2-6.まるでそれは獣のように

 武勇の諸人、こぞりて来たれ 秀でた御身ら、玄人たちよ

 華やかなすぐれの魂を輝かせまいと

 御覧じなは戦の優劣にあらず 煌めかしき勲等いさおへの頂きを目指すその足取り

 りに映える夕星よりも勝りてなお、生の輝きはに残り

 君に注がれるは悲嘆の涙か 万人讃える賛辞の言か

 証しは胸が知るだろう

 おして喜びたる乙女の頬を飾る薔薇色が 折れた剣の光輝をや


 柔らかさの中にも心躍らせ、鼓舞する巧みを隠した歌声と演奏に観客の誰もが拍手と歓声を送る。声は一つの固まりとなって土をならした闘技場を揺さぶり、琴弾きに向かって投げられた鮮やかな花びらをも震わせる。誰もが熱狂の渦に取りこまれていた。美しき琴弾きが引っこみ、闘技用の武具を携えた七人の出場者が現れれば、熱気は人々の間で感染し、歓声は怒号や野次、声援と形を変えて雷のように空気を揺らす。観客たちは不安も心配も、すべてを忘れるように叫び、身を乗り出していた。血肉を欲する野犬みたいに、目を爛々と輝かせて、まるで自分たちが戦う側であるというように。


「お集まりの皆さん」


 声の勢いが収まった隙を見計らったかのように、町の誰もが知るイグローの声が響いた。三等殊魂術トリ・アシェマトで大きくなった声は観客たちを鎮めるような柔らかさを帯びてはいるが、何人かが気付く程度には酔いにも似た熱を帯びている。彼は観客席より高く作られた特別な観戦席にいて、すぐ横には苗色の髪を油で固めた神官らしき女性がいる。その姿を見て、誰かが声を上げた。イル・フィージィ、と。キュトスス家直系の人間がこの闘技場で試合を観戦するのは、十数年ぶりだ。


「我らエペーサが誇る闘技会へようこそ。晴れてこの日を迎えることができました。万感の思いであります」


 早くしろ、とどこかから飛んだ叱責にも気にしないふりをして、イグローはアネモネが掘られた赤い象徴媒体の腕輪を鳴らし、誇らしげに胸を張る。


「本来であれば六人個別の勝ち抜き戦。ですが、ここにおられるキュトススが令嬢、イル・フィージィに敬意を表し、今回は混合戦を行わせて頂きたいと思います」


 異例を告げる言葉にしかし六人の出場者たちはうろたえた様子もなく、だからこそ観客は頬を紅潮させ、拍手の代わりに足を踏み鳴らして答えた。イグローを思わず見つめたフィージィに気付いたものは、果たしていただろうか。観客の目は狂乱で満ち、まともな理性を残している素振りは少しもない。誰もが空気に酩酊していた。イグローもまた、同じく。


「六人入り乱れての戦い、共闘するも良し、孤軍奮闘しても良し。最終的にその地に足をつけ立っていたものを勝利者とします」


 闘技場の土を踏みしめて、全身鎧パドリを着た騎士体の審判が二人、現れた。彼らは赤と白の旗がついた長い槍を持っていて、失格になったものを赤、退場するべきものを白でそれぞれ指し示す役割を持っている。十の秒読みをするのも彼らだ。地に伏して十数えてもなお立ち上がらなければ、敗者と見なされる。


「使用武器に制限なし。術は補助と支援、そして殺さぬ程度の攻撃を許可しましょう。殺害すればそこで失格。さあ、皆様、参加者の頭脳と武術をとくとご覧下さい!」


 あらゆる声が反響し、煽動にも似たうねりをともなって闘技場に満ちる。おんおんと響くそれは、投げ込まれた花束を必死で拾い集めている少女たちを怯えさせる程度には暗く、這い上がれなさそうなほど深い欲望に満ちていた。


  ◆ ◆ ◆


 ノーラの推測は正しかったな、とカインは腰にくくりつけてあった闘技用の剣を抜き放ちながら、己が思った以上に冷静であることに気付く。熱気に気圧されることも、イグローが放った異例とやらも気にはならない。全てが初めてで、でもそれがそこの規定ならば守るだけだ。こちらを見ている四人の視線をあえて無視して、剣の様子を確かめる。柄、つけ根、刃、どこにも不具合はない。それから軽く、互いに距離を詰めはじめている四人を流し目で確認した。


