第4話 白玉水

「あれは一体……」

 江頼屋を出て、しばらく歩いたところで小典は桃鳥に言った。

「病なのよ」

「病?!」

「医者には診せたのだけどね。ご老人にはよくあることだ、とその医者は言っていたわ」

「それはつまり治らないっていうことですか」

 小典と桃鳥の前を叫声を上げながら、子どもたちが横切った。最後にいた子がバタリと目の前で転んだ。桃鳥は、しゃがみ込むと優しく立たせてあげた。体についた泥をはたいてとってあげると懐から懐紙を出し、その子の盛大な青っぱなを丁寧に拭き取ってあげた。

 その子は、驚いたのか涙を溜めた大きな瞳で桃鳥をぽかんと眺めていた。

「五郎!」

 その子の兄だろう。よく似た顔の子が駆け寄ってきた。桃鳥と小典を怖々と、そして、どこか挑むように見上げると「ありがとうございます」と頭を下げた。

「ほらお前も頭を下げろ!」

 そういうと乱暴に頭を下げさせた。そして手を引っ張って仲間たちのところへ連れて行った。

 小典も桃鳥もその後ろ姿を微笑みながら眺めていた。

「あの子たちもいつか奉公に出されるのかしら」

「え?ああ、おそらく大半の子どもはそうでしょうね」

「なれば、あの子たちにとって幸の多い奉公先に行ってほしいものね」

 そう言うと桃鳥は歩き出した。

「松五郎もね、奉公に出されたのよ。呉服店だったらしいわ」

 長男以外は家を出る。これは武家でも同じだ。しかし、家を出ざるを得ない場合もけっして珍しくはない。松五郎がどのような境遇であったのかはわからないが、呉服店であれば恵まれているほうであろう。もっと悲惨な口減らしの方法はたくさんあるのだから。

「その奉公先で、出会ったのよ」

「誰にです?」

「あなた、〝白玉〟って聞いて何か思い出さない?」

「白玉ですか?はて……」

 小典は、考えた。白玉と言えば上野の茶屋が有名だが、それ以外だとわからない。

「ふふ。まぁいいわ。〝白玉の貞八しらたまのさだはち〟って聞いたことないかしら?」

 小典は思わず、あっと声を上げた。

 白玉の貞八――京、大阪を中心に荒らし回った大盗賊だ。生涯盗んだ金額は、壱万両とも言われ、京や大阪では、〝壱万さま〟と畏敬の念でそう呼ばれてもいるそうだ。なぜならば、白玉の貞八は、あくどい商人や武家のみ盗みに入る、いわば義賊と呼ばれる類いの輩であったからだ。盗んだ金は、恵まれない人々に足がつかないように配っていたとも言われている。活動期間は、約十五年。その後、煙のごとく消えた。噂では、お縄になったとも殺されたとも、死んだとも言われているが、真相は藪の中だ。

「松五郎はね。その白玉の貞八の唯一の子分だったのよ」

「なっなっ……」

 小典はあまりの驚きに言葉が出なかった。たしか、白玉の貞八は一匹狼で仲間はいないと言われていたはずだ。それが、子分がいたなどと初耳だ。しかも、それが今しがた会った男であるならなおさらだ。伝説の大泥棒の子分が目の前にいたのである。

「松五郎は奉公先で、偶然、白玉の貞八に出会ったらしいのよ。貞八は、水を売って歩いていただけではなく、白玉水を目玉にしていた。その水売りに化けていた貞八にね」

「それならば聞いたことがあります。たしか、白玉水が絶品であったとか。だから〝白玉の貞八〟と名がついた」

 桃鳥は頷いた。

「松五郎は、たびたび貞八の売る白玉水を買っていた。盗っ人だとは知らずにね」

「それは松五郎が話したんですか?」

「そうよ」

「それならば、やはり〝白玉の貞八〟は捕まったのですか?」

「いいえ。〝白玉の貞八〟は捕まっていないみたいね」

「え?で、では今もまだ……」

「死んだそうよ」

 桃鳥は、歩きながらさらりと言った。まるで、大したことじゃないという風に。

「……」

「いつ、どのように死んだのかはわからないけれど、死んだということは確実だそうよ」

「……それも松五郎から?桃鳥様はそれを信じておられるのですか?」

「ええ」

 小典は首をひねった。

「なれば、松五郎が言うように〝白玉の貞八〟は死んだのなら、どうして桃鳥様は、白玉水の事なんて聞くんですか?貞八の遺骨を確認するためですか?」

 先ほど、松五郎の部屋の中で桃鳥は、白玉水のことを思い出したか、とハッキリと聞いていたのだ。

「ふふん」

「なんですか?」

「わたしが知りたいのは、〝白玉の貞八〟の遺骨ではないわ」

 意味がわからなかった。

「そう怖い顔をしなさんな」

 難しい顔をしていたのだろう。桃鳥はそう言うと笑った。

「わたしが知りたいのは、。それを小典とわたしとで探そうということなのよ」

 理解出来なかった。

 小典は、恐る恐る聞いた。

「では、ほんとうに白玉水を探すのですか?」

「ええ。そうよ。初めからそう言っているじゃない」

 桃鳥は軽快に笑った。

 ますますわからなくなった。

 








 







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