第17話:騒動

「槇さんッ!!」

 間宮は思わず槇の名を叫んでいた。すごい勢いで殴られたのだろう、槇はよろけてカウンターに左手をつき、右手で切った口元を拭っていた。間宮はそんな槇の大きな背中を見てひどく安心してしまい、泣きそうになった。

「槇さん! 槇さん、大丈夫ですか!」

 眼に涙を溜めながら、間宮は槇の肩に触れ、顔を覗き込もうとした。

「……ん。大丈夫。大丈夫だから、下がってて、間宮さん」

 しかしそんな間宮を背中側に優しく右手で押し戻し、カウンター越しとはいえ鷺沼に近寄らせないようにした。そして、ふうと一度小さく息をつき、槇は体を起こした。

「鷺沼さん」

「っ!」

 鷺沼は正気に戻ったらしく、青ざめて槇と自分の拳を交互に見た。

「随分、大人げないじゃないですか。高校生の女の子に手を上げようとするなんて」

「こう……、は?」

 鷺沼は間宮の方を見て目を丸くした。若いとは思ったが、未成年だとは思っていなかったらしい。妻がそんな、学生の女の子なんかにそそのかされて、ああなってしまったとは思えなかったからだ。

「店のクレームの受け付けは、僕の仕事なんで」

 槇はネクタイをくっと直し、眼を細めて鷺沼をわずかに睨んだ。

「トラブルなら、僕が話を聞きますよ」

 その時、鷺沼の背中に嫌な脂汗が滲み始めていた。なぜなら、目の前にいる槇という後輩の見たことのない表情に、うすら寒い恐怖を感じてしまったからだ。

 口調は変わらない。いつもと何も変わらない。けれども、表情を失ったその目元や、口角の上がっていない彼の口元は、確実に彼が怒っていることを示していた。

 人が怒る顔など幾度となく見てきた。けれどこんな絶対零度な怒りは見たことなかった。それでも営業の仕事をしているからか、それが弁解のしようもない怒りであることを、鷺沼は肌で感じていた。

「けれど、うちの従業員に手を上げようとしたこと、まずはきちんと謝罪してもらいましょうか」

「……く!」

 本能。

 このままだと喰い殺されてしまうと悟ったその瞬間、弱いものは強いものにも牙をむく。プライドの塊であった鷺沼の性格も、油を注いだ結果になっただろう。

「生意気な口を利くんじゃねぇ!!! こんな胡散臭え店の店長ごときが、調子に乗るなよ槇……!!」

 再び右手を振り上げた。……その時だった。


「警察、呼んだわよ」


 工房のドアが開き、携帯を片手に美しい男、ライカが忠告めいた口調で告げた。

「は……え!?」

 裏に人がいるとは思っていなかったのだろう。鷺沼はライカの登場と「警察」という言葉に完全に怯んだ声を発した。

「逃げても無駄。うちは宝石店よ。防犯カメラくらいあるわ」

 ライカが冷たい視線で鷺沼を突き刺す。彼の顔からよりいっそう血の気が引いていく。

「さて、まずは謝罪じゃないかしら? お客様?」

 そう言うと、ライカはにっこりと笑った。

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