレだよ。要するに、僕達が相手をすべきなのは廊下の奥から来る例の謎の魔物の群れであり、屍山あさりスカベンジャーはサンケに任せちまえってことさ。


「このフロアで帰還者レヴァナントを見かけなかったことが最高の好機。俺の『とっておき』を使わせてもらう」


 サンケがショベルの先端を床に突き付けると、彼の手前に魔方陣が生成される。その魔方陣が今までと異なるのは、ただの円陣ではなく、中央に六芒星が描かれていた。六芒星が描かれる魔法は、僕達は使わない。ただ、どんな魔法なのかは知っている。


「ケサガケ!」


 サンケが叫ぶと、籠手で覆われた獣の手のような何かが魔方陣の縁を掴んだ。やがて、サンケの身の丈すら超える巨体が魔方陣から姿を現す。まさしく、冬眠から目を覚まして巣穴から出て来るように。


 現れたのは、袈裟懸け模様のついた熊だった。ケサガケという名は、かつて北の国で重大な獣害を引き起こした羆と同じ名前だそうで。けれども、サンケが呼び出したケサガケは、袈裟懸け模様の毛並みどころか強固な甲冑で全身を覆われていた。頭部もまた、熊の形状に合わせた立派な兜で覆われている。


 召喚獣。ギルドクラブが得意とする伝家の宝刀だ。四元素王に一つずついるそうで、召喚した者の莫大な魔力を用いて、僕達のいる世界に姿を顕現させているんだそうだ。ま、あくまでこれは外部から聞いた話であって、僕は、安全に従えさせられる精霊エレメント系の魔物みたいなやつ。って解釈しているよ。召喚術とか、僕は出来ないからね。


 ただ、ケサガケの見た目についてひとつ言いたいことがある。そいつが背負っている妙に点滅する機械のような何かは何だ? そして、そこから伸びている筒形の何かはなんだ? それ、熊には絶対にない器官だよな。


 ケサガケが吠えた。相対する屍山あさりスカベンジャーは、殺す獲物が増えた程度にしか思っちゃいない。亡者が発狂したかのような嫌な叫び声を上げて襲い掛かる。


 分厚いガラス壁すら容易く抉り去る爪が、ガードするケサガケの腕に容赦なく突き刺さり――屍山あさりスカベンジャーは、そのまま動けなくなってしまった。理由はすぐに分かった。爪が抜けないのだ。奴の鋭利な爪は、ケサガケの硬そうな鎧こそ貫いたものの、その下部にある筋肉までは斬り裂けなかったのだ。


 ぶぅん! と前足を突き出しただけで、屍山あさりスカベンジャーのほっそりとした巨躯が、まるで強風に煽られる枯れ木のように吹っ飛んだ。


 ヒグマに相応しい豪快な膂力を披露したケサガケは、間髪容れずに床に両腕を叩きつける。すると、白亜の床から土が溢れ、その地脈が吹っ飛ばされた屍山あさりスカベンジャー目掛けて伸びていった。僕にはそれが、モグラみたいな生き物が、一直線に突き進んでいくようにも見えた。


 その土が屍山あさりスカベンジャーに触れた途端、床から無数の土の槍が生え、ほっそりした身体を槍衾に貫いた。


 全身を刺し貫かれて身動きの取れぬ敵を見据え、ケサガケが四足の体勢になる。ケサガケの背負う『それ』の先端が、屍山あさりスカベンジャーに狙いを定めた。


 離れた僕達の腹の中まで響く音だった。ケサガケの背負う一門のキャノン砲から、特製の砲弾がぶっ放されたのだ。その一発の威力や凄まじく、標的は言わずもがな、付近の廊下のガラスすら衝撃で容易く破壊し、余波は僕達にも余裕で届いた。テトラ自慢の尻尾が無秩序に翻弄されているのが、その爆風の凄まじさを物語っていた。


「ケサガケの戦力はクロスファミリー二人分。もし貴様等が同行していなかったならば、俺は真っ先にケサガケを召喚して、ひとりと一体でテトラを護衛していた。それで十分なのだからな!」


 獲物を仕留めて得意げになっているようだが、サンケ、流石にそれは無いと思うよ。だって、召喚獣をその場に維持するだけでも相当な魔力を消費するんでしょ? この旧校舎入ってから今に至るまで、どれだけ時間が経ってると思ってるの? いくらギルドクラブの魔力が高いとはいえ、現実味がない。兄弟も隣で、「馬鹿言ってんじゃねえ」って呆れ顔だし。


 ま、それはそれとして、サンケが厄介な敵の相手を引き受けてくれるのは有難かった。僕の拳足と兄弟の光線が、謎の魔物の軍勢を蹴散らしていく。


 と、僕は気が付いた。テトラの姿が見当たらない。僕達男陣が魔物と戦っている真っ最中だってのに彼女はどこに行ったんだ? 兄弟は――いや、兄弟にとってはどうでもいい話か。


