02 出会い

 頭が痛い…ここはどこだ?


 どうやら俺は、暗闇の中を揺蕩っているようだった。どこかふわふわとした意識は、唐突に覚醒へと導かれる。


「……ぇ、、え!」


 途切れ途切れにしか聞こえてこない言葉に苛立ち、俺は声を出した。


「…なに」


 瞬間、俺は戸惑う。それは、強烈な違和感を覚えたから。なぜ違和感を感じるのか、明確な理由が浮かばない。以前の自分の声など、覚えてはいなかった。


「ねぇ、君、大丈夫!?」


 今度こそ明確な意味を伴って俺の耳へ伝えられたその言葉は、大分心配の色を含んでいた。とてつもなく重く感じる瞼を開くと、そこは、一面霞みがかった世界。


 ……いや、違う。世界が霞んでいるのではない。俺の目が、そう映しているのだ。


 霞んだ視界を、先ほどの声が聞こえた方向へと向けた。勿論、相手の顔ははっきりとは見えない。


「よかった~、君、このまま一生目が覚めないのかと思っちゃった。」


 安堵の息を漏らしたその声は、俺の耳に心地よく響いた。


「…だれ」


 唇から漏れたその掠れた声は、俺が思った以上に警戒の色を滲ませた。が、相手はさほど気に留めなっかたらしい。


「私?私はね~、、そう、さしずめ君の『師匠』ってとこかな」


「…師匠?」


「そ。師匠。君に、飛びかたを教えるための先生」


 ーー「ヒト」は空を飛ぶことはできない。それは純粋かつ残酷なこの世の真理だった。遥か昔、数々の偉人は傲慢にも空を飛ぼうと試みた。彼らの努力が実を結んだのか、何千年か前の人々は金属の塊を空に浮かべることに成功したようだった。しかし、神はそれすらも許しはしなかった。人々は神による制裁を受け、二度と空に近づくことは許されなかったー


 ……はずだ。断片的な記憶によると、文献には、その時用いられた金属の名も、塊の設計図どころか名称すら残されていなかった。


 ……本当に?俺が把握していないだけなのではなく?


 ……わからない。俺は、ほぼ何も思い出せないのだから。


 それでも、DNAに深く刻まれた先祖たちの願いは、何世代もの時を経ても衰えることはないらしい。願いが叶う一抹の望みを見つけた「彼らの望み」は、いとも簡単に「俺」を乗っ取ってしまう。思わず、「声」に問うてしまう自分がいた。


「…本当に?俺は、空を飛べるの?」


 少年のようなあどけない質問に声の主はクスリと笑うと、こう言った。


「飛べるとも。特に君のような、大きくて立派な翼を持つ者ならね」


 ……翼?そんなもの、俺は持っていない。

表情に出ていたのか、声は続ける。


「…今は出すことができないだろうけど。それでも私は、君の『可能性』を信じてる」


 そんな期待、勝手にされても困る。

 そう言うと、声は一瞬固まった後、笑った。


「困る?君が?…ふふっ。それもまた一興だねえ。」


 ジトリ、と霞んだ目で睨むと、声は言った。


「ははっ。ごめんよ。…でも、本当に君は、大丈夫だから。君は、君がなりたいと思った自分になれるはずだよ。」


「その確信はどこから出てくるんだよ…」


 呆れたように言うと、声は笑った。この話はこれで終いだ、とでも言うように。





「声」に水を飲ませてもらい幾分話すのが楽になった俺は、尋ねた。


「結局、あんたはだれ?」


 あれだけ物を聞いておきながら、我ながら無愛想な言葉だったとは思う。が、出てしまった言葉は戻せない。

声はふっと笑うと、言った。


「知的探究心が旺盛なのはいいことだけれど、その言い方は考えものだね。まあ、君が質問したがるのも分からなくはないけれど。…うーん、何から知りたい?なんでも答えてあげる」


 いつまでたっても答えてもらえないもどかしさから、俺の声は自然と尖った物になる。


「だから、あんたはだれ?」


「それは、私の名を聞いているの?それとも、役職?」


 戯けたように聞いてくるその声に、俺は憮然として答える。


「…両方」


「うん、貪欲なのはいいことだよ。」


 「声」は姿勢を正すと、言った。


「【飛空省】【翼探課】の【第一班班長】、刹那 皐月。これでも割と上層階級なんだよ?」


 得意気な様子の「声」、もとい刹那さんに俺は言う。


「いや、俺役職とかよく分からないから。」


 それを聞いた彼女は、俺の目が霞んでいても伝わるほどにがっかりしてみせた。


「…っ、そんなぁ~。この役職、結構気に入ってたのになぁ。名前、カッコよくない?…でも!じゃあどうして聞いたの!」


 そんなの、なんとなくだ。強いて言えば、『両方』という選択肢があったからだ。


「…はあ。君には一生勝てる気がしないや」


 お褒めにあづかり光栄です。


「勝とうとも思わないけど!」


 捨てゼリフのように言った彼女の言葉に、思わず笑ってしまう。


 ムッとしていた彼女だが、突然はっと気配を尖らせると、声を潜めて言った。


「…もう嗅ぎつけたか。悪いけど、これ以上話してるわけにはいかなそうだ。」


 俺は疑問符を浮かべ、霞がかった目で刹那さんを見る。


「説明したいところだけど、生憎時間がないんだ。あとで話すよ。取り敢えず、今は出口に向かおうか。」


 そう言われて俺は初めて、ここがどこか?ということを考えた。霞んだ視界に入るのは、岩肌だろうか?灰色の、それでもどこか発光しているような、神秘的なもの。手から伝わるザラザラとした感触から、鍾乳洞ではないことがわかる。

 刹那さんが立ち上がり、歩き始めた。後に続こうと腰をあげると、長時間同じ姿勢でいたのが悪かったのか身体中がパキパキと悲鳴をあげた。

 天井は、俺が立ち上がってもまだ余裕があった。


 ……が、俺の目線は刹那さんの腰のラインにある。


 そう、認めたくはないが、身長がとてつもなく低かったのだ。



 慌てて俺は自分の手を見て、まだ子供のものであることに心底ホッとした。





 あれからどれだけ歩いただろうか。子供の身体で歩ける距離ではないはずである。しかし刹那さんは常に緊迫した空気を纏っていて、俺が「疲れた」などとは、とてもじゃないが言える雰囲気ではなかった。


 登って、下って、曲がって、また登って…延々と続く洞窟に嫌気が差しながらも、必死に彼女の後について行く。


 急な斜面をやっとの思いで登り切ると、唐突に洞窟は終わりを告げた。

 眩い光に思わず目を細めると、前方から彼女の声がした。




「ようこそ、全ての始まりの地【ステイル】へ」


 目が慣れるとそこは、朝日に全てが照らされた、一面黄金色の世界だった。


 その日こそが、「俺」が生まれた日であり、全てが生まれ変わった日。

 同時に、俺が最も大切なものを失った日だった。

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