06.勇者の息子は喧嘩が弱い


 1


 ティナの家をってすぐ、俺たちは冒険者ギルドのある町の中心部に向かって歩いていた。フレイアさんの言うとおり、まずは旅慣れた人を仲間にしなければどこへ行くにも心もとない。


(さて、どういう人を誘おうかな。できれば旅だけじゃなく、戦いにも慣れてる人がいいんだが)


 前に遭遇したトレントがどれほど危険なレベルの魔物だったのかは分からないが、どんな魔物であろうと生身の人間がそう簡単に倒せるものではないだろう。あんな生物が当然のようにうろついている世界を旅するなら、やはり仲間にする条件として戦闘力の高さは外せない。


「ふーん……冒険者の集まる町というだけあって、結構それっぽい人が歩いてるな」


 改めて見てみると、道ですれ違う人々の3割ぐらいは剣や鎧といったものを身につけていた。漫画やゲームのファンタジー世界によくある格好だが、本物を見るとなかなか迫力があるものだ。


「おっ、仲間に誘うならああいう人なんかいいんじゃないか?」


 俺は前から歩いてきた冒険者らしき人物に目をつけ、自分のすぐ隣を飛んでいたリーリアに聞いてみた。

 そこにいたのは、ボディビルダーのようなムキムキの肉体に鎖帷子くさりかたびらを纏い、鯨でも両断するのかと言いたくなるような大斧を担いだ髭面の大男――見事にあごの割れた強面こわもてのおっさんだった。


「ええーっ? あんなの駄目よ、絶対に駄目」


 リーリアが俺の提案を言下に否定する。


「なんで駄目なんだ? あの人、俺の3倍ぐらい強そうだぞ」


「ああいう顔も体も暑苦しいのは嫌よ。やっぱり線が細くて美形な男の人じゃないとねぇ」


「おい……人の運命かかった大事な仲間選びに個人的な嗜好を持ち込んでんじゃねえよ」


 そう言いつつ、リーリアの体を掴んでギリギリと締め付ける


「ちょっ……痛い痛い! 潰れる! 中身が出ちゃう!」


 手加減しているとはいえ、握力70kgを超える俺に掴まれてはたまったものではないだろう。リーリアは俺の手からはみ出た腕をバンバンと叩きつけ、ギブアップの意思表示をしてみせた。


「な、何すんのよバカ! はねがもげちゃったらどうすんの!」


「お前がふざけたこと言うからだろうが」


「嫌なものは嫌なの! よく考えてみて、一緒に旅をするのよ? 長いことそばにいて苦痛にならない人を選ぶのは当然でしょ」


 言われてみればそれもそうだ。リーリアのように見た目を基準として選ぶのはともかく、気が合うかどうかや人格面も考慮しないと人間関係が破綻してしまう。


「トウマだって顔はそこそこカッコいいけど、体のほうはちょっとゴツくて嫌なんだからね。助けてくれた恩があるから付き合ってあげてるけどさ」


「へいへい、そりゃどーも。じゃあ、あの人なんかどうだ? 顔はなかなか美形だし、体も細身ながら引き締まってるぞ」


 俺は少し離れた場所にいる1人の男を指差し、リーリアのお眼鏡に適うかどうか再び訊ねた。

 腰まである長い銀髪に整った顔立ちで、多少目つきは悪いがカッコいい青年だ。おまけに体つきもバレエダンサーのように均整がとれていて、身体能力の高さが一目でうかがえる。


「耳が尖ってるな。あれはエルフってやつか? 確か弓と魔法が得意って聞いたことがあるが……」


「トウマ……それ、絶対あの人に言っちゃ駄目よ」


「え?」


 リーリアのほうを見てみると、彼女はさっきまでとはうって変わって真剣な表情をしていた。どうも俺が指差した青年に対して怯えているような感じだ。

 それどころか、その隣ではティナまでが杖をぎゅっと握り締めて警戒心をあらわにしている。一体あの青年がどうしたというんだ?


