04.ある日 森の中 魔法使いの女の子に 出会った


 目の前に魔女がいた。

 ほとんど黒に近い紫色のローブとつばの広いとんがり帽子、先端の丸くなった部分に赤い宝玉のはまった杖、どこからどう見ても魔女としか表現しようのない格好である。だが、2つだけ俺のイメージする魔女とはかけ離れた部分があった。顔と年齢だ。

 目の前にいる魔女は白雪姫に毒リンゴを食わせそうな鷲鼻わしばなの老女ではなく、俺よりも少し年下と思われる女の子だっだ。しかも――かなり可愛い。

 絵に描いたような美少女というのは、まさに彼女のようなを指すのだろう。うなじの部分でまとめられた長い髪も、上等の絹糸のように艶がある。それに彼女はただ顔立ちが整っているというだけでなく、そのたたずまいからもたとえようのない知性と品性が感じられた。


「えっと、今のは君がやったのか? もしかして、俺を助けてくれた?」


 声をかけてみたが、少女は答えない。びっくりしたような顔で、ただ目を丸くしていた。


「○っ□、○■▽□△●□●▽、▲□◎△□●□○□○◎▽●▲▽□?」


(ああ、そうか。この世界の人間にはこちらの言葉が通じないんだ。参ったな……どうやってコミュニケーションをとればいいんだ?)


 俺が悩んでいると、少女の左肩からひょっこりと顔を出す者がいた。さっき助けてやったあの妖精だ。


「○◎□▼、▽●■□▽。▽●■□■○□△◎▽△□▽□○■●」


 妖精は少女の肩越しに何かを話しかけている。

 もしかして、こいつがこのを呼んでくれたのだろうか?

 

「▽っ◎○△○●っ▽●■。▲○、■■□○◎○△■▽。○■っ、△□△▲っ▽△▽▽□▼△○□……」


 少女は聞き取り不可能な言葉をつぶやきながら近づいてくると、持っていた杖を俺の顔の前に掲げて、何やらブツブツと呪文のようなものを唱えだした。


(一体何をする気なんだ? さっき助けてくれたんだから害意はないと思うが……)

 

 少女が呪文を唱え終わると同時に、杖の先にはめ込まれた宝玉が淡い光を放ち始める。そして宝玉の周囲によく分からない文字列が土星の環のように浮かんだかと思うと、それが帯状に伸びて俺の耳から頭の中へ入っていった。


「うぉっ! なんだ!?」


「ああ、ごめんなさい。驚かせてしまいましたね。あの……私の言ってること、分かります?」


「な……」


 驚くべきことに、彼女は俺の母国語である日本語を話していた。いや、口の動きは全く別の発音をしているのだが、俺の耳にはそう聞こえるのだ。


「今のはことの精霊、リンギスの力を借りて言葉を翻訳する魔法です。あなたのように異世界からやって来た人のために編み出されたものなんですが、どうでしょうか?」


「あ、ああ……ちゃんと分かるよ」


「よかった。初めて使う魔法だから少し心配だったんですけど……」


 どういう原理かは分からないが、俺は彼女と意思の疎通ができるようになっていた。俺が日本語で口にしたはずの言葉も、ちゃんと翻訳されて彼女の耳に届いているらしい。


「それで、君は何者なの? というか、俺が別の世界から来たってどうして知ってるんだ?」


「ああ、申し遅れました。私の名前はティナ・ヴォクスターと申します。えっと、あなたのことを知っていたのは、お祖母ばあちゃんの星占いに出ていたからです」


「星占いだって?」


「はい、お祖母ばあちゃんに『今日、トレントの森に異世界からの漂流者がやって来る。困っているだろうから助けに行ってあげなさい』と言われたので来てみたんですが……」


「あたしがはぐれちゃったせいで、ティナは両方を探す羽目になっちゃったのよねぇ。っていうかアンタ、人に名乗らせる前に自分から名乗りなさいよ」


 さっき助けてやった妖精が、ティナと名乗った女の子の肩にちょこんと座りながら言った。


「それもそうか。俺は燈真、神代燈真だ」


「トウマ……トウマね。ふーん、なかなかいい名前じゃない。私の名前はリーリアよ。トウマ、さっきは私を助けてくれてありがとうね。おかげでトレントに食べられずに済んだわ」


「私からもお礼を言わせてください。リーリアを助けてくださって本当にありがとうございました」


「いや、俺のほうこそ。君が来てくれなかったら、そこで黒コゲになってる2匹に喰われてたところだよ」


「いえいえ、大したことはしていませんよ。それにしても、トウマさんも凄いですね。武器も持っていないのにトレントを倒してしまうなんて」


 ティナが俺の後ろで倒れたままもがき続ける人面樹に目を向ける。この樹の化物バケモノ、トレントって名前なのか。


「とどめを刺せてないから倒したとは言いづらいけどな。そういえば、君がさっき飛ばした火の玉……あれも『魔法』ってやつか?」


「ご存知なんですか? もしかして、トウマさんの世界にも魔法が?」


「いや、実際にあるわけじゃないんだが。伝承とかお伽噺とぎばなしとして残ってる……という程度だよ」


「そうでしたか」


「その……この世界じゃ皆が魔法を使えるのか? もしかして、俺でも使えたりする?」


 俺は先ほどから気になっていたことを思い切って訊ねてみた。せっかく異世界などという場所に来れたのだから、できるものなら一度は魔法というものを使ってみたいと思うのは男のさがだ。


「うーん……誰でも、というわけではありませんね。少なくとも魔物と戦えるような魔法を使えるのは、私たち魔女や一部の冒険者さんぐらいです」


「そうか、ちょっと残念だな」


「魔法を使うには、まず精霊と契約を交わさなければいけません。それに強い集中力を持って具体的なイメージを描く必要がありますから……それにはやはり長い修行が必要になるんです」


