20.味見
中学校からの友達とルームシェアを始めて早数ヶ月、ようやく生活にも慣れてきた。
あまり他人とずっといるのはあまり好きではない方なのだが、奈緒美だけは別だった。
「くるみ。ちゃんとごみの分別はしてって、いつも言っているでしょ。」
「はーい。」
それはきっと、奈緒美がお母さんの様に世話を焼いてくれるからだろう。
自他共に認めるぐらいぐうたらな私は、1人では生活出来ない。だから一人暮らしを反対していた母親は、ルームシェアをすると言った途端、喜んで許可を出した。すぐに送り出されたのは、奈緒美に対する母親の信頼が高いのもある。
私も奈緒美が大好きなので、一緒に住む事が出来て本当に嬉しい。
ただ一つだけ困っている事がある。
「くるみ。これ、味見してくれるー?」
「う、うん。」
私は奈緒美から差し出されたお皿を、微妙な気持ちで見つめた。
最近、彼女は料理にはまっているようで、当番では無い時でも色々と作ってくれる。
それ自体は構わないのだが、毎回味見と言って渡してくる料理が壊滅的に美味しくないのだ。
「今日は新しい作り方に挑戦してみたの。」
「わー、美味しそー。」
毎回、新しい作り方や初めて作るものだから、失敗してしまうのは仕方が無いのかもしれない。
しかしそれにしても何度も続くと、顔が引きつってしまう。
「そうでしょ!くるみの為に頑張って作ったから!」
何回か美味しくないと指摘しようとした。ただ、奈緒美にはたくさんお世話になっているし、言って仲がこじれてしまうぐらいだったら我慢した方がまだいいと思いとどまっていた。
だから味見の時間になると、私は心を無にしてただただ口を開く。
皿を傾けると口に入れると、今回も料理は全く美味しくなかった。
心の準備をしていなければ、勢いよく吐き出してしまうぐらいの酷い味だ。
「ううん。うんうん。うーん。うっ。お、美味しいねっ。」
私は味覚を感じない様に感じない様に咀嚼し、何とか飲み込むと頑張って笑顔を作る。
「そう、それは良かった。じゃあ他のもパパッと作っちゃうから、くるみはお風呂入ってきな。」
奈緒美は満足そうな顔で料理作りに戻ってしまった。私は彼女がこちらを見なくなったのをいい事に、思い切り顔をしかめる。
奈緒美はあの料理を、ちゃんと味見しているのだろうか。
それとも舌がおかしくなってしまったのか。
色々と考えるが、それでも彼女に料理をさせないのを止めない理由は、他の料理は美味しいからだ。
「いただきます。」
「いただきまーす。」
例の味見したものもテーブルの上に並ぶ中、私はそれを避けてご飯を食べる。
美味しい。お店を開いても良いレベルだ。
それなのにあの料理だけはどうして酷い味になってしまうのか。
私は味を思い出してしまい、何とも言えない気持ちになってしまう。
「くるみ、箸が止まっているけど。美味しくない?」
いつの間にか動きが止まってしまっていたようで、奈緒美が心配そうに見てきた。
「ううん。ううん。すっごく美味しいよ。いつもありがとうね。」
私は慌ててご飯を勢いよく食べる。
そうすれば奈緒美もほっとした顔になって、例の料理に箸をのばした。
「うん。美味しい。」
そのまま口に入れると、嬉しそうに微笑む。
私はその姿を何とも言えない気持ちで眺めた。
やはり彼女の味覚がおかしくなってしまったのだ。
私は息抜きで来たカフェでため息を零す。
あれからも奈緒美の料理をほぼ毎日食べているが、必ず味見する奴に限って美味しくなかった。
もしかしたら嫌がらせかもと考えたが、理由が見当たらないし他の料理は美味しいのだからそれも違うだろう。
「でもそろそろ限界だあ。」
私は机の上に突っ伏す。
周りの目は怖いが、それでも疲れていたのだ。
美味しくないものを食べるというのは、ここまで精神を攻撃するというのを初めて知った。
いくら心の準備をしたとしても、まずいものが美味しくなる事は決して無い。
最近ストレスで食べるという行為が、嫌になってきそうだった。
「お待たせいたしました。本日のケーキです。」
ちょうどその時、頭の上から声が聞こえて私は顔をあげた。
そこには少し顔の引きつらせた店員がいて、そそくさとテーブルに注文したものを乗せる。そして雑に頭を下げると去っていった。
私はその態度に文句を言う気力も起きず、テーブルの上のキラキラと輝くケーキに手を合わせる。
「いただきまーす。」
ここのカフェの日替わりケーキは私のお気に入りだ。
店主がこだわりにこだわって作っているらしく、どんなケーキでも外れたためしが無かった。
「んー。んん?」
私はワクワクしつつケーキを食べる。
そしてすぐに首を傾げた。
どうしてだろう。
ケーキが美味しいと感じなかったのだ。
私はもう一口食べる。
……やはり美味しいと思えない。
何だかがっかりしてしまい、ケーキを食べるのを止めた。
少し来ない間に味が変わってしまったのか。
本当に好きなお店の一つだっただけに、とても残念だ。
