アサミふたたび[後]

 たこ焼きは順調に焼き上がっていった。

 蛸やウィンナー、紅生姜をアサミがキッチンで切り、生地を真先くんが練り合わせ、和佐がたこ焼き器で焼いてゆく。千枚通しという道具は、本来の用途よりたこ焼きを焼くために存在しているのではないかと思う。

 わたしは焼きあがったたこ焼きを人数分の紙皿に取り分けて、押入れ上段の飲食物置き場へ運んだ。自宅で作ってきたタンドリーチキンも添える。

「わたしも焼く。焼きたい」

 腕まくりして申し出ると、

「だから、由麻は焼き物やらないでって言ったでしょ」

 和佐がやんわり拒否した。

「え、なんでですか?」

 部屋の隅で犬を撫でていた長谷川さんが不思議そうに尋ねる。

「だってほら、来年結婚式だから。手とか腕とかに油がはねたら、ね」

「うわー、それ愛……」

「愛だねえ~」

 長谷川さんの言葉にかぶせるようにアサミがキッチンから声を放ったので、ぎょっとする。和佐を含む会話のすべてに聞き耳を立てているのかもしれない。まあ、狭い部屋なのでそうせずともほとんどの会話は拾えるけれど。

 和佐は曖昧に笑いながらたこ焼きをひっくり返している。

 手持ち無沙汰なわたしは、押入れのスペースを整えた。奥行きはあるけれど、5人がテーブル代わりにできるほどの幅はもちろんない。代わる代わる手を突っ込んで使うしかなさそうだ。

「とりあえず40個できたけど、どうする?」

 和佐がみんなに、というよりほとんどアサミに訊く。

「かずくんすごい! 上手! 早い!」

 アサミは和佐をベタ褒めして、

「じゃ、いったん食べよっか。乾杯しよ、乾杯」

 と冷蔵庫からペリエの瓶を取り出しながら言った。


 アサミは結局暖房をつけないままだったけれど、それは正解だった。

 6畳間に5人もいて、さらに加熱調理をしているものだから、12月だというのに部屋の中は熱気で蒸していた。

 押入れ上段は、トッピングと飲み物用のスペースにした。たこ焼きソース、マヨネーズ、鰹節、青のりなどを好きに使い、ペットボトルの飲料やアサミ作の麦茶などを紙コップに注いで、ちゃぶ台を囲んだりベッドに腰かけたり、あるいは壁に寄りかかったりして食べる。

 たこ焼きは、普通においしかった。

 みんな旺盛に食べた。食欲が湧くのかすら不安だったわたしも、食べすぎることも食べなすぎることもなく、ほどよく食べた。

 祭りなどに出店する屋台の食べ物は衛生的・健康的でないと言ってあまり好まない和佐だけれど(わたしは好きなのに)、たこ焼きはボランティア時代によく野外イベントで子どもたちと作ったのだと言う。