「トウマさん、あの人はエルフではありません。あれは……魔族です」


「ええ!? あれが魔族だって?」


「そうよ、エルフとの主な見分け方は髪の色。金髪かそうでないかね」


「あとは体の模様ですね。ほら、あの人は目の下や腕に刺青みたいなのがあるでしょう」


 ティナにそう言われてよく見てみると、青年の顔や腕にはヒエログリフのような紋様が刻まれていた。なるほど、確かに俺の想像するエルフとは違って少し禍々しい雰囲気を感じる。


「エルフと魔族はどちらも魔法に長けた種族だけど、お互いもの凄く仲が悪いの。もし魔族に向かって『あなたはエルフですか?』なんて言ったら殺されかねないわよ」


「そんな物騒な間柄なのかよ……というか、魔族って普通に町の中をうろついてるのか」


「ここ数年でよく見かけるようになりましたね。魔王が倒されてしまったので、今では魔族の中にも人間と共存しようという人たちがいるみたいですけど……」


「ふぅん、そこまで警戒する必要はないってことかな」


「どっちにせよ、仲間はちゃんとした素性の人をギルドで紹介してもらったほうがいいわよ。さ、行きましょ」


 この世界の住人にとっては俺のほうこそ素性の知れない人間だと思うのだが、まあリーリアの言うとおりだろう。

 俺たちは再び冒険者ギルトを目指し、大通りに出て歩き始めた。


 2


「ん? なんか騒がしいな……」


 大通りをしばらく歩いていくと、いくつかの通りが交わる広い場所に出た。すると50メートル四方ほどの広場の一角から、何やら言い争う声が聞こえてくる。

 声のするほうへ近づいてみると、そこには円形の人垣ができていた。その中心には4人ほどの人間がいて、どうやら何かもめているようだ。


「おっ、喧嘩か喧嘩か? ランバージャック・デスマッチ(※ 周囲の野次馬たちが壁となり、戦っている者が逃げようとすると中心に押し返すスタイルの決闘法)なら大好物だぞ。ほらほら、早く殴り合え♪」


 俺は人垣の後ろから背伸びをして、その喧嘩を見物しようとした。基本的に俺は殴り合いの喧嘩というものが大好きで、こういうシチュエーションを見るとワクワクせずにはいられないのだ。

 もちろんただの野次馬根性というだけではなく、もしもこの世界の人間が使う格闘技でも見られれば、自分が戦うことになったときの参考になるという考えもあったのだが――


「……ん?」


 残念ながら、そこで繰り広げられていたのは俺が期待したようなものではなかった。いや、むしろそれとは真逆のものだった。人垣に囲まれた円の中心では、1人の少年が3人の若い男たちに取り囲まれていたのだ。


(ありゃ、チンピラが3人がかりでガキを相手にしてんのか?)


 3人の男たちに囲まれていたのは、とても端正な顔立ちをした少年だった。まばゆいほどに輝く金髪は短く切り揃えられているが、もう少し髪を伸ばしたら女の子と見間違えてしまいそうなほどの美少年だ。


「お前たち、ちゃんとお婆さんに謝れよ! いい加減にしないと許さないぞ!」


 金髪の少年が男たちに向かって叫ぶ。

 少年の後ろには1人のお婆さんが困った顔をしながら座り込んでいた。市場で買ったものを落としてしまったのだろうか、お婆さんの目の前には紙袋からこぼれた果物や野菜などが散乱している。


「ああん? 先にぶつかってきたのはそのババァだっつってんだろうが! さっきから同じことばっか言わせやがって、いい加減しろはこっちの台詞だぁ!」


 ガラの悪い連中のほうも負けずに言い返す。少年のほうは歳が若いゆえの無礼な物言いのようだが、こちらはただ育ちと頭が悪いだけという感じだな。


(荷物をぶちまけて困り顔のお婆さんと、それをかばうように立ち塞がる少年、そして絵に描いたようなチンピラが3人ねぇ……。なるほど、状況は大体分かった)