「壁に寄れ、クロスファミリー! 敵が飛ぶぞ!!」


 サンケの怒鳴り声が耳に飛び込んできたのは、ちょうど奥の方から加勢がやってきて、いやこの建物どんだけいるんだよ……と、半ば呆れの感情が僕達を包み込んでいた時だった。僕達が振り向くと、今まさに屍山あさりスカベンジャーがこちらに向かって吹っ飛んでくるところだった。


「危ねえっ!」


 サンケの指示通り、僕達は左右の壁にそれぞれ身を寄せる。その間を、暴風に飛ばされる枯れ木よろしく屍山あさりスカベンジャーの細い巨躯が飛んでった。その軌道の先にあるのは、例のプルプル頭の謎の魔物達。凶悪な爪を持つ屍山あさりスカベンジャーが、不気味だけど脆弱な肉体である彼等の所に飛び込んだらどうなるかは、火を見るよりも明らかだ。無秩序に暴れ回る四肢が謎の魔物を斬り刻み、僕達の目の前は一瞬で血の海と宝珠の散乱場所と化したよ。


 吹っ飛ばした張本人が、主に連れられて僕達の所までやって来た。


「奴め。ちょこまかと傷を蓄積させる戦術へと変えやがった。おかげで、俺のケサガケが傷だらけだ」


 いや聞いてないから。と、突っ込みたかったんだけど、ケサガケの姿を見たら、主がそんな愚痴をこぼしたくなるのも分かる気がした。堅牢そうな甲冑に、これでもかというほど無残な切り傷が抉りこまれたからだ。その傷穴から、血液の代わりに砂塵のような細かい粒子が流れ出ている。おそらく、召喚獣を構成する魔力の一種だろう。ケサガケの傷跡から察するに、屍山あさりスカベンジャーはワンダウン取られた後、随分と抵抗したようだ。結果は、アレだけど。


「金十字、脇を固めろ。ケサガケの主砲は、貴様の光線と違って、薙ぎ払うような器用な芸当が出来ん」


「は? 悪いが、俺は兄弟の言うことしか聞く気が起きねえんだけど」


「サンケに従って。僕の魔弾アモではケサガケの砲撃を支援するには限界がある。僕は後方から敵が来ないか見ているよ」


「分かった。ならやるさ」


「……黒十字がいなかったら、金十字はやっていけるのか?」


 そんなことは言わんでやってくれ、サンケ。じゃ、相手を頼むよ。


 ここで僕は、テトラがとある部屋の中にいることに気が付いた。それは例の大部屋に隣接する小部屋で、忌まわしいガラス管すら置かれていなかった。代わりに小さな事務机と資料が雑多に積まれた金属製のラックが建てられており、何らかの記録室のように見える。


「そんなところにいたの? 僕達が戦っている真っ最中に、一体何をやってるんだ」


 僕が文句を言ってやると、テトラはこっちを見て「ゴメン。ちょっと気になるものを見付けちゃったから」と広げていた本を僕に見せてくれた。いや、この状況下で自分の興味の方を優先するとか、そういうところだぞギルドクラブ!


 で、彼女が見せた本なんだが、表紙が分厚くて頁の紙が古いうえに、何も書かれていなかった。いや、そんな無地のノート見せられてどうしろってんだ。


「あ、黒十字クンは知らないのね。そのノート、魔力を当てると書いてた文字が炙り出てくるの。プラチナアカデミーの研究生達は、そうやってノートに記載した情報が漏洩されないようにしているのよ」


 彼女の言う通り僕が頁に魔力を当ててやると、なるほど、手書きの文字がうっすらと浮かび上がってきた。訳の分からない魔術式が羅列してあって僕には珍紛漢紛なのだが、とある単語を見付けて、僕は眉を潜めた。


「『副産物の雑兵バイプロダクトゥルーパー』? ……そもそも、ここって悪の魔法士を幽閉する施設だよな。なんでこんな研究所みたいな施設が、こんな所にあるんだ? じゃあこれ、誰が書いてんだ? 本の名前を見る辺り、ゲルトルーデって人が書いているわけじゃなさそうだけど、悪の魔法士の中にも上下関係ってのがあって、部下みたいな奴がそれ書いてんのか?」


