第16話 悪い噂の男/保険をとる女

―城壁隊兵舎


 アリシアも言った通り、庁舎隊長と城壁隊長は打ち合わせの頻度を増している。こんな時に彼女らの情報が決して軽視できないことに篤信がいく。


「ほら、斥候が持ち帰った情報だよ」

「ご苦労」

「これで任務は果たしたからな」

「これからだろ。前線ではしっかり戦ってもらう」

「それはともかく、光曜境を攻め落とせる見込みは?」

「……」

「おい」

「作戦前に話せることは無い」

「あのガキの前でキリリと主張したんだ。なにか明かせる話ぐらいあるだろ」

「無い」

「おいまさか……数を頼りに城攻めを繰り返すだけじゃないだろ」

「……」

「えっ、まさか本当に?在野の天才から都合よく名案が出るかもしれない、なんて思ってないよな?」

「……」

「おれも無駄に部下を死なせたくはないんだがなあ」

「……」

「勘弁してくれ。お前だって無能な上官の下での苦労は知ってんだろがい。下っ端が戦場で破滅するのはおなじみの光景。なんと次はお前かよ」

「……」

「聞いてんだぜ、城壁野郎。お前も無能の一人か?」

「……」

「チッ、ダンマリか。臆病者」

「……」

「おれたちの生活がかかってんだぞ。頼むぜ」

「……」


 城壁隊兵舎を出た庁舎隊長がボヤいている。


「あいつ本当に口が固いな」


 先の喧嘩を治めた腕前からも、蛮斧勢が兵を起こすなら、庁舎隊長を使わない手はない。もしかしたらその腕っぷしこそが特に買われているのかもしれない。


 独り月明りに照らされた庁舎隊長はどこか寂しそうだ。そんな背のまま、彼は夜の町へ溶けていく。歓楽街に入った彼を、あの赤毛の巨きな女が見つけたようだ。その腕を取り、店の中に引っ張っていく。男はさしたる抵抗をすることもなく、女に連れられて行った。何の事は無い。男の方にも全く気がないと言うわけでは無いのだろう。幼なじみであるということでもあった。


「ふふ……」


 無粋な邪魔をするのも野暮と言うもの。そのまま上空を通り抜ける。



 一羽のカラスが境界の町の夜を飛翔する。月と明るい闇を背に、人の営みが明るく見える。対比して、強く孤独を感じるが、楽しい夜更かしをしているようでもあり悪くない。真面目一筋だった青春時代を思い出し、ありもしない奔放な過去へ妄りに想いを走らせるのだ。


 ふと、喧騒の外れで、巨漢の人物が筵をまとって寝転んでいる姿が目に映る。庁舎隊長に挑み、返り打たれた元出撃隊長で、全身から痛々しい雰囲気を垂れ流している。鼻をすする音も聞こえる。


 仕事で敗れ、喧嘩にも負けたのだ。新上司には侮蔑され、名声も失墜し、かつての取り巻きからの報復的な扱いもあろう。身体は生傷だらけ、頼る者も無ければ、このまま早死にしてもおかしくはない。その所業を見るに、確実な自業自得だが、酷く孤独な姿に哀れを感じないこともない。巨体はさらに丸くなり、孤色を深めていく。


「……」


 人は弱っている時、心に隙が生じやすいという。この巨漢の戦士には、使い道があるかもしれない。筵の上に、カラスが降り立った。決して同情を催したのではなく……。




―庁舎


「なあ。この書類ってどこに回すんだっけ」

「……さぁ」

「さぁって、これだよこれ。新軍司令官野郎様からのクソ書類。前も聞いたろ?」

「なら二度聞かないでください」

「えっ」



―庁舎 武器保管庫


「おい、おれ様のゴールデン手斧が放り出されてたぞ。こんな適当なメンテすんなよ」

「多分、誰も触っていませんよ」

「そうかなあ」

「放置したのはご自身では?これだから野蛮人は全く……」

「えっ」



「あのちょっと」

「えっと、今は忙しいので話かけないでください」

「えっ」


 なんだか庁舎の下女衆の様子がおかしい。いつも以上に素っ気ない上、妙に反抗的だ。顔面張り倒してやろうか……と、目の前を歩くのは女宰相付きの下女。殴る前段階として聞き込みだ。すかさず腕を捕まえて物陰に押し込むことに成功。コイツは女らしい悲鳴も上げやがらない。いい度胸だぜ。


「なあ」

「はい、庁舎隊長殿」

「みんな、何かあったか?」

「何かとは?」

「いやみんななんかいつもと様子が、ヘンな気が……」

「庁舎隊長殿こそ、我ら下女の腕を掴むとは、いつもと様子が違うようですが」


 なんとなく気まずく、パッと腕を離す。その視線がやや痛い。


「で、何があった」

「私から報告することはありません」

「嘘だろ、何があった?」

「私から報告することはありません」


 同じセリフを繰り返しやがった。


「お、お前もなんだかおかしいぞ」

「私はいつもこんな感じです。でも、あの方なら事情をご存知かと」

「あの方?」

「はい、マリス様です」

「マリス?」

「はい」

「捕虜の?」

「はい」

「光曜の女宰相殿?」

「はい」

「なんで!」

「基本は私がお世話をしてますが、部屋を世話する他の者と話をすることもありますから。その間では色々な世間話が交わされています。もっとも、庁舎隊長殿もご存知の通りのはずです」