 おそらく若い男の1人がお婆さんにぶつかり、その拍子に荷物が散乱、それを見咎みとがめた少年があの連中に絡んで騒ぎに……といったところだろう。漫画でよく見るベタな争いのワンシーンだ。


「坊や、もういいのよ。ふらふら歩いていた私が悪かったの。気持ちは嬉しいけど、そのためにあなたが争う必要なんてないわ」


「いいえお婆さん、僕はちゃんと見ていました。あなたがぶつかったのはあいつのほうがよそ見をしていたからです。それなのにお婆さんを転ばせておいて謝りもしないなんて、勇者の息子として、僕には見過ごすことなんてできません!」


 少年は当事者であるお婆さんの制止も聞かず、やる気満々といった感じだ。だがそれよりも、俺には少年が最後に口にした言葉が気にかかった。


「……なあ、なんか今あの子、勇者の息子とか言わなかったか?」


「うん……私にも聞こえた」


 空耳かと思ってリーリアにも確認してみたが、どうやら俺の聞き間違いではないらしい。


「勇者って、数年前に魔王を倒したっていうアレだよな? 勝手に20歳前の若者を想像してたんだけど、あんな息子がいるような歳だったのか?」


 少年はずいぶん小柄ではあるが、歳は俺より2つか3つ下というところだろう。中学生ぐらいの子供がいるということは、勇者とやらはどう低く見積もっても30前後のおっさんということになる。


「そりゃそうでしょ、魔王を倒せるってことはそれだけ長く修行したんでしょうし。むしろ子供が魔王を倒すなんて無理じゃない?」


 そうか、俺の年頃だと多くの人間が漫画やゲームに慣れすぎて感覚が麻痺しているが、中高生の少年が魔王を倒して世界を救うなんてよく考えれば不自然だ。

 そういえば、人間の身体能力のピークは20歳~25歳あたりと聞いたことがある。勇者が魔王を倒したのが数年前なら、確かにちょうど肉体のピーク時だから計算は合うな。


「でも、勇者ガルシアに息子がいたなんて初耳だわ。本人は魔王を倒した後、行方不明になってるって聞いたけど……」


「そうなのか」


 俺とリーリアがそんなことを話している間にも、少年とチンピラの言い争いはどんどんヒートアップしていく。

 そしてついにチンピラが少年の胸倉を掴み、取っ組み合いの喧嘩が始まってしまった。


(へぇ、まず取っ組み合いから喧嘩が始まるのは手足の短いアジア人の特徴で、白人に近いこいつらは殴り合いから入るもんだと思ってたが……。まあ、こんな連中じゃ参考にもならんか)


 しばらく様子を見ていたが、それは喧嘩と呼べるものですらなかった。勇者の息子などというからどれほど強いのかと思ったら、少年はほとんど一方的にやられているのだ。

 少年が1人のやつに攻撃しようとすると、他の1人が後ろからその背中を蹴っ飛ばす。そして少年がそちらに向き直ろうとすると、もう1人が背後から殴りかかる。これは1対多の戦いにおける最低のやられ方といっていい。

 あまりのレベルの低さに呆れてきびすを返そうとしたが、そのとき不意に俺が着ているブレザーの襟を引っ張る者があった。リーリアだ。


「なんだよリーリア、どうした」


「ねえトウマ……あの子、助けてあげない? 可哀想だよ」


「ああ?」


 小突き回される少年の姿が哀れを誘ったのか、リーリアは急に突拍子もないことを言い出した。俺はこの件に何の関係もないというのに、わざわざ首を突っ込んであの少年を助けろというのだ。