「さあね、それは知らないわ。でも、副産物の雑兵バイプロダクトゥルーパーってのは、多分、私達が出会ったあの白い魔物達のことじゃないかしら?」


「そうなのか? あんなものにトゥルーパーとかいっちょ前な名前を付けるなんて、流石は悪の魔法士だ。趣味が悪い。――てかさ、僕は思ったんだけどさ」


 ここで僕は、このフロアに入ってから薄々感じていたことをテトラに言った。


「この施設は、本当は表じゃ絶対に話せない激ヤバな実験を秘密裏に行うために作られたもので、プラチナアカデミー旧校舎が悪の魔法士を封印するために作られた施設だっていうの、本当は嘘なんじゃないか?」


 案の定、テトラが憤怒の形相で抗議した。


「なによそれ。私達が最初から黒十字クン達を騙したって言いたいわけ? 何度でも言うけどね、私は知らなかったから。旧校舎の地下に、こんなふざけた魔法の研究施設があったことなんてね!」


「だと、良いんだけど。ここの魔物を黙らせて、調査もきっちり済んだら、君達の知ってること全部話してもらうから」


「上等よ。とりあえず、ここの資料を読んだおかげで、私達の本当の目的地が分かったわ。ゲルトルーデの私室が、このフロアのどこかにある。捕まってる分際で『私室』なんて呑気なものがあること自体おかしいけど、そこに重要な情報があるのは確かよ」


「じゃ、そこで決まり。――今、サンケと兄弟が交戦中なんだ。援護しに行くよ」


 元の場所へ戻ると、兄弟とサンケの姿が無かった。けれども、奥の方から轟音が聞こえてきたのでそこへ向かうと、思っていた通り、二人は敵の軍勢を押し込んでいる真っ最中だった。


「寄り道してんじゃねえよ、兄弟。こんな奴等、俺と土野郎だけで十分だったけどな」


 僕等に気付いて振り向く兄弟の表情は嬉しそう。まあ、廊下のあちこちに焼け焦げたような傷跡があれば「兄弟が押しまくってんだな」って思わざるをえないよ。光線を撃ちまくらなければ、あんな焼け跡は起こらないもの。


 ところで、二人が対峙しているのは何だ? 引き締まった体系の長身の男性っぽい何かが、今まさに宝珠に還らんとする謎の白い魔物――副産物の雑兵バイプロダクトゥルーパー達の山を背景にして立っている。ただ、そいつの顔から爪先にかけて皮膚は赤黒く、人間として見るにはとても無理があって。


「……もしかして、あれ、屍山あさりスカベンジャー?」


 僕が確認すると、兄弟とサンケは首を縦に振った。


「ああ。何回かダウンさせてやったら、あんなに小さくなりやがった」


「恐らく、取り込んでいた魔力と帰還者レヴェナントを全て取っ払った最後の姿だろう。玉ねぎから皮も何もかも剥いでいった後の残り物と同じだ」


「つまり、金十字クンとサンケの言うことを纏めると、アレを倒せば宝珠になるってことね。でも待って、なんであなた達、そんなにボロボロなの?」


 テトラが指摘するのもその通りで、前に見た時は、兄弟のジャケットもそんなに擦り切れてなかったし、サンケの袖から筋肉質な肌が露出してるようなこともなかった。というか、ケサガケだってそんなに息が荒かったっけ?


「すぐ分かる。あいつ、後がねえから焦ってんだとするなら納得いくぜ。動きがおかしい」


 兄弟の言ってることを、僕達はすぐに理解した。


 屍山あさりスカベンジャーは速かった。どれだけ早いかというと、先に動いたのはそっちなんだが、迎え撃たんとする兄弟の光線とケサガケの砲撃を見事に回避しやがったからだ。成る程、おかしい。


 接近を許してしまった兄弟が、光剣ライトセイバーを生成して降りかかる。が、その刃が振り下ろされるよりも、屍山あさりスカベンジャーが兄弟の懐に入るほうが早かった。剣を持つ腕を片腕で止められ、もう片方の拳が兄弟の身体に撃ち込まれていた。


 嘘でしょ⁉ と、僕が瞠目する間もなく、屍山あさりスカベンジャーは、今度はケサガケへ迫る。振り下ろされる前足を両腕で捕まえると、身を捻って背負い投げを仕掛ける。飛ばされる巨体の先にいたのは、サンケだった。


「……くっ!」


 甲冑のヒグマがサンケに直撃することは無かった。ぶつかる直前に、サンケが陣を張って別世界に帰したからだ。背負っていた重たいものが急に無くなってバランスを崩す屍山あさりスカベンジャーに、サンケは先端を槍のように鋭くしたショベルをぶつける。


「おのれ。ケサガケの、仇ッ!」


 穂と取っ手(というより石突)を巧みに何度も当て、自分よりも背の高い魔物へと果敢に攻めていくサンケ。最後は下から取っ手で顎を当て、よろめいた所をショルダータックルで突き飛ばした。そして、とどめと言わんばかりに、屍山あさりスカベンジャーの足元に魔方陣を生成する。