 棘を帯びた球体と太い棒が一緒になっている鎚矛ロパスを手にした若者は、腰まである青色の髪をくゆらせながら、悪意に満ちた笑みを浮かべている。他の三人の武器は、赤髪が斧、緑髮が弓、そして薄い黄色の髪が細剣。細剣を触って確認している男は、イグローの後ろにいた専属の傭兵だったはずだ。なるほど、と口の端を動かすことなく内心で苦笑する。通りで四人の中心になっているはずだ。一気に己を叩く気なのだろう。


 固まりにも似た、でもそうとは言いきれない微妙な集団と距離を置いて、忠告してくれた男がいる。手に鉤爪をつけはじめた男の目元には、ようやく射し込んだ日差しに照り返る蜘蛛の入れ墨があった。細剣の男が何かを話しかけているが、入れ墨の男は話を聞き流すように適当な相槌を打っている。彼はきっと、集団には混ざらない。イグローの思惑を無視してくれることに感謝しながら、カインの胸にはほんの少し安堵もあった。昨日の言葉に偽りはなさそうで、なら、大分やりやすくなるだろう。


 両手で剣を握りしめたとき、審判の二人がやってくる。彼らは中央に赴き、こちらを見た。全員の準備が整ったのを確認したのだろう、固い籠手で覆われている手を一斉に上げた。一瞬、ほんの一時、闘技場に満ちていた声が止んだ。


「はじめ!」


 絶妙な間で手が振り下ろされる。飛ぶようにカインの前に出てきたのは青髪と赤髮の男で、それぞれ上半身と下半身を狙ってきている。カインが間合いを詰めようと駆け出した刹那。


「揃えて生誕、風・青嵐の檻!」


 翡翠に似た光がカインの四肢をとどめた。緑髮の男が放った強の風にでも、カインは薄く笑う。術の発動が早すぎる。


「揃えて生誕、風・突風」


 抑え込まれた直後にこちらも殊魂術アシェマトを発動、二人が飛びこむ間に小さな土埃を起こす。風の檻を無理やり引きはがし、飛んだ石の飛礫に目をやられ、つい目を閉じた二人の横をすり抜ける。速度を上げる術を使い、弓をつがえる緑髮の男の懐へ飛びこんだ。驚き広がった脇の隙間へ剣を跳ね上げ、殴打する。矢が落ちる。上がった刃を水平に抜いて体をねじり、喉笛を叩く。血と唾液が飛び散る。これで全ての術は封じた。膝を折る男を避けたとき目の端に背後を狙う細剣が入って、カインはしゃがんで躱す。細剣の男も後追いはせず、代わりに目を充血させた二人が声を上げてカインへ襲いかかってくる。カインは笑う。獰猛に、これ以上ないというほど。


「宴と供物在りて成るは光・閃光」


 二等殊魂術ジ・アシェマトで現れた闘技場半分くらいを覆うほどのまばゆい光は白く、直視していたならば眩ませるほどに強い。観客に構っている余裕はない。間近で光を目視した赤髮の悲鳴が届く。咄嗟に瞳を閉じた青髪の鎚矛が目標を失い、カインの体すれすれをかすめて土を鳴らした。起き上がろうと上体を伸ばした刹那、細剣の突きがカインを迎える。姿勢を低くしたまま駆け、手首を守る籠手に勢いよく剣をぶち当てる。耳障りな音がする。カインは剣を引いて土の上で転がり、横から現れた鎚矛の薙ぎを避けた。赤髪の男は顔を押さえてわめいているが、まだ倒れてはいない。審判が白旗で指し示したのは緑髮の男だけで、彼は審判にすがって許しを請うていた。大丈夫だ、とカインは立ち上がり呼気を整える。殺してはいない。


 頭の中に頭痛にも似た感覚が広がり、だが無理に術をほどいたことが祟ったことを悔やむ暇もない。細剣の先は息を吐いた瞬間を見逃さずカインの胸を狙ってくる。払うのではなく剣の側面で守るようにはじき返す。が、思った以上に早く手の甲を刺され、えぐられる。鮮明な痛み。でも、痛覚が逆にカインの思考をより研ぎ澄まさせ、動きを凶悪にする。煽る人の声が、男たちの殺意が、土に撒かれたままの花びらの色が、全てはっきりとわかるほど鋭利な感覚になったままカインは叫んだ。


