11.ぬいぐるみ
小さい頃、私は抱きかかえられるぐらいのクマのぬいぐるみといつも一緒だった。
名前は「ぎゅう」。由来は自分でも思い出せない。
きっと何となくつけたのだろう。
とにかく私はそのぬいぐるみが大好きで、起きている時も寝ている時もはなさなかった。だからだんだんと汚れていき、ほつれも目立つようになってしまう。
「いい加減洗いなさい!!ボロボロで汚いでしょ!!」
「いーやー!!」
見かねた母がぬいぐるみを洗おうとした。しかしその時の私は何故か強く拒み、どんなに母が強く言っても聞こうとせずただただ抱きしめていた。
あの頃は聞き分けのいい子供だった私が、これだけは唯一言う事のきかず母もお手上げだったらしい。
そんな私が何のきっかけにかは覚えていないが、ある日パタリと人形に興味を向けなくなった。不思議に思った母がぬいぐるみを近づけると泣き出す始末。
今度は違う意味でお手上げだったと言っていた。
結局、見るだけで怖がっていたが、捨てた後に面倒な事になるのも大変なので押入れの奥深くへとぬいぐるみはしまわれた。
それから月日が経つにつれてぬいぐるみの存在自体も私は忘れていった。
どうして急に思い出す事となったか。
理由は簡単。祖母が死んで遺品整理をした時に、押し入れの奥から見つけたからだ。
「うっわー。懐かしい、ぎゅうだ。」
ダンボールの中に厳重にしまわれていたぬいぐるみは、少し埃っぽいが状態は綺麗だった。
昔は抱えるぐらいの大きさだったが、今は私の腰ぐらいまでしかない事に月日を感じる。
なんだか懐かしい気持ちになった。
「ぎゅう。うちに来る?」
私は抱え上げて聞く。ぎゅうがなんだか、いいよと返事をした気がした。
「おかあーさーん。これ家に持ち帰ってもいいよね?」
「あら、懐かしい。どこから引っ張り出してきたの。」
ぎゅうを抱きながら別室にいた母に尋ねれば、驚いた顔をされる。
「ダンボールの中に入ってた。私のだったし別にいいでしょ?」
「構わないけど、本当にいいの?あんた昔、それすっごく怖がっていたじゃない。押し入れにしまった後も、『ぎゅう。ぎゅう。』って言いながら泣いていたぐらい。平気になったの?」
私はぎゅうを見る。
さわり心地の良い茶色の毛並み。まん丸で黒いつぶらな瞳。首元の赤いリボン。
「平気平気。むしろなんで怖がっていたか不思議なくらい。」
どこからどう見ても可愛らしいくまのぬいぐるみ。私はもう1度抱きしめた。
「それならいいけど。」
母は少し不安げだったが、私がこうと決めたら頑固だというのは分かっているので、渋々持ち帰りを了承してくれる。
「これからよろしくね。ぎゅう。」
私が抱きしめる腕に力を入れて笑うと、ぎゅうも心なしか嬉しそうに見えた。
「ぎゅうの場所はここね。」
諸々のことが終わり、ようやく家に帰ってこられた。
既に洗濯済みのぎゅうを、私は真っ先に荷物の中から取り出しベッドのところに置く。あまりぬいぐるみなどを置かないので、ぎゅうの周りが何だか寂しい。
「他にも買ってこようかな。」
私はぎゅうに友達を増やしてあげようと、今度の休みに探しに行く予定を頭の中で組み立てた。
「あー、疲れたー。もう寝よう。」
荷物の片付けは明日にして、私は疲れからベッドへ倒れ込む。ぎゅうに顔を向けると、なんだか癒されてだらしなく笑う。
「おやすみー。ぎゅう。」
私はぎゅうを抱きしめて、そのまま眠気に抗えず眠りについた。
ぎゅうが家に来てから、良いことがたくさん起こるようになった。
何をやっても上手くいき、ここ最近は幸せしか感じられないぐらいだ。
「ぎゅうのおかげだね。幸せを運ぶぬいぐるみだったのか。」
私はベッドでまどろみつつ、ぎゅうに話しかける。
結局、ぎゅう以外のぬいぐるみを買うことはやめた。何だかぎゅうが拒否しているように感じたからだ。
「ぎゅうずーっと一緒にいようね。」
私はいつものように強く強く抱きしめる。
どうして小さい頃の私は、ぎゅうを嫌になってしまったんだろうか。
こんなにも可愛いのに。
だけど不思議なのは、ぎゅうとの事が一つも思い出せない事だ。
別に、小さい時の全てを覚えていないわけではない。
それなのにこんなにも、ぎゅうに関してだけ何も無いのはおかしいのではないか。
しかし考えても答えは出無さそうだ。
そういうものだという事にしておこう。
私は考えている内に寒気がしてきて、ぎゅうを形が変わるぐらいの力で抱きしめた。
ぎゅ
「!?えっ!?」
その時、私の体が抱きしめ返された。
驚いた私はぎゅうを離そうとするが、力が強くて出来ない。
「え。何。どういう事!?」
私はパニックになる。
何でぬいぐるみに抱きしめられているのだ。
必死に腕に力を入れても、まったく引きはがせない。むしろどんどん抱きしめる力は強くなっていく。
「ひいっ。何で?」
「ぎゅう」
恐怖から目に涙があふれ出す。そうしているとぎゅうから声が聞こえた。
甲高い、まるで男の子のような声だった。
「しゃ、しゃべっ。」
私はさらなる恐怖に顔が引きつる。
ぎゅうは動かないはずだし、話すタイプのぬいぐるみでもない。
「ぎゅう」
「ぎゅう」
ぎゅうはそれだけしか言わない。
だからこそ何が何だかわからなくて、余計に怖い。
「ぎ、ぎゅう。いい子だからいったん離して。く、苦しいよ。」
こうしている間にも、ぎゅうの抱きしめる力は強まるばかりだ。私はだんだん苦しくなってくる。
私は恐怖をなるべく隠して子供に言い聞かせるように、ぎゅうに話しかけた。
「ぎゅう」
だけどぎゅうは抱きしめる力を強めるばかりで、私の言う事を全く聞く気はない。
「い、息が。ぎゅう。おねがいっ。」
「ぎゅう」
「ぎゅう」
「ぎゅう」
ミシミシと骨がきしむ音が聞こえる。
すでにぎゅうの短い腕は、私の腰回りを全部抱えている。
それはぎゅうの腕が伸びたわけではなく、私の体をそれだけ強い力で抱きしめているのだ。
「あがっ、はっ、あ、がっ。」
もう息がうまく吸えない。
私は酸素が足りなくて薄れゆく意識の中、どうしてぎゅうが怖くなったのかやっと思い出す。
しかし、もはや手遅れだった。
「ぎゅううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううう」
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