「『土葬のバリアル・ストライク』ッ!」


 床より突き立てる土の槍は、直前に横っ飛びされてしまって目標には当たらなかった。それどころか、受け身を取って体勢を立て直した屍山あさりスカベンジャーは、地を蹴ってサンケに接近すると、裏拳で吹っ飛ばした。邪魔者を退かした敵が次に狙いを定めるのは、テトラ。


 兄弟とサンケの後ろで立ってるだけだった彼女目掛け、死臭漂う偉丈夫が疾駆と共に襲い掛かる。テトラは、そんな敵を、ただただ何もせずに見ていて――


「『森の捕縛者グリーン・アリスター』」


 四本の尻尾がフワッと浮いた。凶悪な抜き手が彼女のすぐ目の前で止まっているにも関わらず、テトラは泰然としたまま、メガネの縁を手で押し上げていた。


「馬鹿ねえ。確かに、私みたいな魔法士は接近戦は苦手だけど、だからと言って素早く接近さえすれば勝てると思ったら、大間違いよ」


 床、壁、天井に展開された青と茶色の魔方陣――そこから伸びる緑の蔓が、四方八方から屍山あさりスカベンジャーを縛り付けていた。てか、前見た時は気が付かなかったんだが、よく見ると蔓が体内にまで侵食している。どうやら、筋組織や神経とかにまで絡みついているようだ。成る程、そこまでされれば、どんな力自慢でも身動き一つとれまい。


「サンケ、それに金十字クン、お疲れ様。戦いの結びを担うのは、やはり私達、ギルド長の役目みたいね」


「テトラ、一応言っとくけど、クロスファミリーのギルド長は僕じゃないから。僕の父さんだから」


「あら、そうなの? でも、P.E.N.C.I.Lの認識だと黒十字クンなんだけど」


 初耳だぞ。てか、世間の認識がそれなら、例えばノヴォグラードの代表は『将軍』じゃなくて『あいつ』になってそう。


「ま、いいわ。黒十字クン、今から私は、こいつを思いっ切り吹っ飛ばすわ。黒十字クンは、宙に浮いたこいつを、ご自慢の大技でとどめを刺してあげて」


「了解。いつでもどうぞ」


 僕が応答すると、テトラはレンズ越しの目を細める。次の瞬間、灼熱に輝く奇怪な魔方陣が、屍山あさりスカベンジャー蔓の表面にびっしりと描かれた。


「『爆轟デトネーション』」


 大爆発が起きた。テトラが障壁魔法を僕達の手前にご丁寧に張っていなければ、僕達は間違いなくお陀仏になっていた。邪魔な噴煙をテトラが風の魔法で取っ払うと、地下の崩壊を押さえるべくある程度残っていた蔓と、倒れたままの兄弟とサンケと、今まさに吹っ飛ばされている屍山あさりスカベンジャーがいた。僕はそれを断じて見逃さなかった。


 宙に飛ばされたまま虚空で身動きできぬ屍山あさりスカベンジャー。体内にまで入り込んだ蔓が爆発したにも関わらず生きながらえているのは大したもんだが、これで終わりにしてもらおう。瞬間移動で接敵した僕は、空中で身を捻り、魔方陣で強化した脚を屍山あさりスカベンジャーへと叩き込む。


「『魔法士の旋風脚メイガス・トルネード』!」


 渾身の旋風脚は、サッカーの空中シュートよろしく、屍山あさりスカベンジャーの巨体を吹っ飛ばした。吹っ飛ばされた屍山あさりスカベンジャーは、近くの壁に直撃して破壊する。それに僕の蹴りは、強力な打撃だけでなく、その体内に爆発性の高い魔力を封入するというおまけつき。かの大籠鋏バケットシザースの固い外殻すら砕く一撃など、脆弱な死肉で作られた屍山あさりスカベンジャーにとっちゃひとたまりもなかろう。


 僕が破壊した壁の向こうに別の空間があった。どうやらそれは隠し部屋のようで、近くに出入り口の類が見られなかった。立ち上がった兄弟やサンケと共に、内部を覗いてみる。


 部屋の中で、ころころと転がる何かがあった。それが屍山あさりスカベンジャーの宝珠だと分かったのは、他に魔物が見られなかったからだ。副産物の雑兵バイプロダクトゥルーパーは全滅したっぽい。


 内部は、僕達がこのフロアに落ちた時、最初にいた部屋よりも少し広いくらい。机や本棚だけではなく、ベッドや実験装置といったものが、整然と配置されていた。


 それがどんな部屋なのかは、壁に掛かっていた悪趣味な肖像画ですぐに分かった。


「ここね。私達の目的地、ゲルトルーデの私室」

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