9.隣りの部屋


 一人暮らしを始めてすぐに俺は悩みを抱える事となった。


 原因は隣りの部屋の騒音。

 俺の部屋は角部屋なので、犯人ははっきりと分かっている。


 3人家族の一人息子。おそらく幼稚園ぐらいのやんちゃ盛り。その為、朝も夜も騒ぎたい放題なのだ。

 俺もそこまで短気な性格ではないので我慢していた。マンションに住んでいれば少しの音は必ずしもある。俺だって、隣りにどれぐらいの音を聞こえさせているかは分からない。


 だから我慢していた。



 しかし限界はすぐにきた。






「うわーん!!ごめんなさーい!!」


 その日は特に、隣りの部屋はうるさかった。

 俺は大学で嫌な事があり、イライラしていて隣りの音が気になってしまう。


「うるせえな。さっさと黙らせろよ。」


 ぼそりと呟くが隣りに聞こえるわけがなく、子供の泣き声はどんどん大きくなるばかり。それに比例して俺のイライラもたまっていく。


「ママー!!パパー!!ごめんなさーい!!ああー!!」


「本当勘弁してくれよ。うっせーなっ!!」


 俺はとうとう我慢の限界に達して、声が聞こえる付近である壁を思いきり殴りながら怒鳴ってしまった。すぐにやってしまったと後悔してしまうが、もう遅い。

 俺は静まり返ってしまった隣りの部屋の壁に耳を押しあてた。


 しーん


 何も聞こえてこない。

 先ほどまで聞こえていた子供の泣き声も、物音ひとつすらも一切しなかった。


 これは怒られるか。

 隣りの人達はおとなしそうな雰囲気だったが、もしかしたら俺がうるさいと管理人とかに訴えてしまうかもしれない。

 人というのは身勝手なもので、自分の事は棚に上げて平気でそういう事をする。


 俺は壁から耳を離して溜息を吐いた。


 もしなんか言われたら、隣りの方がうるさかったのだと言い返そう。とにかく今日は静かにしておいた方がいいだろう。


 俺はそのまま眠りについた。






 それから少しの間、いつ文句を言われたり管理人から連絡があるのかとびくびくしていたが、特に何も無かった。

 きっと隣りの部屋の人も、自分たちがうるさかったからしょうがないと思ってくれたのだろう。

 俺はほっとしつつ、いつもの日常に戻った。





 しかし平穏な日々はすぐに終わる。



ボソボソ


ボソボソ


 今度は隣りの部屋から人の話し声が聞こえるようになった。

 小さめの言葉なので内容までは分からないが、だからこそなのか何だか無性に気になってしまう。


 俺はそっと壁に近寄り耳を当てた。


「……んでしまった。」


「どうするの?」


 男女の話し声。おそらく夫婦だろう。珍しく子供の声は聞こえなかった。ボソボソと抑揚のない声で話しているようだ。


 いったい何を話しているんだろうか?


 俺は好奇心からさらに話を聞く。


「どうするって言ったって、どうしようもないじゃないか。それとも何だ?こうやって話していれば解決するとでもいうのか。」


「だって、だって、事故だったじゃない。私達は何も悪くないわ。」


 どうやら2人はもめているみたいだ。他人のゴシップは面白そうなので、話を聞き続ける。


「でもいつまでも隠しておけるものじゃないだろう。周りが変に思うし、匂いだって出てくるはずだ。」


「でも明らかにすれば全てが終わりよ。そんなの私は嫌よ。」


 会話はまだよく内容が分からないが、あまり状況が良くないのは察せられる。俺は壁の向こうの声に魅せられていた。


「俺だって嫌さ。俺達が悪いわけじゃないのに、責められたくはない。でも死んでしまったのは俺達のせいじゃありませんって言っても、誰が信じてくれる?」


「……。」


 急に会話が不穏なものになった。俺は会話の意味をよく考えてみる。



 隠しておけない、匂い、死んでしまった。


 最近全く聞こえなくなった子供の声。


 俺は一つの仮説を思いついた。隣りの部屋の子供は死んでしまっていて、それを夫婦は隠そうとしている。

 なんて面白い展開になってきたのだ。


 俺は知らず知らずの内に笑みが浮かんでくる。


 隣りの2人は俺がこうして聞いているのを知らない。だからこんなにべらべらと重大な事を話してしまっているのだ。

 それをどうするかも俺次第というわけか。

 俺はさらに集中して耳をすませた。


「でも、でも、あの子が死んだのは私達だけのせいじゃないわ。」


「……確かにそうだが……。」






「だってあの子が死んだのは隣のあいつのせいじゃないの。」



 俺は驚きから壁から耳を離した。

 奥さんの言ったその言葉だけが、なんだか急に耳元でささやかれたような気分になったのだ。


 そんなわけがないと自分に言い聞かせて、俺は再度耳を当てた。




「そうでしょそうでしょ。あいつを殺せばいいのよ!そうすれば私達のせいじゃなくなるわ!!」


「そうだそうしよう!それが良い!!」


 先ほどまでの抑揚のない暗い声とはうってかわって、明るい声で恐ろしい会話をしている。俺はぞっとしたが聞くのを止めない。

 きっとこいつらが言っているあいつは俺の事じゃない。そうだ。俺は何もしていない。


「あいつがあの時壁を叩かなければ!!落ちなかったのよ!!だからあいつを殺せば全部解決する!!殺そう殺そう殺そう!!」


「そうだ殺そう殺そう殺そう殺そう殺そう殺そう殺そう殺そう殺そう殺そう殺そう殺そう殺そう殺そう殺そう殺そう」





「ひいっ!」


 俺はまた壁から離れる。




 2人の言っているあいつとは俺の事だ。あの日、俺が壁を叩いたから子供が死んだ。だから、だから。

 俺はよろめきながらも壁に近づいた。話を最後まで聞こうと。




「殺す殺す苦しませて殺すあいつが悪いんだ殺せばいいそうだ殺す殺すんだ。」


「殺しにいこうそうしようそうすれば全部上手くいく殺せ殺せ殺せ殺せ。」





















































「おい、聞いているんだろう。今から行くからな。」







  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る