第8話 終章

 三人の男が、葬列を見送っていた。

 桃鳥、小典、そして卯之介だ。

 三人は、葬列が見えなくなるまで見送ってから、口を開いた。

「いってしまいましたね」

 小典が言った。

「そうね」

 桃鳥が言った。

「ところで、桃鳥様。今さらですが、よく思いつきましたね」

「何を?」

「例の白玉水のことですよ」

「ふふん」

 三軒の茶屋から料理人を呼びつけても、松五郎の望む白玉水を出すことができなかった。もはや無理なのでは、と思っていたところに、桃鳥から提案があったのだ。

「松五郎は、少年だった当時の白玉水を求めている。つまり、思い出の中の白玉水だ。だから、欲しいのは、味云々ではなくて、その当時の状況を再現させてやればいい、と」

 松五郎が倒れたあの日、奉行所に帰りながら、桃鳥は小典にそう言ったのだ。

「松五郎は、毎回、白玉を食べていなかった。それに、あの、器の中をジッと見る行為も引っかかったの。だから、もしや、とそう思っただけよ」

言われてみれば、白玉水を飲む前に、松五郎は器の中を凝視していた。

「あの行為は何だったんですかね」

「さあね。はっきりしたことはわからないけれど、けっして安い金額ではなかった白玉水を飲む前に、目でも味わいたかったのかもね」

そういえば、最後に白玉水を飲む前にも、松五郎は同じように凝視していた。そして幸せそうに頷いたのであった。初めて見る表情だった。

「では、卯之介に水売りの役をやらせたのはなぜですか?」

 あの日、水売りの格好をして、松五郎に白玉水を作って渡したのは、横にいる目明かしの卯之介であった。

「それも簡単なことよ。〝白玉の貞八〟を真似ないといけないのよ。まるっきり堅気の人物じゃ、佇まいで松五郎に嘘だと見破られる可能性があったわけ。だから卯之介に頼んだのよ」

 松五郎がはじめて会った当時、〝白玉の貞八〟はすでに盗っ人として闇働きをしていたはずだ。身のこなしや雰囲気も普通の水売りとは異なっていただろう、ということなのだ。だから、卯之介に頼んだ。現在、卯之介は堅気だが、目明かしとして働いてもいる分、そういった雰囲気も持ち合わせている。

「……」

 小典は、驚いて声も出なかった。そこまで深く考えてさえいなかった。自分の浅はかさが恥ずかしかった。

「でも、あくまで一か八かの賭けだったわ。確証はなにもなかった。これでダメならもう手立てがなかったわ。今回はたまたま上手くいっただけよ」

 桃鳥の言葉の中に小典に対する気遣いが感じられた。

「それに、前にも言ったけど、小典の料理人を呼ぶ、という考えがなければ、おそらく思いつかなかったわ」

「恐れながら」

 ずっと黙っていた卯之介が口を開いた。

「草花もいきなり芽はだしやしません。土に埋まって、雨や朝露など水を得てやっと芽を出すんですぜ」

「あら。良いこというわね、卯之介」

 二人の優しさが悔しくもあったが、それ以上に嬉しくもあった。小典は、誤魔化すように咳払いをした。

「卯之介、お主、松五郎を抱き留めたとき何か言ったな」

 白玉水を飲み干した松五郎は、その場で前のめりに倒れた。それを抱き留めたのは卯之介だ。その時何事かを言ったのだ。

「へい。労いの言葉を」

「そうか」

 松五郎も何か答えたはず。だが、それ以上聞くのは野暮というものだ。

「さあ。二人ともおときに付き合って」

「桃鳥様のおごりですか?」

「御金なら重藤様からいただいているわ」

「え?お奉行様から?」

「そうよ。松五郎こと〝南天の松五郎〟は元々、京都奉行時代から重藤様に仕えていた放免の者なのよ」

「……初耳です」

「あら。言ってなかったかしら」

「聞いていません」

「年をとって病がちになってから、重藤様はまとまった報奨金を与えて、隠居させようとしたんだけどね。本人が頑として受けなかったのよ。死ぬまで働かせてくれって言って。お天道様に面と向かって顔向け出来ない人間は、楽隠居なんてできないってね」

 すねに傷を持つ者の多くは同じ事を言うだろう。多くの元罪人と共に過ごしてきた小典は、痛いくらいにその想いを想像出来た。彼らの胸の中に実際、何があるのかなんておいそれとはわからないが、ただひとつ、悔悟があることだけは確かだ。それが、彼らを突き動かしている原動力のひとつだということも。

「それで、わたしの配下となったわけ。重藤様の推薦でね」

 小典の疑問点が一気に解決した。なぜ髙気様からの依頼なのか。なぜ、商家で身元を引き受けたのか。

「あ!ではあの棺に入れた南天の実と手紙は……」

 桃鳥手ずから、棺桶に南天の実と、手紙らしききっちり折った紙を入れていたのでだ。

「そうよ。お奉行である重藤様からのものよ」

 捕まえる者と逃げる者。本来、相容れない者同士なのに、何の因果か、共に罪人を追うという緩い紐帯で結び合って、時には、互いの命を預けるような経験もし、そうして歳月がたつにつれ、いつの間にかその結び付きは太く固くなっていく。家の子郎党とも違うなにか不可思議な関係。

 今、重藤様の胸に去来するものを想像すると、小典は苦しくなった。上手く言葉にできないが、この想いはきっと一生言葉にすることはできないだろう、とそう思った。南天の実と手紙、重藤様の精一杯の想いが、このふたつに全てこめられている気がした。

「さあ!辛気くさいのはなしにして、派手にいくわよ」

 桃鳥が声を張り上げた。

「桃鳥様。派手は違うと思います。慎ましくだと思います」

「あら。派手に飲み食いしたほうが嬉しいでしょ」

「慎ましく厳かに飲み食いしたほうが心安らかかと思います」

「まったく。これだからモテない男は嫌だね」

「ちょ、ちょっと待って下さい。モテないは関係ないでしょ!」

 二人のやり取りを聞いていた卯之介がくすりと笑った。

「ほらごらん。卯之介が笑っているわ」

「卯之介。笑ったのは桃鳥様の飛躍しすぎな意見にだよな」

「いいえ。あなたのモテないことによ」

「違います」

「違わないわ」

 言い合いしながらもどこか楽しげな二人とそれを見守る一人にむかって、一陣の風が吹き抜けた。

 三人の頬をなでた風は柔らかだった。

 真冬の風の中に、それは奇跡のように暖かく、優しかった。



                                    了





 







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鞍家小典之奇妙奇天烈事件帖~松五郎の白玉水~ 宮国 克行(みやくに かつゆき) @tokinao-asumi

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