05.魔法使いの一族と女神の涙


 1


 ティナに連れられてしばらく歩くと、ようやく森の出口が見えてきた。

 鬱蒼うっそうとした森を抜けると急に視界が開け、景色が目に飛び込んでくる。


「おおー……」


 眼前に広がる光景を見て、俺は思わず感嘆の声を上げていた。そこにあったのは、まさに漫画やゲームの中に出てくるような風景だったのだ。

 俺たちが出てきた森は小高い丘の上にあり、そこから下を一望することができた。


(一方を見れば果てしなく広がる草原と森、もう一方を見れば荒地と岩山か。これまた絵に描いたような絶景だな)


 正面には草原を2つに分けるようにして大きな川が流れている。そしてそのほとりには、3キロ四方ほどの壁に囲まれた町があった。


「あれが私たちの住む町、マローダです。それほど大きな町ではありませんが、冒険者が多く立ち寄るので結構賑やかなんですよ」


「へぇ、冒険者の町か」


 しばらく歩いてゆくと、町を囲む壁が近づいてきた。高さは7~8メートルといったところだが、そこそこ立派な造りのようだ。


「ふう、なんとか無事に辿り着けたな。道中また魔物でも出ないかと警戒してたんだが」


「魔物ですか? こういう拓けた場所や街道を歩いていればめったに襲われませんよ。数年前に勇者様が魔王を倒して以来、森の中や洞窟にしか出なくなりましたから」


「勇者と魔王なんてものまでいたのか? 本当にお伽噺とぎばなしの世界だな」


「私たちにはそれが普通なんだけどね。あ、町の入口が見えてきたよ」


 俺たちの前をひらひらと飛ぶリーリアが前方を指差す。そこには大きな丸太を何本も繋いで造られた門があった。


「やあティナ、お帰り」


 門の前で守衛らしきおっさんが声をかけてきた。髭面ひげづらに屈強そうな体格で、いかにも歴戦の戦士といった風貌だ。


「はい、ただ今帰りました。お客さんを連れて来たのでお祖母ばあちゃんに合わせたいんですが、門を開けていただけますか?」


「ああ、もちろんだとも」


 ティナが特別親しい顔馴染みなのか、それとも町の人間に対しては誰にでもこういう感じなのか、守衛のおっさんは特に俺を怪しむこともなく門を開けてくれた。冒険者が多い町だというから、元々人の出入りに対しては寛容なのかもしれない。


「ここがティナの住んでる町か……」


 町の中に入ってみると、俺の目の前にはまたも見慣れない光景が広がっていた。

 広い石畳の道と、その左右に建ち並ぶ家々。ほとんどの建物は壁が漆喰しっくいで塗られているか、もしくはレンガ造りだった。一見ヨーロッパ風の町並みだが、建物のデザインそのものはかなり簡素で、むしろTVで見たエジプトのスーク|(商店街)のような印象だ。

 俺は物珍しそうにあちこちを見渡していたが、目にするものの中で特に驚いたものがあった。

 獣のようなフサフサの毛に覆われた耳と尻尾のある人間――いわゆる『亜人』とか『獣人』呼ばれる人種だろうか。目の前を軽く見渡しただけでも、街中を行き交う人々の2割ぐらいはそういった者たちだったのだ。

 他にも長く尖った耳を持つ金髪の女性や、顔は中年なのに身長だけが子供のように小さい人間もいた。あれはおそらく、漫画やゲームでよく見かけるエルフやドワーフといった種族かもしれない。


(うーん、獣人ってのを実際に見たのは初めてだが、見事なモフモフ感だな。耳や尻尾の生え際がどうなってんのか見てみたいもんだ)


 俺が元いた世界であっても、写真でしか見たことのないものを実際に目にするとテンションが上がってしまうものだ。

 まるで京都観光で初めて舞妓さんを目にした修学旅行生のような気分というべきか、映画村で侍や忍者の格好をしたスタッフを見た外国人の気持ちというべきか。俺は自分の置かれた状況をしばし忘れて、謎の高揚感に包まれていた。


「トウマ、何をボケっとしてるの?」


「あ、ああ……俺の世界にはエルフとかドワーフとか、人間以外の種族はいなかったんでな。実物を見てちょっと驚いてるんだ」


「また『お伽噺とぎばなしの世界』ってやつ? トウマの世界には他の種族がいないのに、お話の中にだけ伝承が残ってるなんておかしいのね」


「それもそうだな……」


 リーリアの言うとおり、俺の世界に実在しない生物や種族の伝説があるのはどうしてだろう。ただの空想の産物と言ってしまうのは簡単だが、ならば実物が存在するこの世界は一体なんだ?


