形成

 これまで歩いてきた道を振り返って、貴方は何を思うのか。


 私は、きっと「よくもまぁ、歩いてこれたな」と、関心するのかも知れない。


 


 自身の人生において、今現在のことや、これまでのことを、実に悲しげに語る人がいる。確かに、その人には他の人には知る由もない、とてつもない悲しいことがあったのかもしれない。


 一方で、私は自身の人生を悲観したりはしない。確かに、悲しいこともあったが、今、現に生きていられていることが、それだけでも幸せなのだ。


 私はよく、他者ひとから「良く出来た人だ」と言われる。私には、それがどうしても耐えられない。


 何故、私をそう言う人は、実に物欲しそうな目で私を見詰めるのか。自分のこれまでは、貴方とは正反対なものであったのだろうに、どうして貴方はこんなにも恵まれて、良く出来た人になれているのか、と、そんな目で見詰めてくるのか、私には到底理解出来ない。


 私はこれこれこういう人間で、こういう道を歩んで参りました。その為、私はこのような人間なのです。と、まるで工場で作られてきたかのように、自身のこれまでを語る人がいる。私には、それが分からない。


 そもそも、己とは、己でしか形成し得ないものではないのか。


 確かに、人間生きていれば様々な出来事に直面する。然しながら、その出来事がその人を作っているのだろうか。私はそうは思わない。


 人間は、あらゆる出来事を通して、己で己を形成していくことができる、そういった生き物であると考えている。


 即ち、自身のこれまでが悲しかったから、私は悲しい人なのだと、まるで政治家の襷の如く掲げている人は、私に言わせれば選挙の時の政治家と同じである。


 自身のこれまでに直面した、あらゆる出来事を通して、感じて、考えて、分かったことが、自身を形成しているのだ。つまり、自身を作っているのは、これまでの出来事という工場ではなく、あくまでも己自身なのだ。


 さて、長々とこんな事を連ねて何が言いたいかと言うと、私のことを「良く出来た人」だという人に言ってやりたいことがあるということなのだ。


 私は、私が作った。羨むくらいなら、貴方が貴方を変えなさい。と。

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