アサミふたたび[前]

 冬晴れの空の下、真先くんのアルファロメオ(覚えた)は4人を乗せて走る。

 助手席に和佐、後部座席に長谷川さんとわたし。

 四者四様に複雑な思いを抱えて、車内はかなり気詰まりだった。特に、自分の不実な恋愛事情を初対面の長谷川さんに知られている和佐は、さぞいたたまれないことだろう。

 真先くんは兄が「二股」していた相手に会いにいくわけだし、長谷川さんはそんな真先くんの気持ちを引き寄せたい。

 わたしは――もはや、何を思えばいいんだろう。

 カーラジオから、Earth, Wind & Fireの「September」が流れ始める。

「ね、これ9月の歌なのに、どうして12月に流すんでしょうね」

 今日はメイクも服装も気合いの入っている長谷川さんが、無邪気に言う。

 真先くんが例の持論を展開しないので、わたしも何となく発言しないでいた。

 すると、和佐が助手席から振り向いて

「いや、これさ、ほんとは12月の歌なんですよね。ほら、"Now December"って言ってる」

と優しく教えた。

「ほんとだ」

「9月から今に至るまでずーっと幸せですよ、っていう歌なんですよね。めっちゃラブラブなふたりを歌ってるんだろうね」

「そうだったんだあ。すごーい、彼氏さん」

 運転席の真先くんが、ちらりと斜め後ろのわたしに視線を送ってきた。わたしも無言で視線を返す。

 わたしにはもう、この曲は別れたふたりの歌にしか思えなかった。


「ねえ、あたしいいこと思いついちゃいました」

 あと10分ほどで着くという頃、長谷川さんが運転席に身を乗りだして言った。

「なに?」

「アサミさんに友達ができれば、もう彼氏さんは会わなくていいわけですよね?」

「ん、うん、そっすね」

 和佐が気まずそうに返事をする。

「そしたら、あたしがアサミさんの友達になってあげますよ! そうすればもう、天涯孤独じゃなくなりますもんね?」

「そ……」

 それは名案だね、と言いたかったけれど、なんだかそれも違うような気がして口ごもった。

 アサミには今後、わたしの人間関係から遠く離れたところで友達なり彼氏なりをこしらえてほしかった。

 もう、わたしの世界に関わってほしくない。縁を切りたい。本当は、今日だって不安でたまらない。

 とにかく今日さえ、今日さえ乗り切れば。

「……それは助かりますね」

 和佐は助手席で苦笑いする。

「でも彼女すごい独特なんで、まあ無理のない範囲でお願いします」

 アサミを語る和佐の口ぶりがいかにも元彼のそれだったので、わたしはまた胸がちりちりした。

 車は見覚えのある住宅街に入ってきた。


 アサミの自宅周辺――最後はわたしがナビゲートした――をぐるぐる回って駐車場を見つけ、停めることができた。

 4人で車を降りて指定のバス停へ歩いてゆくと、

「おーーーいっ」

とこちらを呼ぶ聞き覚えのある声がした。

 心臓が、ずきんと音をたてる。振り返るまでもなく、アサミだった。

 初めて会った日にも着ていたアーミー柄のジャケットを羽織り、愛犬のリードを持っていない方の手をぶんぶん振りながら近づいてくる。

「あの人ですか? 背、あたしと同じくらいかな」

 長谷川さんがつぶやいた。

 真先くんは無言だ。

 そして、和佐は――和佐の顔が少しだけ紅潮したように見えたのだけど、気のせいだろうか。


 5人という人数で行動するのは、なかなか微妙だった。

 買い出しのためスーパーまで歩きながら、アサミは和佐の隣りを、長谷川さんは真先くんの隣りをぴったりとキープするので、わたしはひとりで後方を歩かざるを得なかった。

 この中で恋人同士なのはわたしと和佐のはずなのに、まるでわたしが2組のカップルの付き添いに来た部外者のように感じられた。しかも2組とも高身長のペアで、非常に見栄えがする。

 何をやってるんだろう、わたしは。こんなところで。

 ひとりでアサミを訪ねたときと同じ疑問が、頭をめぐる。ましてや今は、婚約までしているというのに。

 指輪をはめた左手を冬空にかざしてみる。この小さなプラチナリングがふたりの将来を保証してくれているという実感を、いまだ持てずにいた。

 犬を店頭のひさしの支柱につなぎ、スーパーに入る。

 初めて利用する店は、いつだって少しわくわくする。店内は年末年始の買い物をする地元の人でごった返していた。

 かごを入れたカートを和佐が押し、たこ焼きの具材のほか、みんなそれぞれ食べたいものを突っこんでゆく。

 モーリタニア産のたこ。わけぎ。紅生姜。天かす。ウィンナー。シーフードミックス。とろけるチーズ。青のり。鰹節。たこ焼きソース。ポテトチップス。さきいか。ポッキー。プッチンプリン。

 かごは瞬く間にいっぱいになってゆく。なんだか学生時代の友人たちとのパーティーを思いだして、束の間楽しい気分になった。

 たこ焼き器を使ってデザートも作ろうという話になり、ホットケーキミックス――はアサミの家にあると言うので買わず、それに入れるためのチョコチップやコーンフレークを入れた。

「飲み物も要りますよね?」

と真先くんがアサミに確認する。

「あ、そうだね! 炭酸水ならダース買いしてあるけど。あと、麦茶1リットル作ってある。でもそれだけだから、みんな飲みたいもの入れたほうが良さげ」

 アサミが快活に答え、みんなで飲料コーナーへ移動した。真先くんがジンジャーエールを、長谷川さんが林檎ジュースを選んでかごに入れる。

「お酒飲みたい人は飲んじゃってねー」

 アサミは声を張り、その直後に

「あ、でもかずくんは飲まないか。特に今日は」

 と和佐を見て意味ありげに微笑んだ。和佐は気まずく口を引き結ぶ。

 どうしてここでそういう空気感を出すかな。わたしは苦々しく思う。楽しい気分ははかなく霧散してしまった。

「真先も運転するから飲めないもんな」

 和佐がこの場をつくろうように言い、

「そうっすね。でも、由麻さん遠慮しないで飲んでいいっすよ」

真先くんが酒豪のわたしを気遣ってくれる。

「え、舘野さんて結構飲む人ですか? あたし全然だめで。飲むとすぐ眠くなっちゃう」

 長谷川さんはいかにも女子っぽいことを言う。人生で、一度でいいからそんな台詞を吐いてみたい。

「うーん、ひとりで飲んでもつまらないからな」

 正直、お酒どころかたこ焼きすら、恋人の元恋人の家でおいしく食べられる気がしなかった。もしかしたら、このストレスがまたあの制御できない食欲を引き起こしてくれるかもしれないけれど。

「由麻は、これだよな」

 和佐がミルクティーの2リットルボトルをわたしに突きだして、かごに入れた。

 ふっと嬉しくなった瞬間、いつのまにかわたしの隣りに立っていたアサミが

「愛されてるねえ」

と言った。感情の読み取れない微笑みを浮かべている。

 今日初めて、彼女を正面からまともに見た。

 アサミの髪は、黒に近い紺色にカラーリングされているのがわかった。そんなにしょっちゅう染め直して、毛根は傷まないのだろうか。また職場で怒られたりしないのだろうか。こんなときにそんな心配をする自分がおかしかった。

 そして、長谷川さんに負けず劣らず気合いの入ったメイクをしてわたしを見据える彼女を、今まで見た中でいちばんきれいだと思った。

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