07.不可視の蹴り『幻影脚』


「かっ……?」


 リーダー格の男がふらりとよろめいて地面に両膝をつく。顎への一撃で平衡感覚が失われたのだろう。178センチ・75キロという体格のわりに俺のパンチはそれほど重くないが、こいつらの小さい脳を揺らすには十分だ。

 男の目の焦点はまだ定まっていない。俺は半歩後ろに下がり、すかさず男の後頭部――延髄えんずいに向けて右の回し蹴りを叩き込んだ。


「えぁっしゃぁぁぁ!」


 ―― ゴッ! ―― 


 空手の蹴りというものは敵に足を抱えられないよう、通常ならばヒットした瞬間に引き戻す。しかし俺が今使ったのは空手ではなく、当たった後も足を戻さずに蹴り抜くムエタイ式のキックだ。膝立ちになっていた男の体はまさに丸太のように薙ぎ倒され、顔から地面に突っ込んで動かなくなった。


「な、な、なんだお前はぁ!?」


「いきなり出てきて何しやがる!」


 ようやく俺の存在に気付いた残りの2人がこちらを向く。1人はまだ少年を背後から羽交はがめにしているので、まずは手の空いているほうから片付けよう。


「ドーモドーモ♪ ワタシ、トオリスガリノイセカイジンアルヨ。オニーサンタチ、チイサイコイジメルノ、ヨクナイネェ♪」


 俺はとりあえずカタコトの口調で男たちに話しかけた。さらに頭の上で両手の人差し指をピコピコと動かし、完全に相手を馬鹿にした態度で近付いていく。


「んのやらぁっ!」


 近くにいたほうの男が、怒りに満ちた顔で右のパンチをくり出してきた。自分でも笑ってしまいそうになるほど見え見えの挑発だったが、頭に血を上らせて攻撃を単調にするという作戦は見事に成功したようだ。

 俺は軽く左足を前方に踏み出すと、大振りのパンチを肩越しにかわしつつ、右脚をガニ股気味にひょいと持ち上げた。この距離なら近すぎて、相手からは俺が脚を上げたのが見えない。

 そして俺は腰のあたりまで持ち上げたその脚を、相手の左脚――太ももの上から3分の1あたりのところに振り下ろした。


 ―― ゴツッ! ――


い゛っ!?」


 まずすねの内側部分をコツンと当て、そこから腰を入れて体重をかける。この『上から振り下ろすローキック』というやつは、慣れていない素人にとっては軽く蹴られただけでも悶絶するほど痛い。

 2人目の男が蹴られた脚を押さえながら前のめりに崩れていく。俺はその左耳をつまんで時計回りに引っ張り、男の体勢が仰向けになるよう頭をぐるりと回転させてやった。


「おわっ!?」


 倒れざまに体勢を崩され、男が背中側から倒れようとする。俺はそれを追うように腰を落とすと、男の顔に真上から裏拳を打ち下ろした。


ふん!」


 ―― ぐちっ! ――


「ぶがっ!」


 鼻の骨が折れ、男はそのまま後頭部から地面に叩きつけられた。

 これだけでも十分な気はするが、多人数を相手にする場合、倒しきれなかった敵が他のやつと戦っているときに起き上がってくるのが一番怖い。

 俺はさらに両膝で男の体にのしかかり、ダメ押しの正拳突きをもう一撃、顔面に入れておくことにした。


「しっ!」


 ―― ごちゅっ! ――


「ぐぶっ……」


 男が口から血泡を噴き出し、白目を剥いて動かなくなる。

 残った1人は味方のフォローに入る間もなく、1対1で俺と対峙することになってしまった。


「て、てめぇっ!」


 最後の1人が押さえつけていた少年を放り出し、俺の前に立ち塞がった。かなりテンパっているようで、目に怒りと恐怖が半々で渦巻いている。


「こいつらの後片付けをしてくれるならお前は勘弁してやってもいいんだが……どうする? この2人、かなり強く頭を打ってるから早く病院に連れて行ったほうがいいぞ」


「こ、こ、この……!」


 男は何を思ったのか、ポケットからナイフを取り出した。仲間がやられたことにキレてしまったのか、それとも追い詰められすぎて冷静な判断ができなくなってしまったか。


「……そういうもん出されたからには、こっちも手加減できんぞ」


 別に今までも手加減していたわけではないが、とりあえずそう言って凄んでおく。刃物を出されてはこっちも命がけだが、これで少しでも相手がビビって手足が縮んでくれたらおんの字だ。