「なるほど、一朝一夕で使えるもんじゃないってわけか」


「ちなみにさっき使ったのは炎の精霊、サラマンダーの力を借りて火を扱う魔法です。ちょっとやってみますね」


 ティナは俺の隣に立つと、後ろで倒れているトレントに向けて杖をかざし、呪文を唱え始めた。


「……の契約にもとづき、我が敵を焼き尽くせ! ――ファイアボールっ!」


 呪文の詠唱が終わると同時に杖の先が炎に包まれ、それが火球となって砲弾のように飛んでいった。さっき見たのと同じものだ。


「ゴァァァァァァァッ!」


 火球が直撃したトレントはたちまち炎に包まれ、わずか1分足らずで焼け落ちた。

 常識的に考えれば水分を含んだ生木、それもこれほどの巨体がこんな短時間で消し炭になるわけがない。この威力、どう考えても物理法則を無視している。


 ―― ボフゥッ。 ――


(んんっ?)


 ティナが魔法を解いたのか、トレントを燃やし尽くした火が消える。それを見て、俺は1つだけ妙なことに気付いた。さっきの2匹もそうだったが、あれだけ激しく燃えたにもかかわらず、周囲にはほとんど焦げ跡がないのだ。

 そういえば、さっきも俺に絡んでいた根のほうまでは火が回ってこなかった。ひょっとすると魔法によって起こる現象というのは、術者が狙ったものにしか作用しないのだろうか。


「凄いもんだな。けど長い呪文を覚えるのも大変そうだし、君の言うとおり俺には難しそうだ」


「呪文やその名称は自由に決めていいんですけどね。これはあくまで精霊との契約時に、『この言葉を口にしたときに力を貸して』と約束するためのものですし」


「ええっ? そんな適当でいいのか?」


「いえ、適当というわけでもないんですよ。呪文にはイメージを固めやすくする意味もありますから。例えば、水を思い浮かべながら炎の精霊と契約した呪文を唱えても魔法は発動しません」


「魔法を使うときは、起こしたい現象を連想しやすい言葉を選ぶのが大事なのよ。炎の精霊に力を借りたいのに、『水を出して』って言うのはおかしいでしょ?」


 リーリアも話に加わって補足してくれた。


「火の玉を思い浮かべながら『サンダーボルト』なんて唱えたりしても同じよ。その言葉が火のイメージを邪魔しちゃうから、最初からイメージしてない稲妻はもちろん、火の玉も出ないわ」


 ふむ、要するに魔法というのは精霊とやらの力を借りつつ、言葉による自己暗示で物理法則をねじ曲げる技術ということか。

 それにしても……だ。あれほど常識外れな威力を生み出せるくせに、魔法というのは妙なところで理に適ってるんだな。


「さっき使った魔法の『ファイアボール』という名称も、火の玉を思い浮かべやすいように決めたんですよ。『なるべく単純に、起こしたい現象を強くイメージできる言葉で』というのが基本です」


「じゃあ『超・爆熱豪火1兆℃大火球』なんて名前を付けたからって、もの凄い威力の火の玉が出たりはしないってことか」


「それで大きな火の玉をイメージできるのなら、威力を上げる一助にはなるかもしれませんが……さすがにそのネーミングはどうなんでしょう」


 ティナは対応に困ったかのような表情で「あはは……」と笑ってみせた。

 うん、こんなしょうもない質問にも誠実に対応してくれるあたり、このは性格もいいみたいだぞ。


「逆にイメージさえしっかり固められるなら、呪文を省略して名称だけを口にしても魔法は発動できます。その場合は引き出せる精霊の力が少なくなりますから、威力はかなり落ちてしまいますけど」


(つまり魔法を封じるには呪文の詠唱、もしくは起こそうとする現象のイメージを妨害してやればいいわけか。接近戦に持ち込んで口を塞いでやるか、頭にショックを与えるのが一番簡単だろうな)


 ティナの話を聞きながら、俺はすっかり魔法というものを分析するのに夢中になっていた。

 格闘技者としての性分だろうか、こういう目新しい技術を目の当たりにすると、つい自分がそれと戦うことになった場合を想定してしまうのだ。


「ねえ2人とも、盛り上がってるとこ悪いんだけど……そろそろこの森から出ない?」


 リーリアがティナの肩の上でうつ伏せになり、呆れたような声でつぶやいた。

 そうだ、こんな物騒な森に長居している場合じゃなかったんだ。


「ああ、そうでした! 魔法のことをこんなに熱心に聴いてくれる人なんて初めてだったから、すっかり肝心なことを忘れてました」


 俺と同じように夢中で話し込んでいたティナもまた、はっとしたような顔で我に返った。


「とりあえず、私についてきてください。ここまで来ればもうすぐ森を出られますから」


「分かったよ」


「森を出たらすぐに私たちの住む町がありますから、詳しいことはお祖母ばあちゃんに聞いてもらえば分かると思います」


「君のお祖母ばあちゃんか……」


「ええ、私なんかよりずっと物知りですから、きっとトウマさんが知りたいことになんでも答えてくれますよ」


 ありがたい申し出だ。そのお祖母ばあちゃんとやらに訊ねれば、この世界のことを詳しく知ることができるかもしれない。

 色んなことが起こりすぎてまだ気持ちの整理はつかないが、まずは現状を把握すべきだろう。

 ティナは道らしきものがほとんどない森の中を、まるで自分の庭であるかのように迷いなく進んでいく。俺はその後に続き、森の出口を目指して歩いていった。

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