朝食はダイニングで
あの悪夢のような『はじめまして』の後、ジュースをねだってきたバク――バクって気軽に呼んでっと言われた――に少々
曰く、私の不眠症によって現れた『ズレ』は、バクが所属しているなんとかという部署内ではお手上げ状態らしい。その部署では、眠らない私に間接的に接触できないため、万が一のことが起こる前に、と悪夢担当のバクが直接派遣されたと言う。
『ズレ』とはなんだ、と尋ねると、きっと人間には理解できないものだよ、と返ってきた。面倒だから説明しないわけじゃあないだろうな?
「いやそもそも、なんでこの状況で悪夢担当が派遣されてくるの? 夢以前に眠れないんだから、悪夢も何もないでしょうよ」
「まあまあ、細かいことは気にしないに限るよっ。大丈夫、ぼくが必ず唯ちゃんを眠らせてあげるからねっ。大船に乗ったつもりでいてよ!」
大きなお世話なんだけど。吐き捨てた言葉さえも、バクの耳には入らなかったようだ。カップに入ったホットミルクを飲み干し、深いため息を吐きだす。
「どうしたの? 『幸せ』ってやつがにげちゃうよっ」
「誰のせいだと思ってるの……はあ、眠らずに夢を見ている、そんな気分だ」
「当たらずとも遠からず、ってやつだよっ。あ、見て見て唯ちゃん! 太陽が顔を出しているよっ。『おはよう』だねっ」
なぜか上機嫌なバクは、止める間もなくリビングのカーテンを勢いよく開け放つ。容赦なく部屋へ差し込む夏の日差しに目を細め、呼吸に紛れるようにため息をつく。
期待はしていなかったけど、今日も眠れずじまい。
だがこのまま
「どうしたの、唯ちゃんっ?」
さっきはジュースを飲んでいたが、夢喰いバクを名乗るコイツは人の食べ物を好んで食べようと思うのだろうか。
「朝ご飯は、」
「『パンケーキ』がいいっ!」
食べるらしい。それも大分楽しみにしていたようで、心なしか腕の振りが大きくなっている。
しかし、夢喰いバクとパンケーキ。
外見はかわいらしいが、正体を知っている身としては奇妙な組み合わせにしか見えない。
「少し時間がかかるけど」
「大丈夫、待ってるねっ」
とても期待していますと言わんばかりの目で見つめられても、平々凡々な普通の料理しか提供できませんが。
何度目になるか分からない細いため息をついて、キッチンへと入る。あいにく対面キッチンであるため、楽しそうに体操を続ける姿は視界に入ったままだ。
冷蔵庫を開け、パンケーキの材料とサラダの材料、ベーコン等を適当に取り出し、調理を始める。
自分じゃない誰かのために料理を作るなんて、いつぶりだろうか。確か、兄が一人暮らしを始める前日の夕食が最後。その時何を作ったのかは覚えていないが、懐かしい感覚だ。
「ねえ、唯ちゃんっ」
「うん?」
「ぼく『テレビ』が見たいなっ」
「いいよ、好きにして。そこにリモコンがあるでしょ」
「この赤いボタンをぽちっと押すんだねっ」
バクがボタンを押すと、パッとテレビがつく。リモコンに触れられる実体を持っているということは、幽霊とは違う類の人外だろうか。
あまりオカルトの分野は詳しくないので、『夢喰いバク』がどういった分類になるのかが分からない。河童のような妖怪か、はたまた人面犬やツチノコのような都市伝説か。もしコイツが何日も居座るようなら、詳しく調べて対処しなければいけないだろう。もしかして、昔流行ったコックリさんと同じように、『お帰りいただく』と言うのが正しいのだろうか。いや待て、そもそも対処や退治できる類の人外か?
……全く、どこまでも得体の知れないヤツめ。
流れ始めたニュースをBGMに悶々と考えながら、手早くパンケーキのタネを作る。そうだ、今日はバターで焼こう。スープは手抜きしてインスタントを使っても、文句は言われまい。そうしてパンケーキを焼きあげている間、サラダに取り掛かる。
「とっても美味しそうな匂いがするねっ」
「もう少しだから、座って待ってなよ」
「ぼくも何かお手伝いするかい?」
「……そこの布巾でテーブルを拭いて。椅子にのぼっても構わないから」
そこまで言って、コイツが浮ける事を思い出した。椅子なんて必要ないか。
その思考を裏付けるように、バクは音もなく浮かび上がり、鼻歌混じりにテーブルを拭いていた。どういう理屈があって浮かんでいるのかとても不思議だ。しかしそれを問うと、「ぼくは夢喰いバクだからね! それにしても人間は浮けないなんて、不便じゃないの?」なんて言われそうだ。何故か腹が立ってくるので余計なことは聞かないに限る。
「拭いたよ、唯ちゃんっ」
「これ運んで。あとは盛りつけだから」
「わかった!」
サラダを渡そうとすると前触れもなく皿が浮いた。飛び上がりそうになった身体を必死に抑え、湧き上がる怒りを沈めるために息を吐く。
やるなら先に言え。
適当に盛り付けたプレートとカトラリー、スープカップをお盆に乗せて運ぶと、バクは椅子の上で立ち上がり、今にもヨダレが垂れそうな顔をしてプレートをのぞき込む。
「行儀悪いよ、ちゃんと座りなって」
「美味しそう! ぼくが雑誌で見たのと同じだねっ、唯ちゃんお料理上手だね!」
人外も雑誌読むのか。
手早く皿を置き、バクの向かいに座る。
「いただきます」
「『いただきます』っ」
バクは大人用のナイフとフォークを器用に使い、口を大きく開けてパンケーキを頬張る。表情豊かに食事をするコイツは、まるで人間だ。この光景を写真に撮り誰かに見せたら、口を
相対した者にしか、この異様な雰囲気やゾッとするような存在感は理解できない。人外とはそんなモノなのだろうか。これが俗にいう『
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