08.小さな押し掛け弟子


 少年を連れて逃げ出した俺は、広場から少し離れた路地裏でティナたちと落ち合った。さっき少年を助けに入る前に、大まかな合流地点だけは決めておいたのだ。


「トウマさん、お怪我はありませんでしたか?」


「体は大丈夫だよ。服は斬られちゃったけど」


 ブレザーを広げてみると、背中の部分がパックリと裂けてしまっていた。どうせこの世界では目立つから古着屋で別の服と換えてもらうつもりだったが、これでは足元を見られてしまうかもしれない。


「ご、ごめんなさい! 僕のせいで……。それと、助けてくださってありがとうございました」


 そう言って少年がぺこりと頭を下げる。

 ちゃんと謝罪と礼が言えるのは偉いと思うが、この少年はそれを台無しにして余りあるほど酷い思い違いをしている。まずはそれを正してやらないといけない。神代家流のやり方で……。


「まあ、服のことはいいんだけどな。お前、名前は?」


「僕の名前はアルベルト。アルベルト・スティングレーです。アルって呼んでください」


 アルと名乗った少年がにっこりと微笑む。まだ声変わりもしていないのか、彼は顔だけでなく声も女の子のようだった。


「アルか……。俺は燈真、神代燈真だ。じゃあアル、とりあえず――」


「?」


 ―― ごんっ! ――


いだぁっ!?」


 アルの頭のてっぺんからかなり鈍い音がした。俺がゲンコツでぶん殴ったのだ。


「ちょ、ちょっとトウマ?」


「い、痛いじゃないですか! いきなり何するんですか!」


「やかましいこのアホ!」


 アルの抗議を無視し、それ以上の剣幕で一喝してやる。


「お前、どういうつもりだ!? 弱っちいくせに大人3人相手に喧嘩売りやがって、何がしたかったのか聞きたいのはこっちだわ!」


「ぼ、僕はただあいつらに、お婆さんに対して謝罪をさせようと……」


「あのな、あのお婆さんがお前に『あいつらをブチのめしてでも謝罪させてください』とでも頼んだのか? 違うだろ? お前が勝手に妙な正義感を振りかざして、勝手に事を大きくしたんだろうが!」


「『妙な』とはなんですか! あんなやつらを放っておくなんて、勇者ガルシアの息子として僕には我慢できません!」


「『義を見て為さざるは勇無きなり』ってか? 実力が伴わない勇気なんてのはな、『匹夫ひっぷ(※後先を考えられない愚かな者)の勇』っていうんだよ。そんなもんは他人に迷惑をかけるだけだ」


「うぐっ……」


 痛いところを突かれてアルが押し黙る。


「俺が何に怒ってるか言ってやろうか。お前は勇者気取りのさぞいい気分であいつらを非難してたんだろうがな、あのお婆さんの顔をちゃんと見たか?」


「お婆さんの……顔?」


「お前のことを心配してたぞ、自分のために酷い目にわされるんじゃないかってな。困ってたぞ、悲しそうだったぞ、あいつらにお前が殴らてれるのを見てな」


「…………っ!」


「いいか? 確かにお婆さんはあいつらのせいで嫌な思いをした。けどな、あいつらに力づくで謝罪なんてさせても、そんなことであのお婆さんの気は晴れたりしないんだよ。むしろ嫌な思いにやりきれない気持ちが上塗りされるだけだ」


「う……」


「あの場でお前がすべきだったのは、ただお婆さんを助け起こして、落としたものを拾ってやることだったんだ。そうしてお前が親切にしてやるだけで、お婆さんの心は満たされたんだよ。それこそ嫌な気分なんて忘れちまうぐらいにな」


「うぅ……」


「それを勝手に突っ走った挙句、全方位に迷惑かけてりゃ世話ねえわ。あいつらだってろくな人間じゃないにせよ、お前が出しゃばりさえしなけりゃ、俺にあそこまで痛い目にわされることはなかったんだ」