「そ、そりゃまあそうだけど」

「会話も禁止はされておりません」

「そ、そりゃまあそうだけど」

「以上です。では」

「ほ、本当に何があったの?」


 くそ、不本意だが、女宰相直々に尋ねるしかない。



―庁舎の塔 応接室


「と言うわけなんですが、何かご存知じゃありませんか?」

「あら、私に聞くのですね」


 女宰相は少し愉快気である。釈然としないが、


「御付きの助言があったので」

「御付き?」

「下女です。閣下なら何か知っているのではと」

「アリシアさんですね」

「そんな名前だったかな」

「ふふ」

「閣下?」

「失礼。いえ、でも確かに、噂が流れているようですよ」

「噂」

「それも悪い噂が」

「げっ、マジすか」

「あなたが城壁隊長殿に嫌がらせをしているという……」

「えぇ?してませんよ」


 なんだそりゃ。むしろ、こっちが抗議したい。


「まあ噂ですから」

「嫌がらせ……ね。ちなみにどんなです?」

「任務をボイコットしてるとか……」

「し、してませんし。昨日も戻ったウチの斥候の報告をまとめて、わざわざ直接伝えたくらいですよ。そも、なんで勇猛冷酷を誇る蛮斧の軍人が好き好んで書類なんぞ作成せにゃならんのですか。くだらない」

「酷い悪口を言ったとか……」

「ヒドイ……悪口……?」

「無能とか、臆病とか、あとクズとか」

「ク、クズは言ってないような」


 事実、クズ揃いの我らが軍勢の中でもまあマシな部類ではあるし。




 噂が正確でないことは、私は良く知っている。それにしても、


「城壁隊長殿は、メイドだけでなく総じて女性からの評価が良いとの評判です」

「つまらないヤツですがね。なんであんな退屈な男が微妙にモテるのか、さっぱり理解できない」

「誠実で礼儀正しいところが良いそうです」

「まあクソがつく真面目ではありますがね。蛮斧漢らしくないんだ」

「タクロ君も私から見て、誠実で礼儀正しいと思いますよ」

「そ、そりゃどうも……えへへ」


 単純。


「それで」

「?」

「近いことは言ったのですか?女性に人気の城壁隊長殿に」

「どうだろう……昨日の事だけど細かくは覚えてない。なのになんでみんな知ってるんだ……あのお堅い男が言いふらすとも思えないけど」

「その場に新軍司令官殿の使いとして、メイドの娘が居たようですね」

「それか……どいつです?」


 見ていた私は知っている。しかし、


「そこまでは聞いてませんよ……それに、見つけてどうするのです?」

「無論、キビしく痛めつけます」

「……」

「な、なんです」

「あなたと城壁隊長殿の違いはそこかしら」

「ちょっとまたそんな……」

「先般、また喧嘩をしたでしょう。これもメイドのみんなが話をしてましたが」

「喧嘩……ああ、降格食らった突撃デブの逆恨みを跳ね返しただけですよ。で、下女どもは何と?」

「あくまで風説ですが」

「ふんふん」

「庁舎隊長はすぐに手が出る。野蛮で情がなく、男らしくないと」


 これは事実である。


「はは……もはや噂ですらないな……これは下女どもみんなでしたっけ」

「ちょっとタクロ君」

「メスどもめ、全員シバいてやる」

「落ち着いた方がいいですよ」

「落ち着けないよ!」

「落ち着かないと罠にハマりますよ」

「罠?何の罠かは知りませんが、喰い破ったりますよ、それこそ蛮斧式にだ!おい、誰かいないか!」


 叫びながら弾丸のように部屋を飛び出す庁舎隊長。やれやれ。


 悪い噂を流させることで、管轄下のメイドたちの不服従がはじまる。庁舎の女たちを籠絡し、自派として組織する新軍司令官の手並みは興味深い。国境の町掌握のための手段の一つであるならば感心するしかないが、庁舎隊長がここで失脚するのならそれまでの人物、自身の協力者の再選定は考え続けねばならないだろう。と言って、人格的に微笑ましい庁舎隊長以上に、私にとって都合の良い人物など、そう易々と現れないに違いないのだが。




「何を走っている庁舎隊長」

「走っちゃ悪いか」

「さあ私は知らんが、


 『建物内は走るな!』


……とここに書いてある」

「……」

「だろ?キミが書かせたのか?」

「軍司令官……閣下」

「おい、聞いてるんだ。キミが書かせたのか」

「あ、ああ、どうでしょうか。私の着任前からあった気がします」

「なら伝統的なルールということだ。庁舎管理の長として守ることだな」

「はぁ」

「それより丁度呼ぶところだったんだ」

「私を?」

「キミだけじゃない。隊長たちを招集しているの……SA!」

「え」

「指示出しだよ。ついてきたまえ」


 『つ』を強調した嫌味な言い方がキラリと光った。仕方ない、ボルテージを下げて負け犬のように付いていく。そういえばこの男も下女の誰かと語らっていたな。おれに関する悪い噂を聞いているのだろうか?



