幻影の日

髙木ヒラク

深い夜だった。老人は期中伝統を手に、表で騒いでいる子供たちに声を掛けた。

「こんな時間になにしてる。親はどこだ?」

 しかし、子供たちは返事もせずに街頭の明かりに笑顔を照らされながら走り回っている。

 最近の子は、とつぶやいて老人は家に戻って椅子に腰かけた。落ち着かない。はて、あの子たちはどこかで見たことがあるような……。時計は23時を過ぎたころ。家の中で一人の人間しか写さなくなって久しい鏡に映る老人の顔は、そう遠くない最後への影を落としていた。

 おもてで遊ぶ子供たちの笑い声がぼんやりと響く。老人は落ち着かない様子で膝を撫でた。

 なぜこうも心を乱される。こんな遅くに遊んでいる子供たちの非常識さへの憤りか。しかし、老人は怒りとは違った、生温かな鼓動が体を震わせていることに気付いた。

 いきなり玄関が開く音が聞こえた。いったいこんな時間に誰が訪ねて来たのだろうと老人が玄関に向かうと、若い男が若い女と入ってきた。二人は腕を組んで愛おしそうに見つめあっていた。目が座っており、少々酔っぱらっているようだ。老人は仰天し叫んだ。

「お前ら誰だ!私の家で何をしている!」

すると、若い男女は眉を潜め、「あなたこそぼくらの家で何をしているんですか」と男が答えた。

「あなたの家はここじゃないですよ。出て行ってください。今度は間違えちゃ駄目ですよ」

 若い男は老人の手を取ると、おもてに引っ張り出しドアを閉めて鍵をかけてしまった。

「なんなんだ!ここは私の家だぞ!」

 老人は筋張った細腕でドアを叩いた。すると奇妙なことが起こり始めた。23時過ぎだというのに太陽が昇って来た。驚いた老人が太陽の光と向き合うと、すぐさま落ちて月が出てきた。それが何回も繰り返された。おもての子どもたちはあい変わらず鬼ごっこを続けている。呆気にとられた老人は、昼夜の流れとともに明かりが点滅する我が家を見守るほかなかった。

 少しして、中学生くらいの少年がバットとグローブを持って家から出てきた。きらきらとした目には、もゆる青春の光がともっていた。

 次に老人の隣に車が止まり、中から薄化粧の細身の女が3つくらいの男の子の手を引いて出てきた。細身の女は老人に目を止め「あら、こんにちは」と軽く会釈をした。

「こんにちは」震える声で老人は答えた。そして老人が質問をする前に女と男は老人の家に入っていった。

 いまだ昼夜は急速に回り、家の点滅は続いている。おもての子どもたちははしゃぎ続けている。

 大学生くらいの青年が、自転車で風を切り老人の家の前でブレーキを握った。嬉しいことでもあったのか、笑顔が表情を支配している。勢い余って老人にぶつかりそうになった青年は「すいません!」と叫んで勢いそのままに家の中に飛び込んだ。

 立ち尽くす老人の周りでは町が静かに眠っていた。明かりの消えた窓、冷たく冷えた塀、主は出てきそうにない犬小屋。老人と老人の家だけ、奇妙な回転をしているようだった。

「あれは私の家なのに、いったい連中は誰なんだ!」

 老人は、鬼ごっこを続ける子供たちに叫んだ。

 子供たちの笑い声が、はさみで切られたように止んだ。



その日、家は暗かった。一台の車がその前に止まり、母親が息子の手を引いて車から降りた。息子は、初めて見る新しい我が家をまじまじと見上げた。母親に手を引かれ家に入ろうとすると、傍らに老人が立っていた。母親が挨拶をすると、老人は震える声で「こんにちは」と言った。



その日、少年は張り切っていた。前日監督からレギュラーを言い渡され、胸が躍っていた。何度も振ったバットと磨いたグローブを手に、早くグラウンドに付きたいと、息を切って家を出た。家の前には見知らぬ老人がいたが、野球よりは興味を引かなかった。



その日、青年は第一志望の大学に受かった。寝る間を惜しんで努力した日々が実った。ずっと応援してくれた両親に早く報告したかった。自転車を飛ばし、我が家へ急いだ。家の前には見知らぬ老人が立っていて、勢い余ってぶつかりそうになった。すんでの所でぶつからなかったが、「すいません!」と謝り、青年は家に入った。