「トウマさん、私からもお願いします。あれはさずがに酷すぎますし、かといって私が魔法を使うと騒ぎが大きくなってしまいますから……」


 リーリアだけでなく、ティナもまた俺に少年を助けるよう懇願してくる。

 うーむ、チビ妖精はともかく、可愛い女の子にそう頼まれると叶えてあげたくはなるのだが……。


「あのなあ、確かに少し可哀想なようにも見えるけど、あれはそもそもあいつの自業自得ってもんだぞ」


「ちょっと! それ本気で言ってるの!? あの子はお婆さんを助けようとしたのよ?」


 リーリアが眉尻を吊り上げて俺を非難してくる。

 駄目だ、こいつも根本のところが理解できてない。

 しょうがない、とりあえずあの子は助けてやって、後でリーリアも一緒に説教してやろう。

 正直面倒なことこの上ないが、ティナだって何の義理もないのに俺に付き合ってくれているんだ。その恩をここで同じ世界の人間に返しておいてもバチは当たるまい。


「ああもう、分かったよ。じゃあ助けてきてやる。その代わり、後で俺のすることに文句言うなよ?」


「やった! さすがはトウマ」


「何が『さすが』なんだか……」


 俺は面倒くさそうにぼやきつつ、まずは人垣の外から逆側にいるお婆さんのほうへと歩いていった。そしてなるべく目立たないように人波をかき分け、お婆さんの前に顔を出して座り込む。


「あ、あなたは?」


「しっ……ちょっと待っててね」


 俺はそう言いながら、地面に散乱したものを手早く拾って紙袋に詰め直した。さらにお婆さんをこっそりと人垣の外へ連れ出して、ここを離れるよう促してやる。


「で、でもあの子がまだ……。あの子は私のためにあんな連中に絡んでしまったんです」


「大丈夫、あの子は俺がなんとかするから。お婆ちゃんは安心して、このまま家に帰って」


「は、はい。では、お願いします」


 そう言うと、お婆さんはぺこりと頭を下げてこの場から去っていった。


(さて、問題はここからだ。あの3人、どうやって倒そうかな?)


 周囲に人垣ができている以上、チンピラ3人を倒さずにあの子を連れて逃げるのは不可能だ。つまり、最初から逃げるという選択肢はない。

 いつもの俺であれば、空き瓶でも鉄パイプでもいい、まずは武器になりそうなものがその辺に転がっていないか探すだろう。そして背後から静かに近づいて、一番強そうなやつの後頭部にそれで一撃くれてやるところから入る。

 これは別に卑怯でもなんでもない。敵は3人もいるうえ、今は試合でも正々堂々の勝負でもないのだから、むしろ不意打ちで敵の戦力を削ぐのは当然だ。

 だが、今はそういう手口を使えない理由が1つだけあった。それはティナを連れているということだ。

 今回のことは彼女自身の頼みによるものとはいえ、一般的に女の子というものは暴力を嫌うものである。どんなに『強い人が好き』と公言しているであってもそれは変わらない。

 さっきリーリアも言っていたが、これから一緒に旅をするパートナーである彼女にいきなり嫌われたくはない。あまり凄惨な倒し方をしてドン引きされないよう、ここはなるべくスマートに、少ない手数で倒さなければ。


(とりあえず、一番強そうなのから行くか)


 こういう場合、まず一番強そうなやつを倒すか、雑魚から順番に倒していくかで意見が分かれる。強そうなやつから狙って倒すのに失敗すると、反撃のダメージを負った状態で全員を同時に相手にしなければならなくなるという考え方。逆に弱いやつから倒していくと体力が消耗し、疲れきった状態で強いやつと戦わなければならなくなるという考え方だ。

 個人的にはケースバイケースだと思うが、今回は不意打ちの有利があるということで前者のほうを選ぶことにする。


(よし、今なら3人ともあの子のほうに気を取られてるな)


 俺は足音を立てないよう、背後からそっとリーダー格の男へ近づいていった。そして少年を殴ろうとしていたそいつの肩をトントンと叩き――


「あぁん? 誰だてめ――」


 ―― すぱん! ―― 


 男が振り向いた瞬間、顔の動きにカウンターを合わせるように左の拳で顎先を打ち抜いた。

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