(……待てよ?)


 よく考えてみたら、この世界に飛ばされてきた人間は俺が初めてなのだろうか?

 そういえば、言葉を翻訳する魔法は俺のような異世界人のために編み出されたとティナが言っていた。


(はるか昔に俺と同じように飛ばされてきた人間がいたとして、そいつがここで見聞きしたものを後世に伝えたのか? それなら伝承にだけその姿が記されていて、実物の証拠はないってのも辻褄つじつまが合うが……)


 もしも俺の考えが正しいとすれば、かつてここに来た人間も元の世界に戻れたということになる。そして翻訳魔法が伝わっているということは、元の世界に帰る方法が伝わっている可能性もあるということだ。


「トウマさん、どうしたんですか? さっきから何か考え事をされているようですが……」


「うん……もしかすると君のお祖母ばあちゃんなら、俺が元の世界に帰る方法を知ってるかもしれないと思ってさ」


「そうですか。では早く行きましょう、私の家はこちらです」


「ああ」


 異世界の珍しい光景には興味があるが、どうせここでの生活基盤を持たない俺には長居できる場所でもない。今は何よりもまず、元の世界に帰ることを考えるべきだ。

 俺はティナの案内を受け、足早に彼女の家を目指した。


 2


 ティナの家は裏通りの奥、狭い路地の中にあった。

 左右の家と見比べてみたが、外観はどう見ても普通の家でしかない。魔女の住む家というよりは、辛うじて『占い師の館』といったところだろうか。


「お祖母ばあちゃん、ただいま」


「ティナかい、おかえり」


 古びた木戸を開けてティナが帰りを告げると、家の中で椅子に座っていた人間が顔を上げてそれに答えた。

 そこにいたのは、おそらく70歳ぐらいの老婆だった。といっても、醜いしわくちゃの顔ではない。髪こそ真っ白なものの、肌にはまだそれなりに張りがあるし、背筋もしゃんと伸びている。


「お祖母ばあちゃんの言ったとおり、トレントの森に異世界から来た人がいたんで連れてきたわ」


「それはよかったわ。私の星占いもまだまだ衰えてはいないようねぇ。それで、そちらの方が異世界からの漂流者さんかしら?」


「は、はい。神代燈真といいます」


 ティナを最初に見たときも賢そうな女の子だと思ったが、目の前の女性はそれに輪をかけて上品だった。見事な歳の取り方というべきか、人生で積み重ねてきた全てが魅力に変換されているようだ。


「あらあら、そんなに固くならなくてもいいのよ。急に知らない場所に来てしまって、さぞ不安だったでしょう。ティナ、トウマさんにお茶を淹れてあげて」


「はい」


「い、いえ、お構いなく」


 ティナが部屋の奥にあるキッチンへと引っ込んでいく。その肩に乗っているリーリアも一緒だ。


「遠慮なんかしないで。あの子が淹れるハーブティーはとても美味しいんだから。ほらほら、そこに座って」


「は、はあ……(なんというか、田舎のお祖母ばあちゃんに麦茶を勧められたときの感じを思い出すな)」


「そういえばまだ名前を言ってなかったわね。私の名前はフレイアよ。この世界のことについて知りたいことがあれば遠慮せずに聞いてちょうだい。私が知っていることなら何でも答えてあげるわ」


「じゃあフレイアさん、お聞きしますが……この世界に飛ばされてきた人間って、俺より前にもいたんですか?」


 俺はフレイアさんの向かいに座りつつ、さっき思いついたことをそのまま聞いてみた。にもかくにもまずはそこからだ。


「ええ、いたらしいわよ。私は会ったことはないんだけど」


「やっぱり……」


「あなたが最初に目を覚ました場所……あそこは昔から次元の歪みが起きやすい場所でね、ときどき別の世界から飛ばされてくる人がいるのよ。といっても、500年に一度ぐらいだけどね」


(つまり俺はそんな奇跡のタイミングにたまたま遭遇しちまったってことか。運がいいんだか悪いんだか)


