恋人の恋人[前]

 その日が来た。

 わたしは、誕生日に和佐からもらったピアスとネックレスを初めて身に着ける。プラチナの輝きとひかえめに主張する翡翠ひすいのバランスに、あらためてきゅんとなる。

 これを買うために会社を休んで探し回ったという和佐にお礼もろくに言っていなかったことを思いだし、わたしは自分の傲慢さを恥じた。

 誕生日前夜のあの絶望があったにしろ、わたしは彼の愛情の上にあぐらをかいてはいなかっただろうか?

 和佐とのペアリングも、いつもどおり右手の薬指にはまっている。こうしてある意味武装してアサミと対抗しようなどというのは浅はかかもしれないが、アクセサリーを御守り代わりにしなければならないほどに、わたしという人間は空虚だった。


 秋の長雨が続いていたのに、今日はすかっと晴れ渡っている。快晴だ。

 わたしは昔から、晴れすぎている空が少し苦手だ。なんだか、胸がすーっと淋しくなってしまう。

 アサミは愛犬の入院騒動以来、出勤日以外はほとんど外出せずに犬と寄り添い合っているという。なので、今日もアサミの自宅周辺で犬の散歩がてら対面することになった。

 JRから私鉄に乗り継いで、各駅停車しか停まらない小さな駅に降り立つ。そこからさらにバスに乗り換える。

 和佐はいつもこんな面倒な思いをして逢いに行っていたのか、という気持ちと、そうまでして逢いたいと思うのか、という気持ちが交錯した。いかにも通い慣れたふうになめらかに乗り継ぐ様子に、ちりちりと胸の焦げる思いがした。

 和佐はわたしの手を握っているが、さすがに表情は硬い。家を出てから、「それ、似合ってるね」(アクセサリーのことだ)と、「何か飲まなくていい?」と、「大丈夫だから」しか言葉を発していない。

「大丈夫、って?」

 訊き返すと、少し困ったように笑いながら

「彼女、悪い人間じゃないんだ。……ちょっと変わってるから、誤解されやすいみたいだけど」

と身内を紹介するように言って、また口を閉ざすのだった。


 その言葉の意味するところは、指定された公園で彼女に会ってすぐ――いや、遠目に「あれ」と和佐に教えられた時点で理解することとなった。

 髪の毛が、ピンクだったのだ。

 公園内の、遊具から少し離れた場所にあるベンチの周りで、犬のリードを引いている背の高い女性がいた。

 どくん、と心臓が鳴る。

 彼女がアサミだということを、和佐に教えられるまでもなく一目で確信した。

 和佐が「大丈夫だから」とまた言って、わたしの手を引いて彼女に近づいてゆく。どうにでもなれ、とわたしは奥歯を噛んで歩みを進めた。

 こちらに気づいた彼女は、リードを持っていない方の腕をぶんぶん振っている。ずいぶん快活な笑顔である。

 「やー、どーもどーも」

 声の届く距離まで来ると、彼女は明るく挨拶してきた。オリエンタルな模様のロングスカートに、男物のようなアーミー柄のジャケットを羽織っている。髪の毛は近くで見るとピンク一色ではなく、金色や緑色の混じった複雑なグラデーションになっていた。

 そして、背が高い。わたしは成人女性の平均身長よりもやや高めの164cmだけれど、それでも少し見上げてしまうくらいだ。元モデルの長谷川さんは172cmだと聞いているけれど、彼女と同じくらいありそうだ。

「……久しぶり」

 照れているのか緊張なのか、和佐がいつになくぼそぼそした低めの声で言う。それがまた二人の親密さの証のように思えて、わたしはまた胸に痛みを覚える。

 いつのまにかわたしの手から離れた和佐の手は、ジャケットの両ポケットにおさまっている。

 彼には今この瞬間、「音楽」が聴こえているのだろうか。

 余計なことを考えすぎないうちにわたしは、

「初めまして舘野といいます」

と一息に挨拶した。愛想笑いは絶対にしないと決めていたけれど、思いがけない彼女の気さくな振る舞いに一瞬ひるみ、顔が引きつってしまった。

「こちらこそ初めましてカドワキアサミですよろしくどーぞー」

 アサミも一息に言う。ただし満面の笑みで。握手でも求めてきそうなフレンドリーさに、わたしはますます身構えてしまう。

「こっちは愛犬のザッシュでーす。雑種だからザッシュね、念のため。ははは」

 アサミが、溶けたバターのような色をした犬(わたしは車種だけでなく犬種にも疎いので、何と何のミックスなのか見当もつかない)の頭をわしゃわしゃ撫でながら言う。

 なんなんだ、その余裕は。

 天涯孤独と聞いて薄幸そうな可憐な美少女を想像していたわたしは、頭の整理が追いつかない。

 戸惑いが苛立ちに変わりかけたそのとき、彼女が手首に引っかけているトートバッグに目が吸い寄せられた。

 バッグから突き出しているのは、見紛うことなきペリエの瓶だった。

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