「懐かしー! お好み焼きのときもなかった?」

 ボランティアの話になると、水を得た魚のようにアサミが食いつく。まあ、この程度は予想していた。

「あったあった。あとあれね、ピザ」

「そーそー、野外でピザの生地からこねるってのがね! でも意外と子どもたち、ちゃんと楽しんでくれるんだよねえ」

 わたしは唇を噛む。和佐と恋に落ちたきっかけはボランティアなのに、そのボランティアでアサミも和佐とつながっているのだ。

 和佐とアサミは延々喋り続け、ふたりだけの世界を構築している。わたしは黙々とたこ焼きを食べた。

 やたらと喉が渇き始める。たこ焼きとミルクティーは、やっぱり合わない。アサミの麦茶をもらうのは何だか気が退けて、緑茶を買えばよかったと後悔する。

 和佐の買ったトマトジュースをもらおうとして、気づいた。和佐は自然な動作でアサミのペリエを注ぎ、飲んでいた。

 言いようのない感情が湧いてくる。わたしが予想していたよりずっとずっと、このふたりは親密で、ちゃんと「恋人」だったのだろう。

「そろそろシーフード焼きとかウィンナー焼きもやらね?」

 長谷川さんと並んでベッドに腰かけて食べていた真先くんが立ち上がりながら言った。

「あ、じゃあ、今度あたし焼きたい」

 長谷川さんも立ち上がる。

 すると、空いたベッドにアサミと和佐が移動し、ふたり並んで腰かけた。ペリエの入った紙コップもしっかり持って。

「あれはないよなあ」

 折り畳んだキッチンペーパーで鉄板の内側にサラダ油を塗りつけ、火力を調整しながら、真先くんがぼやくように言った。

「なんか……、微妙ですよね」

 長谷川さんもちらりとふたりを見ながら言った。

「心配かけてごめんね。まあ、想定内ではあるんだけどさ」

 わたしは謝る。話題にされていることに気づく様子もなく、和佐とアサミは熱っぽく語り続ける。話題は「うさぎのしっぽ」のことからいつのまにかハイチの貧困支援に移っているようだ。

 こんなにいきいきと喋る和佐を見たのは、久しぶりかもしれない。普段とは、目の輝きが違う。

 そんなにボランティアが好きなのか。――あるいは、アサミが好きなのか。

 うっかり涙が出そうになって、慌てて奥歯をぎゅっと噛んだ。

 泣かない、泣かない。今日ここへ来ることを同意したのは自分だ。予想の範囲内の展開で泣くのは、ださいし筋が通らない。

 熱した鉄板に真先くんが生地を流しこみ、ほどよいところでシーフードミックスの海老やいか、帆立を入れてゆく。

 長谷川さんは早くも千枚通しを握りしめ、ぐつぐついう生地を見つめている。「焼きたい」というのは、ひっくり返す工程のみを指していたようだ。

「マサキさんも、料理上手ですよね」

 長谷川さんが、真先くんの目をのぞきこむようにしながら言った。

「ん? まあ、一人暮らし歴長いし、それなりに」

 こんな美人に褒められているのに、真先くんは淡白だ。このふたりには、恋は生まれているのだろうか。もしかして、わたしはこの場で本当に邪魔な存在なのではないだろうか。

「由麻さんは、帆立だめだよね。いかと海老多めに作るから食べてね」

 真先くんが気遣ってくれる。その優しさが、疎外感から救ってくれる。

「ありがとう」

 御礼を言うわたしを、長谷川さんがじっと見ている気がした。

 部屋の隅で、バターの溶けたような色をした犬が缶詰をがつがつ食べている。


 アサミが職場からもらってきたという業務用たこ焼き粉はキロ単位であったので、大人5人の腹を満たして余りある量のたこ焼きやその亜種が生産された。みんな代わる代わる焼き方を担当した(わたしも結局やった)。

「デザート、どうする? ホットケーキミックスで作るやつ。あたしは食べるけど」

 取り外した鉄板を洗いながら、アサミが呼びかける。買ってきたお菓子に誰も手をつけないほどの状況だけれど、この部屋の主人が作ると言うのなら我々にいなやはない。

 アサミはホットケーキミックスに卵と牛乳を入れ、泡だて器で混ぜ始める。もう使わないたこ焼きのトッピングを押入れからキッチンに運んでいった和佐は、またアサミと話し始めた。

