10.お姉ちゃん


 私の大好きなお姉ちゃんはとても綺麗だ。


 みんながみんなお姉ちゃんが大好きで、みんながみんなお姉ちゃんを綺麗だと言う。

 そんなお姉ちゃんが私の自慢である。


「りい。こっちにおいで。」


「う、うん。」


 だけど1つだけお姉ちゃんが嫌だと思ってしまう時がある。


 いつもの様に2人きりになった部屋で、お姉ちゃんは私を呼んだ。私は渋々お姉ちゃんに近づく。


「ん。いい子。じゃあ大人しくしていてね。」


「うん。」


 私がお姉ちゃんの前に座ると、すぐにお姉ちゃんは私の髪を触り始めた。


「うふふ。りいの髪はいつ触ってもサラサラでうらやましいわ。うふふ。ずっと触っていたい。うふふ。私りいの髪好きよ。」


「わ、私はお姉ちゃんの髪の方が好きだよ。ふわふわしててわたあめみたい。」


 私とお姉ちゃんは全然似ていない。

 私は腰まであるまっすぐな黒い髪。お姉ちゃんは胸のあたりまでのふわふわとうねっている茶色い髪。

 お姉ちゃんの髪の方が本当に好きだった。


「……何を言っているの。私の髪が良いわけないでしょ。いつもいつもそんなことばかり言って。怒るわよ。」


「ご、ごめんなさい。」


 だけどお姉ちゃんは自分の髪が嫌いなようで、私が褒めると心底嫌な顔をした。その時の顔が怖すぎて、私はいつも慌てて謝る。

 そうすればお姉ちゃんは普段通りに戻る。


「りいの髪は綺麗ね。本当に綺麗。うふふ。うふふ。」


 安心できるはずのお姉ちゃんの笑い声も、この時間だけは恐ろしいものに感じてしまう。私はお姉ちゃんを刺激しないように、終わるまでうつむいているのが一番だと最近分かった。