その日、若い男は新妻とのとても幸せな新婚旅行を終えて我が家に帰ってきた。余韻をまだ楽しもうと、飛行機でこっちに帰ってきた後、近所のバーでしこたま飲んだ。あまり酒に強くなかった若い男の視界は、少しぼんやりとしていた。なんとか我が家にたどり着いた。しっかりと妻と腕を組み、家のドアを開ける。玄関で妻と見つめあっていると、すると、見知らぬ老人が現れいきなり叫んだ。

「お前ら誰だ!私の家で何をしている!」

 若い男は少し驚いたが、幸せな気持ちと酔いが心を緩やかにしていた。老人も自分たちと同じような酔っ払いか可哀想な徘徊老人かと決めつけ、努めて優しく「あなたの家はここじゃないですよ。出て行ってください。今度は間違えちゃ駄目ですよ」と老人の手を引いて家の外に出した。おもてで老人の叫ぶ声が聞こえたが、若い男とその妻は構わず寝室に向かっていった。



その日、子供たちは夜の鬼ごっこに興奮していた。仲の良い友人たちと一緒にお泊りをするだけでも非常に楽しいのに、仲間の一人が「夜の外で鬼ごっこしようぜ」とさらに面白いことを言い出した。大人が寝静まってから静かに抜け出した子供たちは、鬼を決め、ばらばらに散らばった。しかし、夜への恐怖心を拭えていない子供たちは、お泊りをしている家から遠く離れることができなかった。もっぱら、家の前で駆け回っていた。

 すると、見知らぬ老人が声をかけてきた。

「こんな時間になにしてる。親はどこだ?」

 子供たちは、構わず鬼ごっこを続けた。今や子供たちの世界には老人のことなど取り入れる隙間などなかった。無視をしていると、老人はいつのまにかどこかへ行ってしまったが、しばらくすると戻ってきて、

「あれは私の家なのに、いったい連中は誰なんだ!」と叫んだ。

 子供たちは、鬼ごっこを中断した。

「おじいさん、誰?」

自分の家を老人に「私の家」だと言われた少年が訊ねた。

 老人はしばらくその少年を見つけた後、急に頭を撫で始めた。

「わかった、わかったぞ!君は私だ!私なんだよ!」

 少年はわけがわからなかった。しかし、撫で方はとても優しかった。

「ああ、そうか! 家に入って行ったのは全部私だったんだ! 私の記憶! 過ぎた時間たち!」

 老人が意味の分からないことを言い出して、子供たちは怖くなってきた。後ろの方で「こいつヤバいぞ」とひそひそ話をし始めた。

老人構わずしゃべり続ける。

「なあ、私よ! これから起きることを言わせてくれ! お前の妻は病気で早くに死ぬんだ!だから、頼むから、悔いのない愛情を注いでやってくれ。優しくて、私に辛さを出せない女なんだ。だから、だから……!」

子供たちの恐怖が最高潮に達した。頭を撫でられていた少年が先人を切って家に向かって走り出した。友人たちも後に続いて走り出す。

「おい、まってくれ! 過去よ! 行かないでくれ……」

 老人の足は動かなかった。太陽はすでに出てこなくなっていた。老人の周りの回転は、緩やかに収まってきた。

自分の夜に戻ってきた老人は、街灯にそう遠くない最後への影を作られながらぼんやり立っていた。

ぽたりと落ちた涙を皮切りに、静かにしゃくりあげ始めた。もう戻らない過去を一つ一つ思い出すたび、愛おしさに心が激しく震えていった。



その日、若い男はベットの中で泣き声を聞いた。隣で寝ていた妻も起き出し、窓から下を覗いた。

「あのおじいさんよ」妻が振り向いた。

 若い男も下を覗いた。「ほんとだ、泣いてる」

「ねえ、警察読んだほうがいいんじゃないの」

 妻が心配そうにささやく。

「……いや、そっとしておこうよ」

 若い男は優しくいった。

「なんで?」

「なんかさ、泣かさせてあげたいというか」

「なにそれ、まだ酔ってるの?」

 首を傾げる妻の肩を若い男は優しく抱いた。

「かもね。心配しなくてもそのうち泣き止むさ。さあ、寝よう」

 若い男はベットに入り妻をしっかり抱きしめた。いつか消えてしまうだろう妻を、いつまでも覚えておくために。


幻影の日 終

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幻影の日 髙木ヒラク @tkghiraku

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