03 記憶

 洞窟を抜けた先に鬱蒼と茂るそこは、森というよりも最早ジャングルだった。

 行く手を阻むものなど何もない、とでも言いそうなスピードで進む彼女の後を、俺は小さな歩幅で必死について行く。


 唐突に、彼女は問う。


「そう言えば、キミ、自分の名前は覚えているの?」


 そう言われ、俺は初めて自分についてほとんど把握していなかったことに気づく。

 否。そう伝えると、彼女はしばらく思案した後こう言った。


「ポチ」


 ……は?


 と思わず聞き返してしまった俺は悪くないはずだ。

 記憶なんてなくたって、『ポチ』が人につける名でないことくらいは感覚でわかる。


「だって、私の後ろ必死についてくるの、凄いカルにそっくりなんだもん。」


 クスクス笑う彼女に、俺は思わずムッとした。


「仕方ないだろ。俺の今の姿は子供なんだから。歩幅が小さいのは当たり前だ。」


「……今の?前は子供じゃなかったってこと?」


「……正直、確証はない。けど、この姿は違和感がすごいから、多分そう。」


 肩をすくめながら言うと、彼女は


「ふーん……」


 と気の無い返事をした。

 その時彼女の目が陰ったのに、まだ未熟だった俺は気付くことができなかった。


「ポチがダメなら、なんて呼べばいい?」


 仕切り直すように聞かれ、俺は戸惑った。名前なんて、そう簡単に思いつくものじゃないから。


 暫く考えあぐねていると、それを面白そうに見ていた彼女は言った。


「『時雨』は?」


 俺がキョトンとした目で見ていたのか、彼女は言い訳をするようにいう。


「ほら、私の名前、『皐月』じゃない?私ね、ずっと弟が欲しかったの。だから、『時雨』。」


 俺は舌で数度転がすように言った後、コクリと頷いた。


「しぐれ…しぐれ…ん、気に入った。」


「ホントにいいの?キミの名前だし、キミが気に入ったのでいいんだよ?」


 自分で提案しておきながら心配そうに言う彼女を安心させるよう、俺は言った。


「ちがう。俺の名前は、『キミ』じゃなくて『時雨』!」


 暫しの沈黙の後、どちらからともなくフフッと吹き出す。


「そうだね、ありがとう、時雨」


 名前を呼ばれた俺はどこかくすぐったくて、照れを誤魔化すように口を開いた。


「俺は?刹那さんのことなんて呼べばいい?」


「そうね…特に考えてなかったし拘りもないから、なんでもいいよ。」


 そう言われた俺は、待ってましたとばかりに


「皐月姉!」


と答えた。


「皐月姉って…そのまんまじゃない。」


 クスクスと笑う彼女に、


「いいだろ、別に。なんでもいいって言ったじゃないか。」


 と俺は少しむくれて見せると、可笑しそうに彼女は言った。


「ごめんね。改めて皐月姉って呼ばれると、ちょっと気恥ずかしくって。」






 お互いの呼び名が決まったところで、俺はずっと気になっていたことを聞いてみた。


「皐月姉、俺たちいったいどこに向かっているの?」


「班のポイント。翼探課 第一班の集合場所って感じかな?」


「班のみんなで来てるの?」


「うん。でも、他の班員がクセの強い人ばっかりだから、私一人で時雨を迎えに行ったの。みんなはポイントで待ってる…はず。」


「何かに追われてるって感じだったけど、あれは?」


「…今は話せない。また今度ね」


 最後の質問のみをはぐらかされた俺は、思わず口を尖らせた。それを見た皐月姉は、そんなところはまだまだ子供だね、と笑った。





 そんなのどかな時間は、唐突に終わりを告げた。皐月姉が、急に気配を尖らせた時。突如として視界は白一色に染まり、次の瞬間、すぐ近くから爆音が轟く。俺の小さな体は簡単に吹き飛ばされ、後方にあった木に背中から叩きつけられた。


「……っ!」


 息が詰まり、小さな体に耐え切れないほどの負荷がかかる。ドサッと音を立てて地面に落ちると、すぐ真上から、ぬるりとした、ゾッとする声が聞こえた。


[よくりゅうしんクン、みぃ~つけた!]


 よくりゅうしん。そんなもの、聞いたことがなかった。でも、聞いた途端に頭に流れ込んでくる情報。俺はーー








 ーー翼竜神とは、全てが始まる時、同時に生まれた翼竜のことである。虚無の空間にポツリと漂い、やがて孤独に飽きた翼竜が生み出したのが、火竜・水竜など(火・水・土・風・闇・光・原)の七竜であるとされる。翼竜と七竜で世界を創り、亜竜がそれらの子孫として繁栄した。やがて交配が進み血が薄くなると、奇形竜が生まれた。時が経ち、奇形竜の一部はエルフへと、一部はドワーフへと、また一部はヒトへとー。時とともに種族は増え、全ての源である翼竜・七竜の面影を残す種族は数少ない。(一部の種族を除いて)伝説として語り継がれてきた翼竜は神格化され、『翼竜神』と敬われる存在となったーー



 そう。

 俺は、翼竜。

 全てを統べる、全知全能の、原始の竜。










 途端、頭の中をめぐる数々の記憶。それは、ヒトであったり、エルフであったり、カルであったりと様々で。きっと今の俺のように、魂を乗り移らせて何度も生まれ変わって来たんだろうなー、と、記憶が戻った衝撃でうまく機能しない頭で考える。


[記憶は戻った?翼竜神くん]


 どれくらい経ったのか。いつの間にか閉じていた瞼を開くと、少し離れた場所に、何かを掴んだ……悪魔?が立っていた。

小さな翼と先の尖った尻尾を生やし、俺が見ても上等そうな服に身を包んだ、黒角のある褐色の男。……うん。悪魔と呼ぶに相応しい。

 俺は自分の中でそう結論づけると、彼が手に持っている『それ』に目を向けた。


「……っ、にげ、て……しぐれ」


「……皐月姉?」


 捉えた瞬間、全身の血が沸いたように感じた。彼が掴んでいたのは、焼け焦げてボロボロになった、既に服とは言えないものを纏った皐月姉の頭だった。

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