 俺は数歩下がって距離をとると、着ていた制服のブレザーを脱いで右手首に軽く巻きつけた。手首を斬られないための備えと、闘牛士のケープのように目晦めくらましに使うためだ。


「…………」


 敵はいきなり突っ込んできたりはせず、じりじりと俺の様子をうかがっていた。さっきのやつが倒されたのを見て、下手に動かないほうがいいと判断したのだろう。

 俺としてもこういう展開は少しまずい。敵の攻撃をさばいて体勢を崩し、自分が一方的に攻撃できるポジションから一撃を加えるという得意の戦法を使うには、先手を取るより後手に回った方が有利なのだ。


(こいつ、ナイフで戦うのにそこそこ慣れてるのか? こういう短い刃物相手で一番怖いのは、こっちが出した手足をスパっといかれることだからな……。しょうがない、向こうが動かないなら『あれ』を使うか)


 俺はいつ敵が突っ込んできてもいいように、迎撃体勢をとりながらじりじりと間合いを詰めていった。あと半歩で蹴りの間合いに入るという距離だ。


(よし、ここだ!)


 右足を踏み込むと同時に、右手に持っていたブレザーを相手の顔に向かってばさりと投げつける。


「うぉっ!?」


 いきなり視界を遮られて驚いたのか、男は持っていたナイフで横一文字に斬りつけてきた。もしも俺がブレザーの裏側で何か妙な動きをしていたらと考えると、そうする以外になかったのだろう。

 だが、ブレザーを払いのけたそこに俺はいなかった。いや――上半身だけがそこになかった。


「――っ!?」


 男の視線が一瞬下がる。

 やつには俺が上半身を寝かせていただけ、ということまでは分かっただろう。しかし次の瞬間、男は強制的に右上を向く羽目になった。俺の後ろ回し蹴りが視界の外から跳ね上がってきて、左下から顎をカチ上げられたのだ。


 ―― ガコッ! ――


「ごっ……?」


 男は焦点の定まらない目であらぬ方向に手を伸ばしながら、糸の切れた操り人形のようにぶっ倒れた。

 突然視界が反転し、なぜか自分の横に壁が起き上がってくる。そしてそれが地面だと気付いたときには、すでに意識は闇の中……といったところだろうか。俺も親父や先輩の蹴りでKOされたときはそんな感じだったからよく分かる。


(完璧な角度で入ったな。手応えも十分、少なくとも数分は立てんだろ)


 男の意識を刈り取ったのは、フィギュアスケートの選手のようなフォームでくり出された俺の左足だった。

 今の蹴りは俺が喧嘩用に編み出した技の1つである。後ろ回し蹴りはまず前の足をクロスさせるように踏み込むものだが、その踏み込みと同時に上着を相手に投げつけ、視界を一瞬遮ることで技の発生モーションを隠すのだ。

 しかも相手は投げつけられた上着を払いのける分、動作が1つ遅れてしまう。視界が開けたときにはすでに俺の足が迫っていて、防御しようとしたときにはヒットするので初見の相手にはまず防げない。

 中国拳法では目にも留まらぬほど速い蹴りを『無影脚むえいきゃく』と呼ぶが、これもその一種というべきだろうか。いや、目晦めくらましの中から突然現れるのだから『幻影脚げんえいきゃく』とでも呼ぶべきか。


 ともあれ、これで3人とも片付いた。

 食らわせた攻撃は計6発。2人目のやつに多少の鼻血は流させたものの、3人相手なら十分スマートに倒せたと言えるだろう。そんなことを考えていると――


 ―― ウォォォォォ…………! ――


「!?」


 突如、周囲から歓声が上がった。


 ―― 「すげーな兄ちゃん!」 ――


 ―― 「やるじゃねえか、スカッとしたぞー!」 ――


 あちこちから拍手と賛辞が浴びせられる。

 しまった、刃物を持った相手に集中していてすっかり忘れていたが、ギャラリーがいたんだ。

 普通なら人を蹴り倒すなんて決して褒められた行為ではないはずなのだが、物好きな野次馬連中にとっては派手なKOシーンが見られて満足なのだろう。だが、こちらにとっては最悪の結果だ。

 大勢の人間に技を見られるなんて、武術家としては大損以外の何物でもない。いくらナイフ相手だから手加減できなかったとはいえ、こういう技は誰にも知られていないからこそ有効だというのに。


「(ちっ、こうなったら長居は無用だな)おい、そこのガキ、ちょっと来い!」


「えっ……僕ですか? って、うわぁっ!?」


 俺は地面に落ちていたブレザーを拾うと、まだ呆然としていた少年の襟首を掴み、そのまま人垣をかき分けて路地裏へと引っ張っていった。

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