 ジハツカンという単語が聞こえる。アサミの職場の話をしているようだ。

 和佐。

 わたしは心で呼びかける。

 和佐、そんなにアサミに会いたかったんだね。今、嬉しくて仕方がないんだね。聴いたことのない音楽が、聴こえているんだね。

「兄貴、俺たちのこと放置しすぎ。あと、これ忘れてるでしょ」

 真先くんが、コーンフレークとチョコチップの袋を持ってキッチンに行く。そうだったそうだった、もう練りこんじゃう? アサミの陽気な声が聞こえる。

「舘野さん、舘野さん」

 長谷川さんが、わたしに耳打ちしてきた。

「あたし、このあとマサキさんのことテントに誘おうと思うんですけど、さりげなくサポートしてくれません?」

「えっうそ、がんばれ」

 サポートと言われても具体的に何をすればいいかわからないまま、わたしは応援してしまう。

「がんばります!」

 長谷川さんはかわいくガッツポーズをすると、立ち上がって窓辺に近づき

「あー、暑ーい。皆さん、暑くないですか?」

 とガラス戸を引き開けた。室内のこもった空気が外へ流れ出ていく。

「おっ、テントの出番? 行っちゃっていいよー。暑いよねー」

 ようやく生地を混ぜ終わったアサミがやってくる。そう言えば、この人は長谷川さんと真先くんの微妙な関係をどこまで把握しているのだろうか。

 和佐はそのままキッチンで洗いものを始めたようだ。真先くんは和佐に話しかけていて(「年末年始どうすんの?」と言っている)、長谷川さんの声が届いたのかどうかわからない。

 わたしはたこ焼き器に油を塗りながら、事の次第を見守った。

「マサキさーん」

 長谷川さんはててててっと漫画のキャラクターのような小走りでキッチンへ行き、

「一緒にお庭でチーズケーキ食べません?」

と誘った。

「え」

 真先くんは不意を突かれたようになんとなくこちらを見て、

「え、でも長谷川那智となんて緊張する」

諾否だくひのわかりかねる返事をした。

 あ。もしかしたら、ここで「サポート」が必要なのではないだろうか。

「デートしといて、今更なに照れてんのよっ。行っておいで」

 おばちゃんみたいな口調でわたしが背中を押すと、真先くんは微妙な顔をしながらも

「チーズケーキ、どこっすか?」

と尋ねた。


 若いふたりと犬が庭に行ってしまい、部屋には気まずい3人が残された。和佐とアサミとわたし。といってもアサミに気まずそうな様子はなく、リラックスしきっているように見えるけれど。

 アサミはホットケーキミックスで作った生地をたこ焼きと同じ要領でおたまですくい、鉄板に流しこんでゆく。わたしと和佐は床に座り、なんとなく黙ってそれを見守っていた。

「そんでさー、いつ入籍すんの?」

 アサミが鉄板から視線を外さないまま言った。わたしはどきりとする。

「2月14日にしようと思ってる」

 和佐が答える。

 バレンタインデーだからという単純な理由だけでなく、わたしの母の誕生日でもあるし、仕事を休むのに支障のない日や六曜を調べたりもした結果選んだ日にちだ。

 アサミはぱっと顔を上げて和佐を見た。

「うそ! あたしの誕生日」

 えっ。

 和佐とわたしは顔を見合わせる。

「やだー、運命!? 何の!?」

 自分で言って、けらけら笑っている。

 アサミの誕生日に結婚するのは、それは――何だかとても、嫌だった。

 和佐を見遣ると、彼も険しい表情で黙りこんでいる。落ち着かないときの癖で、ちゃぶ台のへりを指先でかりかり引っかき始めた。

 あれ?

「ってことは、34歳になられるんですか?」

 わたしが尋ねると、

「そうそう! そろそろアラサーですらなくなるわあ」

とアサミは笑った。

 4歳も年上だったのか。

 変なところに気がいっている間に、鉄板の上のホットケーキもどきがものすごい勢いで膨れ上がり始めた。

「ぎゃーっ!」

「ちょちょちょちょ」

「いやああ」

 叫びながら、わたしたちはなすすべなく右往左往する。生地は個体同士の境をなくし、連結してみるみる膨張してゆく。巨大な軟体生物のように。

「ちょっとぉー、鈴カステラみたいになると思ったのにぃ」

 アサミが身体を「く」の字に折って爆笑する。

 その大輪の花のような笑顔を和佐が確認するように見ていることに、わたしは気づいていた。

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