「この世界には他にも似たような場所がいくつかあるわ。もしかすると、あなたと同時にこの世界に来た人が他にもいるかもね」


「仮にそうだとしても、だから心強いってわけでもないですがね。いきなり樹の化物バケモノに襲われたときはどうなることかと思いましたよ」


「あなたの来た場所はトレントの森のすぐそばだものね。だからティナを迎えに行かせたのよ。きっと危ない目にっているだろうと思って」


「おかげで助かりました」


「ええ、お役に立てて良かったわ」


「それで……ここからが肝心なんですが、俺より前に異世界から来たというその人たちは、元の世界に帰ることができたんですか?」


「それはつまり、あなたが元の世界に帰る方法はあるか……ということね?」


「はい」


「そうよね、気持ちは分かるわ。いきなり見ず知らずの世界に飛ばされたりしたら、普通は誰だって帰りたいと思うものでしょう」


「この頃は俺の世界にも『ここじゃないどこか』へ行きたがってるやつが大勢いるみたいですけどね。それで、方法はあるんですか?」


「結論から言えば……『分からない』よ」


「分からない……ですか」


「ええ、それについては私も詳しいことは知らないの。なにせ前に異世界の人が来たのは500年も昔のことだし」


「あ、そうか」


 よく考えれば当然のことだ。前に来たやつが500年前、その前に来たやつが1000年前ときては、話の古さ以前に事例そのものが少なすぎる。


「お役に立てなくてごめんなさいね」


「い、いえ……ティナがかけてくれた言葉の翻訳魔法だけでもかなり助かりましたよ。あれがなかったらこの世界の人間と話もできなくて、本当に途方に暮れるしかありませんでした」


「私たち魔法使いの一族は代々、異世界の人がこの世界でちゃんと暮らしていけるよう手助けをしてあげていたの。翻訳魔法はその中で生まれたものよ」


 なるほど、確かに文字を覚えるだけならともかく、言葉そのものを0から学ぶなんて大変だ。この魔法が編み出される前に来た人間はさぞ難儀なんぎしたことだろう。


「そういえば、どうして自分より前に来た人のことを帰る方法よりも先に聞いたの? 本当に知りたかったのはそちらでしょうに」


「実は、俺の世界では魔物やら魔法といった存在は伝承の中にだけ残ってるんです。なぜ実在しないものの伝承なんかが残っているのかを考えたら、もしかするとこの世界のことを俺の世界に戻って伝えた人がいたんじゃないかって」


「そういうことね……。確かにそう考えれば、元の世界に帰ることができた人がいてもおかしくはないわ」


「その……本当に何か戻る方法の心当たりはないんですか? できれば俺、1年以内には元の世界に帰りたいんです。友達と大事な約束があって……」


 そうだ、俺には亮との約束がある。手がかりがないからといって、おいそれと諦めるわけにはいかない。


「そうねえ……可能性があるとすれば、1つだけ」


「そ、それって!?」


「この世界にはね、神様がいるの。この世界を創った女神様よ。名前はアウラ」


「アウラ……」


「この世界のどこかに、その女神様が人間に下されたという秘宝『アウラの涙』が存在するというわ。そしてそれは、手に入れた者の願いを1つだけ叶えてくれるとも言われているの」


「つまりそれを手に入れれば、元の世界に帰れるかもしれないと?」


「むしろあなたの言うとおり、かつて元の世界に戻れた人がいたとしたらそれしかない、というところね」


「…………」


 『神』などという言葉が出てきた時点で胡散うさん臭いにも程があるが、そもそもこんな世界に飛ばされてきたという時点でリアリティも糞もない。

 俺はわらにもすがる思いで、その話に乗ってみることにした。


「それで、どうするの? もしもあなたがそれを探しに行きたいというなら、この世界の案内人としてティナを同行させてあげてもいいわ。異世界から来た人が困っていたら助けてあげること、それが私たち一族に代々伝わる掟だから」


「掟って……どうしてフレイアさんたち魔法使いは異世界の人間にそこまで?」


「これまでにやって来た異世界の人たちは、その多くが珍しい知識や道具の作り方などをこの世界に伝えてくれたと言われているわ。そして、それらがもたらした恩恵は魔法に勝るとも劣らなかった……」