「うぅぅ…………」


「リーリアも分かったか? 腕力で物事を解決するのは、本当に話の通じないやつが向こうから手を出してきたときだけでいいんだ。基本的に争いごとなんてのはろくな結果にならんし、お互い無駄に寿命を縮めるだけだからな」


「う、うん……」


 喧嘩が大好きと公言している俺がこんなことを言えた義理じゃないかもしれないが、そもそも俺が好きな喧嘩というのは、終わった後にお互いがスカっとするような楽しいものだ。

 お互いが死力を尽くして殴り合い、その果てに分かり合う――俺が好きなのはそういう古い漫画のような暑苦しいノリであって、ただ下衆ゲスなだけの連中をブチのめしても、素足でゴキブリを踏み潰してしまったときのような不快感しか残らない。


「いいかアル、お前が勇者の息子だっていうならよく覚えとけ。悪いやつをらしめて自分の正しさを証明するのは簡単だ。そんなのは力さえ強けりゃ誰にでもできるし、逆に強ければ悪いやつの言い分も通ることになっちまう」


「…………」


「勇者ってのはな、ただ自分が勇敢だと周りに見せびらかすんじゃなくて、自分の行いで周りの人に勇気を与えられる人間のことをいうんだ。俺は会ったことはないが、お前の親父さんはそういう人じゃなかったのか?」


「……は、はい! そうです!」


「だったらお前もまず、傷つけられた人の心に寄り添うことを考えられるようになれ。そうでなきゃ、結局は誰も救えないぞ」


「――――!」


「まあ、俺も少し前までお前と似たようなことしてたから、偉そうなことは言えないんだけどな」


 逆にアルに対してこんなことを言えるのは、俺自身にも似たような経験があるからこそだ。

 あまり思い出したくないことではあるが、1年近く前に俺は1人の女の子を死なせてしまっている。俺のしたことが直接の原因になったわけではないが、そのことがあってからというもの、俺は自分から悪そうな連中に喧嘩を売るような真似はしなくなった。


「…………」


 アルは黙ったままうつむいている。

 俺の説教が少しはこたえたのだろうか。これで少しは無茶をしなくなるといいのだが。


「……じゃあな」


 俺はアルに背を向け、その場を立ち去ろうとした。ティナたちの頼みだからこいつを助けてやったが、そもそも俺には他にやるべきことがあるのだ。


「ま、待ってください!」


 突然、後ろにいたアルが大きな声で叫んだ。


「ん、なんだ? まだ何か用か」


「トウマさん……僕、今のお話に感動しました。それに、あいつらをやっつけたトウマさんの技にも。ですから、僕をあなたの弟子にしてもらえないでしょうか」


「はぁっ!?」


「お願いします!」


「いやいやいや、なんでそうなる」


「僕は父さんのような立派な勇者になりたい。ですから是非、あなたの強さと技を学びたいんです」


「何を勘違いしてるのか知らんが、俺はそれほど強くなんかないぞ。さっきのは相手が弱すぎたのもあるが、ただ運が良かっただけだ」


「そんな、刃物を持った相手を素手で倒すなんて、強くなきゃできませんよ」


 それが勘違いだというのだ。

 そもそも勝負というのは武器を持ってるほうが必ずしも有利だとは限らない。武器に頼るやつはその有利に囚われ、逆に隙を作ることだってある。

 もっと言ってしまえば、勝負は強いほうが必ず勝つとも限らない。もちろん強いほうが有利には違いないが、その日の体調や運、そのときの展開次第でいくらでも勝負の結果は変わるといっていい。

 極端な話、その辺の家の窓からおばさんが手を滑らせて植木鉢を落とし、それがたまたま頭に直撃して相手が死んでも勝ちは勝ちである。しかしそんなマグレで勝ったほうが強いとは誰も認めないように、強さと勝敗というものは別物なのだ。

 先ほど俺が3人を相手に勝てたのも、最初の不意打ちでリーダー格の男を瞬殺できたことと、後の2人とも1対1で戦えたからにすぎない。もしも3人が同時に、しかもナイフで襲ってきたら高確率で俺のほうがやられていただろう。


