第三話 俺が水着に着替えたら
「雄一くんって泳げるよね?」
のえるからの電話で目が覚めた。彼女は相変わらず唐突に連絡してくる。その癖、俺からの電話には出たことはないしメールの返事もよこさない。もうそれが当たり前になっていて、俺も特段それで不便を感じていない。
自分勝手な女だけど、惚れられて付き合うことになった相手である。あれで結構可愛いところがあるのだ。
おまけに近所ではお嬢様学校として有名な聖華女子高等学校の一年生で、ややスリムだけどメリハリの効いたプロポーションの持ち主である。言うまでもなく顔も俺の好みの若干キツ目の美人である。
しかし、今はどういう訳か俺たちの精神は身体を残して入れ替わってしまった。
つまり今、こんな状態で俺にこんな事を聞くということは……えーと、どういうことだ?
「うーん、まあ、人並みには泳げるよ」
「良かったー。今日、水泳があるの。もし雄一くんが泳げなかったらどうしようかと思っちゃった」
こんな季節に授業で水泳があるのか?
「うちの学校。温水プールなのよ。水泳部じゃないから一年中プールに入るわけじゃないけどね。ああ、水着はタンスに入ってるブルーのワンピのやつがそう。間違えないでよね。指定の水着を忘れたらマッパで泳がされるらしいよ」
本当に全裸で泳がされるのかどうか確かめることはできなかった。水着を忘れた生徒は一人もいなかったからだ。
更衣室はプール専用で広くて清潔だ。海外ドラマでよく見るドア付きの温水シャワーまで用意されている。俺が通っていた東高の更衣室などここに比べたらまるで
聖華女子の更衣室は素晴らしい。広くて清潔で広くて広くて広くて清潔で清潔で清潔で……。
「のえる、何してるの?」
気がつくと俺は床を見つめたまま立ち尽くしていた。おまけにぶつぶつと独り言を繰り返していたらしい。
無理もない。これが聖華女子特有なのか、それとも女子校だからなのか、はたまた女性はみんなそうなのか俺にはまったくわからなかったが、着替えに際してクラスメイトはみんな何も隠そうとしないのである。仲の良い祥子や紗江も同じだった。
更衣室に入るや否や、何の躊躇も恥じらいもなく例のミニスカートを脚から抜き取り、シャツを脱いで綺麗に畳んでロッカーにしまう。そしてそのままの勢いでブラを外しパンツを脱いですっかり裸になってしまってから、ビニールバックから水着を取り出すのである。
男同士だってもう少し恥らうものである。いや、恥じらうというよりも比べられるのが嫌……なのだろうか。つくづく女の恥じらいとは、男がいて初めて成立するものなのだと理解した。
それにしても、視界のすべてが全裸の女子高生で占められている情景というのは、男にとって天国以外のどこでもないと誰しも思うことだろう。だが実際は違う。女子だらけの衆人環視の中ではそんな素敵な景色を落ち着いて眺めることなんてできやしないのだ。
もともと男である俺には、こんな状況の中で自然に振舞うことなどできるはずがない。俺は思いっきり挙動不審になっていた。
「大丈夫? 顔が恐いよ!」
「え?」
そう言われて視線を上げると、目の前に見慣れないモノが……。
圧倒的な量感を湛えたまま前方に突き出した肌色の大きな二つの膨らみ。色素のほとんど無い大きめな丸いマーク。その中央部にゆるやかに盛り上がる突起。
俺は最初、それが何だかわからなかった。
それが紗江の巨乳だろうとわかったのはしばらく経ってから。
いや、恐らく紗江だろうと思っただけ。俺の視線は目の前の巨乳に釘付けになっていて、この見事な乳房の持ち主の顔に視線を移すことさえできなかったのだ。
「何見てるのぉー! のえるー」
紗江の声が戸惑ったように響く。
しまった。変に思われたかもしれない。
「のえるはおっぱい好きだもんねぇー」
その声とともに、後ろから手が伸びてきた。ごく薄いオレンジ色に塗られたネイルの指が大きく開き、真っ白な膨らみをゆっくりと鷲掴みにしていく。祥子の指だ。
いや、俺は別に紗江の胸が好きなわけじゃない。いやいや、男としては大きな胸が嫌いなはずはないのだけど。
「やだぁやめてよ。祥子ぉー」
紗江が身をよじって形だけ抵抗する。その度に鷲掴みにされた乳房が左右にゆるゆる揺れた。
目の前でAVみたいに扇情的な情景が繰り広げられて、俺はもう自分の意思で彼女の巨乳から目を逸らすことができなくなっていた。
「のえるも触りたい?」
ダメだろうそんなの。
「良いよぉー。 えへへへへー」
良いのか? 紗江。胸をぎゅうぎゅう揉みしだかれて嫌じゃないのか?
