16.無罪の条件


 許せない。

 あいつも、あいつを守るものも。


 全てが憎かった。




 私の妹、栞はとてもいい子だった。

 心優しく、謙虚で、みんなに好かれる。


 6歳も年が離れているから、私は栞が生まれた時から彼女を慈しみ守らなきゃいけない存在だと思っていた。


 だから時には厳しくしながらも、彼女が立派になってくれるように願った。

 そして栞も私の願い通りに、どこに出しても恥ずかしくない子に成長していた。





 しかし、栞が16歳の時に事件は起こった。


「栞、栞‼どうして栞がっ‼どうして!?」


 いつもと変わらない日のはずだった。

 栞が学校に行くのを見送り、自分も大学に行った。

 特にこれといった事は無く、帰りに晩御飯の材料を買いにスーパーにいた。


 そして今日は何を買おうかと考えていた最中、突然連絡が来た。


「もしもし。はい、そうです。…………え。」


 怪訝に思いながら出た私は、すぐに手に持っていた買い物かごを落とす。


「な、何かの間違いじゃないですか?……はい、はい。すぐに行きます。」


 電話は栞が事件に巻き込まれて、病院に運び込まれたというものだった。

 電話を切った後、私は信じられない思いで商品を戻すと、足をもつれさせながら聞いた病院へと向かう。



 スーパーからそう遠くない場所だったので、病院へはすぐに着いた。


「す、すみません!ここに、私の妹のっ!早乙女栞がいると聞いたんですが‼」


 私は息を切らしていたがそんなことに構っていられず、受付に詰め寄った。


「あ、はい。えっと……3階のICUです。」


 お礼を言う時間も惜しくて、そのまま階段へと走る。

 エレベーターを待つよりも、その方がはやいと判断したからだ。


 階段を駆け上がりながら、私の頭の中はぐちゃぐちゃになっていた。


 ICUに何で栞がいるのだ。

 事件に巻き込まれたと言っていたが、一体どうして?