 叫ぶのと同時に後ろに飛ぶ。鎚矛がカインの前髪数本を巻いて切る。青髮の男が引き戻そうとした腕を逃がさない。手首を握りしめる。握力に開いた指を絡ませ、逆方向に無理やり押しこみ指の骨を折る。潰れる感触と悲鳴。そのまま片手に提げていた剣を持ち上げ衣で覆われているみぞおちを強かに打った。男の上半身が倒れ手が離れる。顎を狙って膝で蹴り上げる。跳ねた男の頭、後頭部と首のつけ根を剣の横でなぎ払うと男の体が遠く、土の上に転がった。審判が十数えても、遠目から見て震えている足は立ち上がることを許さなかった。


 細剣の男がわめいている。入れ墨の男はようやく、今まで微動だにしていなかった体を動かした。体の中心がぶれない所作に、カインは再び乱れていた呼吸を整える。ゆったりと、しかし圧を感じさせる動きの中、入れ墨の男はなんてこともないように手袋に包まれていた片手を細剣の男に向けた。


「揃えて生誕・炎、炎撃えんげき


 燃えさかり踊る炎の吊布コフィンはカインではなく細剣の男、その両足を包んだ。銀の甲靴が焼ける音、そして肉が焦げる匂いが立ちこめて、呆けた男が間を置いて絶叫した。


「これで邪魔はいなくなったな」

「いいのか?」

「構わん。別に、お前を排せとは言われていない」


 汗を流して顔を歪める男に、罵倒と嘲笑の野次が飛ぶ。十は過ぎたが男は立ち上がってこなかった、いや、立ち上がれなかった。同時に己と入れ墨の男への声援が混ざっていることに気付き、なるほどとカインは納得した。観客はしらけてはいない。イグローの目的はきっと、この闘技会を盛り上げることにあって、そうであるなら結果はどうでもいいのだろう。やかましい声の群れを頭の隅に追いやり、カインは剣を構え直す。背筋を伸ばして痛みを遮断し、脈打つ鼓動を鎮める。男が突撃するような、半身をかがめる体勢を取った。


「参る」


 直後、正しく突進してきた鉤爪が剣と組み合う。引かれて倒されぬよう柄に力をこめても筋力だけで持って行かれそうになり、カインが剣を引き放そうとした寸前、片手で髪を握られる。そのまま掴み下げられ眼前に飛びこむのは膝だ。顔を狙ってきた膝蹴りを手で押さえた瞬間、横を薙いできた鉤爪が脇腹をひっかいていく。打撃の痛みを堪えて剣を倒し、首を狙う。持ち上がった鉤爪とぶつかる音。おろそかになった膝を封ずる手が除けられ、そのまま顎を蹴り上げられる。痛みとめまい。ぐらつく足下を払われる、倒れそうになったカインの頭を狙って鉤爪が振り降ろされる。どうしようもなく後ろに飛ぶ。そこを見て突撃する男は防御の剣を繰り出すより速い。何もつけていない拳で頬、額、腹を殴打され、揺れ動く視界の中、口から唾液と共に血を吐いたのがおぼろげに見えた。だが倒れはしない。剣を地面に突き立て衝撃を殺し、吹き飛ばされるのを防ぐ。


 戦いを楽しんでいる。男は、そして己もこの瞬間を面白がっている。だから鉤爪での一撃は致命傷にならなかった。それは甘いとカインは思う。剣を持ち直すまで待つ男の精神は健全で、闘士としてなら賞賛すべきところだろうが、戦士としてなら失格だ。もしかしたら闘技会を盛り上げるための要因として、自らを使っているのかもしれないけれど。


 男が三度こちらに走ってくる。カインは避けない。


 力を入れ、腰のひねりを勢いに変えて先端を光らせる鉤爪と刃をかち合わせた。咆哮。鉤爪が砕ける。剣の刃もこぼれたが気にせず剣を反転させてこめかみを薙ぐ。直撃、男が白目を剥く。カインは刃を自分の方に向け、柄の底で男の鼻の下を打つ。それと同時に無意識でも動いた男の拳がカインの肘近くを叩き、痛みと痺れで剣を落とした。これで、とカインは男の右こめかみを素手で殴る。互いに獲物なしだ。