「だからそのお返し、ってわけですか?」


「お返しというよりも、異世界の人を大切にしてあげると、この世界にも良いことがあると言い伝えられている、というべきかしら」


「けど、俺自身はあなたやティナに何をしてあげられるわけでもない。それなのに、そんな当てもない旅に大事なお孫さんを同行させるなんて……」


「うふふ、いいのよ。世界を見て回ることはあの子にとってもいい修行になるでしょうし。それにね、これはきっと運命で決まっていたことなの」


 そう言いながら、フレイアさんは奥でお茶を淹れているティナのほうに目を向けた。その眼差しはとても優しく、孫をいつくしむ祖母の想いがこちらまで伝わってくるようだ。


「運命って、星占いに出たってやつですか?」


「実を言うとね、私が星占いで見たのはあなたの運命じゃないのよ。この世界の住人でないあなたの宿命の星は、元の世界にしか存在しないから」


「じゃあ……」


「私が見たのはティナの運命。今日トレントの森に行けば、あの子に素敵な出会いが待っているという運命よ」


「俺が来ることが分かったんじゃなくて、ティナが誰かに出会うということが漠然と分かっていただけなんですね」


「ええ、そうよ。でも場所があの森で、その相手の星は見えないときたら……異世界からの漂流者さん以外にはあり得ないわ」


「そういうことだったんですね……。でも、本当にいいんですか?」


「それを聞くということは、行く気なのね」


「はい、それしか方法がないのなら」


「分かったわ。ティナ、こっちへいらっしゃい」


「はい、お祖母ばあちゃん。トウマさん、お茶が入りましたよ」


 ティナがティーポットとカップを持って奥のキッチンから戻ってきた。

 てきぱきとテーブルの上にティーカップが並べられ、お茶の用意が整えられる。カップに注がれたハーブティーからは、とても爽やかな香りが漂っていた。


「ティナ、トウマさんは元の世界に帰るために『アウラの涙』を探す旅に出られることになったわ」


「『アウラの涙』って、あれは幻の秘宝と呼ばれているものでしょう? 冒険者さんたちの間でも、ただの噂話に過ぎないって……」


「いいえ、本当に存在するものであることは確かよ。なにせ数年前に魔王が倒されて以来、魔族たちもあるじを復活させるためにそれを探しているそうだから」


「魔王を復活って、そんな願いまで叶うんですか?」


「ええ、願いの善悪にかかわらずね」


 さすがの俺も少々驚いた。『アウラの涙』、まさかそんなよこしまな願いまで叶う代物だとは。

 というか、他にも狙っている者がいるなら奪い合いになる可能性もあるんじゃないか? 魔族とかいう連中がどんなやつらか知らないが、名前からして普通じゃなさそうだが。


「でもお祖母ばあちゃん、それが今どこにあるかは分からないんでしょう?」


「だからこそ、あなたがこの世界の案内役として同行してあげるのよ」


「私が?」


「嫌なら断ってくれてもいいんだ。君が俺にそこまでしてくれる義理はないんだから」


 俺はすかさずそう言った。魔族などという危険な匂いのする連中とも関わらなければいけない旅なら、本来無関係なこのを巻き込むわけにはいかない。


「い、いえ、嫌だなんて、そういうわけじゃ……」


「あなたにとってきっといい旅になるわ。私を信じなさい」


「お祖母ばあちゃん……。でも、私が旅に出たらお祖母ばあちゃんは1人になってしまうわ」


「大丈夫よ。私はまだまだ元気だし、その気になればゴーレムでも作って家事をさせるわ」


「…………」


 ティナは顔を伏せ、胸の前で両手をぎゅっと握り締めた。きっと迷っているのだろう。いくら後のことは心配ないと言われても、年頃の娘が知り合ったばかりの男と2人旅など、二の足を踏むのが当たり前だ。

 俺はティナがれてくれたハーブティーを一口すすり、涼しげな顔で「ふぅ」と息を吐いてみせた。彼女に気を遣わせないよう、落ち着いたていよそおったほうがいいと思ったのだ。

 ――だが、そんな演技をする必要はなかった。


「……分かりました。私、トウマさんの旅に同行させていただきます」


「ええっ!?」


 思わず頓狂とんきょうな声が出てしまった。

 まさかこんな――目的のものがどこにあるのかも分からない、雲を掴むような旅に付き合ってくれるというのか。


「俺としてはそうしてくれたほうが助かるけど……。いいのか?」


「はい」


「ちょっとちょっと、本気なのティナ?」


 リーリアが割って入り、「正気なの?」とでも言わんばかりの顔をする。

 そりゃそうだろう。フレイアさんは自分の星占いとやらに絶対の自信を持っているようだが、俺でも自分がティナの家族だったら止めるところだ。


「『アウラの涙』まで探そうとするなんて、トウマさんにはどうしても帰らなきゃいけない理由があるんですよね? でしたら魔法使いの一族として、お手伝いしないわけにはいきません」


「しょうがないわねぇ。トウマには助けられた恩があるし、私も付き合ってあげるわ」


「……喜んでいいのかどうかは分からないけど、素直に感謝するよ。実際1人旅なんて未経験だから、ちょっと不安でもあったしな」


「これで決まりね。じゃあ、まずは冒険者ギルドに行って仲間を集めなさい。旅をするのなら、経験豊富な冒険者を少なくとも1人は連れて行ったほうがいいわ」


「分かりました。では、お孫さんをお預かりします。俺の命に代えても、絶対に無傷でお返ししますから」


「ええ、お願いね」


 そうして俺たち2人と1匹は、フレイアさんに見送られて『アウラの涙』を探す旅に出ることになった。

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