第4章:自信がつく石
第1話:前職の男
今日の店のBGMはストラヴィンスキーのピアノソナタ。繊細で粒の小さな音がキラキラ埃と一緒に舞うような、美しい曲だった。
「えっ、
何気ない会話から槇の前職のこと耳にした
「あぁ、うん。普通に大学を出て、営業としてサラリーマンをやってたよ」
「へぇー。あぁ、でもなんか似合う」
「はは」
それが槇にかかった呪いを含めての評価だと悟り、槇は苦笑いした。するとチリリと深い鐘の音が鳴る。
「あっ、いらっしゃいませ」
間宮が開いた扉に振り返り、入店した男に声をかける。しかしその男は間宮の声や姿など気にも留めず、ひたすら一点を見つめていた。
「? あの……」
「槇!? やっぱり、槇だろ!」
そのスーツ姿の男は、ぱぁっと顔をほころばせたかと思うと、間宮の後ろ――カウンター越しに座っていた槇の名前を呼んだ。
「え?」
間宮は思わず槇の方に振り返る。槇は少しだけ目を丸くしていたが、すぐに穏やかな笑顔を見せてすっと立ち上がった。
「お久しぶりですね。
どうやら知り合いらしい。そのことを悟った間宮はさっと身を引き、鷺沼と呼ばれた男と槇の間から抜けだした。
「お知り合いですか?」
「うん。ちょうどさっき話していた前職の先輩なんだ」
間宮の問いに簡潔に答え、槇は鷺沼に笑いかけた。
「どうしたんですか? 突然」
「ああ、最近このへん、オシャレな下町として栄え始めただろ? それで営業として回ってたんだ。そしたら窓越しに、懐かしい後輩と
鷺沼は豪快な笑顔で槇の頭をくしゃりと撫ぜた。槇のさらさらとした髪の毛が少し乱れる。
「はは。変わらないですね、鷺沼さん」
「お前もな。相変わらず、胡散臭い笑顔のくせに妙に安心感がある」
的確な評価だった。
「って、何してるんだ? お前、此処で働いてるのか?」
「ええ、ここの店長をやってます」
「へぇえ!? お前、こういうのがやりたかったのか? スーパールーキーだったから、ライバル会社に引き抜かれたとばかり思ってたぜ」
「あはは……」
槇は苦笑いをした。前の会社の人には辞める時、次に何の仕事をやるかなど話さなかった。幼女に誘われて怪しげな宝石店を始めるなんて、言えなかったのだ。
「鷺沼さんは、今もあの会社に?」
「ああ。今でもバリバリ営業職さ」
「変わりなさそうで何よりです。……あ、ご結婚されたんですね?」
槇が鷺沼の左手につけられた結婚指輪を見て問う。
「ああ。三年前にな! そうだ、うちの女房、こういうアクセサリーが好きなんだ。今度この店に来るように言っといてやるよ!」
「え……。あ、それはありがたいです」
鷺沼はもう一度豪快に笑い、ぐしゃりと槇の頭を撫でると、カウンターに置いてあった店の名刺をひょいっとつまんだ。
「元気そうでよかったよ! また、顔出しに来るわ。今度会社に残ってるやつらとも、また飲もうぜ」
「はい。是非」
鷺沼はひらりと手を振って颯爽と店を出て行った。深い鐘の音とともに、再びクラシックが空間の音を支配し始める。
「……元気な人ですね」
嵐のような客の
「ああ、うん。昔からああなんだよ」
槇は少しだけ困ったように笑った。
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