 ICUの前には数人の人がいた。


「すみません。先ほど電話を貰った早乙女栞の姉です!」


 その中の一人に声をかけると、その人は懐から手帳を取り出して見せてくる。

 警察手帳。

 初めて見るものだが、それを感動している余裕などなかった。


「何があったんですか?」


 私が勢いのまま詰め寄ると、刑事だという人は少し言いづらそうに説明を始める。


 栞は下校途中に突き飛ばされて道路に倒れこみ、そのあと来た車に轢かれた。

 急だったために車のブレーキが間に合わず、栞が病院に運び込まれた時には心肺停止の状態だったらしい。


 すぐに手術をしたが意識が戻る可能性は低いし、仮に戻ったとしても何らかの障害が残ってしまうと。



 そんな非日常な話をされていた私は、刑事が言ったとある話で頭に血が上った。


「何で、栞が突き飛ばした奴が罪にならないんですか!?」


「……まだ10歳だから、少年法が。」


 私が詰め寄ると、刑事は目をそらす。


 少年法。

 その言葉は聞いたことがあった。


 未成年の子供は更生の余地があるから守られる法律。


「それでもおかしいじゃないですか?栞は、栞は、こんな事になったのに。おかしい、絶対におかしい。」


 私は足に力が入らなくなりその場に座り込んでしまった。

 慌てて刑事が支えてくれようとするが、それを拒む。


 頭の中では色々な考えが巡っていた。

 疑問、驚き、恐怖、憎しみ、憎しみ、憎しみ。

 すぐに憎しみが頭の中を占めた。


 栞、栞、栞……刑事の話が終わり、病室の中に入った私は包帯だらけの栞の手を握りながらさらに憎しみを募らせた。






 それからは地獄だった。


 栞の意識は戻ることなく、世話をしていた母は疲労と怒りから壊れた。

 父はそんな母を見捨て、家族はバラバラになった。


 そして今日、脳死という判断をされた栞は臓器提供をする。


 私は眠っている栞の頭を撫でていた。


「栞、あなたをこんな風にした奴は、ちゃんと報いを受けさせるから。未成年ってだけで許せるわけないよね。時間はかかるかもしれないけど、約束する。」


 栞からの返事は無い。

 それでも良かった。自己満足かもしれないが、これが私の導き出した結論だ。






 11年後。

 私は結婚し、もうすぐ10歳になる息子と暮らしていた。


 あんな事があった後、支えてくれた夫と可愛い息子。

 世間一般的に幸せなのだろう。


 しかし私はそんな幸せを壊す準備をしていた。



「しおり。もうすぐあなたも10歳ね。その時が来たら、分かっているわよね。」


「うん。お母さん。僕、あいつをやっつける。」


 毎日、私は息子のしおりに言い聞かせている。

 昔、私の大事な人が殺された事。

 そいつはまだ小さいからといって守られた事。


 だからしおりがそいつと同じ歳になったら、復讐をしてほしいと最後は締めくくる。



 幼い頃からこれを続けていれば、しおりはもう私の言う事を素直に聞く子になった。

 計画は順調に進んでいる。

 私はあと数ヶ月後の未来を予想して、内心笑いが止まらなかった。





「お誕生日おめでとう。しおり。」


「ありがとう!」


 とうとうこの日が来た。


 私としおりは表面上では誕生日を祝う親子を演じた。

 だから夫は私達が恐ろしい計画を実行しようとしていることなど、露ほども知らないはずである。


「明日もお仕事でしょ。おやすみなさい、あなた。」


「おやすみー、お父さん。」


「ああ。お前達も早く寝るんだぞ。」


 夫は少し名残惜しそうにしつつも、明日がはやいので寝室へと行った。

 それを見送り少しの時間が経った頃、私達は出かける準備を始める。


「じゃあ、行きましょう。」


「……うん。お母さん。」


 しおりはとても怯えた顔をしていた。

 これからやる事はそれぐらい怖いものなのだろう。


 しかし今更止められる事ではない。

 私はしおりに無駄な言葉はかけずに、家を出た。





「いたわ。しおりも見える?」


「うん、見えた。」


 復讐の対象であるあいつの事は、あの日から調べてずっと行動を把握していた。

 その為、私達はすぐにあいつの姿を見つける。


 10m程先で何も知らずに歩いている姿。

 のうのうと生きている。

 それだけで私の憎しみは大きくなっていく。


「出来る?無理なら止めてもいいのよ。しおりが出来ないというのなら、お母さんは構わないわ。」


 私は隣で顔をこわばらせているしおりに、最後の確認をした。


「大丈夫。やるよ。」


 しおりはこわばった顔から、すぐに何かを決心した表情へと変わる。

 そう言うのならば止めない。


 私は立ち止まり、しおりがあいつに近づくのを見守った。


 そしてその瞬間は、あっさりと終わる。



 車道すれすれを歩いていたあいつをしおりはさり気なく、しかし車の来るタイミングを見計らって押した。

 突然の事にあいつはバランスを立て直すことも出来ず、スピードの出ている車の前に飛び出し、そして轢かれる。


 鈍い音、そして悲鳴。


 パニックになった人々。

 その中をかき分けてしおりが晴れ晴れとした顔で帰ってきた。


「お母さん、やったよ。」


「じゃあここから離れましょう。」


 私は周りがしおりに気が付く前に、手を掴み反対側の歩道へ渡る。

 そしてしばらく歩くと立ち止まった。


「しおり、うまくやったわね。」


「うん。ちゃんとかたきは討ったよ。」


 しおりの視線に合わせてしゃがみ込むと、彼は誇らしげな顔をする。


「そうね。本当、よく決心したわ。」


 私は穏やかにほほ笑んだ。


















 そして、しおりの体を強く押した。


「え。」


 車道を背に立っていたしおりは、何が起こったか分からない顔をしたまま車に轢かれ飛ばされた。

 また悲鳴とざわめき。


 私はしゃがんでいた体勢から立ち上がると、しおりの飛んだ方向を見る。


「私ね。あいつも、それを守る法律も憎かった。でもそれ以上に、育った環境を理由にして、そして未成年という事を盾に犯罪を犯す奴が本当に憎いの。……だから最後に確認したのに。あなたが出来ないと言ったら私が代わりにやるつもりだったのに。残念だわ。」


 私はしおりの方に近づいた。

 周りの何人かは事故の瞬間を目撃していて、私を見てどうしようか迷っている。


「大丈夫よ。ちゃんと私はきちんと裁いてもらうつもりだから。」


 誰かが私に近づいてきた。

 おそらく拘束するつもりだ。


 私は逃げる事も抵抗する事も無く、その人に身を任せた。


 今、とても清々しい気分だ。

 きっと栞も天国で喜んでいる事だろう。




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