口直しに紅茶も飲んだが、こちらも美味しくなく私は食べる気が失せて席を立った。
レジで会計をしている最中、店員に何度も言いかけそうになる。
しかしもう二度と来なければいいのだと考え直し、私は店を出た。
外に出ると、何だか無性に奈緒美の料理が食べたくなった。
帰ったらきっと作っている事だろう。
そう思うと私の足取りは、随分と軽いものになった。
「ただいまー。」
「おかえり。今日は随分早かったね。まだご飯出来てないから、待ってて。」
思っていた通り、家に帰ると美味しそうな匂いが私を出迎える。
その瞬間、現金な体が空腹を訴えだす。
「お腹ペコペコだよ。今日のご飯は何?」
「ふふ。お気に入りのカフェに行って来たんでしょ。食い意地が張っているんだから。ほら、少しだけね。」
お腹をさすってしょんぼりとしていると、奈緒美はくすくすと笑って小皿を渡してくれた。
「あ、うん。」
お腹は減っていたが、これはいらなかった。
私は一瞬固まる。
しかし期待のこもった目を向けられてしまえば、受け取る以外の選択肢が無かった。
「いただきまーす。」
私は勢いが大事だと、一気に小皿を傾ける。
今日はスープだったので、全部が口の中に入ってしまった。
どんな味が待ち受けているのか。
そう思っていた私はすぐに驚く。
美味しいとはまだ言えないが、いつもよりまずくない。むしろ今までの事を考えたら、普通に食べられる味だ。
「どう?」
「ん。美味しいよ。」
今日はお世辞ではなく本心からその感想が出てくる。
奈緒美はそれを感じたのか、とても嬉しそうに料理に戻った。
「ふふ。出来たら、すぐご飯にしようか。あと10分ぐらいで出来ると思うから。」
私は部屋着に着替えると、料理が並べられるのをそわそわして待った。
「そんなにお腹空いていたの。今日は特別にいつもより豪華にしたから、いーっぱい食べてね。」
彼女の言う通り、テーブルに並べられ料理は量が多いし、いつもより凝っている。
それを見て無意識によだれが垂れてしまう。
「さあ、食べましょうか。」
「いただきまーす!!」
奈緒美の合図と共に、私は勢いよく料理に手を付けた。
「美味しい、これも。これも。美味しい、すっごく美味しい。」
料理があまりにも美味し過ぎて、食べる手が止まらない。
カフェのケーキが美味しくなかったからか、いつもより美味しく感じてしまうのか。
私は夢中になって食べに食べる。
「美味しいのなら良かった。……ほら、これも食べて。」
自分は食べず私の様子をただ見ているだけだった奈緒美は、一つの皿をこちらに寄せてきた。
「ん。ありがとう。……まずっ。あ。」
それを口に詰め込んだ私は、あまりのまずさに吐き出してしまう。
すぐにやってしまったと思った。
「ご、ごめんっ。ちがっ、違うからっ。」
「良いよ。」
奈緒美の様子を恐る恐る伺うと、彼女は全然怒っていない。
むしろ楽しそうにしている。
「だって、それだけはスーパーで買ってきたお惣菜だから。口に合わなかったのね。ごめん。」
それなら良い。
今まで気を使っていた努力が水の泡になってしまう所だった。
私はほっと胸を撫で下ろす。
「いやいや奈緒美は悪くないよ。でも、最近のスーパーのお惣菜ってこんなに美味しくなかったっけ?これでお金を取るなんて詐欺だよ、詐欺。」
「そうねえ。」
今日の奈緒美はなんだかとても嬉しそうだ。
そんなに良い事があったのだろうか。
不思議に思ったが、特に触れなかった。
「これも食べて。」
「ん。奈緒美はさっきから食べてないけど。どうしたの?」
私が食べているのを、ただ見つめるだけの奈緒美に私は尋ねる。
今日の彼女はどこかおかしい。
「私はさっき食べたから良いのよ。それよりもくるみが食べて。全部食べちゃっていいから。」
そう言われてしまえば私は甘えてしまう。
そのまま私は次々と料理の皿を空にしていった。
「さっきから、これに手を付けてないけど。これも食べて食べて。」
大体の皿が空になってきた時、奈緒美が例の先ほど味見したスープの皿を私の方に寄せた。
「えーっと、うん。」
食べられなくはないが、他の料理よりも美味しくないそれに私の手は止まりかける。
しかしお腹はまだ満たされていなかったので、私はそれを恐る恐る飲んだ。
「あれ?おい、しい?」
飲んだ瞬間、今まで食べていた料理よりも美味しさが口に広がって驚いてしまった。
美味しい。
先ほど味見した時よりもずっとずっと美味しくなっている。
私は驚きすぎて奈緒美の方を見てしまった。
彼女はただ笑ってこちらを見ている。
その笑顔に寒気を感じてしまうが、食べる手は止められなかった。
「良かった。今までずっとくるみの為に作ってきたから、喜んでくれて嬉しい。」
奈緒美は食べ続ける私を見て笑う。
その姿に私は色々と悟った。
きっと彼女の思い通りなのだろう。
最初から最後まで全部。
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