 男の目は元に戻り、揺らぐ体を片足で止め、役に立たなくなった鉤爪をふりほどいて外した。髪を引かれて額を叩き上げられる。目の前で光が無数に飛んだ。お構いなしに顔を戻すのと同時に獣と同じくらい口を開け、男の耳上部を食いちぎって肉の欠片を吐き捨てる。鉄くさい味が口内一杯に広がった瞬間、頭突きを見舞われ視界がぶれる。組み合っていれば、負ける。伸びた腕を引き戻すと共に男の耳の後ろにある骨を強く打つ。衣服を掴む手が緩んだ隙をつき、カインは後ろに大きく跳ねる。平衡感覚を失って無様に膝をつくが男は追ってこない。その体は揺れていて、肩も上下している。剣も男の側に落ちたままで、拾いに行く好機かと思ったがその考えを振り払う。


「宴と供物在りて成るは炎! 火弾ひだんッ」


 男の体が赤く光り、次いで現れた女性の頭ほどある火球が数個、こちらに向かって飛んでくる。当たれば火傷ですむかわからない。


「宴と供物在りて成るは土、憤土ふんど


 対抗して術を発動させればカインの足下、そこいらに敷き詰められた土の一部が盛りあがる。たちまち吹き上がった土は炎とぶつかり、盛大な砂埃をともなって火の固まりを消していく。波動との押し合いで自然と汗が流れるが、頬を伝って落ちる前に男が駆け出しているのが見えた。その両手には、炎。男の手袋は焼けることなく馴染み、それが<妖種ようしゅ>の皮でできているとカインは自然と理解する。


 息を整え、ノーラの姿を思い出す。彼女が刺客に襲われたとき、間合いを引き離したのはまぎれもなく術の波動で、カインはもう一度後ろに飛び去り右腕を上げた。


「坐にいまし『陸海神ハーレ』の御手にて巡らすは風」


 一等殊魂術モノ・アシェマトによって生まれた風の波動は男を寄せ付けず、それを見て一際大きく声を張り上げた。


「創造、形成、生誕、宴、供物、五大によりて顕現せよ【竜巻】!」


 空間が歪んだように見えた刹那、雲にも到達するほど細長い竜巻が男の体を包み、宙へと舞わせる。波動は熱く、カインの中で激しく暴れて体が重くなる。集中が途切れ竜巻が止む。イグローのいる観覧席程度の高さまで舞い上がった男は、風が消えた瞬間背中から落下してくる。すでに走って浮かんでいた大剣を手にしたカインは跳躍、男の背面を払うように打ち据える。男が小さくうめいて呼気を吐いた。勢いのまま地面とぶつかり、その体が跳ね上がる。土がほこりみたく男を覆い、カインは剣を振り降ろしたままの格好でただ荒い息をするしかなかった。


 審判が慌てて男へ駆けより様子を見るも、立ちこめる土が邪魔をして見えていないようだ。動悸と荒ぶる内心を落ちつかせるため短い呼吸をしながら思う。多分、殺してはいないはずだ。そう考えるうちに口に残った血と肉の欠片がどうにも気持ち悪くなって、唾と共に吐き出した。殴られた箇所の鈍い痛み、そして頭蓋を押さえつけられるような感覚が次第にじわじわと、カインの思考と体をむしばみはじめてゆく。


 数を数える声が耳の中で反響して、男が生きていることを気にするよりもその大きな声そのものがいまいましくてならない。観客の声も遠く聞こえる。男を見つめる視線は定まらず、今すぐその場で倒れこみたい気持ちがあった。武術なんてものは、結局強者相手には通用しないとカインは思う。こうして立っていられるのだって、殊魂術を使ったおかげだ。野獣に成り下がったただのけだもののように己が思えてならず、それを見ていて喜ぶ観客を一瞬、同じ人間なのかと疑う。


 仕合いとも呼べぬ代物を繰り広げたように感じて悔やむカインの耳に、己の名を呼ぶ声と、勝者、と告げる声が重なって、カインはたまらず胃をひくつかせ、そのまま嘔吐して意識を闇の底にうずめた。

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