「はい、終わり。いつもありがとうね。明日も同じ時間に来てね。約束よ。」


「うん。分かった。」



「じゃあ抜けちゃった髪は私が始末しておくから。りいは気にせず自分の部屋に帰りなさい。」


「はい、お姉ちゃん。」


 お姉ちゃんは集めた髪を手に持ちながら微笑む。私は素直に部屋へと戻った。



 この時間以外は良いお姉ちゃんなのだ。私とお姉ちゃんは髪以外はまるで双子の様に似ている。それが私は嬉しい。

 街を歩いていて近所の人に「2人ともそっくりで可愛いね。」そう言われたいが為に、渋るお姉ちゃんを連れまわしてしまう事もある。


 お姉ちゃんは自分の髪が嫌いだからあまり外に出たがらない。でも私はそれを説得して無理に出てもらう。お姉ちゃんが周りの人に愛されてほしいのだ。



「お姉ちゃん。この前、お家の近くにある雑貨屋で可愛いマグカップを見つけたの。ペアで買いに行こう。」


「うーん。りいだけで行ってきて。私はどんなものでも良いから。」


「駄目よ。一緒に見に行こう。じゃないと私、迷っちゃって帰ってこられないかも。」


「わ、分かったわ。行きましょう。」


 今日もお姉ちゃんを外へと誘えば、つれない返事をされた。

 これはいつもの事なので、私はそのたびに使う手を今回も出した。


 お姉ちゃんは毎日、私の髪を触るのが好きなので私が家にいない事を嫌がる。だから遠回しに帰ってこないと言えば、慌てて着いてきてくれるのだ。


「お姉ちゃんありがとう!」


 私は笑顔でお姉ちゃんを外に連れ出した。





「り、りい。マグカップは買えたでしょ?早く帰りましょう。」


「んー。せっかくだから本屋さんも行きたい。」


「りい。」


「すぐ終わるから。何なら、外で待っていてくれても構わないから。」


 渋るお姉ちゃんを引っ張り、私は雑貨屋から数百メートル先の本屋へと進む。


「じゃあ、待っているから早く終わらせてね。」


「分かった。すぐに終わらせるから。」


 不安そうなお姉ちゃんを置き去りにして、私は店の中に入った。

 すぐに目当ての本は見つかったが、他にも面白そうなものが目に入ってしまう。お姉ちゃんの事が頭をよぎったが、私は少しだけだと心の中で言い訳して手に取った。


「うわー、やっちゃった。」


 少しだけと思っていたのに気がつけば、色々な本を見ていて随分と遅くなってしまった。

 慌てて目当ての本を買って外に出れば、お姉ちゃんが2人組の男に絡まれている。グイグイ話しかけられているお姉ちゃんは、どんどん俯いてしまう。


「お姉ちゃん。お待たせ。」


 あと少しでお姉ちゃんが泣きそうになっているのを察して、私はお姉ちゃんと男達の間に割り込んだ。

 急に入った私を驚いた目で見ていた男達は、すぐにだらしない顔になる。


「なになに、妹ちゃんかな?可愛いね。」


「今、俺達お姉さんと一緒に遊びに行こうって話をしてたんだけど、どう?俺君の方がタイプだわ。」


金髪の色が濃い男が、勝手に私の手を握って顔を近づけてきた。

 私は顔を背けてお姉ちゃんを見る。

 お姉ちゃんは驚いたような、ありえないものを見たかのような表情をしていた。私はそれを見て、男の手を勢いよく振りほどきお姉ちゃんに近づいた。


「お姉ちゃん。」


「りい。何しているの?帰りましょう。」


 私が声をかければ、お姉ちゃんは笑みを浮かべて男に掴まれていた方の腕を力強く握ってくる。

 そして男達の静止の声を受け流して、そのまま走った。



 家の玄関を開けるまで全速力で走ったから、私達はしばらくの間息を整えることしか出来なかった。


「お、お姉ちゃん大丈夫?」


「だい、じょうぶよ。いきなり走って、ごめんなさいね。」


 お姉ちゃんは先ほどまでの怖い雰囲気が無くなり、私からようやく手を離す。

 掴まれていた手を見たら少し赤くなっていた。それだけ強く掴まれていたのか。


「ううん。お姉ちゃんが無事で良かった。あんな変な人たちに絡まれて、怖かったよね。私こそ本屋で早く戻らなくてごめんなさい。」


「良いのよ、別に。それは気にしていないから。」


 お姉ちゃんは私をあまり見ずに行ってしまった。

 小さくなっていく後ろ姿を見ながら、買ってきた本の入っている袋を抱えなおす。思っていたよりも重かったので、走っている最中に落とさなくて良かった。

 私は部屋へと戻り、机の上に本を置いた。


 もうこの本を読む気にはなれない。少し休もう。

 私は部屋着に着替えるのもおっくうで、そのままベッドに潜った。






 気づけば眠ってしまったようだ。

 私は肌寒さからぼんやりと起きる。あたりが暗いので知らない間に、随分と眠ってしまったらしい。


「う、うーん。今何時だろう。」


「あなた2時間ぐらい寝ていたわよ。ねぼすけさんね。」


「!!お姉ちゃん?こんな暗い中で何しているの?」


 驚いた。

 1人だと思って呟いた言葉に返事があったのだ。しかもそれは聞きなじみのあるお姉ちゃんの声。

 私は暗闇の中を見る。ぼんやりと、すぐ近くにお姉ちゃんの気配が感じられた。


「りいがあまりにも気持ちよさそうに寝ていたから、ずっと見ていたの。いつ起きるのかなって?」


 お姉ちゃんは暗いのに私を見ていたのかというのか。少し寒気がしたが、あえて明るい声を出した。


「そうなの。遅くまで寝ててごめんね。暗いから電気をつけようか。」


 私は傍らにあるリモコンを取って電気を点ける。

 パッと急に明るくなったから目が慣れない。だからお姉ちゃんがぼんやりとしか見えなかった。


 だけどその時点で明らかにお姉ちゃんがおかしい。


 ようやく明るさに慣れた目でまじまじと見ると、おかしい部分は明らかだった。


「お、お姉ちゃん?その髪、どうしたの?」


 お姉ちゃんのあのふわふわの髪が、黒いストレートに変わっていた。その髪をかき上げながら笑っているお姉ちゃんの目は、何だか濁っている。


「何が?りいは変な事を言うのね。」


「だ、だって、お姉ちゃんはもっとふわふわの綺麗な茶色い髪で……。」


「黙りなさい。」


 私は緊張していたが、頑張って普段通りに会話をしようとした。しかしお姉ちゃんの冷たい声に黙らざるを得なかった。


「これが私の髪よ。毎日毎日あなたの髪を触る時に、落ちたのを集めてようやく出来たの。だからこれは本当の私なの。そうでしょ?りい?」


 お姉ちゃんは明らかに狂っている。

 確かによくよく見てみたら、お姉ちゃんの髪は作りが雑で近くだと余計に違和感があるだろう。それをかぶっている姿はある種滑稽だ。


「お姉ちゃん……。」


 私は呼びかける。


「なあに?りい?」


 お姉ちゃんは無邪気に笑って返事をする。

 私はベッドから立ち上がりお姉ちゃんの髪を触った。さらさらとしているが、自分のものだと思うと少し気持ち悪い。

 しかし我慢して触り続ける。


 そうすれば目を細めて私にすり寄ってくる。まるで猫のようだ。

 私はそのままお姉ちゃんの頭を撫でながら笑う。



「……とっても綺麗だよ。お姉ちゃんによく似合っているね。」













 さすがは私のお姉ちゃんお人形、予想通りの事をしてくれる。

 全ては私の思うがまま。



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