職人たちのエピソード
肥前文俊@ヒーロー文庫で出版中
第1話 遍歴の大工職人
昭和初期のことだった。
日本の津々浦々を遍歴職人として歩き回る男がいた。
大工の竹蔵は、いつか己が日本一の名大工になってみせると熱い志に燃えていた。
各地の名工のもとに赴いては、その下でしばらく席をおいて腕を磨いた。
一日の日当が二円。
大工の日当は、他の職人よりもやや高級取りだが、腕の良い遍歴職人は親方としてもいてもらいたい。
なにせ雇うときからある程度腕があるから、宿と飯を用意してやれば、弟子たちに比べても長い目で見れば安くつく。
繁忙期であれば雇い、仕事がなくなれば解雇して良いという契約だから、竹蔵ほどの腕であれば、どこに行っても快く迎えてもらうことが出来た。
鋸の挽き方、鉋かんなのかき方など、ちょっとしたことに職人の工夫は光るものだ。
永久就職するわけでもない遍歴職人に、丁寧に技術を教えてくれるわけもなし。
竹蔵はよく働きながらも、一つ一つの腕を盗み、我が身にしていく。
自分の実力が少しずつ高まるのを感じるのは、無上の喜びがあった。
竹蔵はある時、大阪に日本でいま最も優れた大工と名高い男、熊吉くまきちの元に身を寄せることになった。
熊吉は身の丈五尺(一五〇センチ)のガタイのごつい男だった。
熊という名に恥じない筋肉質だが、神経は細やかで、人情を大切にする男だ。
熊吉のもとには大勢の職人がいたが、誰も彼もそれなりに秀でた腕を持っている。
やはり腕の良い親方のもとで働けば、その下の職人たちも自然と腕が磨かれるのだろう。
他の親方の下では一つ頭抜けた技術の竹蔵も、熊吉の下では頭半分といったところでしかなった。
これは俺も負けてられねえ、と竹蔵は額に汗をかいて仕事に励んだ。
そのかいがあったのだろうか。
ある日、竹蔵は熊吉に食事に誘われた。
工事現場のすぐ近くの一膳飯屋で、麦飯に味噌汁、たくあんの漬物を奢ってもらった。
「お前めえさん、なかなか良く働くなあ」
「ありがとうございます」
「なんでも腕のいい職人から技術を盗みたくて、日本全国廻ってるそうじゃねえか。どうだウチに来て」
「これまで色々な所に入り込んで盗んできましたが、今が一番勉強になってますね」
「そうかそうか!」
竹蔵の言葉に嘘偽りはない。
熊吉の腕は本当に優れているのだ。
まず驚くべきはその速度だ。
職人はその技量や立場によって、扱う道具が変わってくる。
下っ端は掃除ばかりさせられて、親方はノミを使う。
熊吉のノミは恐ろしく早い。
カカカカカ、とノミ頭を叩く音が連なって聞こえるほどで、木槌を振り下ろし間違えれば、間違いなく指が潰れるだろう。
それでいて彫り間違いがないというのだから恐ろしい。
木材を継ぎ合せる時にはカミソリ一枚挟む隙間すらできない。
だから、おべっかを言う必要もなかった。
熊吉は間違いなく、日本一の大工なのだ。
そして、できれば数年のうちには、この熊吉の実力を超えたい、と竹蔵は思っていた。
だが、その熊吉が思っても見ないことを言いだした。
「よし竹蔵、いっちょ勝負するか。お前めぇさんが勝てば、いくつか技を教える。負けたら酒をいっぱい奢れ」
「しょ、勝負ですか!?」
「おう。腕に自信あるんだろう?」
「……分かりました。俺も男です、やりましょう」
そうだ、自分だって修行して腕を磨いてきた。
熊吉が上手なのは分かるが、扱う道具によっては十分勝算はある。
「じゃあ釘打ちでどうだ。これなら経験の差もないだろ」
「望むところです」
にやりと笑う熊吉に、竹蔵も自信アリげに笑い返す。
そういうことになった。
勝負のやり方は非常にかんたんである。
柱に使うような木材に、同じ長さの釘を二本ずつ刺す。
釘抜きを用いて、自分のものと相手のものとを一本ずつ抜き、どちらがしっかりと刺さっているかを調べるという方法だ。
主観的なものにはなるが、竹蔵にしても熊吉にしても、己が負けているにも関わらず、非を認めないような性格ではなかったから、この勝負は自然と成り立つことになった。
どれだけ釘が抜けづらくする勝負である。
抜けづらい釘というのは、家屋を建てた際に倒壊を防ぐ重要な役割を果たす。
一見かんたんそうな作業ではあるのだが、それだけに軽々しくは考えられない技量だ。
竹蔵は力強く、釘頭がめり込みそうになるほど釘を打ち付けた。
「ほほう。これは力強いな」
「ええ。次は熊吉親方の番ですよ」
「ああ、ええよ。まあ見ておきなさい」
そう言うと、熊吉は柱に釘を構えると、コンコン、と軽い音がするほどの優しい力で釘を打ち付けていく。
拍子抜けするほどに優しい力加減だが、釘は糠に打ち付けるように、軽く突き刺さっていく。
これは手抜きをしているのだろうか……?
いや、まさか。熊吉ほどの名大工が、手を抜くなどありえない。
「ふはは、不思議か竹蔵よ」
「ええ。正直にいえば、拍子抜けです」
「そうかそうか。じゃあ、釘抜きを使って抜いてみようや。そしたら分かるから」
熊吉のいうことは正しい。
抜けばすべてが分かるのだ。
竹蔵は釘抜きを使うと、柱に刺さった釘を抜きはじめた。
まずは己の。
釘抜きを扱う技量も確かなものだからか、あれだけ強く打ちつけたにも関わらず、釘はずいぶんと
「今度は俺のをやろうや」
「分かりました」
竹蔵は熊吉の打ちつけた釘を抜きにかかる。
あれだけ軽い打ち方だったのだ。
この釘もすぐに……そう思ったというのに、釘は柱の繊維に絡まったかのように固い。
いや、あるいは万力で左右から締められたような固さであった。
「これはいったい!?」
「分かったか」
「分かりません。なぜこんなにも親方の釘は固いんですか」
「お前さんは力強く打ちすぎて、柱の木材に穴を開けちまってるんだ。だから穴の周りの木材はぎゅっと押さえつけられて、穴自体が拓いてしまってる。俺は釘を滑り込ませた。だから木が戻ろうとして、釘を挟んでくれるって寸法よ」
力だけではなかったのだ。
これが技量か、と思った。
「おっと、負けたら技を教えてやる約束が、つい教えちまった」
「親方…………」
しまったわい、と笑う熊吉は、とても優しそうな目をしていた。
きっと、これを教えるために勝負などとわざわざ場を誂えてくれたのだ。
竹蔵は熊吉の人情が深く染みた。
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