「お前ぐらいの子供は勝負の結果だけを見てすぐに序列をつけたがるけどな、強さってのはそんな単純なもんじゃねえんだよ。あの時、あの場では俺が勝った。さっきの勝負から言えるのはそれだけだ。大体お前、俺の話を聞いてたか? 強いだけじゃ駄目だって言ったばかりだろ」


「分かってます。けど、それを教えてくれたトウマさんだからこそお願いしたいんです。あなたの弟子になれば、きっと僕は正しい力を身につけられる……そう思ったんです」


「そう言われると多少の責任を感じなくもないが、どっちにせよ駄目だ。俺は弟子を取れるほど自分の技を完成させてもいないし、そもそもこれから大事な旅に出なきゃいけないからな。今もギルドに仲間を募集しに行くところだったんだ」


「だったら僕をご一緒させてください。僕も行方不明になった父さんを探す旅の途中ですし、きっとお役に立てますよ」


「ええー……」


「な、なんですかその疑いの目は」


「だってお前、あんなチンピラ3人にも勝てないじゃん。そんなやつが1人で冒険の旅してるとか言われても……」


「僕だって剣を使えばそこそこ戦えますよ! ちゃんと冒険者ギルドにも登録してますし、その辺のモンスターなら普通に勝てるんですからね?」


「マジか。こんな子供でも冒険者登録とかできるの?」


 隣にいたティナに聞いてみる。


「ええ、お祖母ばあちゃんがいるからそれほど遠出はしませんけど、私もギルドの仕事で生活費を稼ぐことがありますし。剣や魔法が使えるなら特に珍しいことではありませんよ」


 祖母と2人(+1匹)暮らしならティナが生活費を稼いでるのは分からなくもないが、この世界ではローティーンの子供でもギルドの依頼をけて仕事をするのが普通のことらしい。

 にわかには信じ難い話だが、どうやらこの世界ではアルも立派な冒険者というのは本当のようだ。


「とはいってもなあ……。頼りになるとは思えなさそうなお前を旅のお供にして、俺に何かメリットがあるのか? 俺の世界じゃ武術を学ぶには月謝を払うもんだし、内弟子でも飯の支度ぐらいはするもんだぞ」


「――それ! 僕、それできますっ!」


「?」


「僕、料理にはちょっと自身あるんです。父さんが魔王討伐に行ってすぐにお母さんが病気で死んじゃって、食事の用意はいつも自分でしてましたから」


「そうなのか……。けど、俺についてきたからってお前の親父さんが見つかるとは限らんぞ」


「構いません。どうせ父さんの行方にあてはありませんし……トウマさんの旅にご一緒させていただいて、道中お暇なときに色々と教えていただけるだけでいいんです」


「お前は俺の旅に同行しつつ武術を学んで、あわよくば父親が見つかればいい。その代わりに飯炊きはしますってことか」


「はい!」


 ふむ、ここは思案のしどころだ。

 確かにアルは戦力としては頼りない存在ではあるが、旅に必要とされるスキルは強さだけではない。国が軍人だけでも官僚だけでも成り立たないように、旅の仲間をパーティという『1つの集団』と捉えた場合、炊事や洗濯など生活面での仕事を担う人間は必要だろう。


「……分かったよ。炊事その他、雑用全般を手伝ってくれるなら連れて行ってもいい」


「本当ですか? ありがとうございますっ!」


「ティナもリーリアも、それでいいよな?」


「うん、もちろんよ」


「はい、私もトウマさんに異存はありません」


「やったぁ! じゃあ、これからよろしくお願いします、師匠!」


「師匠はやめろ。名前で呼んでいい」


 やれやれ、ある意味で必要な人材とはいえ、厄介ごとの種を拾ったようにも思えるのは気のせいだろうか?

 唐突に押し掛けてきた弟子の存在に、俺は一抹の不安を覚えずにはいられなかった。

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