出会いの思い出③【朝霧美晴】

「おはようございふぁーす」


 あくび混じりに出社する、模範的意識低い系社会人朝霧美晴。

 霧島涼介が入社したことによりやる気の平均値は上がったものの、他の社員にまで伝播するなどのことは一切なかった。つまり、あくせく働く部長は駄菓子の当たりを引くくらい珍しいのだ。


「どうしたんですか部長、うさぎと亀のうさぎさんみたいな焦り方ですね」

「それがねー、例の新人クン、体調崩して今日は休みらしいんだよね。おかげでてんやわんやだよ」


 一人に頼りすぎたツケである。リスクの分散はビジネスの基本だが、覆水盆に返らず。霧島涼介がいれば大丈夫だろうという取らぬ狸の皮算用が部長の首を絞めている。


「突然ですが部長、私早退します!」

「ええ? ……まあ、いいかなあ。うん、いいよ」


 極めて生産効率の低い入社3年目朝霧美晴。いてもいなくても同じだと、部長も朝霧美晴自身もよくよく理解している。


「別に関係ないんですけど、彼の住所教えてください」

「ああ、うん、構わないとも。構わないけれどね、お見舞いに行くならそう言ってくれればいいんだよ?」


 こうして、朝霧美晴は出社2分で退社した。





「霧島くん、生きてるかーい?」


 レジ袋を片手にピンポンピンポンピンポンと何度もチャイムを鳴らしていると、そのうちガチャリと戸が空いた。


「何度も鳴らさなくても聞こえてますよ」

「ごめんごめん、入るよー」


 こぢんまりとした安アパート。いかにも一人暮らしの新社会人といった感じだ。物が少なく、いい具合に生活感の欠けた様子が、几帳面な性格と趣味に時間を割けない多忙さを表している。


「……えっ? いや、あの……」

「こらこら何してるの! 病人はベッドで寝てなさい!」

「寝てましたよ、チャイムで起きるまで。じゃなくて、どうして当然のように上がり込んでるんですか」


 リビングまで一直線に侵入した朝霧美晴を咎める常識人霧島涼介。壁にもたれつつも、意識ははっきりしているようだ。


「フラフラじゃないのさー。無理しないの。おねーさんと喋るの疲れるでしょ?」

「自覚あるなら……少しは自重してくださいよ……」

「心配しなくてもなにか盗ったりしないよ。無理矢理追い出すパワーも残ってないなら、黙って施しを受けなさい!」


 廊下に面したキッチン。台所用品は一通り揃っているが、あまり使われた形跡はない。ゴミ箱の蓋を開けると、スーパーの弁当の空が煩雑に放り込まれていた。


「自炊しないの?」

「時間かかるし……大して安くもならないですし……栄養バランスとか考えだすと」

「おーけーおーけー。カップ麺で済ませるよりは賢いと思うよ。流石にガスは通ってるよねーっと」


 朝霧美晴はレジ袋をゴミ箱の蓋の上に置いて、狭いスペースに中身を手際よく並べていく。


「あの、なにを」

「おかゆ! 病気の時は定番でしょ? もしかしてお米アレルギーだったりする?」

「平気ですけど……メニューを聞いたわけじゃなくて」

「そうそう、スポドリ買ってきたから飲みなー。はいこれ」


 霧島涼介にまだ冷たいペットボトルを手渡す。困惑しつつも素直に受け取る所が萌える、と朝霧美晴は思った。


「どうして、そこまでしてくれるんですか?」


 当然の疑問だな、と朝霧美晴は思った。


「なんでだろうね? やりたいことやってるだけだからなあ。難しいこと考えずに、ベッドで横になったら?」

「誰のせいで起きたと思って……焦がさないでくださいよ。洗うの面倒なんですから」

「心配しなくても、後片付けまでやってくから! 世間には料理だけして自己満足する無能パパもいるらしいけど、違うから!」


 納得したのか諦めたのか、霧島涼介はそれ以上はなにも言わず、のそのそと寝室に戻っていった。


 数秒後。


「あの……」

「もう、心配いらないってばー」

「……ペットボトルのキャップ、開けてもらえませんか?」


 萌えた。好感度が上がった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る