8.天井から


 両親の離婚で母に着いて行った私は、十数年住み慣れた家を離れて、2人で住むには十分な3DKのアパートに移る事となった。


 最初は環境の違いに戸惑う日々だったが、何ヶ月か経つ頃にはずっと住んでいたかのような心地よさをすぐに感じ始める。母と2人、新たな生活を楽しんでいた。



 ある一点を除いては。





ミシ


ミシ



ミシミシ




「今日もまたか。」


「そうだね。」


 私達は暗闇の中で顔を見合わせる。

 その間も隣りの部屋で音は鳴っていた。




 引っ越したその日から、いつも夜に聞こえてくるこのミシミシという音を私達は少し気になっていた。


「家鳴りだよ。家鳴り。」


「ラップ音?っていうのかもよ。こわーい。」


 仏壇が置いてある上の方で鳴っているであろうこの音に、最初は怯えていたがそれが何日も続けば慣れてくる。冗談を言いながら、そのまま寝てしまうぐらい生活の一部になっていた。





 そんなある日、父のもとに残っていた兄が初めてアパートに遊びに来た。


「……この部屋なんか嫌だ。お化けが出そう。」


「久々に会って言う言葉がそれってどうなの?」


 部屋に入った瞬間、顔をしかめて兄が放った第一声がこれだった。きょろきょろと顔を見回して、例の音が鳴る場所付近で目を細めた。


「あそこらへんが特に嫌な感じ。住んでてなんか無いの?」


「いつから霊能者の真似事を始めたの?いくらなんでもビビりすぎ。」


 私は兄の様子をからかいながらも、嫌な予感がしている。


「いやいやいや冗談とかではなくて。あそこだけ本当に、何かは分からないけど違うんだよ。」


 兄は普段のおちゃらけた態度ではなく真剣な目をしていて、知らず知らずの内に私は緊張していた。


「確かに夜、音は鳴るけど。事故物件とかじゃないよ。」


「うっわ。やばいんじゃないの?言われていないだけで、実は昔そうだったとか。俺、あんまりここ一人でいたくないわ。」


 慣れて来たのか兄は普段通りに戻ったが、私は何だかもやもやとした思いを抱える。家賃の相場はあまり詳しくないが、ここは調べていた中で条件も良くて値段も安い方だった。その時は、なるべく安く安くが良かったから気にしていなかったが、今思うとおかしいのかもしれない。



 そうとはいっても、住む所なのでほとんどの時間を過ごさなくてはならない。

 気にしないように気にしないようにと、気持ちを切り替えるほかなかった。








「じゃあ今日は遅くなるから先に寝てていいからね。」


「うん。気を付けてね。」


 相変わらず音は鳴っていたが、あまり気にしなくなった頃、母が友達と飲みに出かける事になった。夜に一人なのは初めてで、少しの不安を抱えつつもわがままは言えないので、笑顔で見送る。


「行ってきます。」


 扉が閉まった途端、しーんと音が静かなのが目立つ。私は慌ててテレビを付けた。興味の無い番組だったが、消すのはなんか嫌でつけたままパソコンを起動させる。

 そのまま動画とかを見ていれば、だんだんと1人の状況に慣れてくる。私はリラックスしたのか急に眠気が襲ってきた。




 駄目だ。布団行くのが面倒くさい。


 数歩の距離を歩くことさえもままならなくて、私はいつの間にかそのままこたつで寝てしまった。














ミシ




ミシミシミシ





 私の意識は急に覚醒した。

 それはすぐ近くから聞こえてくるいつもの音のせいだった。


 私が寝ている所から、仏壇は目と鼻の距離にある。だからいつもよりも音が大きい。なんだか不気味さを感じてしまう。



 私は音の場所から背を向けていたので、背後から聞こえているから余計に怖く感じてしまうのだと振り向こうとした。







ミシ



ミシミシミシ











ドスンッ





 しかし振り向こうとした瞬間、背後で何か重いものが落ちたみたいな音が聞こえ、私は驚きの声を必死で飲み込んだ。

 驚いたが、声を出してしまったら駄目だと本能が警告していた。


 背後の何かはそのまま引きずるように動き回っている。私は強く目をつむり寝ているふりをした。それに気づかれたくなかった。





 早く、早く、どこかへ消えて!



 私は強く願う。





 するとその思いが通じたのかどんどん音は遠ざかっていった。私はほっと安堵のため息をついた。





























「お゛ま゛え゛だれ゛だ゛」








 私の顔のすぐ前で野太い男の声が聞こえた。生臭い息もかかる。

 驚きと恐怖から、私はそれが何かを確認する事なく気を失ってしまった。





 その後、こたつで寝ていた為に母に起こされた私は恐怖を思い出して、少し泣いてしまった。慌ててごまかして何があったのかは言わないでいた。

 母にいらぬ心配をかけないように。







 不思議なことにその日から、音はぱたりと鳴らなくなった。


 母は良かったねと無邪気に笑っていたが、私は素直に喜べなかった。






 その後しばらくの間そこに住んでいたが、あの夜の様におかしなことは一切起こらなかった。

 結局あれは何だったのかは、調べないでいたので分からない。知ってしまうのが怖かった。だから思い出さないように記憶に封印していた。あの時の事を考えたらまた声が聞こえてくる気がして、私は考える事から逃げたのだった。











 今はもう別の場所に引っ越していて、そこの近くを通る事が無いのでそのアパートがどうなったかは知らない。

 出来れば取り壊されているのを願うばかりだ。















 私に害が及ばないように。






 

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