「ほらほら、のえる。触るとご利益があるよぉー」
一体どんなご利益だ! 祥子が俺の両手を掴んで乳房にあてがう。
ちょっとまて、まだ心の準備が……。
掴まれた両手がそれに触れた瞬間、俺の意識は世界の真理に触れた気がした。
どこまでも柔らかく、何の抵抗もなく手のひらに押しつぶされて形を変えるあたたかで大きな膨らみ。それは誰にも惜しみなく愛を分け与える母性そのものだった。
俺は、のえると入れ替わってしまってから初めて、心から落ち着くことができた。
ありがとう、紗江。
「ちょっと、のえるぅー。いつまでやってるのぉー」
はっと我に返ると、俺は紗江の胸を長いこと揉み続けていた。紗江は顔を真っ赤にしている。
「うわぁー! ゴメンナサイゴメンナサイオレオトコジャナイカラノエルダカラ……」
俺はもうパニクってしまって、意味のわからない事を口走っていた。
それを見て祥子は大爆笑していた。チクショウ、笑いやがって。でもお前、着替え中のトップレスのまま大口開けてるから絵的に残念だぞ。
聖華女子の学校指定の水着は本格的な競泳用だった。
それは収縮性の高い素材でできていて、着ていない時にはまるで子供用水着のように小さくて心許ない。こんな小さな布で身体を隠すことができるのか心配になる。
以前水泳部の奴に聞いた話だが、競泳用水着の本来の機能は隠すことではなく覆うことなのだそうだ。デコボコして水の抵抗が大きい肌を覆うことでタイムを縮めることが目的なのだ。
そのせいか、競泳用水着は身体を隠すことがそれほど考慮されていない。一言で言えば……スケるのだ。普通は水着の下にパットをつけたりサポーターを履いたりするのだが、元オリンピックの水泳強化選手だった体育教官の『授業はレジャーじゃない! 真剣にやれ』っていうよくわからない理由でパット禁止になってしまった。
まあ、水泳の授業に男性教官はいないし室内プールなので盗撮の危険もないせいか、いつしかそれが聖華女子の水泳授業の伝統になってしまったらしい。
現に、件の体育教官自らアラフォーの熟れたボディーを競泳用水着に包んで、乳首の突起も露わに授業に臨んでいるのだ。誰も文句を言えるはずがなかった。
そして俺もこの場で着替えなくてはならない。ほとんど裸な水着を着なくてはならない。できることなら『王様は裸だー!』なんて叫びながら走ってこの場を逃げ出したかった。でも、そんなことはできない。
俺の心は業火のように強烈な羞恥心に焼き尽くされそうだ。
膝が震えてしまわないように両脚を強く踏ん張り、いつもと変わらない表情を無理やり装いながら、今にもしゃがみ込んでしまいそうになる身体を必死にコントロールしていた。
ダメだ。俺は今、きっと恥ずかしくて最低な格好をしてるに違いない。クラスの何人かがそんな俺に気付いて指を差し、ついにはここにいる全員に嘲笑され、蔑視されるに違いない。
心臓は狂ったように鼓動を打ち続け、今にも意識が遠のきそうになっていた。
「大丈夫?」
近くで誰かの声が聞こえた。おそらく祥子か紗江だろう。
ああ、俺のこの恥ずかしい格好を仲の良い友達に見られてしまう。そう思った瞬間、俺の腰から背中にかけて強烈な電流が幾筋も駆け上がり、全身の感覚器官のすべてをシャットダウンしてしまった。俺は波間に浮かぶ小舟のように翻弄され、その永遠とも思える時間、俺の心は無常の幸福感に何度も貫かれ、打ちのめされ、嬲られ続けていた。
気が付くと、俺は更衣室の床にしゃがみ込んで、びっしょりと汗をかいた身体を震わせていた。
「どこか痛いの? 保健室行く?」
祥子が顔を覗き込んでいる。その後ろで紗江も心配そうな顔をしていた。
「だぃじょ……ぶ。ちょっとめまぃ……がしただけ。座って……たら良くな……るから」
そう言いながら、俺はこの身体に一体何が起こったのかまるでわかっていなかった。それどころか考えることさえできなかった。それもそのはずである。この時の俺は今だ連続して襲いかかってくる、声をあげてしまいそうなほど強烈な快感の余韻と戦っていたのだから。