―軍司令官執務室


 またまた、各種隊長どもが整列させられている。おれも加わる。その前を、偉そうに練り歩く新軍司令官。


「城壁隊長。やはりキミは中々やり手だね」

「……?」

「おや、私は褒めているんだが」

「はっ、ありがとうございます」


 どちらも心の底からの発言ではないなあ。


「まあいい。先日、城壁隊長が秘密裏に光曜境の市長と交渉を行った」

「交渉?」

「市長?」

「先方の責任者だ。でなんと!それが上手くまとまったのだ。HAッHAー」


 顔を見合わせる隊長たちを嗤う。


「簡単なことだよ。とある人物の身柄と引き換えに、光曜の軍隊が光曜境の町を去る、という取り決めだ」

「とある人物?」

「ワカらないかね?鈍いなあ、勘が鈍いよ。今、我々が確保している重要人物と言えば一人しかいないだろ。塔の上の女宰相さ」

「えっ!」


 思わず声が漏れてしまった。当然、おれは初耳だ。


「何かな、庁舎隊長」

「いえ、鼻水が喉に引っかかっただけですずずず」

「あっそう。しかしなんだな、あの女宰相にも使用価値はあったというわけだな。高位の捕虜だから、それなりの待遇を用意しなけりゃならん。カネもかかれば人手もかかる。そうだよな、庁舎隊長」

「はあ」

「キミからの報告書を見たよ。女宰相が来てから出費が増大しているようだな」

「いやまあ、初期コストってヤツです」

「かもしれん。だが、贅沢は軍隊にとっての敵だろ、補給隊長どうだい?」

「まあ一般論では」

「ほら、補給隊長もそう言っている。今回、あの捕虜が役に立てば、意義深い無駄遣いだったと言える。が、役に立たないのであれば……」


 まるで、俳優のように不敵に笑う新軍司令官。


「この期間の特別支出はキミに負担してもらうよ、庁舎隊長」

「んなばかな」


 罰金に加え、そんな負担があれば破産してしまう。


「確かに前軍司令官殿は、得た捕虜に対する処遇をキミに委ねた。だが、それにしてもこの出費は多すぎる。恐らく、族長会議は認めてはくれないだろう」

「と言ってなんでおれが。前軍司令官殿はそんなこと一言も言ってませんでしたよ」

「前任者には前任者の考えがあったんだろう。が、私の考えは今の通りさ」

「じゃあ閣下にもお伝えします。必要な支出は認めて頂かんと」

「相手に伝わるかどうかは言う人にもよるさ。キミには人望がないから無理!」


 なんて野郎だ。コイツは女宰相と心の交流を持ったことがないから、彼女にはそれ以上の美的価値があり得ることがワカらないんだ。それを伝えるべきだろうか?


「まあ心配無用だ。作戦は成功すると城壁隊長が請け負ってくれている。そうだろ」

「……」

「返事は」

「はっ」


 けっ。その前の無言は、請け負っていないという返事だろうが。


「光曜境をゲットできればこの程度の出費、族長会議は忘れてくれるだろうよ。庁舎隊長よかったね!」

「微妙にちっともよくありませんが」

「生意気なヤツだなキミは。まあともかく、これで光曜境の獲得は約束された。やるやるとは聞いていたが、城壁隊長、いい手並みじゃないか」

「はっ」


 しかし本当にコイツが立案したものだろうか。町と人質の交換など、全くもって似合わない。おれが知る城壁隊長は、不器用ではあるが生真面目一本な男なのだが。巡回隊長が発言をする。


「相手の策謀であることも考慮すべきでしょう」

「というと?」

「敵が捕虜だけを回収して、町を出ていく気がないのだとしたら……」

「当然だろ」

「えっ?」

「敵は町も捕虜も手放すつもりはない。騙し合いになるに決まっている」

「で、では」

「当然戦闘になる。その詳細は城壁隊長に一任している」


 肩を叩く。そして揉む。


「君には期待しているよ。私が朝、目を覚ましたら全てが解決していた、という理想的展開をね」

「……」

「返事」

「はっ」

「よろしい。作戦の始動は?」

「明日です」

「明日!」

「そんな!」

「スタッドマウアー急すぎるぞ!」


 隊長一同驚愕の声をあげるが、


「うるさいぞ。そもそも期限は一ヶ月だったろうが。いちいち喚くんじゃない」


 と却下する城壁隊長。今や、隊長連中の中で、頭一つ抜けているのだ。作戦承認者のいる前で、これ以上の反論は不可能だ。同じ結論に達したのか、補給隊長が静かに呟く。


「確かに、策謀を携えているのなら、慎重より果断である方が成功に結びつきやすいかもしれない」

「そうそう、そうとも」


 お追従に笑顔の新軍司令官であった。

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