第5話 白玉水探し

「ああ、俺は何をやってるんだか」

 ため息とともに思わず愚痴が出た。

 小典は、奉行所内の一室に籠もって、調べ物をしていた。もちろん、白玉水のことだ。奉行所内には、申請すれば誰でも利用出来る書庫がある。もしかしたら、うまい水や餅米に関する書物があるかと思い来てみたが、数冊の書物を手に取って調べた後に思わずでた言葉であった。

「なんだ、鞍家。愚痴るなんて、お前らしくもない」

 驚いて振り向くと、同じ同心の清見六左衛門東鳴きよみろくざえもんとうめいがいた。ひょろりと背が高く、四角い顔に太いまゆ毛が特徴の人のいい男だ。小典とは、歳が同じで、生まれ育ったところも近く、奉行所内では冗談も言い合える数少ないひとりだ。

「清見、驚かせるなよ。お主も調べ物か?」

「ああ、そんなところだ。それで、鞍家は何がわからないんだ?」

 清見は、兵学、儒学、陽明学などで江戸でも有数の私塾、千草堂の四天王のひとりに数えられていた秀才である。小典も、これまで、清見には多くのことを教わっていた。

「うーむ」

「なんだ。言えぬことか」

「言えぬ事ではないが……」

「歯切れが悪いな」

 清見はそう言うと大口をあげて笑った。

「あれか、髙気様からのご依頼の件か?」

「なんだ。もう知っているのか」

 小典は驚いて、清見の四角い顔を見た。

「奉行所内では誰もが知っているぞ。また変わったことを鞍家と黒葛様が押しつけられたとな」

 そう言うと清見は、手を上げて、くるりと背を向けた。

「俺で協力出来ることがあるならいつでも言ってくれ」

 書庫から出て行こうとする清見に小典は声をかけた。

「な、なれば教えてくれ。どこかうまい白玉水を作っているところはないか?」

 清見の足が止まった。ゆっくりと小典のほうに向き直る。

「は?」

「うまい白玉水を出す店か水売りを教えてくれ」

 小典は再度言った。


 

 小典は、出された陶器の椀をあおった。

「……」

「ふふん。ちょっと砂糖が悪いわね。これで……」

「一杯、三十文です」

 小典は、しかめっ面をしながら答えた。普通、砂糖なしの水は一杯、四文ぐらい。砂糖を足せば、その量にもよるが、八文から十文ぐらいが相場だ。それに白玉を足せばさらに値は張る。

「これは、ぼったくりの類いね」

「あー美味しいですね!桃鳥様!」

「どうしたのよ、いきなり大声出して」

「さぁ!参りましょうか!」

 そう言うと小典は、桃鳥の羽織の袖を引っ張って無理矢理立たせた。

「おやじ、馳走になったな」

 小典は、店主にそう言うと座っていた長椅子に金を置き、桃鳥を店から見えないところまで引っ張っていった。

「桃鳥様、わざとですね」

 小典は、桃鳥を睨みつけた。

「なにが?」

「とぼけても無駄です。今日で白玉水を飲んで、四件目、桃鳥様は必ず一言よけいなことを仰る」

「あら、心外ね。ほんとうのことを言っているだけよ」

 そう言うと桃鳥はすました顔をした。

「ほんとうのことは内々にお話し下さい」

 それでも桃鳥は知らん顔だ。

「いいですか、桃鳥様。奉行所の役人が、商人ともめ事を起こしたとあっては大問題です。近ごろの商人は、武家だろうとなんだろうとひるみません。数年前に起こった花聚屋はなじゅやの一件は、桃鳥様もご存じでしょう?」

 花聚屋は、新進の呉服屋であった。それがひょんな事から客である旗本、邑上顕守むらかみあきもりともめ事を起こした。当然、花聚屋のほうが折れると思っていた邑上顕守の思惑は脆くも砕け散った。花聚屋も一歩も引かなかったのである。次第に事が大きくなっていき、とうとう花聚屋は用心棒を複数雇い、邑上顕守のほうは郎党を率いて、流血沙汰を起こした。多数の死傷者を出して、花聚屋の主人、邑上顕守、双方とも手傷を負った。その手傷が元で、数日後に花聚屋の主人は息を引き取った。これが大まかな花聚屋の事件である。

 この花聚屋の事件は、公議を含めて江戸中で大騒ぎとなった。一介の商人が旗本と私闘を演じたということもそうであるが、なにより、市井の声が旗本憎しのほうが多かったからであった。これに驚いた幕閣たちは、早急に邑上顕守を捕縛し、切腹を申しつけ、邑上家はお取り潰しとなった。一方の花聚屋も取り潰し、一族を江戸から所払いになったのである。以後、公議は旗本、御家人と庶民とのもめ事に神経を尖らせている。

「ふん。わたしはそんなヘマはしないわ」

 憮然として言う桃鳥に小典は、

「桃鳥様はヘマをしなくても相手がヘマをするかもしれません」

 と言った。

「……わかったわ」

 桃鳥は不承不承ながら言った。

「わかっていただけて安心致しました」

「それで、次はどこの店?」

「え?」

「どこの店に行くのか、と聞いているのよ」

「えっと、たしかもう全て回ったような……」

「嘘よ。小典とわたしとで調べた白玉水を売っている店はざっと十はあったわ。それに清見とかいうあなたの友から教えてもらった店にまだ行ってないじゃない」

 あの日、清見から、その場でひとつ。後ほど三つ、白玉水を売る店と水売りがいる場所をわざわざ調べて教えてくれたのだ。清見らしい真面目さと優しさなのだが、今は、その優しさが憎かった。

「桃鳥様、明日に行きませんか?もうお腹がいっぱいです。それに砂糖の甘さで胸焼けが……」

「聞こえないわ。あなた先ほど、『ほんとうのことは内々に言え』って言ってたじゃない。武士に二言なしでしょ?」

「も、もちろん、二言はないです」

「ならばついてきなさい。わたしが小典にほんとうのことを言うわ」

「では、桃鳥様だけ飲まれる、ということで……」

「もちろん、あなたも飲むのよ。でないと私が言っていることがほんとうのことか否か分からないでしょ」

 小典は、観念した。これは言い逃れ出来そうもなかった。

「わかりました……」

 桃鳥は、満面に笑みを浮かべて頷くと歩き出した。

 小典はその背中に憎々しげに視線だけでも突き刺さずにはいられなかった。

 そして、胸焼けと胃の腑の水分過多は、まだまだ酷くなりそうであった。






 












 

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