のえるには人並みと言ったけれど、あれは謙遜だ。俺は泳ぎに自信がある。いや、自信があった。少なくとも二百メートルクロールなんて苦でもなかった。
「のえる。今日は一体どうしたの?」
「突然座り込んだりさぁ。そうかと思うと、泳ぐの苦手だったくせに突然自信たっぷりに飛び込むんだもん。びっくりしちゃったぁー」
「でも、やっぱり泳げなかったけどねー」
授業終了後、祥子と紗江が俺を茶化す。
更衣室での一件が影響していないとは言い切れないけど……一体どうなっているんだこの身体は。水を掻く筋力もなければ、二十五メートルを泳ぎ切るスタミナもない。そればかりか、関節は硬くてまるで動かない。
のえるは泳げないことを隠して俺にバトンタッチしたわけだ。いや、のえるが泳げるかどうかに関わらず『泳ぐ技術』を知っている俺ならどんな身体でも泳ぐ自信はあった。しかしながら彼女の基本スペックが俺の予想をはるかに下回っていたのだ。
これは、元の身体に戻る前に少し鍛えてやっても良いかもしれないな。
彼女のボディーライン維持に協力するのも彼氏の役目だろう。
放課後、俺は一人でスポーツ用品店を回り、ダンベルを買ってきた。
以前自分でも使っていた五キロのものを探したが、重すぎて持ち上げることすらできなかった。
そのあまりの現実を嘆きつつ、俺は店員に五百グラムのダンベルを勧められた。五百グラムなんて数字はスーパーで肉やポテトサラダを買う時に使うもので、ダンベルのようなスポーツ用品に対して使われるべきものではないはずだ。
こんな超軽量級のダンベルが存在すること自体、俺は今日まで知らなかったけど、合計わずか一キロのダンベルの入ったビニール袋がこんなに重いものだったということも、やはり今日まで知らなかった。
自分の身体に戻ったら、荷物を抱えた女性には親切にしてあげようと誓う俺だった。
のえるの部屋に戻ってドアをロックし、着ているものをすべて脱ぎ捨てるとベッド横の狭い空間に寝そべった。床には毛足の短いカーペットが敷いてある。
ここで俺は今日三度目になる驚愕を体験する。
いや、今までの経緯からある程度予想はしていたものの、それを上回る筋力の無さに我が彼女の肉体ながら情けなくなってくる。
たとえば明日、自分の身体に戻れるとしても、腹筋八回、腕立て伏せに至っては二回が限界のこの身体を放っておくわけにはいかない。
俺は全裸のまま床に両脚を投げ出して股関節周りからストレッチを始めた。
始めてすぐに背骨や筋が悲鳴をあげる。両脚を大きく開こうとしたが、九十度以上開かない。これは一筋縄では行かないだろう。
俺はゆっくりと時間をかけてのえるの身体をほぐすことした。
ストレッチをしながら、昼間、更衣室で触れた紗江の巨乳を思い出す。
あのどこまでも柔らかい感触は、まだこの手に残っていた。
両手でのえるの乳房に触れてみる。見た目には紗江よりもずっと控え目だが、触った感じは意外と変わらないものだ。
俺は男として女性の胸の大きさにこだわりはない方だが、今日この手で触った紗江の巨乳には圧倒された。のえるはどうやら紗江の胸を以前から触っていたらしい。
紗江のなんでも許容してしまいそうな危うい性格はとりあえず置いておくとして、のえるもやはり大きな胸に憧れていたのだろうか。
ここは、彼女のために一肌脱いでやるのも彼氏の役目というものだろう。
そう決心してからふと気がつけば、俺はおよそ三十分の間、のえるの乳房をぎゅうぎゅう揉みしだいていた。それはもう時間の経過を忘れてしまうほど夢中になって。おまけに全裸のままで。
鏡に映るのえるの胸は薄っすらと赤くなっていた。
ヤバイ。ちょっとやり過ぎたかも。
もしも今、自分の身体に戻ったらのえるに怒られるだろう。
でも、これを続けて胸が大きくなったら無敵の彼女になっちまうかも知れないなあ。
自分の精神が佐々木雄一の身体に戻れるものだと信じて疑わなかった俺は、この時はまだそんな平和な事を考えていた。
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